01-1.イザベラとアリアの出会い
母が亡くなった。
病の原因を突き止める時間さえもなく、急激に弱っていく母の姿は一生忘れることができないと思う。
五日前までは元気だった。
いつも通り、厳しい人だった。笑った顔を見たことがない人だった。
それなのに、もう、母には会えないのだと思うと涙が止まらなくなる。
「お嬢様」
「……なんだ」
「公爵閣下の遺言通り、お嬢様が成人になられるまで公の仕事をすることになる代理人が到着いたしました」
母の葬式に顔を出さなかった奴の顔なんて見たくもない。
十歳になった私の誕生日にも来なかった。
今まで一度も見たことがない父親の顔を見ても、きっと、腹が立つだけだ。
「代理人?」
おじいさまが戻ってくれば良い話ではないのか。
母の代わりをすることなんて、あの人にとって都合が良い話のはずなのに。
「そうです。お嬢様が十八になられるまでの八年間を支える為だけの人間です」
ロイの言い方に棘がある。
代理人を任せられたのは父親だ。きっと、この屋敷に住む人間の誰もが父親のことを疎んでいて、母のことを哀れに思っている。
「代理人の一家が公爵邸で過ごされるのは八年間だけです。お嬢様。その間は、亡き公爵閣下の願いを叶えて差し上げる最後の機会だとご自分に言い聞かせてくださいませ」
そうか。父親には別に家族がいるのか。
だから、母の葬儀にも来なかった。
だから、私の前には一度も姿を見せなかった。
「……母上の遺言によるものか」
「さようでございます。公爵閣下は代理人としてアーロンを指名いたしました。ですが、お嬢様の教育に関しては先々代が選ばれた者たちによって行われますのでご安心くださいませ」
「それも母上が書き残していったのか」
「さようでございます。公爵閣下は最後の時までお嬢様のことを考えていらっしゃいましたよ」
それがロイの嘘だということはわかっている。
そうでもしなければ、あまりにも私が哀れに見えたのだろう。
「……嘘はいらないよ」
母の遺言は理解ができないものばかりだった。
母の最期を看取ったのは私だった。
それでも、母は一度も私を見なかった。
「あの人が望んだのは私じゃない」
私のことを最期まで疎んでいたのだろうか。
「それを知らないままでいられる子どもでもないよ」
十歳になった。
父親のことを無邪気に問いかけることができた幼い子どもではない。
「母上に望まれていなかったことならば、理解をしている。だから、同情をしなくていい。ロイ。私は公爵家の後継ぎだ。それ以外に価値なんて求めないよ」
感情を抑え込まなければ制御不能になる魔力も、すべてを凍り付かせるだけの冷たい魔法も、母が望んでいたものではなかった。
最後までは母は顔も見たことがない父親のことを口にしていた。
遺言にまで書き残すほどに父親のことを愛していたのだろうか。
それならば、なんて、哀れなのだろう。
* * *
「初めまして。イザベラお嬢様」
その人は母が言っていた通りだった。
私と同じ青色の目をしていた。
年齢は母より少し上と聞いていたが、母と比べるとずいぶんと老けている気がする。
「アーロンでございます。これから八年間、公爵家の代理人として名を名乗らせていただくことをお許しください」
「……母の決めたことだ。代理人として正しく働くことを願う」
「お任せください。必ずや公爵領の為に働き続けるとお約束いたします」
私の前に膝をついて声をかける様子は使用人と同じだ。
父親との対面とは思えなかった。
会ったところで何も思えなかった。
「公爵閣下から貴女様のことは何度も聞かされておりました」
一度も会いに来なかったのに情報だけは受け取っていたのか。
「貴女様が立派な公爵になられるように陰ながら支えさせていただく名誉を与えられたこと、心より感謝をしております」
嘘ばかりだ。
この男は信用できない。
「後ろの二人は?」
父親に興味を抱けなかった。
母はこの男が公爵邸に来ることを待ち望んでいたが、それは私の為ではない。
対面を果たしたところでどう接するべきなのか、わからない。
「妻のミーシャと娘のアリアでございます」
母との婚姻は拒んだと聞いたことがある。
身分差を埋めることができなかったのか。愛してさえもいなかったのか。
その辺りは母が何も言わなかったから、よくわからない。
「アーロンの妻、ミーシャでございます」
母とはまったく違う。
なにも似ていない。
なにより、父親と違って私に頭を下げようともしない。
まるで公爵家を手に入れたかのような振る舞いだ。それを使用人たちが殺意の籠った目で見ていることにも気づいていないのだろうか。
「……アリア。お嬢様に挨拶をしなさい」
女の後ろに隠れているのは子どもか。
私よりも年下だろうか。ずいぶんと小さい。
「アリア。八歳」
八歳?
それにしては小さすぎる。
人形みたいな見た目をしている。
可愛い。触ってみたいが、触ると怪我をさせてしまうだろうか。
「よろしくね。お姉ちゃん」
……まあ。確かに。父親が同じならば、異母妹ということになるだろう。
公爵家の血は繋がっていないが、妹として振る舞いたいのならばそれはそれいいかもしれない。
もしかしたら、私にも家族ができるのではないか?
母が何度も言っていた理想的な家族というのがどういうものなのか。この子がいれば知ることができるのかもしれない。
「アリア!! そんなことを言っていい相手ではないと何度言い聞かせたらわかるんだ!」
「ごっ、ごめんなさいっ」
「あなた! アリアはまだ子どもなんだからわからなくても仕方がないと言っているじゃないの!」
また女の後ろに隠れてしまった。
明らかに怯えている。
身体が小さいことも考えると、実年齢は八歳よりも幼いのではないだろうか。




