第34話 黒原虹華と青天の霹靂
「ぜぇー、はぁー……いやごめん、バイトを無理言って抜けてきたからちょっと遅くなって……」
そういう中峯さんは、現在どっかで見たことある飲食チェーンの制服に身を包んでいる。土曜日のお昼時に抜けてくるとは……やるな中峯さん。
「と、ともあれ、ちょっと待ってくださいえっと……あぁ違う、初めまして中峯隼太郎です!」
「あ、ああ……初めまして。灰森樹だ」
どことなく慌てた調子の樹さんに、気圧されたように樹さんも名乗りかえす。
「あーえっと、じゃあ失礼して樹さん……ときわを辞めさせるのは勘弁してやってください! ときわには、イラストレーターになるっていう夢があるんです!」
「…………」
中峯さんに頭を下げられて、微妙な表情で黙り込む樹さんと、ときわさん。その横顔は、なるほど親子だと思う程度にはそっくりだった。
……あ、そうか。さっきの話を聞いてないから、樹さんがときわさんをこのサークルから辞めさせる腹積もりでここに来てると思い込んでるのか。
「いや、そのな……」
「分かっています、イラストレーターという職業がどれだけ不安定な職業なのか。そこへときわを送り出すのに躊躇があるのも当然です……けど!」
樹さんの説明を遮って、中峯さんはとにかく必死に、言葉を伝える。
「イラストレータにも色々と仕事があるんです――決してお金を稼ぎにくい職業でもありません! それを聞いてから、もう一度考え直してもらえませんか!?」
「……!」
樹さんだけではない、その場の全員に電撃が走る――それは正に、ときわさんが樹さんにしてこなかったこと。
中峯さんの熱い眼差しと言葉を受けて、樹さんは返していた踵をもう一度返して、ときわさんの前に座り直す。
「……聞かせてみたまえ」
「……! はい!」
意気込んだ中峯さんは回り込み、ときわさんの隣に正座する。
……なんか父親の前に二人で並んで座ると、結婚報告しに来たカップルみたいだな……。
そんな私をよそに、夕くんからもらったお茶を飲んで息を整え、中峯さんが話し始める。
「昨今では、特にイラストレーターの需要は多いと思います――中でも顕著なのは、主に二つ。ライトノベルとソーシャルゲームですね。樹さんは、この二つはご存じで?」
「いや……あまり知らんな」
「ざっくり説明すると、そこの本棚に並んでいるような、複数のイラストを挿入してある小説がライトノベルです。中高生辺りが狙いの層で、年に千冊以上は新作が出ると言っても過言ではないと思います」
「千冊以上も……?」
「まぁ、その分終わるのが早い作品も多くて、長期的に続く作品は稀ではありますが……それでも、一冊担当すればおおよそ15~20万の収入にはなります」
「……だが、毎月出るわけではないのだろう?」
「それはもちろん。なので安定した収入を得るには二作、三作と掛け持ちする必要が出てきますね。発行の時期が被ってくると大変だとは思いますが」
「そんなに都合よく話がくるものなのか?」
「最初は難しいかもしれません。ですが初めから何もかもがうまくいく職業なんてないと思います――続ければこそ、評価も上がる。この業界はそういうものだと思ってます」
「ふむ……」
「話が来るきっかけを作るものとして、SNSにイラストをアップしたりするのも効果的ですね。可愛かったり、面白かったりするイラストは、割とあっという間に広がりますし、出版社としても狙い目の層で話題になっているイラストレーターがいれば、目をつけてくれると思います」
「…………」
目を瞑って、樹さんはじっと何かを考えている。
「……さっき言っていたもう一つは?」
「ソーシャルゲームですね。主にスマホゲーなんですけど、この手のゲームには大量のキャラクターが起用されます。そのイラストを描き下ろすといった仕事になりますね。一枚につき1~3万円ってところですか」
「そんなものなのか?」
「といっても、一体だけで終わりってこともあまりないと思いますよ。複数のキャラクターのデザインを頼まれることもあるでしょうし、担当したキャラクターの人気が出れば、そのキャラクターの別デザインをお願いされることもありますし」
