1.「Cmja7(9)-シーメジャーセブンス オン ナインス-」
ぽつぽつと雨が、風が、小さい部屋の窓を鳴らす。その部屋の隅で彼女はヘッドフォンをつけてストラトキャスターを鳴らす。僅かにヘッドフォンから漏れる歪みで、どんな曲を弾いているのか容易に想像出来る。
「ねぇ、」
彼女の呼ぶ声にリンクするみたいに僕は立ち上がる。
「ちょっと待ってて、」
「うん。」
部屋の隅に置いているレスポールを渡す。
「はい、」
「ありがと。」
ガチャ、とシールド入れ替えてレスポールを弾き始める彼女。無言でうんうんと、頷いている。きっとしっくりきたのだろう。
「ねぇ、」
「リバーヴはここ。」
「あ、ほんとだ。」
PCの画面を指差してやる。すると出音にご満悦なようで、少しだけ僕の方を向いて満面の笑みで言う。
「ありがと。」
「うん。」
僕らは思考が似ている。「ねぇ」の一言で大抵のことは伝わる。正直、似ていると言うよりも、同じといっても問題がないレベルだ。僕ら「Rainy days」がクリエイターとして生きている限り、その『意識のシンクロ』は最強の武器になる。
僕が右なら、彼女も右。彼女が左なら、僕も左へ。僕らは同じタイミングで同じ方向へ向かっていける。そうやって生きてきた。
服の裾をちょこんと掴んで、彼女は言う。
「…歌。」
「だよね、」
ちなみに今のは「歌(録りたいんだけど、マイクセットするの面倒。まぁ、そっちも面倒なら別に後でで大丈夫。嫌ならモ●スターファーム2やろ。)」の略。
「ちょっと待ってて、」
コンデンサーマイクをスタンドに立てて、DAWソフトを立ち上げる。
「えっと、次は、」
「はい、これ。」
と、彼女は僕にケーブルを渡す。
「ありがと」
音は空気の振動だ。この空気が乾燥しているか、湿度が高いかで録り音もまるで変ってくる。もちろんケーブル一本変えるだけでも音は全く別のものに変わる。彼女が一番音の癖が少ないこのケーブルを迷わず選んでくれたことに、僕はいつものことだけれど安堵している。僕は「迫力の重低音」とか、「クリアな高音」とか、一部の音圧を挙げている類のケーブルは、その瞬間の音や、その人が持っている声の「そのもの」の良さみたいなものを削ぎ落としているいるようで好きではない。だからこそ、彼女は特に意識しなくても僕が求めているものを何も言わずに渡してくれる。
PCからオーディオインターフェース、コンデンサーマイク。特別何か機材を挟んだりしない。やり始めたらきりがないんだろうけど、正直、そこまでする理由もないし、今手元にない。あったとしても使うのが面倒だという理由で持ち腐れしまうだろう。
白い壁。
横顔。
長めの、気持ち程度の癖のある髪。
使い古したヘッドフォン。
そのヘッドフォンからくるくると垂れてるケーブル。
語尾のピッチの取り方。
多分、僕はずっとこんな日常を求めてたのかもしれない。Rainy daysは劇的に歌が上手いとか、神がかってギターが上手いとか、そんな映画とか、漫画みたいなものは正直持ってない。でも、作りたいもののイメージが、音が、曲そのものの雰囲気が、日常を切り取ったまさにそれだった。
僕らは僕らを、目に見える音を切り取って歌に出来る。それは僕と彼女にしか出来ないことだ。
歌を録り終わり、ヘッドフォンを肩に乗せてて、ケーブルなんてそのままぶらんと垂れてる。僕はPCに向かって録れたてほやほやの音源の軽い編集作業に取り掛かる。イコライザーも何もかけていない完全にフラットな音源をまず聞いて、この曲の背景を考えていた。
少しだらしないくらい大きめのTシャツを着た彼女が窓の向こうを見て、その透き通った声で言う
「ねぇ水樹、雨。」
そうだねと声を出さずに頷く。
「なんか喉乾いたね。」
「歌ったあとだしね。コーヒーと紅茶どっちがいい?」
これも分かってるけど一応聞いてみる。
「紅茶」
「本当に?」
「あ、待って・・・んー、やっぱコーヒー。」
「はいはい、」
雨音も、コーヒーも、ミックスもマスタリングも、ましてやいイコライザーすらかけてない曲も含めて、いい日常だなぁと思えるけど、このあとの僕の仕事量を考える。
「・・・やばい。」
ていうか、また新たな曲録ってる暇なんてない。新曲提案の納期、明日じゃなかったかな。
ひひひと笑いながらゲームの電源をつける。
「おい、」
「大丈夫、心配しないで。私は仕事の邪魔はしないから。」
「邪魔する勢いで手伝えっての。」
「いやぁ、なんか一曲書いたらもう出し尽くしちゃって。カップアイス食べるくらいしかもう私には出来ないっていうか。」
「・・・。」
わかってる。彼女が全力で仕事から目を逸らしているのを。しかし、そのわざとだとわかってしまう程隠し切れない無邪気さとか、性格も嫌いじゃない。嫌いなのは納期とか、仕事とか、仕事とか、仕事とか、
「まぁ、頑張って(テヘペロ)。」
「テヘペロじゃねぇよ。これだから、クリエイターは・・・。」
そう言いかけてはっと我に返る。自分もその中の一人なのだと。その言葉をぐっと飲みこんで、
「凉、そのアイス半分くれよ。」
「おけまる。」
こうして僕らの日常は日々、加速していく。