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Low  作者: S
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10.ソーダ水の刺激


 会うように誰か仕向けてるんじゃないだろうか。不意に、そんなことを思う。

 だって可笑しいんだ。あの、出会ってしまった日以来、やけに遭遇する機会が増えている。今まで無かったことが、起こっているんだ。だからオレがそう疑念を抱いたとしても、当然だろう。

 尤も、こいつと一緒にいるときは初めてだが。

「やあ、祥稜くん。健慈朗くん、奇遇だね」

 この人はいつだってそう言う。奇遇だねって。奇遇って言うかオレの中では80パーセントくらい仕組まれたことになってんですが。誰かがオレを見張ってて、逐一この人に報告してるんじゃないかって。しかもあり得るし。ただの被害妄想だったらどんなに良いか。だけどそう言い切れないのが現実だったり。相変わらずオレの中のこの人の位置は、大変人と恐怖以外のなんでもなかったりする。

 それでも、普通に対処しなけりゃ仕方ない。

「どうも」

 逃げれるものなら多分とっくに逃げてる。だけど逃げられないことも理解している。下手に逃げるより、当たり障りの無いこと言って相手が飽きるまで時間を共有するのが賢いやり方だろう。

 もしかしたら、そんなこと思ってるのオレだけかも知れないけど。

「……こんにちは、先輩」

 ちらりと横に目をやれば、そこには当然ケンがいて。だけど、いつもと違っていた。普段の馬鹿みたいなテンションの高さはそこには無く、上目遣いに睨むように相手を見ている。

 ちょっと、驚いた。

 余りにそれはケンらしくなかったからだ。キタロウと喧嘩した時だって、こんなに敵意を剥き出しにはしてなかった。今のケンは、明らかに相手を敵だって認識してる。だけど、何故?

「今日は、幾多郎くんは一緒じゃないんだね、健慈朗くん」

 理由は分からない。だけど、この人が原因だって事は分かる。今だって、ほら、神経を逆撫でようとしている。少なくともオレにはそう思えた。深読みすればの話だが、わざと、ケンの不興を買っているように思えたんだ。だけど、何故?

 この、重苦しい空気の意味が分からずに、オレはただケンを見ていた。あの人を観察するには勇気が足りないからだ。不意に、目に付いたケンが手にしている飲み止しのソーダの缶が気になる。今にも、潰してしまいそうに見えた。不機嫌とか言うのを通り越して、それは何か怒りにも似た感情だ。ケンのことだから、例え中身が入ってようと缶を握りつぶすのは容易いだろう。そうなると、困る。多分、オレが困る。

 自然と手が出た。これ以上困りたくなかったからだ。無言でオレはケンの手からソーダの缶を取った。もしこのまま見過ごしたらきっとケンは缶を握り潰して、そうなると中身が飛び出て、それを始末するのは誰だ? これは物凄く嫌な予想だが、オレが手伝わないはずはないと思った。見て見ぬ振りというのは、時にとても難しい。だから、そうなる前に阻止したのだ。

 缶を取られたケンは、予想してなかったのだろう、驚いた顔でオレを見上げた。それはいつものケンに見えた。あの人に向き合ってたケンとは違うように思えた。オレは何も言わずに、手にしたソーダを一口飲んだ。そうしなければ、取った理由がないと思ったからだ。まさかお前が缶を握り潰しそうだから阻止したとは、今は言えない。言い難い空気だ。勿論それは、口に出さなければ伝わらないだろう。いや、伝わるはずはない。ケンはそんなに敏くない。はずなんだけど。

 何故か、ばつの悪い表情を浮かべたのだ。

 それが何となく、オレに謝ってるように見えて、またちょっと、驚いた。

「幾多郎くんなら、さっき擦れ違ったよ」

 オレ達のやり取りをどう思ったかなんて分からない。だけどそれを断ち切るように、目の前の人はそう口にした。それは紛れも無くケンに告げた言葉だろう。先程とは打って変わって、今度はまるで、機嫌を取っているように思えた。だけど、何故?

 考えようとして、だけど、遮られた。ケンがオレを見上げたからだ。兎に角キタロウと聞いて、ケンが反応しないはずはない。だけどあんまり嬉しがってるようには見えなかった。それもまた珍しい事だ。

 多分やっぱり原因は目の前の人なんだろう。だけどそれをこの場で口にするのも躊躇われて、具合でも悪いのか? って、口にしようとして、また、遮られた。

「ごめん、よっちゃん」

 何が? 

 わけも分からず、謝られる。聞き返す前に、走り出された。どうも、逃げられたらしい。一直線に前進する。無言で、あの人の横を通り過ぎた。ちらりとも見ず。だけど見なかったのはケンだけじゃない。あの人も、ケンを見なかった。オレはケンを目で追っていて、不意に視線を横にずらしてそれに気付いたのだ。あの人はケンを見ていなかった。目が合った。あの人が見ていたのはオレだった。だけど、何故?

