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風の少女と呪いの絆8  作者: たき
13/18

(13)

「お帰り。みんな、十分に楽しめたみたいだね」

 生き生きとした瞳で頬を紅潮させて野原に戻ってきた七人を、キルクルスは満足そうに出迎えた。

「さて……準備はいい?」

 問いかけに、リリーは浮かれていた気持ちを引きしめた。

 いよいよだと思うと、体に力が入る。

「ついてきて」

 先に歩きだしたキルクルスの後を追う。隣に並んだソールと今度は自然に手をつなぎ、リリーは何度も深呼吸をした。

「何だか寒くない?」

 後ろにいたレオンが両腕をさする。同意したルテウスが「おい、あれ」とあごで示した前方は、あたり一面が灰黒く染まっていた。

 草木が凍っている。風にそよとも揺れずかたく沈黙している枝や葉に、リリーはぞっとした。

 つい先ほど自分たちが見てきた森とはまるで違う、屍が土の上で転がる墓場のような恐ろしい暗さに、早くも気がくじけそうになった。

「来たか」

 エスキーが七人をかえりみる。死んだ森とこちら側を隔てる半透明の膜は、淡く虹色をおびて揺らいでいた。 

「これ全部リリーが吸収するの?」

 蒼白したセピアの咎めるような視線に、キルクルスは目を伏せた。

「普通の人はもたないよ。許容量を大幅に超えるから、途中で壊れてしまう」

「そんな――」

 セピアとフォルマが悲鳴をのみ込む。

「でもリリーは本当に大きな『器』なんだ。もしかしたらギリギリかもしれないけど、おそらくすべて受け入れられる。この機会をのがせば、次はいつになるかわからない」

 オルトは無言ながら闇の気が染み込んだ森をにらみつけている。レオンとルテウスも厳しい表情でじっと凝視していた。

「……怖いよね」

 キルクルスがリリーを見やる。懸念と懇願がないまぜになったつらそうな顔に、リリーはこぶしをにぎった。

「怖いよ。すごく怖いけど、やるって決めたから」

 森の奥の池で聞こえた天空神の声は、とても穏やかで包み込むような慈愛に満ちていた。

 温かく迎え入れてくれた天空神のために。重い責務を娘に背負わせてしまったと悔やむ両親のために。

 何より、池に映った自分と未来の家族のために。

「始めてくれる、キル?」

 まっすぐ見返したリリーに、間を置いてキルクルスが承知した。

 リリーを草の上に座らせ、ソールにはリリーを抱き起こす形で背中を支えさせる。それからキルクルスは虹色と青い糸で編んだ太い紐を箱から取り出し、結びの文言をつむぎながらリリーの右手とソールの右手を紐で結んだ。とたん、リリーはソールとの間につながりを感じた。