「別デザインとは?」
「いわゆる季節限定衣装みたいな感じですね。最近だとハロウィンだったりクリスマスだったり、そんな世間で話題になるイベントに合わせた衣装のキャラクターです」
「……そういうものに選ばれる条件は?」
「基本的には最高レアリティのキャラで、かつ人気があるって場合が多数ですかね。この場合の人気っていうのは見た目ももちろん含まれるんですけど、他にはゲーム内での性能や性格面も含まれますね。そのキャラを象徴するような決め台詞の一つでもあれば完璧です」
「…………」
「まぁこの二つに限らず、他にも同人誌販売による収入もありますし、別のところでのイラストの依頼もあると思います。有名になればなるほど、仕事は増えていって、安定するかと……まぁ、仕事を増やし過ぎて手が回らなくなるのも考え物なんで、ある程度は自分でセーブしなきゃならないんですけど……休みがあるかどうかについては、絵を描く速度と仕事の量次第、としか言えないですね」
「……ふむ……なるほどな」
低い唸り声。目を瞑ったまま、樹さんは言う。
「イラストレーターという職業のことについて、なんとなくは理解した。安定しているとはお世辞にも思えないが、思っていたよりは働き口があるのだな」
「……!」
部屋の中の全員の表情が明るくなる。だが、と樹さんは続ける。
「問題は、ときわにそれだけの実力があるかどうかだろう」
「ありますよ」
何の迷いもなく、何の躊躇いもなく、中峯さんは言い切った。
先ほどまでの緊張などかけらもなく、笑みすら浮かべて、はっきりと。
「ときわなら、いずれ引く手あまたのイラストレーターになることができますよ。俺が保証します」
きゅっ、と。
ときわさんの口の端が、ほんのわずかに締まった気がした――期待を重たいと思ったのか、はたまた涙を堪えたのか。本人ではない私たちにはあずかり知らないことだけれど。
「って、初対面の俺なんかに保障されてもなんの保障にもならないかもしれませんけど……」
たはは、と頬を掻く中峯さんは、続けて言う。
「できる限りのサポートが出来ればって、思ってはいるんですけどね」
「……そうか……」
何かを諦めたように、樹さんが息を吐く。
「……ときわ」
「えっ……な、なに?」
突然声をかけられて驚いたのか、ときわさんが肩を跳ねさせる。
樹さんの視線が、ときわさんから中峯さんへ流れる。
「……彼の期待を裏切るなよ」
「……………………えっ」
ときわさんは言葉の意味を図りかねたように、目を見開く。
なぜなら、その言葉が意味するところは――
「いっ……いいの? イラストレーター目指しても」
「もう好きにすればいい。私はお前がイラストレーターを目指すことを納得したかっただけで、それはすでに果たされた。一つ言っておくが、これはお前の功績ではなく彼の功績だ。彼の説得……というか説明がなければ、私の心は変わらなかった」
樹さんが、立ち上がる。ドアに手をかけ、開きながらに口にした。
「ああ、これだけは言っておくが――大学はちゃんと卒業しておけよ。イラストに傾倒しすぎて単位を落とすなど本末転倒だからな」
「……分かったよ」
薄く微笑み、ドアを閉め――ようとして、なぜか動きを止める。
逡巡を感じさせる微妙な間の後に、樹さんは口にした。
「…………一応訊ねるが」
「なに?」
「……ときわ、お前、彼と付き合っているのか?」
おっと!?
予想外の展開に、『キラーハウス』のメンバー全員が固まる。
「え、その……な、なぜ?」
動揺しまくっている中峯さんが、口数少なく訊き返す。
「随分必死だったからそうなのかと思ったが……違うのか?」
……いやまあ、中峯さんがあそこまで必至だと、そう見えてもおかしくないし、事実ときわさんは中峯さんのことは好きなわけだし……ただ、二人は別に付き合ってはいないはず。
果たして、ときわさんの返事は。
「ばれちゃったか~、しょうがないなぁ~」
…………うん?
