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風が吹きぬけ、光舞う  作者: 甘夏みい
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青風高校 川上颯の物語 第三章

年若き王様は、自分にない才を求む。

 あの日俺は、美しいものを見た。

 初めての校外練習で全然先輩たちに付いていけなかった俺は、必死で前へ前へと食らいついていた。足を止めたら負けた気がして。

 その時だ。夕日に照らされてキラキラと輝いた少年が、精巧に彩られたフォームで走っている。風の圧にも負けていない。いや、むしろ彼こそが風になっている。粗削りながらも繊細で力強いその姿に心が奪われた。


 ああ、きっとあいつは「天才」なんだろうな。


 名前も知らない彼は一定のリズムで過ぎ去っていく。まだまだバクバクと落ち着かない心臓を必死で抑えつけて前進した。

 少年の持った薄汚いタスキと、その少年を呼ぶ別の少年の、「そう」という声が耳から離れなかった。



 ***



 仮入部段階で何人か減ってしまったが、一応十五人の部員を確保することが出来た。皮肉にも一つ上の三年生と同数である。

 その中で俺は、二人の選手に目をつけていた。


 一人目は上田皐月。中学時代にも駅伝チームに所属経験があり、新入生の中で実力が抜きんでている。何事も教科書通りにこなすタイプで、安定感があった。


 二人目は成島一馬。皐月に比べれば技術では劣るが、並々ならない熱意と勢いがあった。恐らく本番に強いタイプなのだろう。自分の体力の限度を知らず、すぐに集中が切れてしまうところが課題だ。


 どちらも今後が楽しみな選手だ。しかし俺がかつて見た彼の姿はない。もしかしたらと思ったが、この学校には来ていないのかもしれなかった。


 そんなことを考えながらぼんやりと退屈な授業を受ける。先生がつまらない説明をしながら黒板を白で埋めていく過程を見て、しかしやはりつまらなくて視点を窓の外に映した。

 グラウンドでは一年生が体力テストを行っていた。キラキラと輝く青が眩しい。ぎゃあぎゃあと騒ぐ後輩たちを見て、一年前のことを思い出した。櫂と出会ったことだ。

 あの時、部活に入る気はないと言っておきながらあっさりと入部した櫂。俺の本性がどうとか言っていたけれど、どうもそれだけとは思えないのだ。櫂は駅伝部のブレーンになりつつある。そんな櫂に見限られて退部されたらと思うと、ぶわっと鳥肌が立った。


 その時、わああっと歓声がグラウンドで上がっていた。なんだなんだと目を凝らすと、信じられないスピードで激走する男子がいた。運動部だろうか。走り終わった後の彼の表情を見て、どんどんと血が沸騰していくのを感じる。あの日見たものとは違う、櫂の時とも違う、美しいもの。

 自分の口角が自然と上がっていく。にやりと笑顔を浮かべた自分の顔が最高に凶悪なことなんて、自分が一番よく分かっていた。

 選手が足りないとは常々思っていた。どの部活に入っていようがもはや関係ない。とりあえずあの新入生の素性を調べなければ。


 血が滾っていくのを実感する。ああ、俺は本当に欲しがりだ。




「ねーねー、今日一年生さ、午後体育の授業してたじゃん?あれ、誰のクラスなの?」


 部室に大体の人数が集まったのを見計らった段階で適当に言葉を投げた。恐らく誰か一人くらいはあの激走一年生を知っているだろう。


「あの、多分五組だと思います」


 おずおずと申し訳なさそうに手を挙げたのはマネージャーを務めている若菜だった。マネージャーは初めての経験だそうだが、テキパキとした手腕で物事を頼みやすい。

 そんな若菜の声に同調するように何人かから、そう言えばそうだったと声が上がる。


「ほうほう。じゃ、この中で五組はいる?」

「あ、俺です」


 控えめに声をかけてきたのは亮太だ。亮太は目立たないながらもしっかりと頑張って練習に励んでいる。なんとなく応援したくなるタイプだ。


「そうだったんだ!じゃあ、めっちゃ走ってた人いたよね?歓声聞こえたからさ、気になって」

 

 笑って聞いたら亮太も笑い返してくれる。穏やかな声色のまま静かに話し出した。


「宮下だと思います。宮下伊吹みやしたいぶき。部活は入ってなかったと思います」

「え!?入ってないの?あんな速いのに!?」

「はい。陸上部、サッカー部、テニス部が断られてました。俺も一度誘ってみたんですけど、部活には入れないって言ってて……」


 ん?と思った。入らないのではなく、入れない?


