2.君は僕の……
一面に広がる青い空。軽やかに浮遊する白い雲。苛立つほどの無風。茹だるような暑さ。容赦なく照りつける太陽。時間が経つにつれ、体力と共にやる気までもが削がれていくような気候に肩を落とす。
何でこんな日に外で運動なんかせにゃならんのか。
と、内心で悪態吐いたところで何にもならない。仕方のないことだ。厭でもそうしなければならないこと等ごまんとある。ただそんな風に諦める対象が、たかが一時間の体育だってのはどうかと思うのだが、常に自分に正直に生きています。第一、例え我慢するにしても、厭なものは厭だ。
あー、あちい。
暑いときって、暑い以外の言葉がでてこねーのな。あー。駄目だ駄目だ。脳を活性させるためにしりとりでもするか。いや、駄目だ、その発想が何かもう暑い。大体なんだその、炎天下の中一人脳内しりとりって。自分で自分を疑うな全く。暑い。
あー、何か涼しくなることねえかな。一人脳内怖い話とか。脳内に湧く幽霊の皆さん。それだけでもう涼しげ。脳内一人百物語。一人で語って一人で蝋燭を消します。暗いね。まあ、それをやろうとしている事自体が涼しい通り過ぎてうすら寒いわけですが、そんな精神的な寒さは求めてないわけで。あー。
そんなオレの視線の先では、暑さなど意にも介さず駆け回ってる体力馬鹿が。いや、正しいんだけど。幾らアレが馬鹿だとしても、今現在正しいのはアッチだ。何故ならこの時間は駆け回るべきなのだから。少なくともこんな風に突っ立って、どうでも良い考えを巡らせるべきではない。
とはいえ。
暑いものは暑いし、走りたくないものは走りたくないのだ。こんな時はあの体力馬鹿が少しだけ羨ましかったりする。何の疑問も抱くことなく現状に甘んじることが出来るのだから。等と偉そうに言ったところで体育ですよ。体育。や、る、気、ねえー! ああ。この鬱憤を声にして吐き出せない変わりに息を漏らす。それはそれはもう、重い息を。暑い上に、動かなきゃならない上に、犬みてーに走り回る知人その1の様子に、自分同様ただ突っ立ってこの時間をやり過ごしている知人その2のうざさに、溜息が、出る。しかも何でか隣にいる。オレの真横で腕を組んで、犬より頭悪いんじゃないかと思う馬鹿を目で追っているのだ。気持ち悪い。ああ、つい本音が。それより何より目障り。目に入ってないけど目障り。何ていうかこの気配とかが目障り。わけ分からなくなってきた。暑いせいだ。これも全て暑いせいだ。責任転嫁万歳。暑い。
そもそも、暑いと言う感想を抱いているのはもしかしなくてもオレだけなんだろうか。
と、そんな疑問が頭を過ぎる。いや、そんなはずはない。風もないしこんなに日が照っているわけだし。けれど、オレの視線の先では知人その1とその他諸々のクラスメートが走り回っていたりするわけで、何よりオレの隣の知人その2は無言で突っ立っているわけで。まあ無言なのはお互い様かも知れないが。第一、暑い暑い連発されたら殴る自信がある。自分のことは棚に上げるが。けれど何故かこの男が声に出さないのは当然として、心中でも暑いなんて思ってないような気がしたのだ。勿論それは思い込みと言われればそれまでのことだが、この男は普通ではないのである。異常なのだ。そりゃもう色んな事が。
気にかける事自体が腹立たしくもあるが、それでも気になってちらりと横目で見てみる。悔しいのは、首を傾げないと駄目なことだ。顔の位置がオレより高いが為に。これが、脚と胴の長さが同じで首だけ長いってんなら気にならないものの、全てがオレよりでかいが故にムカツク。そんな忌々しい思いも込めて、表情を盗み見る。
ああ、ほら、やっぱり。
オレは直ぐに又首を戻した。案の定だったからだ。一瞬しかその顔は見えなかったが予想通りだったので、傍らの男のように走り回る人間へと視線を戻した。もう気は済んだ。思った通りだった。
コイツは異常だ。
