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いのちの詩(仮題)

狂気

作者: 浮き雲

狂気とは特別なものなのか。それとも、誰しもが育んでいるものなのか。そんなことを考えることがあります。個人的には、どちらかと言えば後者の考え方です。


もちろん、その犠牲となった方々に、だから諦めてくださいというつもりは、毛頭ありません。ただ、自分自身が無関係だと思えば、何も変わらない気がします。


自分の中にひっそりと育っているものに目を向けることが、結局は、不幸な結末を迎える出来事を減らしていくことに繋がるようにも思います。

自分の中の痛みや苦しさ、狂気に目を向けることが、結局、他人のそういった感情の理解に繋がるのだと思うのです。





ふと(なが)めれば、この身には ()えぬくらいの(ざい)はあり


病まずに暮らす健康は 少し(あや)しくあるけれど


孤独と遊び、遊ばれぬ


ほどに人との関りも あれば、生きるに不自由は


なくも思える心地(ここち)する




ふと、世の中を眺めれば


身近(みぢか)なる死を受け入れず


その悲しさを恨みへと 変えて、いま亡きその人と


関わる人のいのちさえ 奪うことなどためらわぬ


(こよみ)(かえ)幼子(おさなご)の 未熟(みじゅく)のこころ哀しけれ




人を大事に想うほど 人は(やいば)(そだ)ていて


守るつもりのその人が ()けど、刃を捨てられず


人の道をば踏み外し 罪なき人に罪をなす


狂気(きょうき)(はじ)の、この身にも (ひそ)むことこそ哀しけれ




ふと、幼子と我が身とを 比べてみれば、なにほどの


違いもあらぬ、ただの人


(われ)のうちにも我知らず 同じ狂気を(はぐく)めば


教えも知らず、(ならい)いなく (さや)を払えば振り下ろす


その一太刀もなくはなし




狂気も人のこころにて たぶん、想いの成れの果て


()べる(うら)みに(あらが)えぬ 人は少なきはずもなく


「こころの良くて、殺さぬに あらず」と説いた上人(しょうにん)


言葉も、いつか浮かびきて よけい、哀しくなりにける





ご存じでしょうが、詩の中の「上人」は親鸞さんのことです。


文字合わせのために「殺さぬには」を「殺さぬに」に変えてしまっています。すみません。

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