「ソールのほうにまで闇の気が流れていくってことはないの?」

 レオンの疑問に「影響はあるよ」と答え、キルクルスはリリーの額に指で五芒星を描いた。

「主よ、献身を厭わぬ勇ましき(たま)を守りたまえ」

 祈りを唱えたキルクルスから額に接吻され、リリーは「ひゃっ」と声を漏らした。頬を染めるリリーに、キルクルスはふふっと小さく笑った。

「かわいいね、リリー。この状況じゃなきゃもっといっぱい……大事な儀式だよ、ソール」

 すぐそばで不満をあらわにするソールに、怒らない怒らないとなだめ、キルクルスは最後にリリーの左の手の甲に黒い染料を一滴落とした。

「もしリリーに限界がきたら、今度はソールをのみ込むだろうね。でも紐を切ればソールは逃げられる。まあ、ソールはやらないだろうけど」

「当然だ」とソールが即答する。そんな回避策を教えられたことさえ不本意だと言いたげだ。

「途中でリリーの様子がどれだけ変わっても、絶対に放しちゃだめだよ。君はリリーにとって本当に大切な命綱だからね」

「わかってる」

 意志のかたさをうかがわせる力強いソールのうなずきに、リリーも勇気をもらった。

 先ほどから心臓の音がうるさいが、ソールが一緒にいてくれるなら、絶対にうまくいく。

「エスキーがフルゴル村への道をひらいたら、セピアたちは先に通って。じゃあ、いくよ」

 キルクルスの合図を受け、エスキーが膜に触れる。揺れていた膜に亀裂が走り、破れたところから一気に闇の気が押し寄せてきた。

 左手に落とされた点が入り口となり、リリーの体に闇がドオッと侵入していく。あまりの勢いに視界が回転した。

 体内で闇の気がうねっている。リリーを支配しようと這い広がる気配に、リリーはたまらず悲鳴をあげた。

 父は闇の気を引き込むとき、魂を体から離したという。そうしなければ、長時間の苦しみに耐えきれないと思ったのだと。

 今、身に沁みた。先に魂を保護する法術をキルクルスにかけてもらっても、ソールとつながっていても、絡みつくおぞましいまでの不快感を払いのけるのは不可能だ。


 ――……ろ


 闇の底から低い声が届く。


 ――落ちろ。我がもとへ


(嫌……!!)

 必死に抵抗する。それでも体の自由を奪われていく恐怖にリリーはおののいた。


 ――絶望せよ。我に差し出せ 


 助けて。

 怖い。気持ち悪い。

 あまたの黒い手に体内をまさぐられる感覚に吐き気をもよおす。蹂躙されることへの嫌悪と羞恥に気が狂いそうだった。 

(ソール……ソール!)

 外側からずっと自分に呼びかけている想い人の名を、リリーも一心に繰り返した。

 結ばれた絆をにぎりしめ、池で目にした未来を思い浮かべる。

 あの子たちには受け継がせない。ここで断ち切らなければ。

 それでも強い圧力に意識が途切れかけたとき、竪琴の音が聞こえた。

 キルクルスだ。ずるり、ずるりと暗い檻へ引きずられつつあった自分を、仲間のもとへ連れ戻そうとしている。

 不意にソールから怯えが伝わってきた。しかし長くは続かず、むしろ絶対に離さないという気概がぬくもりの形で届いた。

 身をゆだねるべきは暗黒神ではない。誰よりも、どんなときも大事にするとはっきり言葉にしてくれた人だ。

 溜まりに溜まり今にも破裂しそうなほど膨らんだ闇の気が、精神を破壊しようと無惨な幻をいくつも突きつける。目をそむけたくなる光景に動揺し、何度もくじけそうになりながら、リリーは懸命に耐え忍んだ。



