第64話 黒原虹華の油断
主人公の帰還です。
「……んん?」
ヘッドから頼まれた最後の同人誌を買うべく、とあるサークルの行列に並んでいた私は、暇つぶしで眺めていたスマホの、SNSの画面を思わず二度見する。
『色々縁があっていただいた同人誌だけど、面白かったですよー! 「ブラッディ・フール」が好きな人なら買って損はないと思う!』
そんな一文と共に、見覚えのある同人誌の画像が添付されていたのだ。
……いや、見覚えがあるどころか。
「どう見てもうちの同人誌じゃんこれ……」
『みっくすぶらっど!』というタイトル、夕くんが気合を入れて描き上げた表紙。見間違えようもない、我らが『キラーハウス』の同人誌だ。
この画像の発信元は胡椒ミルさんという作家さん。今回のコミケにも参加している人気作家で、そういえばヘッドからのお使いリストにもこの人の名前が載っていた。確かな画力とオカズとしての質の高さで有名な人……という評価がネットでは多い。作品自体はR18だから、向こうにはときわさんが行くことになったんだけど……
……いやいやいや、一体何があったらこんな人がうちの同人誌を宣伝するような事態になるわけ?
十中八九、ときわさんが何かしら関わっているんだろうけど……大穴で、たまたまうちの同人誌を目にした胡椒ミルさんが買っていったという線も……? いやいや、流石にないだろう。この人自身だって設営からお客さんの対応から忙しかっただろうし。
……反応があるかは分からないけど、一応訊いてみようかな。
電話を発信。三、四回の呼び出し音のあとにときわさんが出た。がやがやという賑やかしさをBGMに、のんびりとした声が聞こえる。
『もしもし~』
「ときわさん。今大丈夫ですか?」
『並んでるとこだからいいよ~。どしたの?』
「いえ、さっきSNS見てたらうちの同人誌を胡椒ミルさんが宣伝してたんですけど、何かあったんですか?」
『あ~、ちょっとね~』
「ちょっとにしては気になりすぎるんですが……まぁ、いいです。ときわさんが関わってたことだけでも知れてよかったので」
『あはは~。これで少しは売れてくれたらいいんだけどね~。わたし一回うちのブースに寄ってきたけど、全然減ってなかったからさ~』
「え、マジですか」
それは地味にショックだ。私のせい? 私が考えたストーリーがあんまり面白くなかったから……? と思っていると、見透かしたような言葉が飛んでくる。
『単に時間帯の問題じゃない? 虹ちゃんは気にしないでいいと思うけど~』
「あ、あはは……まあ、でも、少しぐらいブーストかかってればいいですけどね」
苦笑いしながらときわさんに言う。もちろん、この時、すでにブーストがかかり始めている――それも、予想を大きく上回る勢いでブーストがかかり始めていることを、私は知らない。
『あ、ちなみに頼まれた同人誌何冊ぐらい買った~?』
「あと一冊です。ときわさんは?」
『こっちはあと二冊。買い終わったら一回どこかで合流する~?』
「そうですね。じゃあどこにしましょうか――」
落合場所の確認をして、電話を切る。
……ちょっとぐらい話題になってるだろうか、とサークル名である『キラーハウス』でSNSに検索をかけてみた。
いわゆるエゴサーチみたいなものだ。
まぁ、宣伝をしてもらったと言っても所詮は無名の初参加――話題に上ったところで「なんだこいつら」みたいになるのが関の山だろう。
……と、思っていたら。
「ん゛!?」
思ったよりも検索には引っかかっていた。出ている画像のほとんどが表紙のみで、ついでに添えられた一文にも好意的なものが多い。それから、表紙の中には私たちのものではない方――『シャイニーリング』の同人誌と思しきものも写っている。『こっちもいいぞ』やら『こっちの方が好き』なんて声もでている。この声が、売り上げにどう響いてくるか……。
と、色々と驚きはあったものの、むしろぎょっとしたのは表紙以外の画像の方だ。
『このサークルの売り子レベル高いw』という一文と共に、何枚かの写真がアップされていた。ディアンドルによって胸の強調された霧、無駄に精巧なコスプレの椎、色気のないTシャツ姿だけど素の魅力が光る輪堂さん――そして、メイド服を纏った美少女。
あ、違う夕くんだこれ「ぐふぁっ!」
その写真に写っている夕くんが可愛過ぎて、膝をついて吐血した。そんな風にしか聞こえない音が自分の口から飛んでった。
私の真後ろと真ん前にいる人たちがぎょっとした。波紋が広がるように、前と後ろの人たちの視線が私に突き刺さる。……やってしまった。
「だ、大丈夫ですか?」
「え、ええ、すいません……問題ないです」
「ほ、本当に大丈夫ですか? 具合が悪いのならスタッフに連絡を……」
「ほ、本当に大丈夫です! いえその、推しの素晴らしい画像を見て悶絶してしまいまして」
……なんっだその理由は!? いくらなんでもこんなんで納得してもらえるわけが――
「あ、ああ、なんだ、そうだったんですか」
通じた!?
