03-6.女公爵は婚約をするつもりがない
「頼んだよ。可愛いアリア、お昼までには屋敷の中に戻るように。その綺麗な白い肌が太陽に焼かれてしまってはかわいそうだ」
「わかっておりますわ、お姉様。心配なさらないでくださいませ。お花を摘み終わったらお部屋に戻りますわよ」
「それならいい。……セバスチャン、行くぞ」
「かしこまりました。イザベラ様」
アリアとミーヤに背を向けて歩き始める。
当然のように少し後ろを歩くセバスチャンには必要以上に声を掛けない。以前のような振る舞いを強制しようとしても子どもの我が儘を聞いているかのような顔をして窘められるだけだ。
私も変わらなければならない。
スプリングフィールド公爵として歩みを進めなければいけない。
それをわかっているのに、なぜだか、無性に寂しかった。
執務室の机の上に散乱していた書類は整理をして片付けたはずだ。やるべき仕事は終わらせてから中庭を散策していたのだ。
前世に振り舞わされるのも、本来ならばあるべき未来を壊してしまったことを悔やむのも、終わりにする為だった。
私の中で整理をつける為だった。
アリアが生きているのならばそれでいい。
屋敷にいる使用人たちも生きている。祖父母も生きている。父もひっそりと生きていることだろう。
領民は変わらない日々を過ごしていることだろう。
飢えないようにと税収は調整しているものの、暮らしが厳しい者だっているだろう。全ての人間に慈悲を向けられるわけではない。それでも、生きている。
それでいい。公爵として公爵領を繁栄させることに努めなくてはならない。それが皇国の繁栄の為になるのだ。それは皇帝陛下の為にもなることだ。
「イザベラ様。この後、すぐにお着替えしていただきます」
「朝、着替えたばかりだろう。必要ない」
「いいえ。着替えていただきます。男装を好むと思われてしまっては印象が悪くなってしまうでしょう。これは先々代公爵の指示です。貴女様の好みを無視するようで心苦しいですが、従っていただきます」
一般的な貴族に生まれた子女が好むようなドレスは好きではない。足を組めばはしたないと窘められ、背伸びをすれば品がないと窘められる。しかし、それでは緊急事態が発生した時に対処できないのも困る。馬で駆けられないのも困る。魔法を使うのには問題はないが、剣を扱うのには問題しかない。
なにより好きじゃないのだ。
それらの問題を解決する為、騎士のような動きやすい服装を特注で作らせた。
胸囲が目立たず、剣を振るう際にも邪魔にならないことに特化させたものだ。
あまりに着心地がよく、普段着にも取り入れてしまったのは仕方がないだろう。女性だからドレスを着なくてはならないと法律で定められているわけではないのだから、問題はないはずだ。
「服装を気にする来客の予定でもあったか?」
貴族の間では、私がそのよう服装を好んでいることは有名な話だと思うが。
女公爵ということもあり、時には男性でも大変な力仕事をこなさなくてはならないこともある。
そういう時こそ男装と言われる服装が便利なのだ。
諸事情により騎士団には所属をしていないものの、公爵として皇帝陛下のお声が掛かった際には王城に出向かなければならない。公爵領だけで過ごすわけにはいかないのだ。とはいえ、大きな出来事もない時期は公爵領で過ごしていても問題はないのだが。
「本日、婚約者候補であられるオリヴァー・ブルースター伯爵令息との顔合わせがございますとお伝えいたしました」
そのような話を確かに聞かされた覚えはあった。
「なんだ、それか。それならばこの格好のままで問題はないだろう」
「問題しかございません。候補とはいえ、いずれは婚約者となる可能性が高いのですから女性らしさを見せるべきでしょう」
「女性らしさを求めるというのならば、他を当たるように勧めるだけだ。そのようなことを求められても無駄だからな」
なぜ、イライラしてくるのだろう。
いや、その理由はわかっている。よりにもよってセバスチャンが婚約を勧めるかのような言い方をするのがいけないのだ。
私を理解しているべき執事なのに。なぜ、私が嫌がることを薦めるのか。
「イザベラ様はどのような服装を選ばれても華麗に着こなしてしまいますが、それでも、ドレス姿が無難でしょう。イザベラ様のドレス姿をご覧になって心惹かれない男性などおりません。自信をもつべきです」
「そんな言葉を求めていない。わかっていながら言っているだろう」