「リリー!」

 闇の気と戦っているのかもがくリリーに、ソールが叫ぶ。仲間たちも口々に激励の声を飛ばした。

「リリー、頑張って」

「もう半分以上越えたよっ」

 灰黒くよどんでいた一帯はかなり回復している。青く瑞々しい葉が風にそよぎ、復活を喜んでいるかのようだ。

 しかし反対にリリーの表情はどんどんけわしくなっていた。浅く荒い呼吸の合間に短い痙攣を何度も起こし、うめいている。

「……や……嫌あっ、ソール!」

「俺はここだ。お前のそばにいるから」

 自分を探し求める泣き声にあせりが増す。リリーが闇の猛攻にあらがっているのに、直接駆けつけることができないのだ。

 そのとき、傍らにいたキルクルスがエスキーに合図を送った。エスキーは道をあける準備に入り、キルクルスは竪琴をかき鳴らした。

 奏でられる曲は聞いたことのないものだった。ただ、音が糸となって自分とリリーをつなぐ紐の強度を上げているのがわかる。

 凍りついていた木々も残すところあと三、四本までになったとき、汗にまみれたリリーの顔がぐにゃりとゆがんだ。

 闇の気を吸った代償とばかりに、リリーの全身が黒ずみはじめる。溶けた顔から眼球や歯がこぼれ、骨がのぞいた。

 皮膚がどろどろの液体となって流れ落ちるさまに、ソールは息をのんだ。セピアたちも悲鳴を漏らして目を覆う。

 醜く腐った顔で、リリーがにいっと品のない笑みを浮かべる。怒りがこみあげ、ソールはうなるようにつぶやいた。

「ふざけるな」

 こんな恐ろしいものを見せられて手放すと思ったら大間違いだ。

 恋い焦がれ、一度はあきらめかけて、結局想いを捨て切れず手に入れたかけがえのない存在なのだ。この程度で気持ちが冷めるなら追い求めたりしない。

 ご丁寧に腐臭まで漂わせ、リリーが顔を近づける。糸をひいて顔の上で揺れる薄緑色の目玉が、どこまで我慢できると挑発の問いを投げていた。

 ソールは歯がみし、強烈な臭いに嘔吐しそうになるのをこらえた。

 どんな姿だろうと、リリーは生きている。ここにいるのだ。ぐじゅぐじゅと膿を垂らす左手で頬に触れてきたリリーを自分から抱き寄せ、ソールはリリーと額をあわせて目を閉じた。

(ちゃんと捕まえておくから)

 何が起きようと暗黒神には渡さない。

 自分を信じて奮闘している愛しい相手に、ソールはありったけの励ましを送った。

 ついに最後の木が芽吹き、虹の森を侵していた闇の気がすべてリリーに吸収された。演奏をやめたキルクルスが竪琴を袋に入れて背負い、虹色の五芒星の刺繍された白い布でリリーの左手を覆いくるむ。

「よし、フルゴル村に移動するよ。ソール、リリーを抱えて来て」

 キルクルスの呼びかけに、まずセピアたちがエスキーの開けた穴へ飛び込む。ソールもリリーを抱き上げて穴をくぐった。

 行きよりも出るほうが時間も距離も短い気がした。闇の気の詰まったリリーはいつもより重く、ねっとりとした腐敗臭をまだまき散らしている。

 ようやく出口に着き、指示されるまま地面に描かれた法陣の上にリリーを下ろしてからソールは息をついた。紐が切れないよう寄り添ったままあたりを見回し、静かで落ち着いた雰囲気を見て取る。

 建物の大きさは礼拝堂くらいか。壁も窓も扉もなく、ただ屋根と柱だけの簡素な造りだ。キルクルスの村ほど澄んだ清浄さはないものの、古くから何かの儀式を執りおこなってきた厳かな空気の名残を感じる。