……流石はコミケに参加するほどの猛者、この弁明で通ったようだ。セーフ……「人騒がせな」という声も聞こえたけど、こればっかりは私が悪いのでその文句も甘んじて受けるとしよう。
さっきの画像を閉じながら、しかし私は思う。ここで一目、夕くんのメイド姿を見ておいてよかったと。
こんなものを免疫もなしに見たのでは、私冗談抜きで死んでしまう! 萌え死ぬ!
どっちみちあとから一回は覗きにいくつもりではあったけど、サークルの前で人が死んだなんて縁起が悪いどころじゃないからね。
進んだ行列の先で同人誌を購入し、私は一足先に合流場所へと向か――おうとして、途中で気になる同人誌を見つけてしまったため、寄り道することにした。
……ときわさん、あと二冊って言ってたし、大丈夫だよね!
「……お、お待たせしました……」
「ううん、大して待ってはないよ~」
――結論から言って、大丈夫ではなかった。
ときわさんのほうが先に集合場所へ到着していたのだ。
「行列、結構長かったの~?」
「え、ええ、そんな感じで」
……まさか、計三か所も寄り道をしてしまっただなんて言えない。
「合流したはいいですけど、どうします? とりあえずうちのブースに寄ってみますか?」
「だね~。どのぐらい減ったのかも見てみたいし」
『キラーハウス』のブースがある方へ足を踏み出しながら、私はときわさんに訊ねる。
「そういえば、胡椒ミルさんと何があったんです?」
「それがさ~、聞いてよ虹ちゃん。そこに同人誌買いに行ったら、胡椒さんが『うちは18禁だから』ってすごい気まずそうに言うんだよ~!?」
「あ、ああ……」
そう言ってしまった胡椒さん側の気持ちもよく分かる。ときわさん、どう見ても19には見えないもんなぁ……。高校生も怪しい。せいぜい中学生、着るものを着れば小学生でも通るかもしれない。胸が大きいわけでもなし。
「だから免許を突きつけたら買わせてくれた」
「あはは、そりゃ認めざるをえな……」
……今何か。
とんでもないことを聞かなかったか?
「……っ!? と、ときわさん、免許なんて持ってたんですか!?」
「ああ、言ったことなかったっけ? まあ、車も持ってないからペーパーみたいなもんだけどね~」
こともなげに頷くときわさんに、私はいたく驚いた。いや、だって……!?
「足、届くんですか……っ!?」
「虹ちゃん、窒息と逆さ吊り、どっちがい~い?」
びんっ……とときわさんの小さな手の間で、張り詰めたあやとりひもが不吉な音を立てる。しまった、口を滑らせた……っ!
「あ、あはは、これは失礼……あ、ほら、ときわさん! そろそろブースが近づいてきましたよ! 争ってる場合じゃないですよ!」
「ふふ……仕方ないなぁ、まったくもう」
あやとりひもをしまうときわさん。その様子を見てほっとはしたものの、それもつかの間だった。
「ていっ!」
「ひわっ!?」
すっぱーん、と。
私のお尻を、ときわさんの小さな手がひっぱたいていった。
「い、いきなりなにするんですか!」
「これでチャラね。次は首だよ」
「……気をつけます」
ひっぱたかれたお尻に手を当てながら、私はときわさんの無駄に明るい笑顔に恐怖するのだった。




