02-2.女公爵の祖父、メルヴィンの思惑
「悠長なことを言っている場合ですか! イザベラは十八歳なのですよ? 行き遅れの女公爵だと言われてしまってからでは遅いでしょう!?」
「わかっている。だが、そのように焦って結婚をさせようとすればどのようなことになるのか、身をもって知っているだろう」
貴族同士の結婚は早い。
適齢期を過ぎても結婚をしない女性は、行き遅れだと言われるのも、結婚時期が早くなる原因だろう。
結婚をしなくても放っておけばいいと思う。
血を絶やすことがなければ、一人や二人、結婚をしなくても死にはしないだろう。公爵家の血ならば分家にも流れているのだからそれでいいではないか。
……そのようなことを考えていていけないと、頭では理解しているのだが、心がそれに追いつかない。
結婚をすれば母のようになるのではないか。
死の間際まで公爵として振る舞いながらも、愛に飢えていた人と同じような道を歩むのではないだろうか。
臆病者だといわれても構わない。私はそれが恐ろしいのだ。
そのようなことになるのならば、私はアリアと二人で生きていきたい。
アリアと、信用することができるロイたちがいればそれでいい。
それが公爵として相応しくはない判断だということはわかっている。わかっているのだが、どうしてもそれ以上、前に進むことができない。
勇気がないのだ。
私は恐ろしいのだ。
大切な者を増やしてしまえば、また失う恐怖に震えなくてはならない。それを乗り越える為にまた誰かを犠牲にしてしまうのだろう。
「お二人が私のことを心配しているのは、わかっているつもりです」
前世でもそうだった。
祖父母は私を心配していた。参戦するのも止めようとしていた。
きっと、祖父母は私を母と同じように愛しているのだろう。しかし、その愛を信じられないのは私の問題だ。
「私は婚約者を持つつもりはありません。今後、私の身になにかが起きれば、公爵家を継ぐ者がいなくなることを心配されているからこその提案でしょう?」
それは以前から言われていることだった。
志半ばで命を落とすことになった前世でも同じことを抱えていた。そして、その解決方法として年の離れた従弟を養子に迎えたのだ。母の弟が当主を務めている分家、エインズワース公爵家の三男に公爵家を託したのだ。
もっとも、前世では私が従弟に教育を施すこともなく、命を落としたのだが。
祖父母はそれを知らない。前世の記憶があるのは私だけだ。
「スプリングフィールド公爵家の血を継ぐ者は私だけではありません。なにか起きれば分家の者に継がせることだってできます」
「そういう問題ではない。直系はイザベラだけなのだ。お前が結婚をして、その子が継がなければ意味がない」
「何度も言いますが、私は婚約をするつもりはありません。代案を考えますから、それでいいではないですか」
婚約をしたくはないのには、理由がある。
母のようにはなりたくないからだ。
あのような姿をさらすくらいならば、私は一人でいい。
しかし、祖父母の言葉も理解はできる。公爵として振る舞うのならば、直系の血を絶やしてはならない。
祖父母の言う通り、婿養子を迎え、子を産むことは公爵の義務だ。頭ではわかっている。
逃げ道を探しながらも、いずれはそれを受け入れなくてはならないだろう。
しかたがないことなのだとわかっていた。
「いつまで逃げているつもりだ。公爵として義務を放棄してまで拒む理由があるのならば、この場で口にしろ。一年の猶予を与えると言っているではないか。それでもまだ不満があるのか!」
我慢の限界だというかのように祖父は声を荒げる。
祖父の言葉になにも言えなかった。
逃げているだけだと自覚はあったからだ。
「これはもう決定したことだ! 一年後には正式に婚約を結んでもらう。それまでにその甘ったれた考えを捨てるように!!」
話し合いは一方的に終わることになった。
祖父はこれ以上の話し合いは無駄だと客間から出て行った。慌てて祖父の後を追いかけていくのは、わざわざ隠居先から連れていたお気に入りの使用人だろう。
「……おばあ様は追いかけなくてもいいのですか」
「ええ、メルヴィンが怒るのは当然のことでしょう? 私までそれに付き合う必要はありませんわ」
「もう話をする必要はないでしょう。どちらにしても私の意思は関係がないようでしたから」
私は疲れていた。
それ以上にアリアをこの場から逃がしてやりたくてしかたがなかった。
「それはそうですわ。婚約は家同士がするものです。私とメルヴィンがそうであったように。貴族の結婚は家の為にあるのです。そこに当人の意思は関係ありません。それをわからないあなたではないでしょう?」
のんびりと紅茶を飲んでいた祖母の眼は穏やかなままだ。
祖父よりも祖母の方がなにを考えているのかわからない。