 目が合った瞬間、寒気がした。

 ぞっとするとは正にこの事で。理由なんて分からないけど、思いつく事と言えば恐怖だ。オレがこの人の事を怖がってるのは当然の事のように思えたし、それは事実だろう。怖がらない方が可笑しいに決まってる。今だって笑顔だ。微笑を浮かべてオレを見ているんだ。そりゃ、もう目の前オレしかいないから仕方ないかも知れないけど。だけどそれが無性に怖い。

 後ろめたい事は何も無い、そんな顔だった。いや、今日に限った事じゃない。いつもだ。多分何をしてもこんな悪怯れない表情のままなんだろう。不意に、ケンが不憫に思えて、溜め息を吐いた。機嫌を損ねてみたり、取ってみたり、何考えてるか分からないけど、もしかして単に楽しんでるだけなんじゃないだろうか。尤も、ケンの態度からするに、それだけが原因では無い気もするが。

「もしかして、アイツの事、からかってません?」

「そうかもしれないし、そうではないかもしれない。ただ、興味があるのは事実、かな」

「御存知だと思いますけど、アイツ、キタロウしか見えてませんよ?」

 オレは、間違った事は言ってない。と、思う。

 だけど自信はなくなった。もしかしたらオレの思考もちょっと歪んでるのかもしれない。興味がある、イコール、恋愛感情なんてのは、歪んだ思考だろうなあ。よく考えればそうだ。だけど、この人変人じゃないか。何でもアリな気がしても普通じゃないか。まあ、変人だから同性に恋愛感情抱くなんてのは、実に偏った考え方だが。他に理由付けが出来なかったのだ。

 そんなオレの言葉にあの人は珍しくも一瞬だけ笑みを崩した。ほんの一瞬だったが、それは驚いているように見えた。俺の口にしたことに。尤も直ぐにまた、笑みを浮かべたのだが。だけどそれすらいつもとは違っていて、おかしな言い方かも知れないが、本当に楽しそうに笑ったのだ。

「そういう、興味があるわけじゃないんだけどね」

 やんわりと否定される。どうもやはりオレの思考は歪んでいたらしい。だがそれはきっと、変人二人のせいだ。あいつらが傍にいるから、自然とオレもそういう考えになってしまうんだ。なんて、責任転嫁してみたり。まあ実際のところ、影響を受けているなんて考えたくも無いことだが、そうでないとは言い切れないだろう。

 でもだったら、どういう興味? 生き物としての興味だとか? 生物学的に興味深いとか。普通だったら冗談だが、この人に限って言えば、まあ、有り得ないことではないだろう。

「ケン、面白いですか?」

 もしかしたらそれは、突拍子も無いことだったかもしれない。だけど、そう、思ったから。多分、どういう理由にせよ、面白いから興味があるんだろう。そう思って、尋ねてみたのだ。

 するとあの人は、一層笑みを深くした。まるで肯定するかのように。

「そうだね。面白いといえば面白いね。勿論彼だけじゃない。幾多郎くんだってそうさ」

 案の定口から出たのは肯定で、だけど、理解は出来そうになかった。何が面白いのか、分からなかったからだ。面白いから興味が湧く。それは分かるが、オレにとってはそうではないから。キタロウにしてもケンにしても、とりわけ面白いなんてことはないのだ。確かに変人ではあるが。苦労をかけられている方としては、面白がる余裕なんてない。だから、理解できない。

「変わってるから?」

 思わず、そう尋ねてみたが、その理由はおかしな気がした。

 だって、この人だって変わってるのだから。変人が変人を変わってるからという理由で気にするのは、凡人のオレからすればそれこそが変わっているように思えたのだ。

「大まかに言えばそうだろうね」

 なのに、返ってきたのはやっぱり肯定で、仕方なく更に口を開く。

「事細かに言えば?」

「そうだね……彼らにとって僕は特別じゃないから、かな。彼らは僕を特別視しない。健慈朗くんにとっての特別とは幾多郎くんであり、その逆もまた然り、だ」

 有名人の模範解答。

 そう、思った。

 あんな噂流れてたら、誰だって特別視して当然だろう。恐らく本人も理解している。だからこその言葉だと思った。誰も彼もが自分を色眼鏡で見るのが気に入らない。だけど、その理由を作ってるのは正しく本人だ。噂の真偽の程なんて、オレには分からない。確かめたこともないし、今確かめようとも思わない。アレってホントなんですか? なんて聞いたところで、どうせ曖昧な答えしか返ってこないに決まっている。この人はそういう人だ。そういう人なのに、まるで、孤独が寂しいとでも言わんばかりの答えを返してくる。だから結局、そういうことなんだと思う。超有名人なのに、孤独、なんだろう。

 まあ、それをオレがどうこう出来るわけでもないんだが。

 火の無いところに煙は立たないわけで、どう贔屓目に見たってこの人にも何らかの非はあるはずなんだ。だけど、それを鎮火しようとはしていない。少なくともオレにはそう思えた。特別視しないケンやキタロウに興味を抱いても、自分から必要以上に他人に関わろうとしない。多分、そういう人なんだろう。もしかしたら単に人間嫌いなのかもしれない。もしどころか、超人間嫌いなら、あの噂の数々だって結構納得できるし。

