青風高校 川上颯の物語 第一章
王子様がまだ小間使いだったお話。
駅伝に神様がいるとしたら、俺はきっと見放されているのだと思う。そしてきっと、駅伝の神様が愛したランナーがどこかに絶対いる。俺の分までの愛を一身に受けた天才と呼べるのかもしれない。
俺は天才ではなかった。
昔はスポーツがあまり得意ではなかったが、体を動かすことは好きだった。サッカーや野球などはからっきし駄目で、そんな俺が唯一輝けるのがマラソン大会だった。走っているだけでいいのだから。
天才になりたいとは思わない。けれど、この世界にしがみついていたい。
きっとそれが、俺の、川上颯の生き方だ。
――――青風高校 川上颯の物語 第一章
先輩が後輩をこき使う風潮がずっと嫌いだった。俺が一年の時は、駅伝部は後輩いびりが酷い部活だと言う認識が一般的で、入部する物好きなんて俺くらいしかいなかった。入ってみてもやっぱり後輩をいびる噂は本当で、まるでマネージャーみたいな雑用ばかりやっていた。
俺は走るためにここに来たのに。
駅伝部がある学校が近くでここしかなくて、偏差値が低いことを覚悟のうえで入学した。俺は駅伝がしたくて中学三年間を過ごし、高校を選んだのだ。
どうして、どうして、俺が一年というだけで練習が出来ないのだろう。
誰にも言えない大きな悩み。しかしその悩みが唯一解消されたのが校外練習だ。河原沿いを団体で走っていくというシンプルなもの。あまり練習が出来なくて体力のなかった俺は、先輩たちに付いていくのがやっとだったが、それでも、それが俺に出来るただ一つの練習だった。
強豪と呼ばれる裏には誰かの犠牲がある。
しかし、誰も不幸せにならないで強豪にはなれないのだろうか。
俺が部長なら絶対に後輩を育成するのに。俺が部長ならもっと戦力を考えた上で練習するのに。俺が部長なら、俺が部長なら―――。
俺には夢があった。それは、最高のチームで全国に行くこと。そのためにはきっと、何でも出来ると。
出会いは本当に突然にやってきた。
一年の六月。新入生の体力テストで駅伝部の俺や陸上部などの運動部に交じって、好成績を叩きだす人物が一人。
藤堂櫂。陸上部が熱心に勧誘しても「興味ない」の一言で一蹴したとちょっとした有名人になっている同級生だった。
俺は次の日にはすぐに行動を始めた。
「藤堂櫂くん、だったよね?櫂でいいや。いいよね?いいってことで!俺は川上颯!違うクラスだけどどうぞよろしく!」
俺は明るいという性格に分類される人間だった。俺自身が明るいわけではない。明るい人間に擬態することが得意だった。この時ばかりは道化師みたいな自分に感謝する。
「悪いけど、陸上部には入らないよ」
返ってきたのは素っ気ない返事だった。しかし俺はめげることはない。藤堂櫂の長距離の成績は目を見張るものがあった。こいつとなら全国にいけるのではないかという確信にも似た気持ちが今、全てを制している。
「違う違う!俺は駅伝部だよ。名前くらい聞いたことがあるでしょ?」
「駅伝部って……あの?」
やはり、噂は知っていたのだろう。「後輩いびりの駅伝部」。「後輩殺しの駅伝部」。そう呼ばれているためか、一年はまだ俺しか入部していない。
「うん、その駅伝部で合ってると思う」
「じゃあ、尚更嫌だ。何が楽しくてわざわざいびられなきゃいけないんだよ」
俺は諦めたくなかったのだ。全国に行くためには、俺だけでは到底成しえることが出来ない。俺は全ての力を正しく使って、使って、使い倒さなければならないのだ。そのための力、心臓とも呼べる位置に藤堂櫂を置きたい。何が自分をそこまで駆り立てるのかは分からなかったが、こいつではないといけないという焦りがあった。
「俺はいずれ、全国に行くよ」
「……いびられてても?」
「このままじゃ行けないとは思う。だから、俺は必ず今の駅伝部を変えるよ。約束する。絶対に今の環境を変える。先輩が引退してからになっちゃうけど!」
「ふうん」
「だからさ、とりあえず考えといてよ。絶対に俺は全国に行く。その時に櫂がいたら、きっともっと嬉しいと思うからさ!」
