01.「アイザックの物語」
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なぜ、彼奴は簡単に受け入れられたのだろうか。
俺には理解ができない。
昔から俺たちはローレンス様に仕えることを前提として生きてきたじゃないか。それなのにお前はどうしてローレンス様ではなく、お前のことを傷つけるだけの女を選んだんだ。
イザベラはなにを考えていたのだろうか。
彼奴のことがわからないのは初めてだった。
あの女に関わるようになってからイザベラが遠くにいる。
急に遠いところに行ってしまった親友は変わってしまったのだと諦めようとした時もある。仕方がないだろう。俺にはどうすることもできないのだと目を瞑ろうとした。
それでも、どうしても、出来ないことがあった。
ローレンス様がイザベラに剣を向けた時、得体の知れない寒気が走った。
イザベラを失うかもしれないと思ったのは初めてだった。
一度目は頭が混乱していたのだと思う。必死に言い訳を考えていた。でも、二度目は違った。身体が勝手に動いていた。
イザベラを失いたくはない。
それは親友だからなのか、幼馴染だからなのか、わからない。
エイダに対して抱いていたものとは違う。
俺はエイダに対して好意を抱いていた。それは事実だ。
ローレンス様に言われた通り、都合の良いように振る舞っていると言われても反論ができなかった。言い訳も許されないだろう。
エイダが死んだと聞いて納得したことがある。
あれほど強い好意を抱いていたというのにもかかわらず、簡単にその死を受け入れることができた。そして、彼女が死んだのは仕方がないことなのだと諦めることができた。
考えてみれば、平民の彼女が公爵家に歯向かって生き延びられるはずがない。
好きだった。
でも、それはイザベラよりもエイダを優先するほどのものではない。
冷静になればわかることだった。なぜ、俺はエイダを優先していたのだろうか。
俺のことを疎んでいた親父が用意した行きとは違う馬車の中で考えても纏まらない。イザベラならその答えを知っているんだろうか、マーヴィンなら理解が出来るのだろうか。
もやもやする。落ち着かない。
こういう時は寝るのに限る。眼が覚めれば、きっと、答えがわかるはずだ。
* * *
「――おい。アイザック。いつまで寝ているんだ」
頭を殴られた。
殴られたからなのか。身体中が痛い。頭が酷く重いのはなぜだろうか。
「なにを呆けている」
俺を叩き起こしたのはイザベラだった。
いや、イザベラなのだろう。俺の知っている彼奴よりも大人びている。
彼奴は騎士団服……、いや、よく見ると違うな、騎士団の服装に似ているけど若干違う服装だ。それも気になるけど、なによりも、彼奴はこんな目をしていただろうか。
生気のない目をしていた。
目を離すと死んでしまいそうだった。
見たことがない表情だった。イザベラの実母が亡くなった時だって、そんな顔をしていなかった。愛人とその子供を連れて公爵家を乗っ取られた時だって、時が来れば奪い返せばいいと言っていただけだった。
「アイザック。聞いているのか」
隈が酷い。目つきも悪い。
なにもかも諦めきったような表情だった。
「あ、いや、悪い、……寝ぼけていたみてえだわ」
「そうだろうな。治療を拒むから死んだかと思った」
「へ? 治療?」
なんだろう。違和感がある。
思わず聞き返した言葉に対し、イザベラは露骨なまでにため息を零した。あれ、此奴ってこんなに色っぽかったか? 女として見れないような感じだったのに。
イザベラは親友だ。誰よりも俺が守りたいと思っている女性だ。
都合が良いことばかりを言うなと言われても、それは変わらないはずだった。
それなのに、どうして、女として意識をしてしまうのだろう。今にも倒れそうな彼女を連れて逃げてしまいたいと思ったのは初めてだ。
きっと、これは夢だろう。
仮にも好きだった人が亡くなったと死んだ自覚するのは不謹慎だとわかっている。というか、夢の中で自覚をするのはどういうことなのだろう。
「寝ぼけるのもいい加減にしておけ。着いて来い」
「あ、おう。……なあ、イザベラ。これは夢だよな?」
「なにが言いたい」
「いや、俺、さっきまでは馬車の中にいたはずなんだけど」
そうだ。
俺は馬車の中にいた。
ローレンス様に剣を向けた。その処罰を受けることなく、むしろ、良い対応だったと褒める親父の言葉に吐き気がしながら家に帰っている途中だった。
ここは夢の中なのだろう。
