9. 「 」 空白
あれから五日が経った。凉の作曲スピードは尋常ではなかった。それはつまり、それだけ凉が日常に感じることが多かったということに他ならない。
多大なる集中力を要する作業をそれまでもぶっ通しで続けていたため、二日目の昼間、凉は一度倒れた。正確には倒れるように突然眠った。それを見た瞬間、水樹も安心したように倒れるように眠った。
そのあと凉が三日目の夜に目覚め、水樹を蹴りながら起こした。「ぅごっ!」という水樹の叫びのような鳴き声のような悲鳴に凉はいつも通りひひひと笑った。
そして、今日。五日目。時刻は二十一時四十三分。
「あ。」と凉が気の抜けた声を出した。
「どした?」
「もう、出てこない。」
「…ほんとに?」
「…ほんとにほんと。もう、頭の中すっからかんで、ペンギンの財布の中みたい。」
「悪口だよ。」
「まぁね。」
あまりに唐突なことだったので僕ら二人は頭の整理に時間を要した。詰まる所、ここ数日の不規則な生活のせいで頭が上手く回らなかった。ただでさえ不摂生な食生活をして、寝たいときに寝るような生活リズムを繰り返していたのだ。仕事が出来ていたのが不思議なくらいだ。
「ねぇ、私何曲作ったの?」
「わかんない。」
「わかるでしょ。」
「ちょっと待てって。えっと、五日前からで。初日が、九曲で、八曲、七曲、十二、五曲で、さっき一曲出来て・・・えっと、」
「四十二。」
「お前すげぇな!」
「でしょ?」
どやー、といった具合に胸にこぶしを当てているが、その顔からは疲れが滲み出ていた。
「いや、凉。今それ以上に思っているのは」
「あーはいはい、水樹も凄いね。よくコード拾ったね。」
「凄いなんてもんじゃねぇだろ。僕しかできないことをしたんだよ。」
凉の好きな音。凉が選ぶ和音の進行、展開。それは水樹にしか掬い取れない。それを再確認するように凉が「うん、知ってる。」と優しく答えた。
「でさ、」
話は本題の本題に。
「どれと、どれが、オープニングでエンディングなんだ?」
「あ。」
どうやら何も考えずに曲を書いていたらしい。
「これだけ作っといてあれだけど、今僕の中の構想は二つある。」
「ほう、言ってみよ。」
「この中から二曲をオープニングでエンディングとして、選定。残りはインストに書き換えて、BGMにする。これで、今回の依頼はクリア。」
「待って!?私、そんなに仕事したの!?」
「驚くのはまだ早い。」
「・・・ごくり。」
口に出して言う程、凉は生唾を抑えられない。実際に「ごくり」などと口に出していう人間がいることに初めて気が付いた瞬間でもある。
「しばらくは仕事しなくてもいいくらいのストックだし、僕的にはかなりのクオリティに仕上げる予定。もちろん、全部の曲がすんなりいくとは思わない。半分以上はリテイクくらうと思う。でも、今後の有給生活の種にする。」
「そ、それはつまり、」
「夢のネオニート生活の入り口なのだよ。」
「水樹、今から死ぬ気でBGM作り上げて国外に行こう。」
「お前、ほんと分かりやすいな。はいはい、後者ね。」
「私、もう働かなくていいんだ。」
「いや、一時的にね。」
「あ、あとは水樹が頑張ってくれるってこと?」
「おい。」
そんな話をしているのが水樹はとても嬉しかった。凉が作曲を始めてから、音楽の話しかしていなかったのだ。と、いうよりも話すことがなかったので口を開くは歌うとき以外、せいぜい業務連絡か、食事中の「醤油取って。」くらいなものだ。ちなみに、水樹は目玉焼きには醤油派。凉はその時の気分で随時変更有りだ。
その後、二人は朝まで歌った。吐き出すように歌うのではなく、ただ歌いたいから歌った。それはとても日常的で、呼吸をするように何でもないことで、その「何でもない」が、只々愛しかった。
「ねぇ、水樹。」
ひと段落したところだった。
喜びとか、悲しみ、憂い、とか、感情という感情全てを含んだ瞳で水樹を真っ直ぐ見つめた。
「やっと、水樹に伝えたいこと歌に出来たよ。」