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神様の使い   作者: 小松郭公太
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神様の使い 2

 「母さーん、大変だ。久夫ちゃんが……」

 母さんは、息を切らせて話す僕の話の一部始終をよく聞いた。

 ちょうど父さんも仕事を終えて帰ってきたところだった。

 直ぐに神社に行こうと準備をていると、近所の人たちが次から次と駆けつけてきた。隣の家のおじさんは、黄色い工事用ヘルメットにヘッドライトを付けている。向かいの家のお姉さんはジャージ姿。

 その中に(せっ)ちゃんがいた。いつものエプロン姿に丸い黒縁眼鏡。長靴をはいて、両手で懐中電灯を固く握りしめている。

 父さん、母さん、それに近所の人たち数人で神社に向かった。学校の裏山にある神社は人目につきにくい。ましてや夕暮れどきともなると、そこはいち早く闇に包まれる。大人たちが懐中電灯を照らしながら進み、僕はその間に挟まって歩く。

 鳥居をくぐり神社の方を照らすと、石段の一番上に明男ちゃんたちが座っているのが見えた。明男ちゃんを取り囲むように子分たちが座っているのが分かる。子供たちは物音一つ立てずにじっとしている。そこに大人たちが近付き懐中電灯を当てると、子供たちは皆眩しくて目を細め顔を背けた。その中に明男ちゃんの顔が見えた。そして、どういうことだろう。その隣に久夫ちゃんがいるではないか。

「久夫」

父さんの声。

「久夫ちゃん」

「ひさおちゃん」

僕と母さん。久夫ちゃんは僕たちを見つけてニヤッと歯を出した。

 と、そのとき、誰かが大人たちをかき分けるようにして前に出てきたかと思うと、いきなりバシッと平手打ちの音がして、久夫ちゃんが吹っ飛んだ。節ちゃんだった。

「この悪たれ小僧。何やってる。みんなさ心配かけて……」

節ちゃんが泣いている。眼鏡を外して白いハンカチで涙を拭っている。久夫ちゃんは突然の平手打ちに驚いて目を丸くして節ちゃんの方を見た。昼間の清水で見せた悪戯っ子の久夫ちゃんではない。

 一瞬の静寂。

 節ちゃんは、はっ、と我に返ると久夫ちゃんの所に駆け寄り、跪いた。そして、

「あやー、ごめん。ごめんな、叩いて」

と呟きながら、痩せた胸にその頭を強く抱き寄せた。

 久夫ちゃんの頬の辺りに何とも言えぬいい香りが漂った。清水で頭を拭いてもらったときには感じることがなかった感覚だった。柔らかくて、優しくて、どこか懐かしいような、そんな香りだった。

 節ちゃんは、思わず手を出してしまった自分の行為を悔いた。そして、誰にも説明のしようがない感情を押し込めて、久夫ちゃんのいがぐり頭を何度も撫でてあげていた。(けが)れを知らない子供の匂いが、節ちゃんの乾いた心に染みこんでいった。 

 辺りは、もう真っ暗である。見上げると二本の大銀杏の間で星が瞬いている。

 父さんが事の経緯を()いてみたが、久夫ちゃんの話は要領が得ずよく分からない。でも、途中で息が苦しくなって、たまたま板が外れていた隙間に隠れたというのは本当らしい。そこから出て来る久夫ちゃんをみんなが見ている。隠れた場所は、丁度本殿の棚。狐の置物の辺りだということだ。

 神社を取り巻く草木の間からせわしなく虫の声が聞こえてくる。(ふくろう)がホーッと一つ鳴いて羽ばたいていった。


 その夜、僕は夢を見た。

 家族みんなで、横森稲荷にお参りにいくところだった。神社までの細い山道を一列になって歩く。提灯を持って先頭を歩くのは紋付き袴を着た父さんだ。

 行列は、どういう訳か途中で墓場の中を通っていた。ふと見ると墓石の向こうがぼんやりと明るい。黒い影が揺れている。

 そこにいたのは狐だった。それは人間の背丈ほどもある。しかも何故か着ぐるみを着ている。狐の着ぐるみだ。それを見ただけで僕の手足が痺れてくる。狐の(まじな)いなのか。

 狐が薄目を開けて、ぐーんと体を後ろに反らせた。すると付けていた狐の頭がするっと抜けて背中に垂れ下がった。着ぐるみの中の頭が見えるが、斜め後ろからなので顔はよく分からない。でもそれが久夫ちゃんの頭だということが暗に感じられた。

