伋:タタリ神
呪いと、祟り。
似た意味を持つけれど、明確に違う、言葉。
ノロイはマジナイとも読める、明らかに何かの意思や言霊、アクションを持ってから行われるもの。
祟りは・・・想いだけで自然災害と等しく、意思を無視して周囲に在るモノ全てに影響を及ぼすもの。
祟り神とは、想いの強さ故に怒り=自然災害を起こした者へ、その怒りを神格化して崇める事によって鎮めた上で、その上で崇める民・無知な者を助ける為にその莫大な神力を使って貰うように、ヒトの作り出した苦肉の策・システムの対象者である。
昔のヒトは無意識に『ヤバイ!怒らせた!!崇めなければ!』と行った事だろうが、
タタルも、アガメルも、同じ漢字を使うのが意味深である。
それはとある旅の中の、出来事。
私は、出張先や旅先で、ひとりで先の街の中をうろうろするのが大好きである。
全国各地、色々な所にお邪魔して、美味しいものを見つけたり、寺社巡りしてみたり。
そんな旅の合間に、それは起こった。
以前から目星をつけていた、いにしえの郷土菓子をゲットし、ついでに美味しいシュークリームもゲットした私は、ウキウキで街の中を彷徨っていた。
街も昔ながらの建物が多く、窓や屋根の造りなど、写真を取りながら、ふと、何かに導かれるように、横道を入りひたすら、気になった方へ進む。
しばらくすると、眼の前には人気のない、寂れた神社があった。
寂れてはいるけれど放置までは行っていない、でも、神域からは涼しいような綺麗で凛とした気配がするので、私は躊躇う事なくその神社へ足を進めた。
その神社は。
ほんとうに昔の造りの社殿で、少し苔生した箇所もあったが、美しい。
私はそのまま社殿へご挨拶をし、御供えとして、購入したシュークリームとお菓子を供え、そしてしばらくした後にお下げして、その神社を後にした。
これは、いつもの事ではあるが、神社は神様へ日々の感謝を伝える場所であるが、一介の旅人である私は、「美しいこの土地をお守りいただきありがとうございます。」
や、仕事先の場合はプラスで
「◯◯にてお仕事させていただきます。何卒お見守りいただけますと幸いにございます。」
など、ご挨拶と感謝をお伝えする言葉を紡ぐに留まっている。
お願いは、ここぞという時にしか、しない方が良いからだ。
そして、御供えできるものがあれば、自分より先に神様に召し上がっていただくようにしている。
今回も、ご挨拶をして、御供えして(入手動機や経緯も伝えた)、そして、私は宿泊先へと帰った。
で。
その日の晩。
夢に、どうやらその神社の神様が現れた。
そして、すげぇ親切に、御供えレビューや豆知識を教えていただいて、ついでに神社への参拝客が少なかったから嬉しかったとか、「また頼む」と御供えを指して楽しそうに話していかれました。
そして朝目が覚めて、まず夢の精査と記録を行い、ついでにその神社の神様はどなたかな?と調べてみたら。
その土地では、祟神であり守護者である。
鎮める為の神社であるので、通常、神域に封じられて人も立ち入れないようになっている場所である。
・・・あれぇ? 封印なんてなかったんだよぉぉ??
とは思いつつも、神様も寂しかったのかな、と思って、
他の神々様と同じく、現在でも美味しいものを食べる際は遠隔御供えを行っています。
もちろん祟りや悪い事は特になく、時々他の神様と共に、夢で井戸端会議していらっしゃいます。
楽しそうで、本当に良かった!と思っていたのですが。
でも、やっぱり神様だから。
失礼なことは絶対にすべきではないのです。
心無い人間にお怒りになれば、自然災害は起きるし、それにより人間にも甚大な被害は出るのです。
ニュースで、その土地で大災害が起きたと見た、その時。
私は本来その土地に再訪する予定が、寸前で急遽出張地変更されて、真反対のエリアにいて、逃されたのだと理解ったのだから。
さて、欲深い者が多い昨今、どこまで純粋に真っ直ぐに生きていけるのでしょうか、ね?