04-2.女公爵と騎士団団長は初対面である
扉が三回叩かれる。
祖母が返事をすると扉が開けられ、祖父と男性が入ってきた。名を尋ねるまでもない。祖父母が選んだ婚約者候補のオリヴァー・ブルースター卿だろう。
迷うことなく私の正面に立ったオリヴァー卿に対して座った状態でいるのは失礼だろう。ゆっくりと立ちあがる。
応接間に連れて来ただけで仕事を終えたかのような顔をして我が物顔で一人用の椅子に腰を下ろした祖父のいつも通りの様子を見て、祖母は緊張を解いていた。客人を迎えているのだから立ち上がるべきだとは思うが、――まあ、現役を退いているのだから、許されるだろう。
「お初にお目にかかります、イザベラ・スプリングフィールド公爵閣下。メルヴィン元第一騎士団団長から公爵閣下のことをよく聞かされております。こうしてお会いできるのを楽しみにしておりました」
「光栄です、オリヴァー・ブルースター卿。祖父の我が儘を叶えていただき、感謝しております。どうぞ、こちらにおかけください」
差し出された手に触れる。
日頃から剣を扱っている人だからだろうか。触れた途端に力強く握り返された。挨拶の時に交わす握手というのは数秒程度のものだ。互いに敵意がないことを示す簡易的な儀式のような意味合いを持っていることもある。決して、このように強く握るものではない。
「……オリヴァー卿。手を離してくださいませんか」
個人的な理由を付け加えるのならば、私は他人に触れられることが好きではない。親しい間柄ならば挨拶の意味を込めた抱擁もすることがあるが、それだって極力避けてきているのだ。
私から抱擁するのはアリアだけである。
家族に対してする愛情表現と他人に対してする行為では違う。拒絶反応が出るわけではないものの、好きではないことは好きではないのだ。
「もう少しだけ触れていてはなりませんか?」
「なりません。ここに招かれた理由をお忘れですか?」
「忘れるはずがありません。メルヴィン元第一騎士団団長に何度も交渉をして得ることができた機会です。それを忘れることはありえません」
何度も交渉をした?
そんな話は聞いていない。
「それでしたら、早々に手を離していただけませんか」
強引に振り払おうとしたものの、手が離れない。力を込めすぎだろう。
手を振り払おうとしても離そうとしないことへも苛立ちを感じるものの、それ以上に気になることができた。オリヴァー卿は何度も祖父に交渉をしたと口にした。祖父からオリヴァー卿に声を掛けたものだと思っていたのだが、違うのだろうか。
「オリヴァー卿。交渉の場に立っている自覚をお持ちのようでしたら、その手を離してください。交渉する気がないのならば公爵邸から早々に立ち去っていただかなくてはなりません」
このような面倒な性格をしているのならば、事前に言ってほしかった。
三度、手を離すように言ってようやく聞き入れられた。
早々に立ち去れと口にしたのが効いたのだろうか。
皇国に身を捧げるお堅い騎士団長だという噂を聞いたことがあったが、実際はそのようなことはないのではないだろうか。いいや、皇帝陛下の采配を疑うような真似はしてはならない。
彼は交渉下手か、欲を隠しきれない性格なのかもしれない。
「失礼しました、公爵閣下。恋い慕う女性の手に触れている事実に自身を抑えることができず、驚かせてしまいました。失礼を承知で申し上げると、想像していたよりも柔らかい肌で驚いてしまいました。剣を握られることもあると伺っていたのですが、そのようなきめ細やかな手では不向きです。万が一、傷をつけてしまう前に剣を手離すべきです」
なにを言っているのだろう。理解することができない。
お世辞を口にするのにも内容を考えるべきだろう。頭がおかしいのだろうか。
恋い慕う? 誰の話をしているのだ。それとも婚約者候補に選ばれた相手に対して口にするお世辞文句だろうか。そのようなことを口にすれば、引く女性は多くても心惹かれる女性は少ないだろう。
笑顔ではなく、相変わらず、緊張を隠しきれない無表情なのも違和感を抱いてしまう。
言いなれたお世辞ではなく、心の底から口にしている素直な言葉なのではないか。そのようなくだらないことを考えさせてしまう表情をしている。それはそれで引いてしまうのは仕方がないだろう。
「イザベラ。いつまで立っているのですか? 座りなさい」
「……すみません、おばあ様」
祖母から座るように声を掛けられて、我に返ったほどだった。
ようやく座ったオリヴァー卿に対して呆れた眼を向けていたのだと思う。思考が停止していたのかもしれない。
「オリヴァー卿、あなたがこの子に対してそれほどの想いを抱いているとは知りませんでしたわ。イザベラの話では言葉を交わしたこともないとのことでしたが、本当は違うのではありませんの?」
祖母の言葉に血の気が下がる気がした。
私の記憶が正しければ、オリヴァー卿と言葉を交わしたことはない。私用にて王城を訪問した際、騎士団の練習風景を遠目で見たことがあるくらいだ。ブラッド皇太子殿下の剣の師匠だということもあり、その容姿と特徴を知っていたからこそわかったくらいである。……廃嫡される以前のローレンス様は剣術が不得意であったから、直接的な関わりを持つことを拒まれていたことも、オリヴァー卿との関わりを持つ機会に恵まれなかった理由の一つでもあるだろう。もしも、あの方に剣術の心得があったとすれば、私は生きて公爵邸に戻ってくることはなかっただろう。
あの方を支持する者の一人として振る舞っていた頃を除けば、公爵としての仕事以外では王城を訪れることもない。だからこそ、オリヴァー卿との関わりはないはずだ。
万が一、私が忘れているだけだとしたら、なんて失礼な話なのだろう。
そのような過ちはあってはならないことだ。
「いいえ、言葉を交わしたのは今日が初めてです」
そうだろう。そうだろうな。
オリヴァー卿が否定したことに安心を抱く。
「ですが、ブラッド皇太子殿下の護衛の際、何度か顔を合わせております。騎士団の演習時や皇族主催の祝宴などでも顔合わせはしております。護衛任務の最中でしたので言葉を交わす機会には恵まれませんでしたが、その姿を見た日から私の心は公爵閣下に惹かれております」
その安心感が続くことはなかった。
これが破談することが許される会合ならば、早々に因縁をつけて退席をしていただいているところだ。オリヴァー卿は顔合わせをしていると言い切ったが、言葉を交わす距離にいなければ、顔合わせとは言わないだろう。派閥がなくなった今ならばそれでもいいかもしれないが、当時は派閥が違っただろう。その状況で顔合わせと捉えられても困る。
「まあまあ、それではイザベラに一目惚れをいたしましたの? メルヴィン、このような素敵な話は聞いておりませんでしたわ! それでしたら、是非とも、二人でお話をさせてあげましょう。ねえ、メルヴィン、そうするのが素敵だと思いませんか?」
「キャメロンの好きなようにするといい。婚約の件はキャメロンが仕切りたいのだろう?」
「ええ、ええ、そうですわ。ここは若い二人だけにしてあげましょう。イザベラ、素敵な恋の話をおばあさまに聞かせてちょうだい」
祖父母、自由すぎではないだろうか。