02話 『だから、トキタジンは真実を語る』
「――できませんよ、そんなこと」
ぼそっと口からこぼれ出た声音は、言った本人ですら気づく程のあまりに冷淡な声音だった。感情が欠落した過去にも未来にも厭世の念にとらわれた虚ろな声音。
その豹変ぶりに、イベリスが一瞬息を詰まらせつつも言葉を返した。
「それは…………」
膝の上の本に、人生目録に手を置いて、戦々恐々と。ジンの様子を覗うイベリス。
その仕草を見てジンは――何をむきになっているのだ。
互いが苦痛を味わうだけの言葉を語るなんて――もういいって決めただろ。
「いやぁははは、」
一転、ジンは飄然と続けた。
「なんっつうか、まぁ確かにおれの功績は称賛の絶えないことだと思います。けれど、その過程が……」
人生は結果が全てではない。
〝終わりよければ全てよし〟なんて諺があるが、発端や過程を無視して都合よく生きることなどできないのだ。自分の人生は歩んできたその軌跡通りに一本の糸で繋がっていて、その糸の上では発端も過程も結果も同じ出来事に過ぎないから。
――だからこそ。
「結果だけを見て物事を評価するのはおかしいんですよ」
例えば、最優秀賞受賞の裏に賄賂など不正があったことを人は許せられるのかと。それを栄えある功績として後世に残せるのかと。
世界平和の内実を知らず英雄譚として語り継ぐことに異論はないのか――と。
結果が敬拝される功績であるならば、その過程もまた高潔で敬拝されるものであるべきなのだ。一貫して善に正しく進んでいることこそ重要なのだ。
それにもかかわらず。
「それらの功績の過程は――」
世界平和を成したその手段は。
「弱者非力者を盾として。下劣極まる残虐非道を矛として。幾多の命を奪って、罪過と偽善を重ねたというのが真実なんです」
馬鹿話をするように呵々大笑で告げるジンを、イベリスが凝然と見つめる。かける言葉を失ったのか、それとも一言一句聞き漏らしの無いよう耳を澄ませているのか。
「町や住人を囮にした戦略。死ぬなら敵を巻き込んで自爆することを是とした規則。敵殲滅の為ならば手段を厭わず、死こそ最大の功労と宣う常識」
まだまだそれだけではない。口に出来ぬ院惨の数は一生の間に吐く息の数より多い。そんな――穢れに穢れた勇者パーティの内実。
「下衆で低劣で暴虐無慈悲な在り方を以てしてその功績があるんです」
誰もが目を背け、耳を塞ぎたくなる実体。
目には目を、歯には歯を――暴虐の魔王軍には暴虐の勇者パーティを。
それを非道と呼ぶか、狂気と呼ぶか、正義と呼ぶか。
けれど――、
――仕方がないことだろうが。
やっていることは戦い。戦争や暴力が生ぬるいもののはずがない。
ましてやラブコメありきで努力が報われ失敗も人生を彩るスパイスになって、矛盾と無慈悲と不条理が欠如したそんな争い、歴史のどこかにあっただろうか。
答えるまでもなければ聞くまでもない――そんなものはフィクションだ。存在しない。
せせら笑ってジンは続ける。
「まぁでも、仕方なかったことだと思います。だって相手は魔王ですし」
人倫にもとる常識が全く通じない相手に。好き勝手やりたい放題振舞う魔王に。
魔王を倒すにはその境地に立たなければならなかった。
「正攻法じゃ勝てないと思いましたし。戦争なんてそんなもんだと思いましたし。だから勇者パーティの一員になったわけで、実際最短ルートで平和を実現できたと思いますよ?」
「それは、そうだと思います……」
人類と魔族による悠久の大戦は永久に続くとされていた。が、ジンが転生してたった二年で大戦は人類の勝利を以て幕を引き、世界平和が実現した。
その事実に、イベリスが小さく頷く。
「でしょ。おれ初めから速度重視でやっていたんですよ。たったと世界平和を実現して、あとはイチャコラ生活を謳歌しようと考えていたんで」
あっ浮気じゃないですよ――と慌てふためくジンにイベリスは気にした素振りなく問う。
「それならどうしてその生活を送る前に命を絶ったのですか?」
「ん? ああ……すでに一部の人たちは勇者パーティの実体を知っていたんですよ」
功績だけ広まるなんて都合の良いことが起こるわけがない。悪事は必ずどこかで綻びて、白日の下に晒されるのだ。
「そして知った人が勇者パーティに抱く感情は決まっています」
物語るのは、凱旋中に向けられた侮蔑や嫌悪のひどく冷たい眼差し。その非行を糾弾する悲嘆と憤激、憎悪に満ちた叫喚。
「でも、それはトキタさん向けられるものではないはずです!」
確固としてそう語るイベリスにジンは首を傾げた。
「だってトキタさんは勇者パーティの一員とはいえ、常に一人で行動していたじゃないですか」
膝の上に置いていた人生目録を掲げては、ページを捲って。イベリスは続ける。
「ここにはトキタさんが何時、何処で、何をしたのか、ということが断片的に書かれています。その全てを読んだのでわかります」
「なんすかそれ。おれはどこに組しようがボッチだって揶揄してるんですか!?」
「いいえ、そうではなくて。勇者パーティの戦い方をトキタさんはしていない。だから貴方が咎められることは無いはずです」
決然と告げられたその言葉――確かにそうだったのかもしれない。
最後の最後、魔王を倒す際もジンは一人だった。勇者パーティと群れることなどほとんど無かった。けれど。
淡い笑みをこぼし、ジンは穏やかに言う。
「それは無理です」
「どうしてですか? そんな非難される行為をトキタさんはしていないのだから、そう言えばよかったじゃないですか」
「でもおれはその行為に関わってるんですよ」
どんな強敵も全て単独で倒してきた――けれど、ジンが魔王軍相手に一人で戦ったことは一度も無い。
同じ時間に違う場所で勇者パーティの誰かが他の魔王軍と戦っていたから、ジンは目の前の敵に集中できた。そんな状況をジンが自らの力で作り出したわけではない。
「勇者パーティの作戦を知って、敵味方がどう動くかを予測した上でおれは戦っていた。それは勇者パーティの行為を容認している証で、加担しているのと同義なんです」
自分の手を汚していないから潔白無実になるのか。――なるわけないだろうが。
ここではない遥か遠くに眼を向けジンは言葉を紡ぐ。
「……夢だったんです」
「…………?」
遠い昔に抱いたそれ。終ぞ叶わず儚く消えたそれ。
穏やかに語るジンの言葉に、イベリスは眉を寄せ、聞き耳を立てて。
「美女を侍らせたハーレム生活」
「――――」
一瞬にして絶対零度が温く感じるほどの極寒の眼差しになるイベリスだが、ジンは気にせず続けた。
「でもそんな日は来ない。未来に進むにつれて勇者パーティの残虐非道が露見して、その先にあるものは決まっています」
例え、未来は何時如何なる時も不確定だとしても。確定して不動たる過去の、回顧することすら拒絶する過去の、そこから連なる未来は明瞭で判然としている。
「平和な世界だけどその非道が世界の果てまで知れ渡れば、世界全土のあらゆる者からの威厳と畏怖、尊敬は以ての外。近寄り難い者ではなく、近寄りたくない者として崇め奉られるのです」
そんな世界で生き続ける意味はあるだろうか。
一つため息をこぼして、ジンは締めの言葉を口にする。
「あの世界で自由に生きるなんてことはできない。おれは、あの世界が嫌いなんです」