「キル、リリーは元に戻るんだよね?」

 セピアがしゃくり上げながら尋ねる。誰もがリリーの変貌に衝撃を受け、青ざめていた。

「もちろんだよ。暗黒神がリリーとソールの絆を切ろうと脅しているんだ。これだけひどいのは、二人が相当粘っている証拠だから」

 あと少しの辛抱だからねと、キルクルスはリリーに話しかけた。

「リリーが行くだけで暗黒神の領域と虹の森が通じるなら、キルの村にも穴が開くんじゃないか?」

 ルテウスのもっともな質問に、キルクルスは「そうだよ」とあっさり認めた。

「君たちが村の結界内に入ってすぐ道はふさいだんだ。それに、あらかじめ闇の気の侵入を阻止する仕掛けを施していたから」

「だったら虹の森も同じようにすればいいのに」

 首をかしげるレオンに、キルクルスは肩をすくめた。

「できることならそうしたいけど、主は僕たちより寛大だから、七つの玉をそろえた者は誰であれ歓迎なさるんだよ」

 困ったものだと言わんばかりにキルクルスが苦笑する。いくら番人とはいえ不遜にも思える態度に、六人はなかばあきれた。

「ところでそれ、大地の法陣だよな」

 リリーを横たわらせている法陣をルテウスが指差す。

「うん、暗黒神の世界に一番近いのは大地の女神の領域だからね。リリーから解き放つ闇の気を大地の女神に押し出してもらうんだ」

 大地の女神の役目の一つでもあるんだよという説明に、ルテウスだけはうなずき、他の仲間は感心した顔つきになった。

「じゃあ、仕上げに入るよ」

 キルクルスはリリーの左手を包んでいた白い布をはずした。

「主よ、賢者の末裔(すえ)たる我が祈り、聞き届けたまえ。(おの)が身を(にえ)に差し出したる(たっと)き星に、暗き穢れ、忌まわしき鎖もろとも拭い去る支援の恩寵(おんちょう)を、並びに再生の祝福を」

 キルクルスが指で五芒星を描く。虹色の光がリリーの体に降りそそいだとたん、大地の法陣も呼応して黄色く輝き、リリーがびくりとはねた。

 その左手の点から黒い煙が立ち昇り、地面へと吸い込まれていく。大地の女神がたぐり寄せているかのように闇の気は途切れることなく引き出され、リリーの見た目にも変化が表れた。

 呼吸をするのもままならないほどひどかった臭いが薄れていく。ぶらさがっていた目玉も抜けた歯も、骨が見えていた頬も、すべてが整っていくさまに、ソールは涙ぐんだ。

 これでもう――安心しかけた刹那、紐がぐんと引っ張られた。切れ目が走ったことに、はっと目を見開く。

「だめだ。行くな、リリー!」

 闇の気がリリーの魂まで連れていこうとしている。油断した自分に腹を立てながら、ソールは必死に訴えた。

「お前の居場所はここだ。みんなのいるここなんだ!」

 一緒にやりたいことがたくさんある。この先もずっとずっと、ともにあり続けたい。

 虹の森で見た未来を失うわけにはいかない。絶対に、絶対に放すものか。

「俺につかまれ! リリー!」 

 結ばれた紐を通して伝われとばかりに、強い念をぶつける。

 すさまじい力に引きずられてちぎれそうになっていた絆が、熱をもった。まるでリリーが手をにぎり返したかのごとく、つながりが再び太くなるのをソールは感じた。

 リリーはかたくまぶたを閉じ、眉間にしわを寄せている。懸命に抵抗しているのか、額には汗がにじんでいた。

 ゴッと足場が一瞬激しく揺れた。リリーがのけぞり、大きな黒いかたまりが抜けると同時に、左手から黒い点が消えた。

 闇の気とは明らかに違うぶよぶよしたかたまりは、どうにかリリーのほうへ戻ろうとうごめいている。暗黒神がリリーと結んでいた絆だと直感し、ソールはぞくりとした。

 暗黒神はリリーをあきらめるつもりがないのだ。もし大地の女神の手を振り切ってまたリリーと縁づいたら――。

 キルクルスは緊張の面持ちで見守っている。キルクルスにもこれ以上手が出せないと知り、ソールは黒いかたまりに向かって声を荒げた。

「去れ! リリーから離れろ!」

 効果がなくても何度でも怒鳴るつもりだったソールに、オルトが加勢した。

「これ以上リリーに関わるな!」

「あっちへ行け!」

「もう来ないで!」

「二度とリリーや俺たちに近づくな!」

 さらに皆も続く。六人の言葉が力となったか、法陣がファアアンッと高らかに鳴り、黄色い砂嵐を発生させた。

 薄目になったソールの前で、砂の渦は逃げようとしたかたまりをのみ込んで地面に埋もれていく。

 暗黒神のうめきか、耳障りな音を最後に砂嵐と黄色い光は消え、静寂が訪れた。

 誰も何も言わない。ブレイが死んだときと同じく、暗黒神の触手がまた地面を突き破ってくるのではないかと不安で、ソールが法陣をじっとにらみつけていると、リリーがふるりと震えた。

