第2話 黒原虹華のくにくに
「あっ、来た来た――おーい虹華ー、こっちこっちー」
夏休みへ突入して三日後――学校へ通学する際に平日毎朝使用している、学校最寄りの駅の前。改札を出た私を待ち構えていた霧が、男同伴で手を振っていた。
「うぃっす、霧」
今日の霧は、夏らしいショートパンツにTシャツという、肌は見せつつも防御力の高い恰好をしていた。スポーティーだが、張り出す胸のせいでシャツの裾が上がってしまい、おへそがちらちら見えそうなのが私の煩悩を刺激してやまない。
「えっと……で、こちらさんは?」
「ん……初めまして、中峯です」
軽い会釈と共に中峯と名乗ったその人は、なんというか、言っちゃ悪いけど特徴のない人だった。身長が取り立てて高いわけでもなければ、超絶顔が整ってるとかでもない。しかしマイナス面で突出した特徴があるわけでもなく、つまり、普通の人。
地味目のアロハシャツを着ているのが、辛うじて特徴に引っかかるぐらいだ。
「うん、前に話した同人サークルのメンバーね。中峯隼太郎さん。大学一年生だよ。中峯さん、こっちはあたしの友達で、同い年の黒原虹華です」
「あ、えっと、どうも」
霧の紹介に合わせて、私も軽く会釈する。家族以外では霧ぐらいしかまともに話す相手のいない私にしては、そこそこできた挨拶だと思う。
「……よし、じゃあとりあえず車まで行こうか」
初対面の相手が苦手なのは私も向こうも同じらしく、とりあえず話を進めるという方向でまとまった。なるほど、気が合いそうだ。
車に乗って向かうことになっているのは――同人サークルの、集会所である。
――同人サークルや同人誌というと、私は数か月前まで基本的に二次創作の本を出したりしている人たちのことや、その人たちが出している本のことだと思っていた。元ネタと同じ人が出てくるから、同人だと思っていたのだ。
しかし、どうやらそれは違っていたらしい、とふとネットを漁っていた時に知った。
この場合、同人というのは趣味などが同じ人たちという意味らしく、だからオリジナルの話であっても、それは同人誌ということになるらしい。
おまけに、同人サークルの活動内容は、決してアニメや漫画に留まらない。それは俳句だったりミステリーだったり、とにかく趣味が同じ人が集まっていれば、同人サークルという扱いになるらしい。
もっとも、霧からの話を聞く限り――私がこれから向かう同人サークルは、普通に漫画やアニメ、ライトノベルの、主に二次創作を行う同人サークルらしいのだけれど。
らしいらしいと聞きかじりの知識ばかりで申し訳ない限りだが。
最初に霧からこの話を聞いた時は、素直に驚いた。社交性もプロポーションも抜群で、私みたいに日陰のカビのごとき根暗さなど一切ない友人が、同人サークルに所属しているなど。
ましてや、そこへ誘われるなど。
正直、この申し出を受けるかどうかは少し迷った。そもそもなんのために誘われたのかが全く分からなかったし、複数の人間が所属する場所へ自分も所属するというのは、少なからず抵抗感がある。ゆえに部活動の類にも入っていないわけで。
……でも、基本ぼっちの私には、同じ趣味の人間、趣味を許容できる人間、というのが少なくて、同人サークルに行けば、そういう人と知り合いになれるのかな、とも思ったりして。
いくらかの葛藤の末に、私は霧からの誘いを受けることにしたのだ――と言っても、まだこれは仮決めの話。これからその集会所とやらへ赴いて、雰囲気がそぐわなければやっぱりナシ、ということにするつもりだ。霧もそれを了承してくれている。
……とはいえ、この霧が所属しているという場所なのだ。
多分、大丈夫だろう――と、後部座席でぼうっと考える。車の中は、ラジオの音声しか聞こえない。つまり、無言。
間を取り持てそうな霧が運転開始早々に眠ってしまったので、私と中峯さんは黙らざるを得なかったのだ。やめてくれよ。すごい気まずいんですけど。
腹いせに、隣ですぴーと寝息を立てている霧の、見えているお腹に指を這わせる。
「……ぉお」
何これ。すべすべしてる。しかしただ柔らかいだけではない――柔らかさの奥に、しなやかな弾力を感じる。すごい、なにこれ。私のお腹とはえらい違いだ。思わずお腹に顔を寄せ、五本の指でくにくにと霧のお腹を弄る。おおおおお。
得も言われぬ心地よさに私の理性が吹っ飛びかけた――ところで。
「何をしているか」
ぎゃふん。
相撲で言うところの素首落とし――真上から私の頸椎に手刀が振り下ろされた。バランスを崩した私の頭は霧の太ももに不時着する。ひざまくらってやつかな? やったね!
「もぉ……いつもいつも時と場所を弁えろって言ってるでしょ」
霧の太ももの上で顔の位置を仰向けに動かす。大きな胸が視界の半分を奪った。すげえ迫力だ。3Dのジュラシックパークでもここまでの迫力はあるまい。
「ごめんごめん、あんまり気の抜けた顔で寝てるもんだからついうっかり」
「うっかりで済むか」
「あー……」
運転席から、気まずそうな声が聞こえる。霧の体が強張った。後頭部に感じる太ももがちょっと固くなったから間違いない。
「ずいぶん仲が良いみたいだが……君らってそういう関係なのか? それとも見なかったことにしたほうがいいのか?」
「見なかったことにしてくださいお願いします。ほら、虹華も早く起き上がりなよ」
普段の凛々しい顔つきからは珍しく、少々頬を赤く染める霧。そんな彼女の顔に萌えている私は、やだやだと抵抗してみた。
「至福の時間を奪わないでおくれー」
「あんたはもう十分堪能しただろうが」
ぐいぐいと力任せに起き上がらされては、さすがに私も敵わない。のぎゃー、と変な声を上げながら座り直すと、前から声が飛んでくる。
「……ふむ、こういうときはこう言ったほうがいいのかな?」
バックミラーに映る中峯さんの表情はこの上ない苦笑だった。
「なんです?」
「キマシ」
「……タワー」
「きまし……たわ?」
言葉の意味を理解していないのは、やはりこっちの知識にやや乏しい霧だけだった。
この状況でそのネタを飛ばせるあたり、この人とは案外話が合うのかもな、と思った。伊達に同人サークルに所属してないね。