第44話 黒原虹華の季節外れ
――金曜夜、7時半の出来事。
「もうちょっとこう……エロくなんねーかな?」
夕くんのラフを見た、現在絶賛骨折中のヘッドの第一声がこれである。
夕くんは自分のパートがほぼ終わり、ヘッドのパートに手を付け始めた。印刷所の〆切までは、残り約三週間弱――結構時間があるように見えるけど、ヘッドのパートを描かねばならない夕くんは高校生なのだ。必然、昼間は潰れるし、一日使えるのは週末ぐらいなもの。実質、私たちに残されている時間の総計は一週間……いや、一週間半といったところだろう。
絵を描かない私にはこの時間を聞いてもピンと来ないのだけれど、イラスト班が震えあがっていたので相当ヤバイのだろう。
極力直しを少なく、するするっと描いてほしいというのが、スケジュールを管理している中峯さんの希望だろうが――確認のために夕くんがあげたラフを見て、しかしヘッドは少々渋い顔だった。
いやしかし、もうちょっとなんか言い方があるだろうに。
「え、エロく……ですか?」
恥じらいながらも、夕くんは律儀に繰り返した。やだその表情萌える。
「そう――お前の絵にはエロさが足りない!」
「あんたは堂々と何言ってんの!」
木の盆の面でヘッドの頭をぶっ叩いたのは、夕くんほどじゃないにせよ顔を赤くした霧だった。
「いってぇな!? チェックお願いしますって言われたから感想を言っただけだぞ!?」
「みんながみんな明け透けだと思ったら大間違いだからね!? もうちょっと言い方ってもんを考えなさいっての!」
「言い方っつってもなぁ……んんー……ああそうだ、霧みたいな肉々しさが足り――」
メギョ、という音と共に懲りないヘッドの顔半分がひしゃげた。交通事故並みの衝撃を伴ってヘッドの顔半分を破壊したのは霧の右正拳付きである。
顔を赤くしてぷりぷりという擬音が聞こえそうな様子で、霧はキッチンへ引っ込んだ。
「え、えっと……も、もうちょっと模索してみます……」
「ああ、そうだ。参考になるかは分からんが、ちょっと待ってろ……」
ごそごそと机の引き出しを漁った腫れた顔のヘッドは、やがてひょい、と数冊の本……いや、薄さからして同人誌のようだ。それをまとめて夕くんに渡す。
「あ、ありがとうござっ、〰〰〰〰〰っ!?」
受けとる前に表紙を見て、夕くんが声にならない絶叫。
ヘッドが差し出す数冊の同人誌、その一番上の表紙には――上気した肌に恍惚の表情を浮かべて、白くべたつくナニカや汗やアレな液体でドロドロになってる女の子が描かれていた。ブラはズレててパンツは脱ぎ掛け、当然柔らかそうに腕に乗っているバストの頂点も丸見えである。
あー……これはいわゆる……
「肉感的なものを学ぶなら18禁同人誌が手っ取り早いと思うぜ! まぁ夕はほんの2年ほど早いが問題ないとおぶぉっ」
無事だった反対側の顔半分も、幼馴染によって破壊された。
今度は平手打ち……というより、通背拳ばりの掌底だった。
しかし、一連のやり取りにまぁまぁ思うところのあった私は、一つの考えを実行に移すことにした。
――翌朝土曜日、午前七時半。
「悪いわね、朝早くに呼び出しちゃって」
「い、いえ、僕は大丈夫ですけど……どうしたんですか?」
メンバーも集まりきらない早朝に、私は夕くんを集会所に呼び出した。
「いや、夕くんの弱点についてあれこれ話そうと思ってね」
「弱点、というと……その、に、肉感的なものが足りないとか、ですか……?」
昨晩の同人誌の表紙でも思い出したのか、もごもごと可愛らしい反応を見せる。
「そうそう、まさにそれ。で、絵をあれこれいじってみるのもいいと思うけど、経験した方が手っ取り早いと思うわけよ」
「経験……ですか?」
どういうことだろうと、首をかしげる夕くん。その純粋さが目ではなく心に眩しい。
「そ。経験――女の子の体を触るって言うね!」
「わぁぁぁぁあああああああっ!?」