「私たちの娘、ローズは隠れてあなたを産みました。一年間もの間、隠れ家に閉じこもり、そこであなたを産んだそうです。あの子は、婚約者を捨て、使用人だった男と結婚をさせなければ産まれてきた子どもを殺し、自らの命も絶つと、メルヴィンを脅迫して公爵の地位を奪いました。それは知っているでしょう」
いや、そこまでは知らない。
母は相当の覚悟をしていたのだろうか。それなのに、産まれてきた私は化け物だった。……母が狂ったのは、やはり、私のせいだ。
しかし、それを穏やかな顔をして言うことはではないだろう。
母が使用人だった父と結婚する為に、公爵となったということは聞いたことがあったが、そこまでしていたとは知らなかった。
都合のいいように解釈をしていたのかもしれないが、父と結婚をした後に私を産んだのだと思っていた。
そもそも、アリアの前で話すことではないだろう。
祖母はアリアがここにいることが見えていないのだろうか。
「イザベラ。ローズは立派な母親ではなかったでしょう。それでもこれだけは信じなさい。あの子は、命を落とす時までイザベラを娘として愛していました」
それはどうだろうか。
母に愛されているなどと感じたことは一度もない。
私が母に好かれていたのは、父と同じ青色の眼だけだ。屋敷に訪れもしない父の面影を見ていただけなのではないだろうか。
母の最期の言葉は、……あれは、弱気になっていたからなのだろう。
「おばあさまからの言葉を信じられないのでしょうね。わかっています。ローズがあなたに施した教育は愛情を感じられるものではなかったでしょうから」
「……母上が施したことが間違いだと言うのですか」
「いいえ。ローズはあなたを立派な公爵にしようとしただけなのだと、わかっています。娘はあなたを自分自身のようにしたくはなかったのでしょう」
それは愛しているからこそだと、祖母は言い切った。
「イザベラ。あなたは幸せにならなくてはなりません。幸せになることを望まれて産まれてきたのですから、それもあなたの果たすべき義務なのですよ」
政略結婚のどこに幸せがあるというのだろうか。母のように一方的であっても恋しい人と一緒にいる方が幸せではないだろうか。
それでも、母のようになってはいけないと、幼い頃から言い聞かされていたことを忘れることはできない。母が私に教えてくれたことはそれくらいだ。
矛盾する思いを抱えながら生きていかなければならないのだろう。
生きていくということはいつだって簡単なことではない。
思うままに振る舞いたい時だってある。それでも公爵としてふさわしくない振る舞いは許されない。
「時間はまだあります。ゆっくりと考えなさい」
祖母は、話はそれだけだと言いながら立ち上がった。
客間から立ち去ろうとする祖母の腕を掴む。
「おばあ様。一つだけ教えてください」
祖父母は私の婚約話を撤回するつもりはないのだろう。
そして、だからこそ、母の話をしたのだ。母のようになってはいけないと忠告をされたのかもしれない。それでも、――母のことを語る祖母の表情は優しいものだった。公爵家の者としては許されない過ちを犯した母のことを愛しているかのような顔をしていた。
「なぜ、母上を公爵家にふさわしくはないと切り捨てなかったのですか」
母は公爵家の顔に泥を塗ったのだ。
貴族としてしてはいけないことをした。
公爵家から追い出されてもおかしい話ではない。むしろ、女公爵となることを許されたことがおかしいのだ。
「命を絶とうする娘を見ていられなかっただけです。わたくしたちは二度目の後悔はしたくはありません。――イザベラ、あなたは娘のようにはさせません。考え直しなさい。あなたの母親のようになってはなりません」
祖母は私の眼を見ることはなかった。
私の質問に答えると腕を振り払い、立ち去っていった。あの様子だと隠居先に戻るつもりはないのだろう。母と同じ道を辿らないように監視をするつもりなのかもしれない。
「……お姉様」
客間から立ち去った祖母の後ろ姿を追うように扉を見ていると、アリアから声が掛けられた。視線をアリアに向ければ、不安そうな顔をしている。
「祖父上たちからなにか言われたのか?」
「……はい。わたくしには、公爵家にいる資格はないと言われてしまいましたわ」
「あの人たちは血筋を重要視する癖がある。気にしなくても大丈夫だ」
知らないところで散々言われたのだろう。
アリアの存在を否定することに対して祖父母はなにも思ってはいない。むしろ、その存在を否定することが正しいことだとすら思っているのだろう。
だから、アリアと祖父母を会わせたくなかったのだ。
「アリアは私が守る。だから、なにも心配をしなくていい」
この可愛い異母妹を手放せるわけはがない。
アリアが幸せになる日までは私が彼女を守るのだ。それだけが未来を変えてしまった私にできることなのだから。