藤堂櫂は最後まで首を縦に振らなかった。それでも構わない。最後に来てくれればいいのだから。
俺はざわざわと騒がしい藤堂櫂のクラスを後にする。自分を呼ぶ友達に手を振って、自分の教室に向かって歩き出した。
***
基本的に片づけは一年である俺の仕事だ。
部活が終わって先輩たちが先に帰って、夜の八時過ぎ。先輩たちの使った道具をしまってから、自分のシューズをスパイクに履き替える。
俺の自主練は午後八時から午後九時までの一時間だ。
先生にばれないように学校の外に出て、腕時計のタイム機能をオンにする。そしてゆっくりと息を吸いこんで―――。
弾丸のように飛び出す。
闇を切り裂いて、電灯だけを瞳に映して走っていく。顧問は陸上部と一緒のため、あまり来ることはない。俺の指導も、先輩たちにつきっきりで最低限のものしか受けたことない。
それでも走り込みは楽しい。自分を限界まで追い込むことに快感すら覚えている。
「川上?」
いきなり声をかけられて思わず舌打ちが漏れる。あ、やべっと焦って笑顔を浮かべた。そこにいたのはコンビニ袋を手に下げた藤堂櫂。
「何やってんだよ。走り込み?」
「まーね!こうでもしないと練習できないから」
「昼間は練習してないってこと?」
藤堂櫂は少しだけ同情するような目を向けてくる。同情するなら入ってくれよと鼻先まで出かかったが、ぐっと我慢する。
「してないんじゃなくって出来ないの~!昼間は先輩たちからの雑用で終わるし」
「へえ、全国目指すって、本気なんだ。こんな夜に走り込みって」
その言葉にむっとしてしまう。昼間あれだけ説得したのに疑われていたというのか。しかし藤堂櫂はにやっと笑っていた。
「まあ、俺が声をかけたとき舌打ちするくらいだから、よっぽど真剣なんだろうとは思ったけど」
「……バレてた?」
「ばっちり」
目敏く見つけていたようだ。今までこういう時、バレた試しなどなくて自分でも安心しきっていた。藤堂櫂は中々に観察力がある。
これはもう説得は無理だろう。諦めて「もういいよ」と声を掛けようとしたその時、藤堂櫂は素直に笑ってみせた。彼の年相応の笑顔をその時初めて見た。
「入るよ、駅伝部」
「へ?いいの?だって、後輩いびり酷いよ?俺が言うのもなんだけど」
藤堂櫂は少しだけ嬉しそうだった。
「俺、お前はなんか裏があると思ってたんだよね。だから嫌だった。でも、今本性見たうえで全国目指すって聞いたら、本当にそうなりそうな気がする」
静かな夜。虫の声すら聞こえなくて、電灯だけが辺りを照らしている。
「高校で部活に入る気はなかったし、駅伝に興味はまあ、ないけど。でもお前が行きたいっていう全国は面白そうかも」
思ったより多弁なタイプだと初めて知った。未だに面食らったままの俺を置いて、どんどん話は進んでいく。
「だから入るよ、俺。でも、条件が一つだけ」
「……なに」
「多分全国行けないなって思った瞬間に、辞めるから。全国が俺の入った理由なわけだし当然だろ?」
熱が体中を巡っていく。俺は試されているのだ。俺は藤堂櫂に、高校三年間に渡る挑戦状を突きつけられている。
―――上等。
「もちろん。でも俺は、お前を必ず最後まで所属させるよ。それで、俺とまだ見ぬ後輩とみんなで全国に行く!これでお前の高校生活、万々歳ってね!だから、その条件、呑むよ」
「ふうん」
静かな夜に星が瞬く。いつもと同じ夜なのに、どうしてこうも見え方が違うのだろう。
「これからよろしく、颯」
二人ぼっちの出発は、コンビニ袋と俺の荷物、そして夜空の星だけが見守っている。
「あ、やべっ、アイス溶ける!」
慌ただしく走っていく櫂に付いて俺も走る。気がついたら櫂の家にいた俺は、櫂のお母さんのご厚意に甘えてご飯を食べて、なんと入部届を書く瞬間にまで立ち会った。
「というわけで、三年間よろしく!」
「三年間もやってる保証はないけどな」
これは俺が高校一年生の時のことである。
やっほーです甘夏みいです。新章始動です。これからは青風の目線で、第一高校は少しだけお休みです。彼らの彼らなりの青春をご覧あれ!