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底辺冒険者とハチミツ狩り⑨


 俺の不審な行動に気づいた黒マスクが、苦しそうに目元を歪ませてこちらを向く。


「ま、まさかこの切羽詰まった状況でまたハチミツの取り合いなんてするつもりじゃないだろうな!?」


 黒マスクの干からびた声は、そのマスク越しからでも体力の限界が近いことが伝わってくる。


「ハチミツの取り合い? そんなことするわけないだろ」


「じゃあなんで俺に刃を向けている!?」


「それは……」


「お前を殺すためだぁーッ!!」


 地面を蹴り出し、黒マスクに棍を向けたままダイブする。


「やっぱりそうじゃないかぁーーッ!?」


 黒マスクは悲鳴をあげながら、両手に抱えていたハチミツバチを咄嗟に盾代わりにして構えた。


「ユーヤ!? そんなことしたらーー」


 横でランの声がする。


 宙に浮いて攻撃を仕掛けているこの状況。

 この奇襲が成功しようが失敗しようが、足を止めた俺たちはハニーハンターに追いつかれることは変わらない。


 だが、それでいいのだ。

 なんせ、真っ先に狙われるのは俺たちではないのだから。


 突き出された棍の刃は、丸く膨らんだハチミツバチを勢いよく貫く。

 外からの衝撃に耐えかねたハチミツバチの体が、まるで水風船のように破裂した。


「わぷっ!?」


 水の代わりに飛び散ったのは、黄金色に粘り輝く液体。

 そのほとんどが、ハチミツバチを抱えていた黒マスクに飛び散り、バランスを失った俺とともにその場に倒れ込む。


「あぁーッ!? わたしのハチミツがぁ〜!?」


 エルはわなわなと震えながら、ハチミツまみれになった黒マスクを見て立ち尽くす。


「ユ、ユーヤ!」


 ランも逃げるのをやめ、こちらを振り向く。


「は、早く逃げてくださいッ! このままじゃ――」


『追いつかれる』と言い終わる前に、足を止めた俺たちを巨大な影が覆い尽くした。

 見上げると、鋭い牙からヨダレを溜らせてこちらを見るハニーハンターと目が合う。

 とうとう追いつかれてしまった。


「てめぇ! トチ狂いやがって! おかげでハニーハンターに追いつかれちまったじゃねえか! ああくそ、ハチミツがかかって目が見えねぇ!」


 目にかかったハチミツを袖で拭う黒マスク。

 まあその袖すらもハチミツまみれなので、いくら拭っても視界が回復することはない。


「わ、わたしのハチミツ……」


 まだ諦めきれないのか、ハチミツだらけの黒マスクにふらふらと近寄るエル。

 俺はエルのマントをむんずと掴み、こちらへと引っ張る。


「おいエル! ハチミツは諦めてさっさと逃げるぞ」


「逃げるもなにも、ユーヤのせいでハニーハンターに追いつかれちゃったじゃん!」


 エルがその大きな目からこれまた大粒に育った涙を流す。


「うぅ……最期の食事がパンだけだなんて……あんまりだよぉ」


「いや、そもそもその最期の食事って俺のパンなんだけどな」


 その時、俺たちの様子を静観していたハニーハンターが動きを見せる。

 何かを探るような仕草で、むせび泣くエルにゆっくりと湿った鼻先を向けてきた。


「えぇ!? わ、わたしからぁ!?」


「さっきからうるさいからだろ」


「そ、そんなぁ!?」


 ハニーハンターがその大きな鼻を鳴らすたびに、エルの髪が鼻息で微かに揺れる。

 

「うぅ……どうせなら最期はハチミツだらけになって死にたかった……。そして来世こそはハチミツがたくさん食べられるくらい裕福な家庭に生まれますように」


 死期を察したエルが、両手を組みながら目をつぶる。

 お前の頭の中にはハチミツしかないのか……。


「グルルル……」


「ひうっ……」


 喉を鳴らすハニーハンターと、歯を食いしばりその時を待つエル。

 ……が、待つこと数秒、ハニーハンターは1つ鼻息をすると、エルからそっぽを向いた。


「え、あれ? なんで……?」


 ハニーハンターが自分から遠ざかっていくのを見て、エルが祈りのポーズを解く。


「なんでわたし食べられてないの……?」


「フフフ。教えてほしいか?」


 エルが俺のほうを振り向く。


「エル。お前さっき、ハチミツまみれになって死にたいとか言ってたよな」


「う、うん……そうだけど……」


「あれを見ても同じことが言えるか?」


 そう言って、俺は黒マスクを指差す。


「……あれ?」


 エルは俺の指に釣られるようにして目線を移動させると、


「う、うわ……」


 口をあんぐり開けたまま動かなくなった。


 ハチミツで視界を塞がれた黒マスク。

 そして、エルの時と同じように鼻先を近づけ、エルにそっぽを向いた時とは真逆に鼻息荒く匂いを嗅ぐハニーハンター。

 その口からは先ほどまでは見られなかった量のヨダレがダバダバと垂れ流されている。


「なるほど!」


 ハニーハンターの様子を観察していたランが、納得したようにポンと手を叩く。


「あの場面で黒マスクを攻撃したのは、ハチミツバチを奪い取るためではなく、ハチミツを相手にかぶらせるためだったのですね!」


「そのとおりだ。ハニーハンターにとって同じ獲物でも、普通の獲物と、自分の大好物であるハチミツをかぶってなおかつ視界不良で動けない獲物とでは、どちらを優先して狙うかは目に見えているだろう?」


「う……それじゃあ、もしわたしがハチミツまみれになってたら……」


「真っ先に食べられていたでしょうね」


 うんうんと頷きながらランが答える。


「うぅ……ありがとぉユーヤぁ……」


「礼は後だ。ハニーハンターが黒マスクに気を取られているうちにゆっくり静かに帰るぞ」


 口に人差し指を当てる。

 エルとランは無言のまま目だけで返事をすると、俺の後をそろりそろりと忍び足で続いた。


『おい、お前ら!? いまどこにいる!? ……もしかして全員食われちまったのか? はは、ざまあみろ! 天罰が下ったんだよ、天罰が! ……ん? あれ、なんかフガフガ聞こえてきたんだが、これってもしかし――フギャッ!?』


 背後から聞こえる黒マスクの声を振り払いながら、エルがぼそりと呟く。


「これからは……ハチミツは自分のお金で買うようにするよ」


「ああ、是非そうしてくれ」


 その直後、小動物の首を締め上げたような断末魔が聞こえたが、誰一人として振り向く者はいなかった。


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