「入らないんじゃなくて?」

「あ、いえ。入ることができないみたいです」


 どんどん亮太の声が尻すぼみになっていく。他人のことなのにどこか申し訳なさそうな亮太に、こちらまで申し訳なくなってくる。それを打ち消したのは、ムードメーカーになりつつある一馬だった。


「なんだそれ、変なの。入ればいいのにな~」

「人には色々と事情があるものなんだから、適当なこと言っちゃだめだよ一馬」

「いちいちうっせえよ皐月!」


 ぎゃあぎゃあと言い合い(一方的に一馬が皐月につっかかっているだけだが)を始めた二人を亮太に任せ、うんと考える。櫂とはまた違った事情のようだ。無理強いはできない。


「いや、出来ない原因を無くせば出来るってことか……」


 むくむくと欲が出てくる。宮下伊吹の才能が欲しいと思った。今は少しでも多く有能な後輩が欲しい。


「ねえ、亮太に少し頼みがあるんだけど」


 櫂の時といい、宮下伊吹といい、俺は諦めが悪いみたいだ。






 そうして次の日の放課後、俺は部室で宮下伊吹を待っている。あれから亮太に宮下と会わせてもらうよう頼んだのだ。後は亮太が連れてくるのを待つばかり。


「お前、宮下が断ったらどうすんだよ」


 櫂は若干引いたような声色だ。宮下伊吹勧誘についても相変わらず特に反応を示さず受け入れたと思ったが、やはり思う所はあるらしい。


「じゃあ、櫂は?」

「は?」

「櫂は今、ここにいることに後悔してる?」


 縋るような言い方になった自分に少し驚いた。もっと気楽に訊くつもりだったのに、いつの間にか深刻な雰囲気になっている。

 違う、気にしないで。その言葉は櫂によって遮られた。


「俺から見て、今年の一年生は主力になる予感がする。皐月とか、一馬とか。だからそうだな……。全国行ける勝算がまだあるから、辞める必要はないかな」

「そっか」


 まだ全国、行けるのか。そう思ったら力がむくむくと上がっていく気がする。そして櫂が辞めないことに安心している自分に気がついて、無意識に咳ばらいをした。


「なら、きっと宮下も大丈夫」

「失礼します」


 亮太の声が静かに響く。部室の立て付けの悪い戸が開き、二人分の足音が近づいてくる。初めて見た宮下伊吹はあんな激走を繰り広げた人物とは思えないほど、普通の一年生だった。


「あの、なんですかこれ。俺今日、用事あるんですけど」

「ああ、ごめんごめん。なら端的に話そうか。駅伝部に入ってもらえないかなと思って」

「すみません。俺、部活には入れないので」

「なんで?」


 不躾なのは十分分かっている。それでも宮下はこれくらい突っ込んで聞かないと答えないだろうな、という確信があった。想像通り、宮下は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。


「言いたくないんですけど」

「うん、その気持ちは分かるし、俺なんかに言う筋もない。でも俺は、部活に入りたいって思う気持ちがあるなら、融通を利かせるつもりではあるよ」

「なんすか、それ」

「宮下は入れないって言うよね?入らないんじゃなくて。なら、入りたいって言う気持ちはあるのかと思ってね。で、どうなの?」

「どうって言われても……」


 宮下の態度に明らかな迷いが出始めていた。どんどん返事の歯切れが悪くなってきているし、何よりチラチラと俺の顔色を窺っている。否、俺という人間性を図っている。もうひと押しすれば勝てる。そう思って口を開きかけたのだが、止めたのは櫂だった。