「リリー?」

 まぶたが揺れる。ゆっくりと現れた薄緑色の双眸がソールをとらえた。

 息を詰めて見つめ合う。リリーは唇をわななかせ、目に涙をあふれさせた。

「……ソール」

 我慢できなかった。ソールはリリーを抱きしめ、頬をすりあわせた。

「ずっと、声が聞こえてた。ソールが呼んでくれてたから、私……」

「よく頑張った。本当に……」

 無事でよかったとつぶやくソールの背に、リリーが手を回した。

「全部終わったんだよね?」

「ああ、終わった。もうお前をおびやかすものはないから」

 おかえりとソールが告げると、腕の中でリリーが笑う気配がした。

「ただいま」

 ぎゅっとしがみついてくる大切な存在は、間違いなく生命(いのち)あるぬくもりを宿していた。

 

 

 念のため、闇の気も暗黒神との絆もきれいさっぱりなくなっていることをキルクルスに確認してもらい、ようやくリリーは心から安堵することができた。支えてくれたソールはもちろん、仲間たち、そしてキルクルスに喜びと感謝を伝える。

「気分はどう?」

「何だかすごく清々しいよ。体も軽いし」

 尋ねるセピアに笑顔で答えたリリーは、皆が自分の顔を凝視していることに気づいた。首をかしげると誰も彼も慌てたさまでぱっと視線をそらすが、しばらくするとまた見つめてくる。

「……私の顔に何かついてる?」

 もの言いたげなまなざしがどうにも気になる。隣に立つソールをちらりと仰ぐと、複雑な表情をしていた。

「あー……えっとね」

 セピアが困ったさまで口ごもり、レオンをかえりみる。「え、僕が話すの?」とレオンは後ずさり、ルテウスに押しつけようとしたらしいが、ルテウスもフォルマもオルトもそっぽを向いていた。

 はあ、とため息をつき、レオンが狐色の髪をかいた。

「リリーが闇の気を吸収したとき、けっこうすごい状態になったから、みんなびっくりしてさ。元通りになってほっとしてるけど、まだちょっと心配っていうか落ち着かないっていうか」

