(12)
天然の温泉はほんの少し熱かったが、体のこりや疲れをほぐし、気分もすっきりさせてくれた。普段は足をのばして首まで湯につかるという機会がそうそうないため、リリーたちはたっぷりと時間をかけて堪能した。
塀の向こうから届く会話は、ここを鍛えるにはこれこれこういうことを毎日すればいいとか、もっぱら筋肉についてだ。熱く語っているのはオルトとソールで、何か勧められたのか「俺は頭脳を鍛えているんだ」「僕はムキムキになるのを反対されているから」とルテウスとレオンが言い返していた。
そうしているうちに今度は誰が一番湯を遠くまで飛ばせるかという競争になったようで、四人が騒ぎはじめた。
「戦うときは格好いいのに」
本気で勝負している気配がするオルトたちに、意外と子供だわとセピアが苦笑する。「みんな負けず嫌いだからね」とフォルマも笑った。
オルトとソールが仲良くしていることに、リリーはほっとすると同時に嬉しく思った。もともと二人とも武術に対して真摯だし、似た面が多いのかもしれない。
そこへキルクルスが加わったのがわかった。さらににぎやかになり、だんだん卑猥な方向へ話題が傾きだしたため、セピアとフォルマが慌ててリリーを連れて湯から上がった。
先に外で涼んでいるとようやくオルトたちも出てきた。丸聞こえだったよとセピアが指摘すると、男子勢がそろって気まずげな顔をした。
男の人の生理現象についてなど、兄弟がおらず父も軽々しく口にしない環境で育ったリリーには、あまりにも刺激が強い内容だった。赤面状態でうつむいているリリーにソールとオルトはもちろんのこと、普段わりとずけずけ言うルテウスやレオン、キルクルスでさえ言葉に詰まり、「ほんと、馬鹿」とセピアが冗談めかして注意してようやく場が少しなごんだ。
男子五人が頭を下げてあやまり、気を取り直して全員で食事が用意されている部屋へ向かう。盛りに盛ったおいしそうな料理の数々を見て、リリーは手をたたいて喜んだ。
「わあっ、すごいごちそう」
「食べきれるかな?」
「大丈夫でしょ。武闘学科男子とリリーがいるんだし」
レオンのからかいに驚いた容相になったのは、給仕の女性たちだ。まさかこの少女がと半信半疑の様子だったが、オルトとソールに次ぐリリーの食べっぷりを目の当たりにし、感心の笑みでおかわりをついでいた。
「そろそろいいかな? 昨日リリーには了承してもらったんだけど」
きれいに完食して食後の茶をすすっていたとき、キルクルスが切り出した。真顔のキルクルスに七人も雑談をやめて姿勢を正す。
キルクルスは一度リリーと視線を交えてから、今回の計画について話した。
最初は黙って聞いていたものの、リリーを器にすると理解した時点でセピアたちは顔色を変えた。
「そんな――ひどいわ。やっと闇の下僕から逃げられたのに」
「お前、もとからそれが狙いだったのか!?」
セピアとオルトが怒りをあらわにするそばで、声を荒げず静かに座っているソールをレオンが見やった。
「ソールは知ってたの?」
「ああ。俺にも役目があるとキルに誘われて、リリーの家で一緒に……正直俺も迷ったが、解決後の利点は確かに大きい」
リリーがやると決めたなら俺は付き合うと答えるソールに、セピアとオルトも口を閉じた。
「ソールの役目って何?」とレオンが重ねて問う。
「リリーが暗黒神の領域に引きずられないよう、こちら側につなぎとめる人間がいるそうだ」
「本当に大丈夫なの? 失敗したら、リリーは戻ってこないんでしょ?」
まだ疑いがぬぐい切れないらしいセピアに、ソールはうなずいた。
「約束したんだ。俺が絶対に守る」
言い切るソールをじっと見つめ、オルトが宙に向かって息をついた。
「わかった」
「オルト……!?」
賛成に転じたオルトにセピアが瞠目する。
「俺は、生半可な気持ちで大事な幼馴染をソールに託したわけじゃない」
一見挑発的だが、そこにあるのは紛れもない信頼だと周りにも伝わる微笑をオルトは浮かべた。
ソールなら命を賭けて己の務めを果たすはず――希望ではなく確信をもってのオルトの発言に、それ以上異論は出なかった。
ソールだけでなくリリーの決意も感じとったのか、セピアもようやく承知した。
「いいわ。ソールを信じる」
「先のことを考えたら、踏ん張りどころだな」
皆から承諾を得て、キルクルスが顔をほころばせた。
「君たちの協力に感謝するよ。じゃあ、明日……最後の大仕事だ」
早朝、七人は身支度を整えて部屋を後にした。
今日のことを考えてしまい熟睡できたとは言い難かったが、眠くもない。ただ緊張に時折震えがくるのはとめられなかった。
屋敷を出ると、竪琴を手にしたキルクルスが立っていた。そばにはエスキーもいる。二人とも白い上下服に虹色の帯を巻いている。七つの色の羽根飾りを髪に挿し、耳には五芒星をかたどった耳飾りをつけ、薄く白粉をはたいた顔は目の下に虹色の短い線がさっと引かれていた。