汗一つかかず、涼しい顔して一心に前を見ている。暑さは何処へ。暑いのってもしかしなくてもオレだけなんですか。オレ病気なんですか。何病だよ。つか、オレは普通だ。普通に決まってる。何を疑問に思うまでもなく、谷ヶ崎幾多郎が異常なのだ。つか、変温動物だろお前。そもそも人間かどうかも怪しい。しかしそうなると、知人に非人類が居るオレも又可笑しいと言うことになりはしないだろうか。そんな馬鹿な。何故この馬鹿のせいでオレまでがおかしな視線を向けられねばならんのだ。不愉快だ。だがキタロウを普通に分類するのはかなり抵抗が。そもそも、何故この炎天下でオレは、この男の事を真剣に考えて居るんだ。可笑しいだろ。可笑しいがこれも全て暑さのせいだ。くっそう、暑さめー! 何て憎いんだ! 誰の陰謀だ! 暑い! 色々と限界の模様です。他人事のように実況してみました。微かな寒さが心地よいですね。そうでもないよね。そうでもない。暑い。
「……なあ」
この暑さと異常な思考に耐えかねて、何でか口を開いてみました。お花畑が見えそうで見えません。まだまだ大丈夫と言うことでしょうか。そんな保証余りいらない。いっそ倒れさせてくれ。
「何だ」
不機嫌そうな口調はいつものこと。だが、不機嫌そうと言うだけで、別にコイツは不機嫌というわけではないのだ。これが素なのだ。愛想の欠片もないのが谷ヶ崎幾多郎なのだ。あったらそれはそれで厭だが。つか、気持ち悪い。オレも見てないから分からないが、多分コイツもオレの方なんかチラリとも見ていないに違いない。コイツの視線は何時だってケンに釘付けなのだ。わあ、ラブラブー。なあんて。今突然湧き起こったこの殺意にも似た感情を誰に向ければ良いのでしょうか。ラブラブってアンタ。
兎にも角にも話しかけてしまったものは仕方ない。何か続けないと。しかし暑い。暑いしか言葉が出てこない。
「お前暑くねえの、こんなに陽差してんのに」
仕方がないのでそのまま口にしてみる。多分暑くないとか言うんだろうなあとか予想してみる。だけどコイツは何時だってオレの想像の斜め上を飛んでいくのだ。良くも悪くも。いや、良かった試しなどない。何時だって悪い方向に飛んでいくのだ。
そう、こんな風に。
「俺の太陽は健慈朗だけだ」
「……わーあっつあつう」
勢いで返答してしまったものの、当然の如く棒読み。感情の込めようがない。第一こういうのは、後からじわじわくるのだ。
俺の太陽は健慈朗だけだ。
俺の太陽は健慈朗だけだ。
俺の太陽は健慈朗だけだ。
俺の太陽は健慈朗だけだ? 考えてはいけない。その理由なんて考えはいけない。一目瞭然でも考えてはいけない。冷静に考えはいけない。汗が噴き出したのは暑さのせいだ。決してこんなの冷や汗じゃない。言い様もない恐怖からくるものではない。取り敢えず、誰でも良い、誰かコイツを殺せ。でないとオレが死ぬ。死因はあつさです。暑いのか熱いのか分からないけどネ! うわあああああああ。ジーザスジーザスジーザス! ああ、神よ。これはジョークなのでしょうか。ジョークだと思って良いのでしょうか。本心であると薄々感じてはいるものの、それを認めることはこの上ない試練であると思うのですがそこんとこどうお考えですか。
どうすることも出来ずにただ立ち尽す。横を見るのが怖いので、取り敢えず現状維持で前ばかり見ている。そんなオレの視線の先では谷ヶ崎幾多郎の太陽がグラウンドを駆け回っています。ああケン、お前は太陽だよ。輝いてるよ。こんな馬鹿の思いを真っ向から受け入れられるお前は凄いよ。つか恋は盲目とかそう言ったことだろ? そうなんだよな? この電波具合が好きなんだとかそう言う事じゃないんだよな。幾らお前が馬鹿だからって、そう言う、人とちょっと違う彼が格好いいとかそう言った事じゃないんだよな。どうなんだ。そうなのか。やっぱそうなのか。真顔で殺し文句と言って良いのかどうか分からない微妙な台詞を吐くところが良いのか。どうなんだ。オレは厭だ。何となく、友人としても厭だ。オレは心が狭いんだろうか。頼むから否定してくれ。
そんな想いが伝わったのかどうかは分からないが、不意にケンが立ち止まった。立ち止まってこっちを向く。超笑顔で。その笑顔は十中八九キタロウに向けられたもので、100パーセントオレの事なんか目に入ってないんだろう。付き合うと似てくるのか、そう言うところキタロウさんとそっくりですよアナタ。そう言う、似なくても良いところが。しかも手まで振り出す始末。大きく大きく手を振って存在をアピール。それだけ見てれば微笑ましいと言えなくもないが、高校男子だぞ。それなりにいい年した男なんだぞ。そう言うことを考えれば微笑ましい通り越してちょっと可哀想だと思えなくもない。と、言うかこれはケンだから許せるのであって、他の男子がして良いことではない。ケンがやるから大して違和感が無いのであって、オレを始めとして誰がやったって眉を顰める。
