4.「ハードルは高ければ高いほどくぐりやすい」
なんてことない昼下がりに水樹の元に一本の電話。画面には「ペンギン」と表示されている。
「もしもし、まだ新曲出来てないんですけど。」
「大丈夫、そんなに順調だとも思ってないから。」
「それもそれでどうなんですかね。」
「そうですよねぇ。」
額の汗を拭いながら話す中年サラリーマン特有の面が用意に想像できる口調だ。
「で、斉藤さん。今日は何用ですか?」
「まぁ、仕事の話なんだけど。雨水さんいたら、二人でスピーカーにして聞いてほしいんだけど。」
「隣にいるので…どうぞ、スピーカーにしました。」
凉が気の抜けた声で言う。
「おつかれーペンギン。」
「お疲れ様です。じゃあ、早速話を。」
「うちの会社でアニメを作ることになりまして、その音楽制作全般を是が非でもRainy daysのお二人に依頼したいんです。」
「・・・。」
「ちなみに、今回声優も制作も音楽もシナリオも全部うちの社内でやるっていう企画になっていまして、受けてくれますよね?」
「無理ですね。」
「お願いだよおおおお!!!!もう頼れるの水樹君達だけなんだよおおおお!!!!」
「嫌ですよ!他当たってくださいよ!」
「当たったさ!でも皆揃って首を横に降るんだよ!!!あと半年しかないっていうのに!!!!」
「よくもまぁ、他に断られた仕事を堂々と持ってきましたね。っていうか、だれがこんな無茶苦茶な企画持ってきたんですか。」
「…社長。」
予想通りだった。以前もシャープ♯プロはオーディオドラマ制作をしたことがあったがタイトなスケジュールの中、必死で集めた人材で、なんとか乗りきったことがある。興業収入はそれなりで、クオリティもそこそこだった、それに対する人間の精神的コストが尋常ではなかった。
その時の企画を持ってきたのも、やはり社長である。
「頼むよおおお…社長がさ、またこんな無茶苦茶な企画中持ってきて…。」
泣きそうなペンギンに水樹は追い討ちをかける。
「じゃあ僕は今からいつも通り新曲の制作に…」
「待ってえええ!!!雨水さん!!雨水さんもきいてよおお!!!」
その瞬間、風向きが変わった。
「いいよー。」
「「え、」」
水樹とペンギンが初めてシンクロした瞬間だった。しかし、そこから二人の感情は分岐。ペンギンは歓喜。水樹は絶句。
「雨水さん、今なんて」
「だからやるって。」
「・・・。」
凉はどうしたの?と言わんばかりの顔で水樹を見つめる。凉が一度やると言ったらやる以外の選択肢はもうないだろう。
「しかし、自分で依頼をしておいてなんですが、雨水さんは何故受けてくださるんですか?」
凉は腕を組み、難しい顔をして、答える。
「んー、可哀想だから?」
「慈悲!!!」
斉藤は5のダメージを受けた。
「いやぁ、ペンちゃんってもう独身貴族の34の中年太りじゃん?その背景考えるとなんかね。」
「う…。」
斉藤は5のダメージを受けた。
「仕事するしか取り柄のない中年が仕事とってこれなかったらさ、もう燃えカスみたいなもんだよねって思って。」
斉藤は100のダメージを受けた。
「…なんかもう、ほんと…すみません…。」
水樹は軌道修正にかかる。
「あの、社長が持ってきたのならそれなりにクオリティを求められるんじゃないですか?」
「えぇ、まぁ…。」
「いいじゃん。高ければ高いほどハードルはくぐりやすいよ?」
「…うん、そうだね。」
一拍。置いてペンギンが切り出す。
「では、具体的な内容ですけど。アニメのオープニング、エンディング。そして、作中のBGMを担当してもらいます。ちなみに、二枚組のサウンドトラックも最終的には、」
「…ギブアンドテイク。」
言葉を遮るように放った水樹の一言にキョトンとする斎藤。
「はい?」
「この仕事を受ける前に僕らが得られる報酬を教えてください。」
「・・・つまりはギャランティについてでしょうか?」
「いや、働く以上給与はもらって当たり前ですよね。」
「え、えぇ。」
緊迫した空気が流れる。
「具体的には、休みを頂けないでしょうか。」
「それって活動休止ってことですか!?」
「いや、もっと言えば2,3か月くらい有給が欲しいなと。」
「なんて贅沢な望み!」
「それが、無理ならまた新たな要求をするんですが。」
「いえ、その欲深さがいい音楽を生み出すのでしょうね・・・。いずれにしても、私の一存では決められないのでこの件は一度持ち帰って検討させていただきます。」
「まぁ、僕は凉がやると言ってしまった以上、やる以外の選択肢はないんですけど、それでも僕自身に対するメリットも欲しいなと思いまして。」
水樹の言葉を「ふむふむ」といった感じで腕を組みながら深く頷く凉。
「あの、雨水さんは本当に私が可哀そうだからこの仕事を受けてくださるのでしょうか?」
「いや、それもあるけど、私の仕事が少なそうっていうのが一番の理由。」
まさしくその通りである。曲を作るのはとてつもなく神経を使う作業ではあるが、オープニング、エンディングの作詞作曲が今回の凉の仕事だ。つまり、以降全ての作業、BGM等の制作は水樹がすることになる。
「まぁ、水樹がなんとかしてくれるから、私は精一杯納期に間に合うように曲を書くことを前向きに検討するよう前向きに検討するように善処しようと努めたいと思う気持ちでいっぱいだから、大船に乗った気でいてよね。」
「あ、ありがとうございます。」
その後、詳しい資料やプロットについては追って連絡するとのことで、水樹は電話を切った。
「なんだかなぁ。」
今後の仕事量を考えると水樹は浮かない顔をしていた。
「まぁ、受けちゃったものは仕方ないよね。」
「いや、凉が受けたんじゃん。」
「そんなに高いハードルが嫌?」
「まあね。僕は凉と違って高いハードルをくぐるスキルは持ち合わせてないからね。」
「ここだけの話だけど、それは私だけのユニークスキルなの。」
「そいつぁすげぇや。」
興味ないや、といった具合に返事をする水樹。
「大体さ水樹は考え過ぎなんだよ。わかってるよ、それを自覚してるってこともわかってるけどさ、見てたらやっぱり思う事もあるよ。」
水樹のことを深く理解して、一番近くにいるからこそ生まれる凉の感情である。
「僕だってさ、凉みたいに自由にハードルくぐったり、無視して横路走ったりしてみたいけど、でも仕方ないよ。」
食いぎみに凉は
「ベクトルだよ。ベクトル。私はさ、難易度高ければ高いほど低いものと変わらないと思っちゃう。」
と、言うが水樹にはその言葉の意味が伝わらなかった。表情を見れば伝わらなかったことが伝わったのか
「えっとね、高過ぎるハードルを越えてみろって誰かが言うの。でもその人は、他のやつらは越えるという選択肢すら放棄したぞっていう。水樹はこの話どう思う?」
水樹は迷わず答える。
「越えられなくて当たり前。」
「だよね。飛ぶ?飛ばない?」
「迷わず飛ばない。」
「水樹ならそうだよね。でもしも越えられなくても、まぁそういうものかと誰しも思うでしょ?その時点で精神的ハードルは低いの。」
「で、結論は?」
「私は選択肢が欲しい。」
ため息が出るほどあっさりした答えだった。
「欲張りだな。」
「向上心は無くても欲はあるよ。」
「で、今回の仕事もその選択肢?」
「まぁ、水樹が私のトランポリンになってくれれば、」
「おい。」