 そして同時に、そこにもう一匹の狐の存在を感じた。それは、もう片方よりも少し大きい。その狐は久夫ちゃんの着ぐるみに同調するように体を後ろに反らせた。僕は、その狐の頭が取れるのをじっと待った。

「誰なんだ。あの中に入っているのは……」。体が固まるくらいじっと待った。手足の痺れが全身に広まっていく。 

「崇志、崇志、なじした?」

夢にうなされていた僕は、母さんに声を掛けられ目を覚ました。

 もうすぐ九月だというのに寝苦しい夜だ。僕は、庭で鳴くコオロギの声を聴きながら、久夫ちゃんが見つかったときの節ちゃんの涙を思い出すのだった。


 次の朝、僕と久夫ちゃんは、ラジオ体操の会場である学校のグラウンドに向かった。紐の付いたカードを肩に掛け、サンダル履きで向かう。まだ眠気が覚めていない二人はゆっくりと歩く。

 清水に差し掛かると、節ちゃんの姿が見えた。節ちゃんは、清水の水溜でキュウリとトマトを洗っていた。節ちゃんは、僕たちにいち早く気付き、声を掛けてきた。

「崇志ちゃん、久夫ちゃん、おはよ」

僕たちが、

「おはよ」

と応えると、

「なんだ、元気ねごど。ラジオ体操終わったら、オラ()さ寄れ。うめえな食わせるがら」

と、篭に取り上げたばかりのキュウリとトマトを見せた。

会場には、明男ちゃんやその子分たちも来ていた。みんな眠そうだ。ラジオ体操の歌を唄いながらみんながあくびを連発した。久夫ちゃんのラジオ体操第二を見て、みんなが笑った。本人は一生懸命なんだけど、ごにゃごにゃしてタコみたいだったからだ。僕も笑った。久夫ちゃんも笑った。

節ちゃんの家に入るのは初めてだった。畳の部屋に茶タンスと卓袱台(ちゃぶだい)。そしてテレビが置いてある。

「ほら、今朝とったばかりのキュウリだ。味噌つけで()えばうめえど」

と、節ちゃんは、白い皿にきれいに盛りつけたキュウリとトマトを卓袱台に置いた。包丁で二つに切ったキュウリの断面がきらきら光って見えた。

「うめえ。うめえな、崇志。」

と久夫ちゃん。僕は、

「うめえ」

と頷く。

ポキッ、と新鮮な音を立てて食べる二人。

「こんなにうめえキュウリ、初めて食べた」

と、久夫ちゃん。

「んだが、それはえがったごど。んだんだ、このトマトも食え。何もつけなくてもうめえど」

二人が四つに切ってあるトマトに手を伸ばすと、節ちゃんが、

「夏休み、いつまでよ?」

と訊いた。

「後、三日で終わる」

と僕が答えると、

「久夫ちゃん、いつまで、崇志ちゃんの家さいるなよ?」

と節ちゃんが訊いた。

「おら、明日帰る」

と、久夫ちゃんがトマトにかぶりつきながら答えた。

「んだなが……」

節ちゃんは、少し間を開けてから、

「んだら、昼間のまんま、おら()()え」

と言った。そして、

「大丈夫だ。崇志ちゃんの母さんさ言っておくから」

と付け加えた。僕は、うん、と頷いた。久夫ちゃんは、聞いているのかいないのか、二つ目のトマトに手を出そうとしていた。


 僕たちは、お昼のサイレンを聞いてすぐに節ちゃんの家に行った。玄関に入ると美味しそうな匂いがしてきた。これまで嗅いだことがない匂いだった。

「来たが来たが。えがったごど、えがったごど」

と、台所の方から節ちゃんの声が聞こえた。「もうすぐ出来るから、上がって待ってれ」僕たちは、畳の部屋に入って、膝をついて座った。 

間もなく、お盆にご飯を載せて節ちゃんがやってきた。

「あら、立派だごど。ちゃんと膝ついて」

と、卓袱台にご飯の皿を並べた。

 それを見て、僕たちは目を丸くした。それは、オレンジ色をしたご飯だった。赤飯でもない、味付けご飯でもない、その色合いに驚いて声も出なかった。

「なじした、そんたにびっくりした顔して」

節ちゃんは、僕たちの顔を見て、

「これは、ケチャップライスっていうなだ。初めて見だが?」

僕たちは大きく頷いた。

さっきから、鼻先に良い匂いが広がっていている。腹がグーっとなった。

「どうぞ召し上がれ」

節ちゃんの声がやさしい。

「いただきます」

と、スプーンでケチャップライスを口に運んだ。それは、これまで食べたことのない味だった。甘酸っぱいような、甘辛いような複雑な味が口いっぱいに広がった。僕は、思わず、