「おはよう」という声は間違いなくキルクルスだったが、化粧をすると本当に性別がわからなくなる。
「二人とも綺麗」
「ありがとう。リリーもお化粧したらすごくかわいいんだろうな」
ほめるリリーにキルクルスが微笑む。かすかな違和感にリリーは首をかしげた。
「エスキーも行くの?」
セピアの問いに、エスキーとキルクルスがうなずいた。
「森を出るとき、エスキーにフルゴル村への道を開けてもらうんだ。闇の気を取り込んだリリーをこの村に連れ帰るわけにはいかないから」
「まさか、回収が終わるなり用済みだといって俺たちを放り出すつもりじゃないだろうな」
気色ばむオルトに、「違う違う」とキルクルスが手を振って否定した。
「フルゴル村で闇の気を祓うんだよ。あそこはそういったもののためにつくられた場所だから」
「なんだ、遺跡にはちゃんと役割があるのか。やっぱりただのめくらましではなかったんだな」
ルテウスが興味深そうな顔になる。
「でも、必要なもの以外は荷馬車に積んでおいてね。虹の森に入ったら、君たちはもうこの村には戻れない。荷馬車ごと先にフルゴル村に運んでもらう手筈になってるから」
指示され、七人は着替えなど宿泊に使ったものを荷馬車に乗せ、最低限の荷物だけを袋に入れて背負った。
虹の森と一緒で、ここを訪れることはもう二度とできないのだ。少しでも記憶にとどめたいとあたりを見回したリリーは、先ほど覚えた妙な感じの理由に気づいた。
いつものキルクルスなら、僕が化粧を手伝ってあげるよとぐいぐい来たはずだ。それなのに、まるでこの先はともに過ごすことがないかのような距離感がにじんでいたのだ。
昨日、最後の大仕事だとも言っていた。つまりこの務めが終われば、キルクルスはゲミノールム学院を去るのかもしれない。
とたん、寂しさに胸がしめつけられた。毎日顔をあわせ、同じ専攻の友達としてすっかり慣れ親しんできたのに、いなくなってしまうなんて……。
目頭が熱くなったとき、キルクルスと視線が交わった。開きかけた口を閉じたキルクルスは静かに瞳をやわらげただけで、抱き着くことも冗談を言うこともしなかった。
本当に別れが近いのだ。速まる鼓動にめまいすら起こしかけたリリーは、「リリー? 大丈夫か?」とソールに顔をのぞき込まれ、はっとした。
「……うん、平気」
無理やり笑うと、ソールはますます心配そうに眉をひそめた。
「ちょっと不安でドキドキしてるだけ」とごまかし、「今日はちゃんと私を見張っててね」とリリーは明るい口調で手を差し出した。
「ああ、しっかり捕まえておくから」
ソールがリリーの手をにぎる。
「そこのお二人さん、いちゃついてないでそろそろ行くよー」
割り込んできたレオンの催促にびくりとしてリリーは離れようとしたが、ソールはそのまま歩きだした。
あまりにも堂々としたソールの態度に、レオンもひやかすのが馬鹿らしくなったのか、肩をすくめて背を向ける。
「送別会、できるといいな」
皆の前で手を引かれることに動揺していたリリーは、ぱっとソールを見上げた。
ソールも気づいていたのだ。この困難を乗り越えたら、キルクルスとの別離があることを。
他の五人も先を行くキルクルスを見つめている。
名残惜しいと思っているのは自分だけではなかったと知り、リリーはますます涙ぐんだ。
にぎる手が強くなる。寄り添ってくれるかたくて大きな手に励まされ、リリーは鼻をすすってしかと前を見据えた。
キルクルスとエスキーに案内されたのは、村の奥近くだった。二本の大木の枝にかけられているのは虹色の布で、木と木の間の空気が揺らいでいる。
「玉はまだあるのか」
エスキーがいぶかしげに七人をふり返る。
本来、冒険集団は七つの玉が生み出す入口を通って虹の森へ入るという。しかし今回七人が幻影として見たのはこの村だったことから、それが天空神の思し召しと判断して村は七人を招待したのだ。
通常なら鍵の役割を果たして消えるはずの玉がいまだリリーたちの手元にあることに、エスキーは疑問をいだいているらしい。
「まあ、行ってみればわかるんじゃない?」
「お前はまたのんきなことを」
「エスキーがあれこれ考えすぎなんだよ」
主はもっとおおらかだよとなだめるキルクルスに、「まったく」とエスキーが嘆息する。
「じゃあ、行くよ。ちょっと気持ち悪いかもしれないから気をつけて。はぐれないようにね」
キルクルスが声をかけ、一番に踏み込む。七人が続き、最後にエスキーが入った。
ちょっとどころではなかった。いろいろな色が溶け込んだ空間は予想以上に落ち着かない。へたに周りを見ていると酔いそうだった。
そのとき、キルクルスが竪琴をつまびいた。音の一つ一つがポンポンと七つの色として現れ、九人の周辺を漂いはじめる。