「すごい状態って?」

「だからその……ソールとリリーの仲を裂くために暗黒神がね……」

 レオンがはっきり口にしないなど、よほどのことではなかろうか。

「どうしても聞きたい?」

 気絶するかもよと警告される。怖かったが、理由のわからない不安をかかえたままよりましだと思い、リリーは説明を求めた。

「ソールは君がどんなふうになっても、放り出すまねはしなかったよ。それだけは頭に入れておいて」

「うん」

 もう一度ソールを見て、リリーはうなずいた。

「顔がね、溶けたんだ」

「――え……?」

 何かのたとえかと思った。しかし全員の顔つきから、そのままのことが起きたのだと悟った。

 目玉がこぼれ落ち、歯が抜け、皮膚がどろどろになって骨までのぞいたと言われ、リリーは血の気が引いた。今まさに顔が崩れている気がして思わず頬をなでる。

 おそるおそる見上げると、ソールと目があった。

「嫌ああっ!」

 リリーはたまらず顔を覆った。もはや人間とは呼べないくらい気味の悪い姿だった自分に、ソールは付き添っていたのだ。

「ごめん、ソール! 本当にごめんなさいっ」

 あやまり続けるリリーを、ソールが正面からのぞき込んだ。

「大丈夫だから、気にするな」

「無理、気にする!」

 あのときソールから届いた怯えの感情は、きっとこれを示していたのだ。

 だめだ、想像しただけで恐ろしい。みっともないを通り越して恥ずかしすぎる。

「キル、もしかしてこうなるって知ってたんじゃないの!?」

 リリーの八つ当たりに、キルクルスは気まずそうに答えた。

「暗黒神が何らかの形で邪魔をするのはわかってたよ。だからソールにも念を押したんだけど」

 記憶をさぐり、キルクルスが「途中でリリーの様子がどれだけ変わっても、絶対に放しちゃだめだよ」と確かに言っていたのをリリーは思い出した。

 こんなのあんまりだ。しかもよりによってソールに見られるなんて……。

「ああもうやだ。こんなことになるなら――」

「俺に頼るのをやめておけばよかったと考えているなら怒るぞ」

 泣きそうになったリリーは、低い声音で注意されてびくりとした。

「絶対に守ると約束しただろう」

「……でも、気持ち悪かったでしょ?」

「それは否定しない」とソールが苦笑する。ほらやっぱりとリリーはうなだれた。

 もう立ち直れる気がしない。すっかりへこんだリリーの頭を、ソールがそっとなでた。

「リリー、俺はどんなときも大事にすると言ったはずだ。お前が闇の気に支配されるのを拒んでいる間、外から呼びかけることしかできなくて、腹立たしくてしょうがなかった」

 リリーは胸の内でソールの言動を反芻した。

 目覚めたとき、無事でよかったとソールは強く抱きしめてくれた。

 外見が醜くとろけた自分になど本当は触れたくなかったはずなのに、最後まで見捨てずにいてくれたのだ。

「……嫌いになったりしてない?」

「してない。するわけがない」

 そろりと指の隙間からのぞいたソールの面持ちは、とても真摯でありながらやわらかかった。

 打ちのめされていた気持ちが浮上していく。

 この人は、どんな自分も受けとめてくれるのだ。

 顔を隠すのをやめたリリーに、今度はソールが手をのばした。武器をにぎり慣れたかたい指で頬に触れ、愛おしそうに黄赤色の瞳を細める。そのまなざしに吸い込まれそうになったとき、咳払いがした。

「続きはフォーンの町に戻ってから存分にしてくれるかな」

「そうね、そろそろ出発しないと今日中に帰れないかもしれないし」

 レオンとセピアがにやついている。周りに仲間がいたことをすっかり忘れていた。

 ごめんなさいと赤面しながら小声であやまり、帰り支度にとりかかったところで、大地の法陣を消したエスキーが寄ってきた。

「水と食料は俺たちからの差し入れだ」

 腹が減ったら途中で食べてくれと、エスキーが荷馬車のすみに置かれている箱を指さす。ありがとうと言って、リリーは気づいた。

 行きにはあったキルクルスの袋が見当たらない。ぱっとキルクルスをふり返ると、視線がぶつかった。

「僕はこのまま村に残るから」

「着替えが必要だから? 今夜は村に泊まるってこと?」

 休みが明けたらまた登校するんだよねと聞く声が震える。どうかそうであってほしいという願いはかなわなかった。

「僕の任務は終わった。君たちとはここでさよならだ」

 リリーは言葉を失った。皆、呆然としている。

「ちょっと待ってよ。そんな急に……」

「そうだよ、せめて年度末まで一緒にいられないの?」

 キルクルスに詰め寄ろうとしたセピアたちの前に、エスキーが立った。

「悪いな。もともと俺たちは必要以上に村の外に出ることをしない。オーリオーニスには通うが、神法学院や武闘館には進学しないんだ」

 今回は本当に特例だったんだよとエスキーが説明する。キルクルスは唇を引き結んでうつむいていた。

「でも……だったら、お別れ会をさせてくれない?」

 こぶしをにぎり、リリーは訴えた。もう一日だけでも思い出をつくりたい。

「……ごめん。気持ちは嬉しいけど、遠慮しておく」

 そんなことをしてもらったら、ますます別れづらくなるからと、顔を上げたキルクルスが微笑する。何色と言えない輝きがまたたく薄茶色の瞳は、泣くのを我慢しているように激しく揺れていた。 