「うめえ」

と唸った。こんなハイカラな料理をするなんて、やっぱり、節ちゃんは女学校出なんだな。

 と、久夫ちゃんを見ると、久夫ちゃんはスプーンを握ろうともしていない。節ちゃんが、

「なじした、 久夫ちゃん」

と、久夫ちゃんの顔を見た。久夫ちゃんは、ケチャップライスをちらりと見ては、目を背けたり首を(かし)げたりしていた。

節ちゃんは思った。

 きっと久夫ちゃんは、こうした洋食を今まで食べたことがなかったのだろう。ずっとお年寄り夫婦に育てられてきたのだから、無理もないことだ。

「どれ、久夫ちゃん。あーんしてみれ」

節ちゃんが、口を大きく開けて、久夫ちゃんの口元にスプーンを何度か運んだ。しかし、久夫ちゃんの口は閉じたままだった。目には涙が溜まっている。

子供が喜ぶと思って作ったけど、ケチャップライスのオレンジ色は、久夫ちゃんにとってはあまりにも刺激が強すぎたのかもしれない。

 節ちゃんは考えた。

「わがった、久夫ちゃん。白いまんま食うが。ぼだっこ(塩ジャケ)とおづげっこ(みそ汁)で」

久夫ちゃんは、

「うん」

と大きく頷き、手の甲で涙をぬぐった。

 湯気の上がった真っ白なご飯の上に、小さくほぐした塩ジャケが載っている。

 久夫ちゃんの顔が見る見る明るくなっていく。

「うめえ」

久夫ちゃんは、目を見開き、節ちゃんの顔を見た。そして、一口、二口と、勢いよく白いご飯をかき込んでいった。

「ほれ、もっとゆっくり食え。喉さ詰まるど」

久夫ちゃんを見守る節ちゃんの眼差し。そこには幸福な時間が流れていた。節ちゃんは、久夫ちゃんのことを愛しいと思った。


 それから数週間が過ぎた。いつ咲いたのか、(すもも)の木の横でコスモスの花が風に揺れている。空には刷毛で掃いたようなすじ雲が浮かび、その下に無数のトンボたちが群がっていた。

僕は、玄関先でシャボン玉を飛ばして遊んでいた。小さなシャボン玉がいくつも宙を漂っていくが、それらはすぐにその数を減らしていき、最後の一つが隣の家の杉皮葺きの屋根に達すると、あっけなく消えてしまった。そして、もう一度飛ばそうとストローをくわえたとき、僕を呼ぶ声が聞こえた。

「たかしー」

小道の先にあるバス通りの角で久夫ちゃんが手を振っている。僕もそれに応えて、

「ひさおちゃーん」 

と手を振った。久夫ちゃんは、そこから全速力で駆けてきた。何故かランドセルを背負っている。

「シャボン玉か」

久夫ちゃんは息を切らしながらそう言うと、僕から石けん水とストローを取り上げシャボン玉を飛ばそうとした。ところが、フーフーと強い息ばかり入れるものだから、ストローの先から出てくるのは石けん水の水滴だけ。

数回試してみたがシャボン玉にはならない。

「ふん」

と僕の方に石けん水とストローを突きつけた。

 そのとき、久夫ちゃんの頭にゲンコツが落ちた。

「これっ……」

見ると、そこに白髪のおじいちゃんがいた。そのおじいちゃんは老人にしては大柄で、尖った鼻の下に白い髭を蓄えていて、眉毛も白く長く伸びていた。炭坑ズボンに背広姿、そして大きな風呂敷包みを抱えていた。

