第3話 黒原虹華の邂逅
「あれー? どったの虹華、なんかちょっと顔強張ってない?」
停車した車から降り、階段を上ってとあるアパートの二階――『大井手』と表札のかかった扉の前に立った私の顔を見て、霧が言う。
「いや、ほらまぁ……察して」
霧曰く小さなサークルではあるそうだが、それでもある程度出来上がった人間関係の中へ飛び込もうなど、私でなくとも緊張するだろう。新しく始めるバイトとかも、こんな気持ちなのかもしれない。やったことはないが。
ましてや、霧に遥かに劣るコミュニケーション能力の私なのだ。緊張こそすれ、余裕などあるはずがない。
「あんまり緊張しなくてもいいと思うけどな……大体みんな年近いし、君より年下もいるぞ?」
社内での会話がキーになったのか、中峯さんの言葉は会った時よりはフランクになっていた。
「年下で先輩とか一番扱いに困るやつじゃないですか……」
「後輩が上司になるよりはハードル低いんじゃないか? それに先輩とか後輩とか別にそこまでないって」
苦笑しながらドアを開く。
「ただいまー。新人候補生連れてきたっすよー」
「おっ、来たな! 入ってくれー!」
部屋の中から大きな声。
中峯さんに続いて霧が中へ。その霧の背に隠れるようにして私がそろそろと中へ入る。
通されたリビングの壁際には、大きな本棚があった。私も持っているラノベから、漫画に、数は少ないがアニメのDVDなんかも置いてある。それを見ただけで、少しだけ緊張がほぐれた――少なくとも、アウェーではないらしい、と思えたから。
その部屋の中心、漫画家の仕事場みたいに複数の机が固められている場所には、三人のサークルメンバーであろう人たちがいて――
そして私は、その中の一人に、真っ先に目を奪われた。『その時、私に電流が走った』なんていかにも使い古された表現ではあるけれど、なるほど、確かに。
まさに、雷が落ちたような衝撃だった。
か。
可愛い……っ!!
その子が、超可愛かったのだ。男か女かという区分がどうでもよくなるぐらい、可愛い。
ぶっちゃけモロに私のどストライクだ。
その子は少女とも少年とも取れるほどに忠誠的な顔立ちをしていて、さらさらとした細い髪の毛は、目元が半ば隠れるぐらいに伸びている。そして何より、椅子に座っていても分かるほどに、小柄だ。きっと私より背も低いんじゃないだろうか。
ペンタブを使って絵を描いていたらしいその子は、ペンを握る手を止めてこちらを見ていた――ふと、目が合う。……な、何これ。すごいドキドキする! 思わず霧のTシャツを握る力を強めてしまう。
私が動揺していると、向こうはにこっと可愛らしく微笑んだ――はぅあっ!
時速300キロのストレートが心臓に叩き込まれたような感覚だ。冗談抜きで昇天しそうな衝撃に、心臓のヒートアップもビートアップも止まらない。もはや何を考えているのか自分でも分からなかった。
「お、おい、霧……お前の連れてきた友達、いろんな意味で大丈夫なのか?」
「え、えーっと……これを見る限り大丈夫とは断言しにくいかなー、なんて……」
……はっ。呆れたような声が耳に届き、ようやく我に返るのたうち回っていた私。
「……こほん」
いまさらにもほどがあるが、とりあえず咳払いしてみた。ものすごく微妙な空気が流れた。
「……ん、まぁ落ち着いたみたいだから、とりあえず自己紹介からだな。我らがサークル、『キラーハウス』へようこそ! 俺はサークルのヘッドを務めてる大井手来斗だ。大学二年の二十歳だな」
ヘッドって暴走族かよ、という感想は辛うじて抑えることに成功した。
意外にも、というと少し失礼だけど、サークルの主という割には結構爽やかめの青年だ。
黒で体にフィットしている半袖と七分のカーゴパンツ。シンプルな格好だけれど、首に下げているペンダントのおかげか、地味という感想は浮かばない。
「好きなジャンルは主にエロコメだ!」
外見の爽やかさを裏切って、内面はなかなか本能に忠実なようだ。本能云々に関しては私がどうこう言えた義理ではないので呑み込んでおくが。
「んで、そっちの金髪が灰森ときわ」
「……あ、どもども。金髪なのに灰森ときわさんだよ」
「は、初めまして」
テーブルを挟んで、可愛い子の体面に座っていた少女が、少々眠たげにぺこりと頭を下げるので、私も頭を下げ返す。
金色の長髪はパーマや脱色をかけているのか、それとも天然なのかは分からないが、ふわふわとしていて柔らかそうだ。抱きしめたら気持ちよさそう。
反面、体の起伏にはやや乏しく、ぽーっとしたその雰囲気は、なんだか品のいいお嬢さんをモデルにした人形のようだ。着ているのが白のワンピースなのも、そのイメージを加速させる。ちょっと大きめの麦わら帽子を被せてみたい。
「大学一年でー、十九歳だよ」
「へえ、そうなん……っ!?」
とっ……年上だと!?