 だけどやっぱりオレには関係ない気がした。聞いておいて何だが。

 それに、オレには理由が無いんだ。あの時、ヤナセやハクカワはオレがこの人に気に入られたとかって言ってたけど、気に入られる理由が無い。オレはケンやキタロウとは違う。特別視している。怖いよ。はっきり言えば。だから、関係ないんだ。本当ならな。けど実際は、何でかこう接点を持たされてしまっているというか。本当に、何故だろう。

「ねえ、祥稜くん。僕からも一つ良いだろうか」

「はい?」

 本当に、どうして接点を持たされているのか。いや、興味だってそうだ。確かに今までは否定してきた。つい、数分前まで違うって思ってた。こんな人が、オレに興味なんて持つわけないって、そう、思ってた。だけどそれ、今なら過去形に出来る。

 認めたくないけど、この人はオレに興味を持っている。

 だがそれは、勘違いからくるものだ。

「君の特別は、誰?」

 この一言で、そう、確信した。

 ケンやキタロウを気にかけるのは、この二人が異常なほど互いを特別に思いあっているからで、自分に向けられる視線がその他大勢と同じだから。だったら、オレに興味を持つ理由は? そう、同じなんだ。何故か分からないけど、どうやらこの人、オレが特別視してないと思ってるらしい。あの、前会った時だって、滅茶苦茶下手から接してませんでしたっけオレ。今だってそうだよ。出来るなら逃げたいと思ってるし、非礼らしい非礼も働いてないと思ってる。そうじゃないと、どんな目にあうか分からないからだ。だから、勘違いしている。

 オレはこの人を、怖がってるんだから。

 どうしてそう見えないのか不思議でならないが。見た目にも表れてると思うけどなあ。あんな噂聞いた後で、誰とでも同じように接することの出来る人間なんて限られるんじゃないだろうか。勿論オレには無理だ。逃げたいどころか、可能なら関わりあいたくないくらいだよ。冗談抜きで、平穏な生活を送りたいと思ってるんだから。

「……さあ? その内現れるんじゃないですか?」

 だからオレはまたこうやって、どっちでもない答えを口にするんだ。

 少し、似てると思った。意図したわけではないけれど、目の前の人に。いつだって曖昧で、本当のことなんて分からない。まあオレの場合は、自分可愛さにそうしているんだが。それに、この人追求しないから。オレもそうだけど。曖昧なまま、納得してしまうんだ。

「そう」

 ほら、な。

 何を考えているかなんて分かりはしない。分かろうとも思わない。接点なんて必要以上にはいらない。だけどそう思ってるのはオレだけじゃないかもしれない。この人だって、興味持ってる振りして、ホントはただの暇潰しかもしれないじゃないか。ケンをからかってたように。

 不意に笑みを浮かべたまま、視線を外す。少し下を向きながら歩き出す。ああ、すれ違うなって、ぼんやり思った。進行方向から言えば当然だが。

 だけど何故か距離を詰められただけで、通り過ぎはしなかった。オレの斜め前、至近距離で立ち止まる。そうされる理由が分からずに、結局オレは現状維持。何を思いついたのか、何を企んでいるのか、観察するよう視線を送る。

 また、目が合った。切れ長の目がやたら綺麗で、困る。視線を外せずにいると、今度は手が伸びてきた。考える間もなく、手の中のものをとられる。それは、ケンから取ったソーダの缶だ。

 何を考えているのかなんて分かりはしない。

 視線の先で男前が、ソーダを口に含んだ。その何でもない動作がやけに様になっていて、何だか癪に障る。ただ、ソーダ飲んでるだけなのに、いい男がするだけでこんなにも違うものか。なんて、その感想自体が惨めに思え、溜息を吐いた。

 何考えてんだ、オレ。

 変わらず目で追っていると、気が済んだのか少し濡れた唇で笑みを象り、オレの手に缶を戻す。

 そうして無言のまま、また足を動かしだした。今度は本当にすれ違う。振り返ってまで視線の追跡を続ける理由も無く、オレは立ち止まったまま前を見る。手の中には飲み止しのソーダの缶。すっかり温くなっていた。だけど、重さ自体はそんなに変わってないように思えた。確かに減ったはずなのに。

 何故か、自然と溜息が出た。

 頭の中がごちゃごちゃして、それを流すかのように、オレもソーダを口に含む。

 ケンが飲んで、オレが飲んで、あの人が飲んだソーダ水。それは当然ながら何の変哲も無いもので、口の中がぴりぴりした。頭はすっきりしない。目を閉じて開いても、すっきりしない。

 また、ソーダを口に含む。

 分からない事だらけだ。

 そう、思った。分かりたいとも、分かろうともしていないのに。

 

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