イザベラが変な表情をしているのも見たことがない服装をしているのも、彼奴が重いから嫌いだと言っていた家宝の大剣を背負っているのも、全部がありえないことだ。一つのことに気付くと次から次へと違和感がある。
思わず口にしていた言葉に対して、イザベラの眼は冷たかった。
それも最近向けられた眼だ。覚えている。
お前、あの女のことになるとそういう目をするようになったよな。
お前だって疎んでいると思っていたのに。
「現実逃避をしたくなる気持ちもわからなくはない」
「は?」
「お前もそうなのだろう? ……まあ、この状況ではそうなるのもおかしくはない。私がいる時で良かったな」
外に出ると眼を疑った。
なんだよ、これ。
臭いはわからない。これが夢だからなのかもしれない。
地面に座り込んでいる人の腕はなかった。包帯まみれの人は動けなくなっている。動けている人の顔は絶望で染まっていた。それでも、祈るような綺麗な言葉ばかりを口にしている。
彼らに目を向けないイザベラの後ろを付いていくことしか出来なかった。
身体が勝手に動くんだ。
俺の意志とは違う動きをする。
これはただの夢だろうか。
魔力の暴走による悪質な夢だと言われた方がいい。
「皇太子殿下の御身を守り抜けよ、アイザック」
その言葉を耳にすると身体が縛りつけられたような感覚になった。
それから思ってもいないことを口にした。なにを言ったのか、自分のことなのに聞こえない。
なにを言っているんだよ、聞こえねえよ。
会話が成立しているのかもわからねえ。ただ、イザベラはこの時を待っていたのではないかとすら思ってしまう。それを止めることも出来ねえのは悔しい。
皇太子殿下を守り抜け?
お前がそれを言うのかよ。
守り抜けなんて言うなら、一人で行こうとするなよ。
俺たちはいつも一緒だっただろう。
お前がいないなんて考えたくもねえよ。
「お前はお前の役目を果たせ。それで、私と同じ結末ならば仕方が無い。その先にお前が来ないように邪魔をしてやるよ。だから、後は頼んだよ、アイザック」
なんなんだよ、これ。
なあ、イザベラ、なにを言ってるんだよ。
俺を置いていくんじゃねえよ。
手を伸ばしたかった。行くなと言いたかった。
イザベラは魔法を使ったのだろう。見たことがある。
それは、お前があの女に見せてやりたいと笑っていた魔法だろう。
それは、ここから飛び上がる為の魔法じゃないだろう。
それから、なにがあったのか、よく覚えていない。
ただ、イザベラの後を追いかけてエイダが丘を飛び降りた。俺はそれも見ていることしかできなかった。なにもできなかったことを悔やむしかできなかった。
それなのに、これだけは、はっきりと認識をした。
エイダが抱き抱えて戻ってきたのは、イザベラだった。
血だらけになったイザベラだった。
彼奴が死んだ。
ただ、その事実だけが目の前に突きつけられた。
* * *
「!!」
声にもならなかった。
身体が揺れた。急停車をしたのだろう。
「……馬車の中……?」
あれは夢だった。
生々しい夢だった。
心臓がうるさい。その音すらもあの夢の中に無かった。
「夢か、あぁ、なんだ、夢だったのか」
怪訝そうな眼を向けて来る従者など知ったことか。
嫌な汗をかいた。嫌な夢を見た。生きた心地がしなかった。
あれは夢だった。ただそれだけのことなのに、どうして、涙が出るんだ。
「坊ちゃん、いかがなさいましたか?」
「なんでもねえよ」
「さようでございますか」
言葉だけでの確認になんの意味があるって言うんだ。
夢を見ていたのならば、起こせよ。起こさねえから変な夢を見たじゃねえか。
寝る前に変なことを考えていたからだろうか。
彼奴を失うなんてありえない。考えたくもない。もう一度、眠ろうと眼を閉じるとイザベラのことばかりを考えてしまう。
ただの夢だと思いたい。
それなのに、夢だとは思えない。
バカなことだと自覚はある。意味のねえことだとわかっている。
考え過ぎだということもわかっている。あの夢はローレンス様を守った先に続いていた未来なんじゃねえかと思ってしまう。もしかしたら、イザベラは死ぬ運命にあったのかもしれねえ。それが俺のバカげた妄想だと理解している。
縁起の悪い夢だ。
彼奴が死ぬなんてありえない。
それを阻止しようとしねえなんてありえない。
イザベラを一人で死なせようとするなんて俺の行動じゃねえ。あれは悪い夢だ。そう思わねえとやっていけない。
そうだ。屋敷に到着したらイザベラに手紙を書こう。
公爵の彼奴は忙しいのは分かっている。ただ、息抜きは必要だろう。
今までは後回しにしちまっていたことをしよう。




