04話 『彼の平和と其の平和と真の平和』
「そう言われましても、私としては困るばかりなのですが……」
愁眉を寄せて露骨に困惑の表情を浮かべるイベリスだが、それが演技であることは一目瞭然で。
「これなんの嫌がらせです?」
怒鳴り散らすわけでもなく、純然たる嫌悪の苦笑を浮かべてジンは言った。
そもそも、ついさっきこれ以上あの世界の話しをしたくないと言ったばかりで。それをイベリスは承認したばかりなのにこの仕打ち。と言うか。
「大体なんで魔王軍が……」
何がどうなれば死んだ魔王らが復活して勇者パーティが全滅して、あまつさえ大陸全土を占めていた人類生存圏が最東端まで押し寄せられているのか。
事実を疑う話しだが百歩譲って全て正しい話だとして、
――そんな滅びかけの世界に誰が行くのか?
つい口に出た内心の疑問にイベリスが答える。
「ああ、それについてですが、トキタさんはパラレルワールドについてご存じですか?」
「知ってますけど……」
「なら話が早いです。実は現在、同一次元上に平和になった世界と魔王によって侵略されている二種類の世界が存在しているんです」
「へーそうなんですか」
全く興味ないと言わんばかりの適当な合の手を入れるジン。
「実はトキタさんが平和を成し遂げたあの世界にいた魔王が、どういう訳か過去に戻ったみたいなんです。時間操作は最上位の神にしか使えなくて一介の魔王如きに使えるはずがないのですが」
一瞥もくれず、何もない真っ白な天界を見回すジンに、イベリスが声を張り上げた。
「私トキタさんにお伝えしなければならないことがあるんです! 実はそのもう一つの世界について観測できたのが一週間前、トキタさんが魔王を倒した時ということです!」
「…………」
まるでジンのせいで魔王が過去に戻ったと言いたげな。
「……それが何です? おれのせいでこうなったとでも言いたいんですか?」
「そういうことにして尻ぬぐいをして頂けると助かります」
満面の渋面を作るジンと対照的に、満面の笑みを浮かべるイベリス。そんな愚問、もちろんジンは。
「お断りします」
「なんでですか!?」
意味不明だ、と言わんばかりの表情で咎めた視線を送り付けてくるイベリスだが――それはこっちのセリフだ。
ジンは冷静沈着に返答する。
「と言うより女神さんがその時間に戻って魔王を阻止したらいいじゃないですか」
「私、下っ端の女神なので時間操作はできないんです」
「じゃあ、できる人に頼みましょう」
「…………」
途端に、何もない真っ白な天界を見回すイベリス。
「……なんで黙るんですか?」
「とは言え、このまま放置しておくわけにはいかないんです」
「いや、だから女神さんがお偉い神様とか友達の女神に頼めば――」
イベリスはジンが話している途中で声を重ねると、長々と告げた。
「膨大に増え続ける並行世界はいずれ均一化、エントロピー増大の法則とも言われていますが、最後はどの世界も同様の状態になるのです。しかし、魔王が齎した過去改変によって生じたその世界はその他の世界とあまりに乖離していて、このままでは新たな世界へと変異してしまいます。それは人世界のバランス延いては地世界、天世界のバランスを崩壊する原因になり得るのです。わかりますか?」
「わかりません。なんで女神さんが他の神様に助力を求めないのかがさっぱりです」
その強引さに唖然となるジンが超然と言うと、イベリスは真っ直ぐな眼差しを向け答える。
「トキタさんがこの世界に行くしかないということです!」
…………――――。
「答えになってないんですが……」
「どうしてトキタさんはこの世界に行くことを拒むんですか?」
「それは……おれは未来永劫あの世界と関わりたくないからで」
「でも、トキタさんが嫌う前の世界とこの世界は形こそ同じですけど、中身は全く違いますよ」
イベリスは言った。
同じ世界の名前だけれど、世界情勢は全く異なる。ならば、それは別世界と解釈しても問題ないだろうと。
「いや、だからと言って……」
「この世界ではトキタさんを非難する人はいません。なにが嫌なんですか?」
「それは、思い出しちゃうじゃないですか」
「大丈夫です。降り立つ場所はトキタさんの知らない東端の国ですし、そこではトキタさんを知っている人もトキタさんが知っている人もいません」
単なる旅行とは全く異なると。偶然見知り合った人と出会うことは万に一つもありえないと。たまたま同じ世界の名をしているだけで、また新たに異世界生活を始めるだけだと。
そこに何の疑念が、何の嫌悪があるのかと。
並びたてる言い訳などどこにもなくて。
「…………」
「トキタさんがそこまで拒む理由はあの世界のことが嫌いと言う訳ではないんですね」
残虐非道で成し遂げた平和な世界。自由な未来など送れない世界。嫌いだと告げたあの世界のことを――けれど本当は。
