03-1.女公爵は婚約をするつもりがない
結局、一晩明けても祖父母は屋敷に居続けていた。
祖父はなにもなかったかのように、公爵としての仕事の指導に熱を入れていており、朝から公爵としての立ち振る舞いについて熱く語られた。
ついでに書類の書き方は褒められたものの、領地経営には過干渉気味であることを指摘された。
相談役として屋敷に居座るつもりらしい。
祖母は、朝早くから婚約者候補の良い点を語り始めた。
一度でいいから婚約者候補として会ってみたらいいのではないかと、顔を合わせる度に言われては気が休まるところがない。
祖父母の中で役割分担をしたのだろう。
つくづく、あの人たちには敵わない。
それでも、せめて食事くらいはゆっくりさせてほしい。
貴重なアリアと過ごせる時間を邪魔されるだけで、気が滅入るのは仕方がないだろう。
祖父母はアリアのことを嫌っている。それはわかっている。
それでも納得するつもりはない。
それだってアリアがなにかをしたわけではないのだ。
父と義母のせいだろう。元を辿れば、母のせいだ。母が父を選ばなければ私もアリアもこのような思いをすることはなかったのだから。
口にするだけ無駄なことだとわかっているからこそ、わざわざ言わないが、心の中で思うくらい良いだろう。
「公爵閣下、いかがなさいましたか?」
「いや、たまには庭を見てみようと思っただけだ。気にせずに仕事を続けてくれ」
中庭の手入れをしていた庭師に声を掛けてからにすればよかったのだろうか。
外の空気を吸って頭を冷やそうと中庭を歩いていれば、慌てて駆け寄って来てしまった。文句をつけられるとでも思ったのかもしれない。
なにか言いたげな表情をしていた庭師を見なかったことにして中庭を進む。
思い返せば、前世の記憶を取り戻してから一度も来たことがなかった。
参戦するまでの三年間、一度も欠かさずに来ていたのが嘘のようだ。
雨の日も風の強い日も、肌を焼くような太陽の日差しが強い日も、あの頃は関係なかった。無意識のうちに、あの子を失った虚無感を埋めようと足掻いていたのかもしれない。
私の選択は間違っていたのだと、それでも生きることしかできないのだと自分自身に言い聞かせなければ生きていけなかった。
思い返せば、情けないだけの前世だった。
後悔だけの日々だった。死は救いだった。
皇国では育ちやすい品種であるバラだけが集められたこの場所で、茶会ができるようにと用意させた机と椅子はくたびれないように特殊加工が施されている。
過ごしやすい日だけででもこの場所で過ごせるようにと、アリアと一緒に選んだものだ。
優しい思い出だけが取り残されているこの場所では、バラが咲き誇っている。大小様々なバラの花が咲き誇る。その綺麗な光景に心が穏やかになる。
ここには、前世にはあったものがない。
それは今世での私の選択が正しかったと肯定してくれる唯一の光景だ。
思い出の場所を掘り起こしてまでこの場所に留めようとしなくても、あの子は笑っていてくれる。
あの子は生きている。
それだけで景色は変わって見える。
「……これでよかったんだ」
アリアの前では泣くことはできなかった。
そもそも、私には泣く権利はないだろう。
悲しいと思うことすら許されない。
かつては友だった。
アリアが婚約破棄をされなければ、私は彼女のことを友だと思い続けただろう。前世のように彼女の魔法にかかったままならば、私は、再び誤った選択をしただろう。
それが間違いだと気付くこともできなかったかもしれない。
私にはそれができなかった。
アリアに生きてほしい。
願うことが許されるのならば、私と共に生きてほしい。
ただそれだけだった。浅はかな考えにより一度は失ってしまったアリアを守る機会を手に入れてしまえば、今度は、友を失うことになるとは思っていなかったのだ。結局、私は一つのことしか見えていなかったのだろう。
「そうだろう。私は、アリアを、守ることができたのだから」
前世での後悔を晴らすことができた。
それならば、振り返ってはいけない。アリアを救うことができたのならば、それに伴った犠牲は仕方がないものだと諦めてしまえばいい。
どちらも救うことはできなかったのだ。
私には物語の英雄のような才能はなかった。
異母妹もかつて友だった彼女も、ローレンス様も、全てを救うことはできない。
友よりも家族の手を取ったのだ。
それが公爵としてふさわしい振る舞いではなくても、異母妹だけは失いたくはないと足掻いた結果だ。
だから、私は笑うべきだ。
友になれたのではないかと、和解できる道があったのではないかと、ありえない妄想を断ち切らなくてはならない。その為にここに来たのだ。
前世ではアリアの墓があったこの場所には、茶会をする為だけの机と椅子がある。風化することもなく、そこにあるのは優しい思い出だ。
「お姉様? いかがなさいましたの?」
机と椅子を見つめていると背後から声が掛けられた。
振り返ってみれば、いつの間に購入したのか、麦わら帽子と簡易なワンピースを着たアリアが立っていた。公爵家の人間に相応しくはない質素の服装だ。そのようなものを買い与えた覚えはないのだが。
「なんでもないよ。お前こそ、なにをしているんだ?」
「バラが綺麗でしょう? 玄関に飾らせようと思いましたの」
「そのようなことをアリアがする必要はないだろう。メイドにさせればいい」
「嫌ですわ。どうせ飾るのなら、お気に入りの花がいいですわ」
「だが、棘があるだろう。危険な行為はお前のすることではないよ」
棘が刺さったら大変だ。
その危険性を理解していないのだろうか。
「ミーヤ。アリアが気に入った花を切ってやれ」
「は、はいっ!」
アリアの後ろに控えていた見習いのミーヤに指示を出す。一通りの仕事をこなすことができるようになったからと、アリアの専属としているが、指示されなくては動こうともしなかった。専属にさせるのには早かったのではないだろうか。アリアがミーヤをメイドにしてほしいと言うから昇進させたが、見習いの身分には荷が重いだろう。
「お姉様も一緒に選んでくださいますか?」
「お気に入りの花を選びたいのではなかったのか。それなら、私は口出しをしない方がいいのではないか?」
「いいえ。お姉様と選ぶことが大切なのですわ」
アリアは気に入ったのだろう満開の赤いバラの花に触れていた。花びらに触れているからいいが、本当に棘があることをわかっているのだろうか。
「だって、お姉様の婚約者候補となられた方をお迎えする玄関に飾るのですもの。それならお姉様が好きなお花も一緒に飾る方が素敵ですわ」
アリアの言葉に耳を疑った。