そう言うことを踏まえて、どうしてオレは横を見てしまったんだろうと今更ながら後悔する。
「わー」
思わず感嘆。
思わず拍手とかしたくなった。目の前の光景に。それはきっと見てはいけないものだったんだ。そうそう、見ちゃ駄目だった。すんごい後悔した。
振り返しちゃったよこの人。
勢い? 勢いなのか? つられちゃったわけですか? それともオレは突っ込むべきなんだろうか。何やってんだ、とかっつって突っ込むべき何だろうか無理だろ。無理。声かけられない。だってすんごい自然に手振ってる。反面物凄い不自然。相変わらずの無表情で、一点を見つめたまま手を振る。それはケンとは反対に小さくだが、小さければ良いと言うものではないわけで。何ていうか、何だその優雅とも言える手の動きは。やんごとなき血筋の方がするようなその手の振り方は何だ。突っ込むべきなのか。突っ込み待ちなのか。触れたくねえー! いや、何で見ちゃったんだオレ。これを見なければ少しは心の平穏に浸ることが出来たというのに。神様はホントオレに容赦がありません。泣くぞコラ。
多分オレは固まっていたのでしょう。余りの光景に。だけどそれは当然のことで。突然至近距離で聞こえた足音に、目が覚めた気がしました。気付けばそこには谷ヶ崎くんの太陽が。谷ヶ崎くんが暑いだとか眩しいだとか感じる唯一の存在が。そして急激な早さで二人の世界が形成されていくのを目の当たりにしました君たちはもう少し周囲を顧みると言うことを覚えるべきだと思うよ本気で。
と、言うか、まずはオレに気を遣え。
何故か二人は無言で見つめ合い、そんでもって、何故か谷ヶ崎くんの手が伸びたりして。まあアレだ。炎天下なわけだよ。授業中なわけだよ。人がいるわけだよ。オレがいるわけだよ。二人の世界なんかじゃないわけだよ。頼むから現実を見てくれ!
敢てオレは目を逸らした。きっとそこには見てはならない光景が広がっているはずだから。見ていることなど出来なかった。これ以上オレを苦しめるわけにはいかなかったのだ。倒れるぞ本気で。誰かさんと誰かさんの熱々っぷりでなく、馬鹿っぷりに当てられてな! 嗚呼しかし、どうしてオレは下を向いてしまったのでしょうか。下を向くのではなく全身方向転換をすべきでした。何故なら下には影が。茶色の地面に黒い影が。そりゃもう、くっきりと。
二人の影は寄り添い、接触を。接触というか、密着を。
うわあああああああああ。
今ここでオレが頭を抱えて地面に蹲ったとしてもそれはもう当然のことだろう。何もおかしな事はないだろう。何故なら目の前の光景以上におかしなものはないからだ。何をやらかしやがるのですかアンタ方は。有り得ない有り得ない有り得ない有り得ない。何だこれ何だこれ。オレは熱々だなあとか言って突っ込めば良いんですか。出来るかー! 何だ、オレが悪いのか? オレのせいなのか? 何でオレが悪いんだ! じゃあ何が悪いんだ。太陽か? 太陽が悪いのか? オレの頭が悪いのか? 現状を全く把握できず把握する気もなく、目の前の光景から逃げようとするオレが悪いのか? 受け入れられるかー!
自然と首が下へ垂れる。見たくもない影が目に映る。じりじりと太陽の光を項に感じる。暑い。暑すぎる。これも全て太陽のせいだ。何もかも太陽のせいだ。太陽さえ照っていなければ影なんて見えなかったんだ。つか、誰か助けろ。何だこの現実は。現実なのか。現実と呼んで良いのか。現実であって良いのだろうか。
疑問は止めどなく溢れだし何一つ答えが出ることはない。
ただ一つ言えることは目に見えることだけが全てではなく、目に映るものを否定したい気で一杯とかそういったことですか。そういったことです。オレは普通なんだ。オレが普通なんだ。横で愛を確かめ合う馬鹿二人が異常なんだ。確かめ合うのは結構だが時間とか場所とかを考えろ。何でオレが悩まなきゃならんのだ。不公平だ。世の中は不公平だ。平等に照りつける太陽すら不公平だ。
この暑さが憎い。全て暑さのせいだ。暑いせいで皆可笑しいんだ。オレは普通なんだ。
太陽の、バカヤロー!