「崇志ちゃんだな。家の人はいるか?」

僕は、急いで玄関に駆け込み、

「母さーん、お客さん」

と叫んだ。間もなく台所にいた母さんが、エプロンで手を拭きながら出てきた。

「あらあ、これはこれは八木の伯父さん、よぐ来てけだんしごど」

と、玄関の板の間に膝をついた。

「おー、佐江さん、久し振り。元気そうだな」

家のおばあちゃんの親戚筋にあたる人らしい。松川町で果樹園を営んでいる。

「この間は、久夫が大変面倒になって、ありがとさんでした。こんな年寄りに育てられたもんだから、ホジねくて(分別がなくて)、みんなさ迷惑かけて、申しわげねがったんし」

「なにも、そんなことねんし、私たちこそ、お預かりしていながら、あんなことになってしまって申しわげねがたんし」

 おじいちゃんと母さんがぺこぺこと交互に頭を下げている。それなのに、久夫ちゃんは、どこ吹く風、僕が置いてきた石けん水とストローを手にして、玄関の前を行ったり来たりして駆け回っている。かざぐるまのように風を利用してシャボン玉を膨らまそうとでもしているのだろうか。

「あの後、いろいろと相談したども、やっぱり節ちゃんの世話になるのが一番いいべということになって、久夫を連れできたところだ。」

母さんが、うんうん、と頷いている。おじいちゃんは、声を小さくして、

「節ちゃんは、久夫と同じ町の生まれだし、それに、久夫は亡くした子供と同じ歳だというし、久夫も、節ちゃん、節ちゃん、と慕っているようだし」

と話した。

 このおじいちゃんは、節ちゃんのこともよく知っているんだな、と思った。と、母さんの背中に隠れて覗くように様子を見ていた僕に、

「崇志ちゃん。明日から久夫のこと頼むな」

と声をかけてきた。

 僕には、久夫ちゃんにどんな事情があったのかはよく分からない。だけど、節ちゃんと一緒に暮らすのはとてもいいことだと思った。だって、節ちゃんはいつだって明るくて、僕にいつも声を掛けてくれるし、節ちゃんがいるだけで、周りにいるみんなが元気になる。久夫ちゃんがいたら、節ちゃんだって寂しくないはずだ。第一、僕にとっても久夫ちゃんは歓迎すべき存在だ。これからずっと一緒に遊べるんだもの。それに、学校にだって一緒に行ける。

 いつの間に玄関に入ってきたのか、久夫ちゃんがおじいちゃんの後ろから顔を出して、僕の方を向いてニヤッと歯を出した。


「久夫ちゃん、学校さ行こう」

それ以来、僕は毎朝節ちゃんの家に寄って、久夫ちゃんと一緒に学校に通っている。

「ひさおー、崇志ちゃん来たどー。ちゃっちゃどままけえ(早くご飯をたべてしまいなさい)」

節ちゃんの声が清水の周辺に響き渡る。

間もなく、久夫ちゃんが口をもぐもぐさせながら玄関に出てきた。節ちゃんに買ってもらったコール天のワイシャツを着ている。

「崇志、おはよっ。」

久夫ちゃんは、ランドセルを右肩に掛けながら、水色のズックに足を入れようとした。その後ろから節ちゃんが声を掛ける。

「ほれ、弁当忘れるなよ」

丸い黒縁眼鏡の目を細め、ランドセルを背負わせてから、弁当袋を肩に掛けてあげる。久夫ちゃんは、そうしてもらうことが当たり前のように振る舞う。

僕は、毎朝節ちゃんの家の前で久夫ちゃんを待つ。湧き出た清水が水溜めに注ぎ込む音が聞こえてくる。振り返ると、そこには緑を湛えた裏山が迫っている。


 横森稲荷の大銀杏が上の方から少しずつ色を変え黄色一色となった。西に傾き始めた陽光を浴びてきらきらと輝いている。

 久夫ちゃんは、節ちゃんが編んでくれた赤いセーターがお気に入りだ。ほとんど毎日着ていることや、鼻紙の変わりに袖先を使うこともあって、すでに着古しの感がある。勉強をしているかどうかは別として、毎日学校に行っているだけで節ちゃんは満足しているようだ。

 やがて、大銀杏は葉を落とし、地上一面に黄色の絨毯を敷き詰めるだろう。神社の屋根と鳥居が赤く際だつ。冷たい雨が雪に変わるのも、もうすぐである。

(かあ)ちゃん、行って来る」

久夫ちゃんの声が聞こえたのか、横森稲荷の中では、狐の置物の一つがコトンと小さな音を立てて動いていたようである。


                                         (了)

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