その一言に――もはや返す言葉が一つも見つからず。
口を噤むだけのジンに、イベリスはなおも続ける。
「本当は、自分の意志が拒んでいるのでは」
…………――――。
「……なんでそう思うんですか」
沈黙を置いて苦しげに返したジン。
参考までに聞かせてもらおうかと犯人フラグ立ちまくりのセリフに、イベリスが名探偵の如く、平然と微笑まで湛えて答える。
「私、トキタさんの話を聞いて一つわかったことがあるんです。トキタさんは平和を成したそのやり方を認めていない。違いますか?」
――仕方がない。
そう何度も口にして説き伏せてやり過ごしてきたその手段のことを、本当は。ジンは――…………。
「女神さんと話していれば隠し事はできないですね」
苦笑混じりに言ったジンに、イベリスが誇らしげに笑った。
「そうかもしれませんね。なので、どうせ時間の問題なのでさっさと全部話してくれるとありがたいです」
「そこに全部書いてあるんじゃないんですか?」
イベリスの膝の上に目をやってジンは言う。
「いいえ。人生目録には起こった出来事しか書かれていないのです。トキタさんが抱いた感情は書かれていない。トキタさん、私は貴方の本音を聞きたい」
「…………」
そんな真摯な眼差しと声音で訴えられると胸の内が疼いて気分が悪い。
膨れ上がる懊悩を何とか抑え込むジンは口を閉ざす。
「話すことが恐いのですか」
――恐いのだろうか。
内に隠して閉ざしたそれを。胸に抱いたそれを。理想を。
口にすることが恐いのだろうか。一息ついて答える。
「どうでしょう。いや、別に恐くはないと思います」
ただ一つ、語って心に積もる感情は恐怖ではなく喜びでもなく、諦念なのだろう。
思いを口にして胸に馳せて、その最後に抱くのはどうせ――仕方がない。
だから、恐怖は抱かないと、笑って告げたジンに。
「そうですね、ずっと笑っていましたもんね。でも、その笑い方私あんまり好きじゃないんです。純粋の屈託のない笑みには見えないから」
「なら、おれは二度と純粋に笑うことはないんでしょうね」
「なるほどそういうことですか。トキタさん、つまんないですよ」
揺らぐことの無い視線を向けてイベリスが続けた。
「その生き方おもしろくないです」
その声音が、普段とは似ても似つかない冷然とした声音に聞こえた。
「…………」
自分の顔色が青ざめていくことをジンは自覚する。そんなジンの心の内を見透かすように、イベリスは尚も続けた。今度は熱が帯びた声音。
「わかっているんじゃないですか。そうやって本音を隠して己を偽った生き方、気に入らないって」
「……――――」
その言葉にジンは――。
自分の真意を深く奥底に閉ざして、他者からも自身からも隠して。
なんとなく生きる。
欲しいモノを得るために大切なモノを捨てて。
希望も絶望も同義語だと、希うことを、望むことを止めて。
いくつも諦めて、切り捨てて、無かったことにして。若気の至りと一笑して。
数多の偽を取り繕って、ほんの僅かの真を内に秘めて。
そんな欺瞞に満ちた、妥協で溢れた生き方。
――嗚呼、本当に気に入らない。でも。
「…………分かるのと認めるのとは違いますよ」
ジンの口から出たものは、氷のように冷たく、闇のように暗く、色の無い声音。
イベリスは臆せず言葉を返した。
「なら、どうして認めてあげないんですか?」
「そんな強い生き方、おれにはできないからです」
自分の掲げた願いを、希望を、理想をどこまでも貫く意思。
そんな強い心――おれは持ち合わせてないから。
「そんなことはありません、トキタさんは強い人です」
「いいえ、おれは弱い人間です。だってあの世界のことを平和な世界だって、おれは言ったんですから」
長い間争ってきた敵がいなくなった世界。けれどまだ誰かがいがみ合い憎しみ合う世界。
安らかな平穏が訪れない世界のことをジンは――平和だと謳ったのだから。
内に秘めた真の平和を実現できていないのに、平和だと自分を偽ったのだから。
「でも本心はそうは思っていないのでしょ! あの世界で成し遂げた平和のことを認めていないのでしょ。なら――」
烈々とイベリスが白熱した雄弁を振るう中、ジンはもはや我慢ならなくて。
――どうしようもない後悔がある。
けれど時間は止まらず、前に進まなくてはならないのであれば。
自分の内に秘めた理想を捨てて、諦めて、そんな生き方でないと進めないのだ。
否、それ以外選択肢などないのだ。
逆に聞こう。他に選択肢なんて何処にあるのだ。
そんなもの何処にもないだろうが。
仮にも在ると言うのであれば――……。
「じゃあ、どうすりゃよかったんですか……」
――教えて欲しい。
酷薄な現実から目を逸らさず己の理想を貫く方法を。
溢れんばかりにこぼれ落ちる涙と共に、ジンは告げた。