真澄鏡
〜其の弐〜
「これは……美しいな」
挙式まであとわずかとなった頃、打ち合わせの為に鳳凰堂家を訪ねた樹は、届いたばかりの花嫁衣裳を目にして感嘆する。
希少な三眠蚕の糸を使用した白無垢に、有名職人手織りの金襴緞子の帯。
これ以上ないほど贅の限りを尽くして仕立てられた最高級品の白無垢。
きっと彩花に映えるだろう。想像するだけで胸が躍る。
「…私には似合わないわ」
しかし彩花が呟いたのは、自嘲にも似た否定。
「花嫁衣裳の純白は、婚家の色に染まる為のものだもの。でも私はもう、とうに白くはないわ。白無垢を着たって、ただの見せかけにすぎないのよ」
「……まだそんな事を」
今なお彩花の心を占有している男に対する嫉妬は否めないが、既にこの世にいない者に対抗するのも馬鹿げていると考えて、樹は言葉を控える。
しかし、この日の彩花はいつになく饒舌だった。
「本当の事よ。 真実は常に美しいとは限らない。だけど嘘で覆い隠すよりは、ずっと清々しいと思うわ。少なくとも私は、真実に対して忠実に生きてゆきたい。生涯、悔いる事が無いように」
「……彩花殿?」
いつもと違う光を宿した彩花のまなざしが気にかかり、樹はじっと注視する。
彩花の横顔は、いつになく凛として、婚礼前の花嫁というより、まるで決戦を控えた戦士のように映った。
彩花は衣桁に掛けられた衣裳から樹に視線を移して向き直り、すまなさそうに微笑する。
その眩しいほどの美しさに、樹は感じた不安を一瞬忘れた。
「ごめんなさいね、樹様。貴方は何も悪くないのに」
「…え?」
「ごめんなさい…」
「…いや、別に謝らずとも」
樹は彩花の言葉の意味をはかりかね、口ごもる。
次の瞬間、ふいに彩花が身を寄せた。
「!!」
胸にすがりついてきた彩花に、樹は戸惑いを隠せない。今まで、彩花からこんな行動をした事は一度も無かった。
「さ…彩花殿?」
「…ごめんなさい、樹様。本当に」
「…?」
「私なんかを、愛してくれてありがとう」
「彩花…殿……?」
覗き込んだ彩花の表情は、輝くように美しく、一点の曇りも無い。
これは、遂に決意したという事だろうかと樹は思う。
過去と決別し、想いを受け入れる気になってくれたのかと。
侍女が入室して来た為に確認する事はできなかったが、その日の別れ際、彩花は初めて唇を許してくれた。
それこそが答えだと思ったのだが。
数日後、鳳凰堂家から突然の使者が白虎城家を訪ねた。
「彩花様は昨夜、急な病で逝去なさいました」
思いがけない突然の訃報に樹は驚愕し、急ぎ鳳凰堂家に出向いたが、彩花の母である当主は心労で伏せっていると言われて対面できず、当主の名代と名乗る者に事態を問いただしても、悪性の流行り病だとしか説明してくれなかった。
「ならば遺体と対面させてくれ」
「申し訳ございませんが、彩花様のご遺体は感染防止の為に隔離しておりますので承服できかねます」
「オレは婚約者だぞ!」
「どなたでもお会いできません。医師の指導による措置ですので、ご了承下さい」
鳳凰堂家側はにべも無い。
樹には信じられなかった。
病弱と噂されてはいたが、実際に会った彩花は健康体に見えたし、少なくとも一緒にいた時、気分が悪いと告げたりはおろか、眩暈ひとつ起こした事も無い。
数日前には花嫁衣裳を前にして語り合ったばかりなのだ。
なのに、こんなにあっけなく死んでしまうなど。人間の命とは、かくも脆いものなのか?
―――いや、そんなはずは無い。
彩花は、そんなに儚く死んでしまったりしない。
樹の自問自答は続いたが、どうしても信じられなかった。
それは彩花の死を認めたくないからかも知れないが、証拠もないのに、どうやって信じろというのか。
しかし何度、鳳凰堂家に足を運んでも、どれだけ執拗に追及しても、納得のゆく返答は得られなかった。
やがて鳳凰堂家は相場の三倍以上の結納返しで婚約を解消し、正式に縁を断たれてしまう。
諦めきれない樹に、樹の父は「死んだ娘の事など忘れろ」と告げ、新たな縁談を探し始めた。
――― 初めて本気で恋した女性の事を、簡単に忘れろなどと無神経にも程がある。
まして、直後に別の相手を宛がおうとは。
樹は憤慨したが、よく考えたら樹自身も、同じ事を彩花に言ったのである。
それに気づいた時、不吉な思考が脳裏をよぎった。
もしかすると彩花は、望まぬ縁談に絶望し、初恋の男の後を追って自ら命を断ったのではないか?
もしそうなら、鳳凰堂家が病死と言い張るのも無理はない。
しかし、最後の夜に話した彩花は、とても自害を考えていたようには見えなかった。
今も鮮明に思い出せる横顔は、死を決意した覚悟の現れなどでは絶対に無い。
――― では、彩花は一体どうなったのだ?
――― どこへ消えた?
――― なぜ消えた?
――― 鳳凰堂家が一族ぐるみで死んだと主張する理由は?
少なからず混乱し、時間を要したが、悩み考えた結果、樹は一つの答に辿りついた。
続く