「……やはりそうか……」
耳を疑っている私たちをよそに、樹さんは理解と、一抹の寂しさを滲ませた表情で呟く。
「娘を頼むぞ、中峯君」
「……えっ、あ、えっと……は、はい」
困惑しまくっている中峯さんのその返事を聞き遂げて、今度こそ樹さんは帰って行った。
…………。
「「「「「えええええええええええええええええええええええええええええええええっ!?」」」」」
しばしの沈黙を挟み、一同絶叫。
樹さんを説得できたと思ったら、ときわさんが中峯さんに告っていた。
……意味が、分からない……っ!
「え、お前ら付き合ってたのか? マジで?」
「いいい、一体いつから!?」
あ、そうか。男子陣は『ときわさん→中峯さん』の感情を知らないのか。
「ん~ん、付き合ってたわけじゃないよ~」
そしてときわさんはやんわり否定。
「今から付き合うの」
「「「「!?」」」」
ときわさんは際限なく爆弾を放り投げてくる。これがリアル爆弾ならこのアパートが影も形もなくなっていることだろう。
そこでようやく、ときわさんの隣に座る中峯さんが、顔を真っ赤にしてためらいがちに口を開く。
「……えっと……その……ときわ?」
「彼女、いないんでしょ~?」
中峯さんが何かを言う前に、ときわさんがそう口にした。
「いや、まあいないけど……」
「それとも、わたしが相手じゃ、いやだったかな?」
にやにやと笑うときわさんが、どこか悪戯っぽく訊ねる。
「まあ、やだって言っても逃がさないけどね。もうお父さんに紹介しちゃったし」
「「「う、うわぁ……」」」
抜け目なく囲い込んだときわさんの手腕に、私たちは全員思わず引いていた。
「……いやとは言わないよ。ただ……」
「ただ?」
対する中峯さんは、顔は赤いままだけれど、どこか不満そうに呟く。
「告白するなら俺からって思ってたんだけどな……」
「……っ」
そんな中峯さんのセリフを受けて、さしものときわさんも言葉を詰まらせて少々顔を赤くする。このセリフから察するに、どうやらこの二人は両想いだったらしい。
……というか、なんだこの空気。甘すぎる。ベッタベタする。炭酸抜きの、しかもぬるいコーラみたい。どことなく祝福寄りだった部屋の空気が、だんだんとねばっとしたものになっていく。
「じゅ、じゅんたくんが悪いんだからね? あんな必死にお父さん説得してくれちゃってさ~、おまけに保障までしてくれちゃって~。あんな殺し文句ってないよ」
「いや、だってときわならイラストレーターやれるって思ってるのは事実だからさ……あと必死にもなるだろ、本当にいなくなるかと思ったんだからな」
「あ~……イチャイチャしてるとこ申し訳ないんですが」
甘すぎる空気を吹き飛ばすための取っ掛かりを見つけた私は、半ば強引に二人の会話に割り込む。
「樹さん、別にときわさんをサークルから抜けさせるつもりはなかったらしいですよ?」
「…………えっ」
「いえ、確かに樹さん、イラストレーターを目指すことについては諦めさせようとしてたみたいですけど、サークルに関しては好きにしてもいいって最初に言ってたので……」
「……………………」
「ああでも、ときわさんがイラストレーターを目指すことを許してもらえたのは間違いなく中峯さんの功績だと思いますよ? ところでどうしたんですか中峯さん、そんなに顔赤くしちゃって」
「……いっそ殺せ……っ!」
中峯さんは顔を両手で覆って、それこそ蚊の鳴くような声で呟いた。
まあ、なにはともあれ。
この日は、ときわさんにとって忘れられない日になっただろう――堂々と夢を目指すことが出来るようになった日であり、想い人と正式に付き合えるようになった日なのだから。
この甘ったるい空気は正直いただけないけど、ときわさんのほんわかした笑顔を見ていると、まあ、これも悪くないかと思ってしまうのだった――のだが、ふと、笑顔の夕くんと目が合った。
一瞬固まった彼は、すいっと目を逸らしてしまった。
……どうやらというかやはりというか、ときわさん側の問題は概ね解決したとはいえ、夕くんとの問題は何一つ解決していないようだった。
ときわさんがヒロインのこの話、実はもうちょっとだけ続くんじゃよ