胸やけや息苦しさがすっと消えた。呼吸が楽になっていく。ゆったりとした穏やかな曲調に聴きほれながらキルクルスの後を追ったリリーたちは、あたたかな日差しの降りそそぐ野原に出た。
「うわあ、素敵」
丈の短い青草と花々が広がる野原に、セピアが目を輝かせる。空は澄んだ青色で、虹色の羽を広げた鳥たちが高く低く飛んでいる。レオンも大きく息を吸った。
「『幸福の地』か。なるほど、何だか心が洗われるね……えっ!?」
突然七人のポケットから玉が飛び出した。キルクルスとエスキーも唖然とした容相になったが、七つの玉が飛び去ったほうを見て二人は表情をけわしくした。
「キル、いったい何が起きたの……?」
「暗黒神の領域に通じる道がひらいたんだ」
先に駆け出したエスキーを見送ったキルクルスの返答に、リリーはこわばった。
「大丈夫、みんなの玉が穴をふさぎに行ったみたいだから」
きっとこのために主は君たちの玉を使わない入り方を示してくださったんだと、キルクルスは納得顔で言った。
「君たちは予定通り森を散策しておいで。エスキーも向かったし、僕も行ってくる。こちらは任せて、見るものを見たらここに戻ってきて」
「でも……」
本当に自分たちだけで楽しんでいいのか。自分のせいで道ができたのにと沈むリリーを、キルクルスは励ました。
「玉をそろえるのは案外難しいんだよ。それをみんなで成し遂げたんだから、胸を張って主の導きに従えばいい。君たちにはその権利がある」
そしてキルクルスはにこりと笑った。
「ここは一度しか来られない場所だ。僕たちが守っている森を、ぜひじっくり堪能してきてほしい」
森の番人としての誇りを示され、リリーたちは了承した。
「わかったわ。じゃあ、またここで」
「キル、気をつけてね」
「うん。いってらっしゃい」
キルクルスに手を振られ、七人は森へと歩を進めた。
木漏れ日がきらめき、生き物の息吹を感じる。歩いているだけですがすがしい気分になる小道を、リリーはゆっくり見て回った。
珍しい七色の小動物がひょこっと現れるたびに、動物好きなフォルマが「あれ見て、かわいいっ」とはしゃぐ。おびえさせないように駆け寄るのを必死に我慢してぷるぷる震えているフォルマのほうがよほどかわいいよねと言うセピアに、リリーも笑みをこぼしてうなずいた。
財宝であったり、平穏であったり、あるいは刺激に満ちていたり、何を幸せと思うかは人それぞれだ。
リリーは昔から、積極的に交友関係を広げていくことは得意ではなかった。あまり親しくない人と長くいると、会話の間をもたせようと変に意識して気疲れしてしまうのだ。それでも入学当初はセピアと別れて教養学科に入ったので、自分で友達をつくらなければと頑張った。
結局そこではうまくいかなかったし、受け身なところは直らなかったものの、縁あってかけがえのない仲間ができた。個性豊かな顔ぶれはまとまるのが難しそうに見えて、意外とみんなで補いあう楽しい集団になった。
幼馴染だったセピアやオルトはもちろん、最初は苦手だったルテウスも、よく人をからかうレオンも、さわやかでまっすぐなフォルマも、今ではなくてはならない存在だ。
そして――リリーはオルトと肩を並べて歩くソールの背中を見つめた。
思えば、自分から接近したのは彼が初めてかもしれない。
親同士が知り合いだったからというだけでは説明しきれない、不思議な吸引力があった。話せば話すほど、関われば関わるほど惹かれていくのをとめられなかった。
隣にいるだけで胸の高鳴りと安心感が混ざり合い、それがまた心地よくてさらに求めてしまう。もっと近づきたい、仲よくなりたい。自分にこんな欲深い面があったのが恥ずかしくもあるけれど。
気持ちを汲んでくれることの多いソールに、自分も寄り添いたい。助けてもらってばかりではなく、支えられるようになりたい。
今の自分が願う幸せはそれだとリリーが考えたとき、七羽の鳥が飛んできた。鳥たちはあいさつするかのように一度七人の肩に下り、今度は森の奥へと羽ばたいた。
「案内してくれるのかな」
「うん、向こうに何かありそうだね」
セピアとレオンが首をのばして前方を凝視する。
「光ってる」
一番視力のいいフォルマのつぶやきを受け、「よし、行くか」とオルトが皆をふり返った。
幾分緊張しながら踏み込んだ先にあったのは、背の高い木々に囲まれた小さな池だった。陽光を浴びて輝く水面に、七羽の鳥が順に飛び込んでいく。驚いて駆け寄ったリリーたちは、七色の水が描く波紋に見入った。
頭上から虹色の光のかけらがふわりふわりと降ってくる。空をあおぐと、男性とも女性とも言えない魅力的な声が歓迎の言葉を告げた。
全員がはっと息をのむ。顔を見あわせ、畏怖と感動を抑えきれぬまま恭しく一礼した七人に、声の主は池をのぞくよううながした。
七つの色が渦を生み、ゆるやかに円をつくっていく。リリーたちは虹色の鏡に映るものをじっと見つめ、各々の胸にしかと刻んだ。