私は叫び、ちょっとドキドキしながら着ていたシャツをがばっと脱ぎ捨てる。私の行動に驚愕した夕くんは絶叫してぎゅっと目を瞑った。
「に、に、に、虹華さんいきなりなにを!?」
「安心なさい、ちゃんと水着は着てるから」
「そういう問題じゃなくてですねぇ!」
「いいからほら、ちゃんと見て、腕でも脚でも触ればいいじゃない」
「……うぅ〰〰っ」
彼は真っ赤な可愛らしい顔で、恐る恐ると言った様子で目を開く。
「ね? 大事なとこはちゃんと隠れてるでしょ?」
「……あの、少しサイズが小さそうなんですけど……」
「おっと……変なところに気が付くね、夕くん」
今年はおろか、去年も水着を新調する機会がなかったので、実に三年前の水着なのだ。柄はほとんどなく、落ち着いた配色のビキニなので、サイズの如何はともかくとして、高校生になった私が着ても違和感は少ない。はずだ。ちょっとばかり腰の位置が低いのと、胸が若干きついぐらいか。胸が若干きついぐらいかな!(成長アピール)
まぁ、この色の水着を中学生の時に着ていたのだと考えると、子供っぽさは当時からなかったようだけれどね。
くびれは……あると呼べるギリギリのラインといったところだろうが。おなかは決して出てはないのでセーフだと思う!
「さて、見られてるだけっていうのも恥ずかしいから、ほら触るなら触って!」
「さ、触ってって……相当ハードル高いんですけど!? 僕が触りたいって言ったわけでもないですよ!?」
「まぁ確かに、今問題になってる肉感の話というなら、霧あたりがベストだってのは認めるわ。悪いけど私で我慢してね」
「いやいやそういう問題じゃなくてですねぇ!」
「あーもう、胸触れって言ってるんじゃないんだから、うだうだ言ってないでさっさと触りなさいよ。変な覚悟してきた私がばかみたいじゃん。っていうか、エアコンついててもさすがにこの格好はちょっと冷えるから、急いで触って温めて」
「う、うぅ〰〰っ……! 相変わらず男らしいです虹華さん……! では、し、失礼します!」
夕くんの手が控えめに伸びてくる。わっ、今さらになってちょっとドキドキしてきた。好きな男の子の前でこんなに肌さらして私何やってんだろ――
夕くんの手が、私の二の腕に触れる。
「ひゃわっ!」
「わわっ! す、すいません!」
「あ、いや、こっちこそごめん……思ったより手が冷たくてさ」
変な声が出てしまった……触れと言っておいてこの体たらくか。
反省しつつ、引っ込みかけている夕くんの手を取る。
「わっ、虹華さん?」
「ちょっとこのまま。しばらくしたら多少はあったまるでしょ」
「え、えと……はい……」
掴んだ夕くんの手は、ちょっぴり冷たく感じる。
少々の沈黙の中、夕くんがぽつりとつぶやいた。
「……虹華さんの手、あったかいですね……」
「…………急に恥ずかしくなるようなこと言うんじゃないの」
空いた手で夕くんの頭を軽く小突く。
「ほら、もうさすがに人肌程度にはあったまったでしょ。ん」
掴んだ夕くんの手を、私の二の腕に持っていく。
「……ぁう……」
私ではなく、二の腕を撫でた夕くんのほうがうめき声をあげた。
顔が真っ赤で可愛い。思わず私は耳元で囁いた。
「――さ、次はどこを触るの?」
まるで痴女だな、と自分でも思った。
――その日の昼間。
「おお!? 昨日の今日でずいぶん絵がエロくなったじゃねえか!」
未だ引かない顔面の破壊痕をくしゃりとゆがませて、ヘッドが夕くんの描いたラフを褒めたたえた。
「……夕、お前実は18禁向いてんじゃねえの?」
「そっ、そんなことないですよ!」
「やめなさいよねそういうこというの……」
呆れた霧がヘッドに突っ込む。
「でも実際、何やったんだ? 昨日全年齢版の同人誌はいくつか持ってったみたいだけど、それだけでこんなになるか?」
「…………それは、その…………」
ヘッドに気づかれない程度のほんの一瞬、夕くんは私を見て。
「……秘密、です」
恥ずかしそうにはにかみながら、夕くんはそう口にした。