「……んー? どうかしたー?」
「いっ、いえ……想定外の衝撃があったので……」
この外見で、年上。マジか。絶対年下だと思ってた。なんならライトノベルお得意の特殊能力よりも不思議だった。
「んで、その向かいにいる、ちっこいのが小野木夕だ」
意識を切り替え、一言一句聞き漏らすまいと、私は耳に全神経を集中させた。私のハートを射抜いたかわいこちゃんの紹介だ。
しかし、ちっこい呼ばわりされたのが不服なのか、小野木夕はぷくっと頬を膨らませた。……うわぁ可愛い。私を殺しにかかってるんじゃないのこの子?
「ちっこいって……僕でも灰森さんよりは身長ありますからね?」
ほう、僕。男の線が強くなったが、もしも女子で僕っ子ならば……私は軽く死ねる自信がある。キュン死してしまう!
「そうだねー。五ミリだっけ」
「ほとんど変わんねえじゃん」
小野木くん(暫定)の不満げな言葉に灰森さんが横合いから茶々を入れ、大井手さんの言葉で部屋の中に笑い声が反響する。唯一、小野木くんがむぐぐぐ、と悔しそうな顔を浮かべていた。あぁ~……いい。
霧ほどは弾まない、私の小さい胸がぴょんぴょんしそうだ。
「あ、えっと……ご紹介に与りました、小野木夕です。高校一年生、男子です」
高校一年ということは、年下! そして男の子だった! とりあえずキュン死の心配はなくな……らないなぁ、これ。どのみち可愛いんだもん。
わざわざ椅子から立ち上がって、私へ丁寧にお辞儀した彼の体を、いい子だなぁと思いつつ舐めまわすように見る。さっきから細い細いとは思っていたけれど、立ち上がるとより一層細く見える。触れたら折れそうなんて表現を、まさか男子に使う日が来るとは思わなかった。
「んで、霧については話さなくてもいいだろうし……隼太郎の名前はここに来るまでで聞いたろ? ってなわけで、こっちの自己紹介は終わりだな」
次はそっちの番、と大井手さんが言外にパスを渡してくる。
霧は少しだけ心配そうな目を向けてくるけど、私は笑顔で霧に返事をする。先ほどまでの怯えはすでにない。なぜなら怯えている場合ではないほどの衝撃があったから。
一つの決意とともに、私は自己紹介を行った。
「――高校二年、黒原虹華です。霧の友達で、趣味はラノベ読み。今日からよろしくお願いします」
ぱちぱち、と五人分のゆるーい拍手の中、代表として大井手さんが話し出す。
「おう、よろしくな。でも、とりあえず今日は見学なんだろ? 一応入るかどうかは今日の様子見してから――ん?」
そして言っている途中で、大井手さんが首を傾げた。にやり、と一人勝手に私は笑う。
「……悪い、さっきなんて言った?」
「私、もうここに入ることに決めました」
ぎょっ、と霧が私の顔を見る。次いでその場の全員が、驚きの目を私に向けてきた。
まぁ、自分でも少し驚いている――基本ぼっちで、人にあまり関心なんて示さないこの私がこんな決断を下すなんて。
どうやら私は、本気で欲しいと思った人に対しては、意外とぐいぐい行くタイプらしい、と小野木くんの顔を見ながら自己分析を更新する。
この先どうなるかなんてわかんないけど。
せっかく花の高校生だ、恋してみるのも、悪くない。
「というわけで――今日から、よろしくお願いします!」
――こうして、私は同人サークル『キラーハウス』にメンバー入りすることとなった。
が、一つだけ、確認しておかねばならないことがあった。それは――
「ところで、私って何すればいいんですか?」