「入る気がないならいらねえな。用事あるみたいだし帰っていい」

「……は?」


 思いっきり櫂を睨み付けてしまう。櫂は何でもないような顔をして、宮下を追い出した。亮太はしばらくオロオロとしていたが、一礼して宮下を追っていく。


「あと少しで入ったよ、あれなら」

「でもどう考えても気持ちが伴ってなかっただろう」

「あいつは戦力になる」

「中途半端なら戦力なら尚更いらない」


 じっと櫂を睨み付けたら、向こうからも絶対零度な視線が返ってくる。そのまま静かに火花を散らし続けていたが、先に口を開いたのは櫂の方だった。


「宮下よりも、今いる部員を使ってやれ。育てれば問題ないだろう」


 それを聞いて、思い出したのは亮太のことだった。誰よりも実直で真摯に練習に取り組むその姿。しかし俺の勘と、今までの駅伝の知識やデータ、筋肉量を考えても、亮太は一年生にしては格段に劣っている。


「……今いる部員が大切なのは当たり前。でも俺は、宮下がいたら全国への道が近づくと思うんだよ」

「当の本人は、嫌がってたみたいだが」

「いや、でも俺ね、宮下は走るの嫌いじゃないよ」

「なんでそう言い切れる?」


 櫂は不審なものを見るような目でこちらを見てくる。ああ、懐かしいなと思った。この目は、かつて櫂を誘ったときと同じ目だ。何かを図っているような。

 俺はにかっと笑ってみせた。恐れるものなど何もない。俺はまだ、こいつも後輩たちも宮下も、全てを失うにはほど遠い。


「俺が初めて宮下の表情を見たのは、あいつが走り終わったとき。多分無意識だったんだろうけど、俺には微笑んでるように見えたんだ」


 一年のときに見た少年も、櫂も同じような表情をしていたように思う。楽しいと一瞬で分かるような。そしてそれはきっと、俺みたいな凡人を惹きつける劇薬だ。うらやましくて、少しだけ妬ましい。きっと俺は、いくら走るのが楽しくてもあんな表情はできない。


「それくらいでって思うだろ?でも、俺にとってはすごいことなんだよ!大会でもなんでもない、ただの体力テスト。自己新でもなく、ただ走ってるってだけで楽しそうに笑えるのは、本当に、誇るべきことだと俺は思う」


 櫂はよく言葉が呑みこめていないようだった。咀嚼して咀嚼して、それでも残ってしまったものについて必死で思いを巡らせている。

 だからさ、と俺は続けた。きっとこれは凡人にしか分からない。だから宮下みたいな奴と話すのは、俺ではないといけない。俺の唯一の特技は、苦労を知っていることだ。


「宮下は俺に任せてよね。絶対に宮下を無理に入部させないって約束するからさ!それでも俺は、できることなら宮下に本当の喜びを知ってほしいんだよ!」


 苦労した先に楽園が待っている。そしてそれを知った選手は何倍も強くなる。これは、俺が一年かけて学び、実感したことだ。


「うん、分かった。じゃあ、任せた」


 櫂はやはりどこか分かっていなさそうだった。しかし気持ちを切り替えたのか、しっかりと頷いて見せる。


「おっけ!じゃあみんなのとこに行こうか!今頃皐月と一馬喧嘩してそうだな~!」


 ばんっと扉を開いたら、風がするりと入ってくる。ずっと埃っぽいところにいたからか、肺からどんどんどす黒いものが消えていく心地だ。ああ、気持ちいい。


 遠くから後輩たちが自分を呼ぶ声がする。一年前には考えられなかった景色だ。俺はみんなの元に駆け寄ろうと、足を動かそうとして、ぴんと何かが張ったような違和感を覚えた。


 冷や汗が流れる。考えたくない。やっと、幸せを得た所だというのに。


 現在四月も終わりにさしかかり、もう少しで五月に入ろうというところ。

 大会はおよそ一か月先だ。走るのをやめて歩いてみんなの元へ急ぐ。自分の脚が悲鳴を上げ始めているなんて信じたくなかった。


 まだ、二年目の春なのに。



こんにちは~!甘夏みいです。また増えました。まあ、駅伝の公式戦メンバーは七人なので、これでもまだ足りていないんですけどね(笑)ないものねだりってついついしてしまいますよね。でも、案外ないと思っていたものが近くにあったりするものなんですよね。このお話を書いていて、ふとそう思いました。まだまだ続きますが、よろしくお願いします。

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