拾壱:田代島の猫神様と寳猫
私は◯十年前の子供の頃、宮城県石巻市に住んでいた事がある。
通っていた学校では、離島である田代島に伝わる獅子舞を受け継いで、色々と活動をしていたが、そこに私も参加していた。
田代島は、今では猫の島として有名だが、当時はあまり有名な場所ではなかった。
しかし、他とはちょっと違う獅子舞に、当時は熱中して練習に励んでいたものである。
しかし、私の担当の小太鼓(和太鼓の、鼓を横にした置き小太鼓)は、リズムをきちんと取るのに、本当に苦労していた。
本場の田代島で、合宿として練習に訪れた時も、リズムの取り方に苦悩していた時だった。
その時に、私は多分誰よりも早く、今では有名な猫神様に関わっていたのだと思う。
ある夏の時期、だったかと思う。
田代島に獅子舞の合宿に来ていた私は、以外と力持ちだった為?か、山の上の方まで、他の大人たちと歩いて道具を取りに向かっていた。
途中までは沢山の猫があとを付いてきて、猫好き(動物全般好きだが)としては癒やされるひと時を過ごしながらも、てくてく歩いていると。
とある山の一本道から、全く猫がついてこなくなった。
不思議だな〜と思いつつ、自分の小太鼓について再度頭を悩ませていると。
ふと、路肩に古い木造の小さな社と、その手前に一匹の猫がいる事に気がついた。
他のメンバーは気が付かないのか、そのまますすんで行く。
私は、サッとその猫と社に近づき、瞬で社に御参りした。
その後、傍に座る猫へ
「君の名は、玉環虎三郎三世さんだね。
もし頼めるなら、私はこの島の獅子舞の一員なのだが、無事に上達し獅子舞が世に広まり、そして田代島も有名になりますよう、猫神様にお見守りくださいますよう、お伝えくださいませ。」
と、話しかけてお願いし、一枚猫の写真を撮影してその場を立ち去った。
後から考えて、なぜ、そのように話したのかはまったく、訳が分からないままではあったが。
だが、その後格段に技術が安定した事、そして獅子舞も全国民放で報じられた事に、田代島の猫神様の御利益を確かに感じ取ったのだった。
が、話はまだ終わらない。
その後私は、大学の時に都心の地下鉄に、友人と共に乗っていた。
社内はそんなに混んではおらず、私と友人は最後尾の車両の一番後ろのドア辺りで立って、話しながら電車に揺られていた。
奇しくも、猫神様のお話をしていたのだが。
そのとき。
突然の長い急ブレーキがかかり、その反動の揺り返しが起きる。
すると、近くの座席前に立っていた老婦人が、反動が起きた際に、最後尾のガラスへ吹っ飛ばされて来た!
その瞬間、私は「にゃっ!」という声と共に、手摺を掴みつつ、その老婦人を抱えてキャッチ&リリースしていた。
側にいた友人は、人間離れしたスピードと反射力に驚きつつ、グッジョブを連呼していた。
しかし、あんなにも素早く対応できる事なぞ普通ないだろう、これも話してた猫神様のおかげじゃね?という話になり、ここで再度、猫神様へ感謝をお伝えして、老婦人も事なきを得たのだった。
しかし、さらに、猫神様のご縁は続く。
後日、私は古い街並みの残る場所に訪れ、静かな古い邸宅などを観て回っていた。
横丁から一本横道に逸れて歩き、無人であろう立派な日本家屋の軒先をふと見ると。
小さな子猫が、ミャーミャー言いながらヨチヨチ歩いてきた。
私は不法侵入にならぬよう、小道のギリギリのラインに座り、屈んで子猫を呼べば、こちらに少しずつ近づいてくるではないか。
あまりの可愛らしさにしばらく夢中になってると、
ふと、左斜め後ろに、プロのカメラを持った精悍な男性が、子猫の写真を撮影していた。
私は、この方のお仕事の邪魔になってしまう!と思い、静かに身を引き、その場をそっと後にした。
が。
後になってわかったが、この方こそ、田代島や隣の網地島を猫の島として有名にした、写真家の岩合光昭さんだったのである。
今でも、奇跡的な猫にまつわる出逢いは沢山あるが、ぱっと思いつくのはこんな感じだ。
猫神様はおわすのだという事、そして社の側にいたのは、寳猫と呼ばれる猫だったのかもしれない事に、私はいまでも感謝して懐かしく想っているのだった。
田代島は、石巻から船で行く島です〜