06話 『世界平和を成す前に』
自分の気持ちに嘘をつけない愚直すぎるほど正直者のくせに、詭弁を紡ぎ妥協に阿って、でもやっぱり心が騙されることはなくて。どんな偽と欺で自分を化かしても、一度と自分の真意を隠せなかった彼。
愚かしいなんて思わない。無遠慮な哀れみなんてかけない。
勇者パーティの非行を誰よりも許さずにいたのはきっと彼なのだろう。
過去のことだしどうにもできない、とか適当な言い訳を取り繕うことだってできたのに、一切の虚偽を許さなかったのだ。
そんな芯の強い心を持った彼。
惹かれる。応援したくなる。
「では、女神として一つアドバイスを差し上げましょう」
――ちゃんと話をしてくれたお礼です。
自分は大丈夫、とでも言いたげな、渇いた笑みを浮かべながらも未練たらたらな悲愴面のジンを見て、イベリスは清らかに柔らかに如何にも女神を体現するように言った。
「はい?」
返るのは、アドバイスってなんのことかと、懸念を通り越した不信の眼差し。
訝しげな視線を送ってくるジンが心底不満でイベリスは口を尖らせた。
「質問したじゃないですか。どうすればいいのかって」
いや確かに質問しましたけど答えなんてないでしょう――と顔全部で告げてくるジン。
イベリスは胸を張って、自信満々の表情で続けた。
「たぶんもっと簡単なことだと思いますよ」
「…………」
たぶん、もっと、と曖昧な言葉で始まって、挙句の果て思いますよと心情を語る始末。
あまりにあやふやで、アドバイスにしては不明瞭すぎるそれ。――まぁ言った自分でもそれくらいわかっている。
そんな愚にも付かない答えを言ったにもかかわらず、イイコトイッタ感を醸し出すイベリスに、ジンが眉間にくっきり皺を寄せた。
「まぁそういいつつも、トキタさんが胸に抱く理想を実現した人を私は知らないですし、その手段なんて見当もつかないんですが」
何せそんな理想をその年で希う人など初めて会ったわけで。
「それアドバイスにしては適当すぎませんか?」
「そうですね。でも女神ってアドバイスするものでしょ?」
…………――――。
「……そこに至るまでの理由すら適当じゃないですか」
一拍おいてそう告げたジン。その無言と、期待を裏切られたけれど咎めることはない無の眼差しが、身に染みる。
ジンの素の仕草に倣ってお道化てみたもののどうやら失敗らしい。
わざとらしくせき込んで、イベリスは本題を口にする。
「でも、少なくともトキタさんがやってきた自分を偽ったり、騙したりするやり方ではその理想が叶わないってことはわかります」
「それは……、おれもそう思いますけど……」
「だからこそ思うんです。本当はそんなまどろっこしい、難しいものはいらないのかなって」
人それぞれ違うから……――尤も、正論だと思う。
けれど、ふと感じたのだ。その言葉がどこか言い訳染みて聞こえたのだ。
あまりに人間関係が複雑で、全ての人とわかり合うことはできないと言う事実を正当化するための、自己弁護に聞こえたのだ。
「…………」
真面目に言ったものの、その言い分はやっぱり漠然としていて。ジンは僅かに俯いた。
正直な所イベリスにもわからない。ジンの問いに正解を返すことはできない。
けれど、これだけは確かで、断固として言えることがある。
――その理想を叶えることができるのはトキタさんだけだ。
「それにもう一つ理由があるんです」
†††
そう言って人差し指を立てるイベリス。
「なんですかその理由」
期待半分、否半分の半分。残りは失望するくらいならと、無頓着で――ジンは耳を傾ける。
「トキタさんの理想が駄々っ子のそれっぽく聞こえたことです」
「…………――」
舌を出して笑うイベリスに、ジンは咎める目を向けた。
ほんの僅かだがその理由に期待した心情を返して欲しいとジンは思う(二回目)。
胸の内に閉ざした自分の思いを赤裸々に語って、語らされたと言ってもいい。そうさせて、その話をじっくり聞いてくれたイベリスなら――もしかして、と。ジンはかなり期待していたのだ。
自分が思っている以上に。四半分の期待なんて言ったが、あれは嘘だ。
だけど、これで。
――これで、ようやく諦められる。心から諦められる。
そう思って、次の瞬間。
「だれにでも出来ることなのだと思います。でも、だれもやらない」
イベリスは告げた。なにを指して言った言葉なのか。またまた曖昧な言い草で。
けれど、なぜだろうか。
ジンにはその言葉の意味がわかる気がした。その曖昧な言葉が、それまでの曖昧な言葉を繋ぎ合わせて、氷解していく感覚に満たされた。
歌を歌うようにイベリスは続ける。
「トキタさん、他は気にせず自分の思うように、純粋に素直に生きてみるのはどうですか」
駄々っ子のように。知恵も力もない子どものように。無邪気に。不敵に。自分の思いだけを頼りに。どこまでも真っ直ぐ進む。
――それこそが真の平和を、届かないと諦めた理想を叶える手段だと。
気づけばとっても簡単なことだ。なんでこうも難しく考えていたのか。
思わず過去の自分に言いたくなる。
考える所そこじゃないだろう――と。
何で難しいのか。どうしたら簡単になるのか。
そんなことをいくら考えたって、答えが出る訳がない。
物事には段取りが合って、順番に一つ一つ紐解いていかなくてはならない?
論理的で素晴らしいな!?
それで答えは出たのか。
前の世界も、その前の世界も。云百億人、云千億人が考えて、それで答えが出たのか。
出てないだろうが。じゃあなぜ未だにやりあっているのだ。
世界平和なんて、本当は。もっと簡単に出来るのかもしれない。
そもそも思慮に浸る必要すらないのかもしれない。
例えば。それこそ彼女が言ったみたいに――。
「トキタさん、どうしましょうか? まぁ別に無理にとは言いません。嫌なら断って頂いて構いませんよ」
ジンの手にある一冊の本を指差してイベリスが言う。
要は、その世界に行くのか行かないのかと。安い挑発をセットで付けて。
なぜこの世界に行きたくないのか――自分に問おう。
ジンはこう答えた。
――胸に抱く理想があまりに難しく叶えられずその人生つまらないから、と。
では、改めて。なぜこの世界に行きたいのか――自分に問おう。
ジンはこう答える。
――胸に抱く理想が容易く叶えられそうで早く叶えたいと胸が高鳴っているから、と。
「トキタさん?」
口を閉ざしたままのジンが気になるのか、イベリスは小首を傾げる。
その仕草が可笑しく、ジンは微笑をこぼした。
「魔王全軍相手に世界平和の実現。加えて魔獣の殲滅。仲間もいない、拠点もない。おおよそ魔王軍に匹敵する強者なんて人類にはいない。そんな絶望なんて生ぬるい現状。難易度上がりすぎてるんですが?」
はてと、傾げた首を反対側に運ぶイベリス。そんなイベリスの頬は緩んでいた。
まるでジンがなんと答えるのかわかっているようで。
――なんと答えるのか。
答えなんて決まっている。もちろん――。
「いいですよ、それやります。やらせてください!!」
一度は諦めた理想を叶えるため。
真の平和を成し遂げるため。
さしあたってジンは――素直に生きてみる。