「最後に、僕から君たちに祝福をさせてもらうよ」

 しんみりとしている全員を集めて横一列に並ばせ、片膝をつくようキルクルスは言った。

「長く苦しい道のりを、ともに手を取り支え合い乗り越えた君たちに、我が主のさらなる加護があらんことを」

 一番左側にいたオルトの前髪をかき上げたキルクルスに、オルトが「ま、待て!」とあせった容相になった。

「お前まさか、額に――」

「口づけるけど、何? もしかして嫌なの?」

「いや、だってだな……」

 うろたえるオルトに、エスキーが渋面をつくった。

「キルの祝福は王族ですら受けられるかどうかわからない貴重なものだぞ」

 それを断るなどお前は馬鹿かと叱られ、オルトはますますたじろいだ。

「あのね、どうして僕たちの見た目がこんなだと思ってるの?」

 キルクルスも不本意そうに首を傾ける。

「祝福を与える僕がものすごくむさくるしい醜男(ぶおとこ)でも、君は平気だった?」

 想像したのか、オルトが露骨に嫌そうにかぶりを振った。

「……そういえば、結婚相手は顔面にこだわって選ぶって……もしかしてこれが理由?」

 だから性別のわかりにくいきれいな人が多いのかと、セピアが納得顔になる。

「同じ祝福するなら、されるほうに喜んでもらえるほうが僕たちも嬉しいからね。わかったら、はい」

 すきをついてキルクルスがオルトの額に接吻する。しかもブチュウッと派手な音を立てて。

「あっ、おい!」

 わざと大きな音を出したなと真っ赤になって抗議するオルトに、キルクルスはくすくす笑った。

「君には特別濃厚なのを贈りたかったんだよ。次はセピアだね」

「えー……音は控えめでお願いします」

 苦笑いで恥ずかしそうに目を閉じたセピアの額に、キルクルスは要望どおり軽く口づけた。ルテウス、レオンと続き、フォルマに接吻したところで、キルクルスはしばし宙を見つめた。

「ねじれ輪の牢獄から魂を解放したフォルマの貢献に、我が主がご褒美をくださるそうだよ。楽しみにしててね」

「ご褒美……?」

 にこりとするキルクルスに、半信半疑な様子でフォルマがうなずく。そしてソールに触れたキルクルスは少し真顔になった。

「前にも言ったけど、今度リリーを不安にさせるようなまねをしたら、遠慮なく僕がもらいに行くからね」

「ああ、わかってる」

 そんなことはしないと断言するソールに瞳をすがめ、キルクルスはリリーの前に立った。

 順番を待つ間も涙がとまらなかった。笑ってあいさつをしなければと思えば思うほど悲しみが増してきて、たまらずうつむいたリリーに、キルクルスが優しく声をかけた。

「リリー、顔を上げて」

「……だって、祝福が終わったら……」

 キルクルスと会えなくなってしまうのだ。

 覚悟はしていたけれど、やっぱりつらい。

 すすり泣くリリーに、キルクルスが膝を折ってなかば強引に額に口づけた。

 仰いだリリーの両頬にも接吻が落ちる。目を見開いたリリーを、キルクルスは抱きしめた。

「虹の森を救ってくれてありがとう。僕は本当に……君のことが大好きだったよ」

「キル……また遊びに来てくれる?」

 窓を開けておくからとすがりついたが、うんという返事はなかった。代わりに「元気でね、リリー……幸せになってね」と告げ、キルクルスが立ち上がる。

「待って、キル……!」 

 手をのばしたリリーをかえりみることなく、キルクルスとエスキーは去っていった。うっすら虹色の光をまとう(とばり)のようなものが二人の背中を隠していくさまに涙が重なり、視界がゆがむ。

「私、まだ……」

 さよならも、今までありがとうも言っていない。私も好きだよと伝えられていない。

 大事な言葉を何一つ口にできなかったリリーは、肩に触れてきたソールにもたれ、泣き続けた。

次回投稿は4月の予定です。今度こそ残り3話前後で完結するかと……思います。

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