05話 『思いがけず、トキタジンは事実を語る』
視界が歪んだ。溢れんばかりに瞳から涙がこぼれ出た。
伝う涙を振り切って、ジンは縋るようにイベリスに問う。
「どうすればよかったんですか!?」
自分で抱いた理想しか認めない。一切の妥協は許さない。
そんな強い生き方、ジンはそれを――おれはそれを強く願った。そうなりたいと思った。
けれど――できないのだ。無理なのだ。
そう、認めたくないんじゃない。認められないのだ。
この世界が。自分自身の力では。認められないのだ。
弱者の分際で自分の真意を貫くためには。
自分の理想を叶えるためには――どうすればよかったというのか。
「勇者パーティに加わって初めて戦場を見た時、おれはその光景を見て足が竦んだんです」
今でも思い出す――戦場のそこかしこで溢れ返る血と絶叫と呻吟と、冷淡無情。
そこに敵味方は関係なかった。否、敵味方関係のない人であろうがそこにあるもの全てが等しく平等に死んで、悲嘆が嗤いに変わっていた。
「そこにあった光景はあまりに穢れていて、おれの知っている勇者パーティの在り方とはあまりにかけ離れたものだったんです」
アニメや漫画や小説で語られたそれとは全く異なるものだった。
「もちろん、到底受け入れられませんでした。おれは誰もが認める正義で犠牲不満なく誰もかも救う、それが勇者パーティだって思っていてそれしか認められないんです」
その思いは今尚心の奥底に抱いている。でも。
「けれど、その環境にずっと身を置いているといつの間におかしくなってきたんです。冷静に考えればわかるのに、その方法以外で戦争を終えることはできないって、平和を叶える手段はこれしかないって思うようになったんです」
事実を目の当たりにして現実に馴染んできて、いつしか――仕方がないと。その残虐非道をジンは容認したのだ。
「だからその手段を認めるようになって。魔王を倒す時、倒した直後も本気で信じていたんです。これで平和になる、平和になったって。それから間もなくして、その手段が間違っていたと気づかされるまでずっと」
王都を凱旋中に知らされた。見せつけられた。それを契機に呪いが解けた。
万雷の拍手の中で一つの悲鳴が響いたのだ。十歳にも満たない一人の少年が凱旋路に侵入し、馬車に乗って手を振る勇者一向に向って告げた。
「村を返せ。家を返せ。家族を、お父さんとお母さんを返せ」と。
嗚咽混じりに発せられた叫喚は喧噪の中を突き通って、誰も彼もの耳を劈き、一瞬にしてその場を沈静させた。その少年は直ぐに取り押さえられて、その場から退場させられたが、観衆の一部には確かな疑念が広がった。
その姿――その場の動揺もだが、少年の悲憤の叫びを見て聞いてわかったのだ。
「魔王軍を倒して平和を実現したあの世界に残ったものは戦争中と何の変わりもない。憎しみ合うことも悲嘆に暮れることもない誰もが笑い合える――おれが思い描いた理想の平和は実現しなかった」
何度も言う――平和へ導いたその手段は間違っていたのだ。
暴力には暴力で。非道には非道で。負の連鎖が延々と続くそんな手段では、思い描く理想の平和は、真の平和は実現できないのだ。
「戦いや争いに綺麗とか平和的とかそんなものがないのはわかっています。けれど、戦争は戦争でしか解決できないっていうのを受け入れたくないんです。その先にある平和を平和とは認められないんです」
だから。
「あの世界が平和になったと嘯き自分を欺いて仮初の平和を享受することがおれにはできなかった……」
「それが、トキタさんが命を絶った本当の理由なんですね……」
ジンは逃げたのだ。
平和になったと偽る世界から。真の平和を望めなくなった世界から。
「でも、じゃあ、どうすればよかったのかって。呆れるほど愚かなおれの理想を実現させるにはどうすればよかったのかって」
どれだけ考えても答えは見つからないのだ。
だって――そんな方法は、おそらく。
「たぶん、いや、絶対にそんな方法はないんですよ」
自分自身の正義感に照らして、その行為が悪行でないのか入念に検証して――それでも誰かにとっては不義で非道で。
十人十色、それぞれ違う思いや考え方を持っている中、誰もが頷く正義なんて本当はないのかもしれない。
「だからトキタさんは邪術だったんですね」
「……何もかも意味を見出さなかったですけど」
常識が通じないなら非常識なやり方で。ペテンを使って、世界を根底からひっくり返そうなんて。
そんな手段も――最初から間違っていたのだろう。
そもそも、人間一人が世界を変えられるなんて思い上がりもいいところだ。誰よりも強く尊い賢者の善行であっても、誰かにとっては抑圧で横暴になるのだから。
「人それぞれ違う中で、一人の理想を世界のものにするなんてできないんです」
この世界は一人では成り立たない故に、一人の意志如きで真の平和が――ジンが思い描く理想が実現するわけがない。
絶対に。ジンの理想は――叶わない。
全て話し終えてジンの口からは自然と笑みがこぼれ出た。
それは洗いざらい話して気が晴れた爽快な朗笑などではなく、口にして改めて自分の愚かさを理解し卑下した憫笑。
「どうしようもないことなんです。高すぎる理想は語る方も聞く方も苦痛でしかない。届かないと知っていて手を伸ばすことの愚かさをおれは学んだんです」
〝夢を見ることは誰にでも出来るが、語るには資格がいる〟
誰かが言ったその言葉――至言だと思う。
そしてもちろんジンにその資格はない。だから、そんな理想を、夢を語るなんてことジンにはできない。
自分の真意とは相反することでも、認めて、妥協して、愛想よく振舞って。
そうやって人は大人になるのだ。そしてそんな大人が形作るものが世界なのだ。
夢は世界の酷薄を知らない子どもが寝ている間に見るもので、起きて世界を歩く大人が見るものではない。
「すみません、聞き苦しい話でしたよね。お手数おかけしますが忘れてください」
大粒の涙が浸っていた瞳がいつの間にか渇いていて、ジンは二度と潤うことのない紫紺の瞳をイベリスに向ける。
――わかっている、口元に湛えた笑みもまた軽薄で偽装に塗れたものだということを。