「申し訳ございません。私はイザベラ様の専属執事として求められているだろう言葉を口にしたつもりでしたが、お気に召しませんでしたか」
気に入らないとわかっているくせに。
「お前のその言葉遣いが気に入らないよ」
主人と執事の関係性からみれば、その言葉遣いは間違っていない。
それでも、十年近くの間、専属として傍に置き続けたセバスチャンたちにはそのような態度をしてほしくはない。それは私の我が儘だ。
「申し訳ございません。しかし、主人である公爵閣下の評価が下がるような行為を見過ごすわけにはいきません。ドレスに着替えていただきたく思います」
「服装だけで判断をするような輩を相手にするつもりはない」
「第一印象は見た目でございます」
わかっている。
私も女性としてふるまうべきなのはわかっている。
「わかっている。――それとも、なんだ。お前も私が女らしくすることを望んでいるというのか。母上のように男に媚びた無様な生き方をしろとでも? それを望むというのならば、お前は私の右腕としてなにを見ていたのだ。そのようなことをしなければ、公爵として振る舞えないとでも思いながら従っていたのか!」
冷静にならなくてはならない。
よく周りを見てみろ。中庭を手入れしている庭師の怯えた視線に気づかないほどに愚かではないだろう。
次期執事長として、期待されているセバスチャンが解雇されるようなことがあれば、自分たちも路頭を迷うことになると言いたげな視線だ。
私がそのようなことをするわけがないだろう。
しかし、感情任せに解雇をするような人間だと思われているのだろう。
それも令嬢であった頃から、威圧的な態度をとっていたせいなのだと理解をしている。仕方がないだろう。無意識の内に表情が硬くなってしまうのだから。私だってしようと思って眉間にしわを寄せていたわけでも、眼を吊り上げているわけでもない。
「セバスチャン。お前は私をなにも理解していないのだな」
これは言い訳だ。わかっている。
それでもセバスチャンには婚約話を勧められたくはなかった。
両親のように身分差を弁えない関係になろうと思えない。
好きにはなってはいけない、初めて知ってしまった淡い恋心は抱いてはいけないものだ。
母から何度も言い聞かされた言葉を思い出す。
私は貴族として正しい振る舞いをしなくてはならない。
それが母の願いだからだ。皇帝陛下に全てを捧げ、皇国の繁栄を願う言葉を口にしながらも死んでいった母の言葉を忘れられない。
私に残されていた母の遺言には女公爵として皇国に仕え、貴族として正しき道を歩むようにと呪いの言葉が残されていた。
幼い頃に抱いてしまった恋心を捨てるようにと母に厳しく言われ続けたというのにも関わらず、セバスチャンを専属執事に命名したのは私だ。傍に居てくれるのならば、この気持ちを心の奥に封じてしまうからと父に泣きついたのだ。
父が私の我が儘を叶えてくれたのは、それだけだった。
それだって母の面影を見ていたからだろう。
わかっている。理解をして受け入れてもいる。
感情的になってしまうのは、公爵としてふさわしい振る舞いではない。
「イザベラ様。私はイザベラ様だけにお仕えをしています。貴女様がこの手をとってくださった時より、私は貴女様だけの従者です。公爵として振る舞う貴女様の背を支え、親に甘えることが許されなかった子どものように振る舞う貴女様を抱き締め、心身ともにお支えすることが私、セバスチャン・ラブクラフトの役割でしょう」
「それを理解しているのならば――」
「イザベラ様。私共は貴女様の為になることならばどのようことでもいたします。それがイザベラ様の望まれないことであったとしても、いずれはイザベラ様の為になるのだと信じて行うこともあるでしょう。どうか、身勝手な従者をお許しください」
なぜ、セバスチャンが泣きそうな顔をするのだ。やめてくれ。
そんな顔をされてはなにも言えなくなるではないか。
「……もういい。お前の気持ちはわかっている。疑うような真似をして悪かったな」
初恋は叶わないものだと誰から聞いたのだっただろうか。
心の奥底に閉じ込めて鍵をかけてしまうような真似をした私がいけないのだ。叶うはずのないものを抱いているからこそ、婚約などしたくはなかった。してしまえば、この想いを抱くことすらも許されないのだから。
それでも、セバスチャンが泣きそうな顔をしているのだ。
それを無視してまで我が儘を言えるはずがない。この気持ちは私の中に閉じ込めておけばいい。そうすれば、いつの日か、なにもなかったように忘れてしまえるはずだから。




