第一高校 立花宗の物語 第一章
風が吹いた時、一つの光が舞い降りた
風は生きている。
時にうねりを上げてランナーに立ちはだかる壁となり、時に優しくランナーへ生命の息吹を授ける味方へと替わる。そしてそれらを超越した先に、きっと本来の風としての姿がそこにある。
風を感じ、絆を繋ぎ、勝利への執着と仲間からの確かな信頼を感じて挑むのが「駅伝」というスポーツだ。
立花宗、高校二年生。
廃部間近の駅伝部の副キャプテンであり、恐らくこの部活の歴代最後のアンカーになるであろう一選手である。
――――第一高校 立花宗の物語第一章
幼い頃から体を動かすのが好きで、暇があったら幼馴染たちを家から引っ張り出してかけっこに付き合わせていた。その幼馴染たちは最初こそ面倒臭がっていたものだが、一変。いつの間にか幼馴染たちも走ることにのめり込み、朝早くから夕方五時の鐘がなる頃まで飽きることなく走り回っていた。
小さな体いっぱいに空気を吸い込んで、それを爆発させるように公園を駆けずり回る。何も知らないがゆえに幸福で、温かいひと時だった。
「――それで、これからのことだけど」
ふわふわとした思考から一気に現実へと引き戻される。目の前で真剣な顔をして顎に手を当てているのは田宮賢介。昔から一緒に遊んできた幼馴染である。
意識が夕焼の昔の光景から、見慣れた薄汚い部室へと変わっていく。現在部員四名の「駅伝部」の小さな部室には、高さが合っていない机とイスが四つずつ。そして賢介が座っている目の前には一枚の紙が乗せられていた。
「お前らさ、もっと真剣に考えろよ?確かに練習はしてるけど、部費の問題があるんだよ。このままじゃ廃部だよ!」
ばんと机を賢介が叩きつけるせいで、ふわっと白い紙が舞う。埃と共に舞い上がった紙を何とか掴んだのは、一年の相沢怜だ。普段は人懐っこくニコニコしている怜だが、今の表情はどこまでも暗い。
「先輩たちがいなくなったら俺一人になっちゃいますしね……部員一人じゃ何もできませんし。あれ?これ詰んでます?」
そんな怜の頭をぐりぐりと撫でつけるのは剛田弘人。俺と賢介のもう一人の幼馴染である。いつも俺、賢介、弘人の三人でよく遊んでいたものだ。かつては小さかった弘人の手は、今では全てを掴めそうなほどに大きくなってしまった。そんな手で鷲掴みにされた怜はぎゃあぎゃあと抗議の声を上げている。
「弘人さん!痛いですって!」
「うるっせえ。お前が辛気臭い顔してるからだぞ?大体、部員さえいるならいいじゃねえかよ。適当に見繕えば」
呆れたようにはっきりと言い切った弘人は、怜から紙を奪い取ってその内容を凝視している。そんな弘人に対して思い切り大きなため息を吐いた賢介は、部室の引き出しから一枚のチラシを取り出して弘人に突き出した。
「四月に新入生に体験入部したばかりだろ?それで入ったのが怜だけだったの忘れたのか!?」
「それは俺たちの練習に、怜以外が付いてこれなかったのが悪いんだろ?俺たちは本気でやってんだよ。なあ、宗?」
弘人は同意を求めるように俺の方に向き直った。それに釣られるように賢介、怜の視線がこちらに向く。俺は言葉を選びながら話し始めた。
「ここは駅伝部なんだから、走らないと駄目だろう」
ぽつりと呟くように言ったら、弘人は満面の笑みで、賢介は仕方がないなと笑うように、怜は目をキラキラとさせて頷いてくれる。
部員が四人でも、俺や賢介、弘人の代が入るまで休部扱いだったとしても、ここは走るための部なのだ。そのために必要なことは全てやってきた。強豪校並みの練習メニューや体重管理などがいい例だろう。そのせいで新入生が嫌煙しているのも事実だが。
「まあ宗ならそう言うと思ったけどさ」
賢介は分厚いクリアファイルの中に先ほどみんなで回していた紙をしまい込む。
「え、俺まだ見てないんだけど」
「部費のことしか書いてないから見ても面白くないよ。さて、今回の最大の議題はまだだぞ?」
賢介はにやりと剣呑な笑みを浮かべて、青と緑と黄色の明るい配色で彩られた一枚のチラシを俺に付きつけた。余りにも近くてぼんやりと眩しい色しか見えない。
「ああ、ごめんごめん」
そう笑って腕を引っ込めてくれたら、徐々にポップ体の可愛らしい文字が見えてくる。弘人や怜も食い入るように黄色の文字を見つめていた。
「市民駅伝大会?」
「ああ。四区で構成された大会なら俺たちも出れるだろうし。それに青風高校も出るよ」
「青風が!?」
弘人が思いっきり立ちあがって叫ぶ。イスが倒れる音がどこか遠くに聞こえた。
青風高校は駅伝強豪校だ。川上颯が率いており部員数は三十名を超える。区外ではあるが有名で、全国大会へ過去何回と出場している。現在は少し落ちてきてはいるが、実力のある二年エースが牽引していることで、徐々に力を盛り返してきている実力校。
「青風に勝ってみたくないか?」
悪戯っぽく賢介が笑う。その剣呑な笑みに体中から熱が顔に集まるのを感じた。心拍がどんどん早くなっていく。
今まで俺たちは怜が入るまで三人だった。大会なんて参加できなくて、いつもどこか遠くから青風高校を始めとした多くの駅伝部を眺めていた。いつか出たいと思いながら。
気がついたら手のひらを握りしめていた。出たい、出たい。ずっと渇望し続けたトラックの上に立ってタスキを繋ぎたい。
ふと隣を見ると、弘人の頬が紅潮している。また反対を見たら、怜が至極真面目な顔でチラシを睨み付けていた。
そして賢介が冷静に、しかしどこか熱を孕みながら目でぐるりと見回している。
ああ、こいつらやる気だ。そして、俺も――。
「出よう。走るために」
熱と共に紡いだ言葉は少し震えていた。しかしはっきりと言葉に出したら、高まった胸の中を涼しげな風が通り抜けていくのを感じる。
誰も何も、言わない。部室の中の熱気は最大限まで上がっている。
静かな空間が永遠にも感じた。
「俺も、走りたい。もうずっと燻ってるのは嫌なんだ。市民大会でも何でもいい。ちゃんと走りたい」
弘人がはっきりと告げる。どこか堅さが感じる言葉の端に、少しの怯えも感じとれた。
「俺もです。まだ俺、入ったばかりですけど……。先輩方が凄いんだよって見せつけたいですし、俺も一緒に、行きたいです」
怜はにこっと快活に笑う。どこまでも無垢に、どこまでも真っ直ぐ響く声だ。賢介はふふっと微笑んで、そのチラシを部室の扉の近くに貼りつけた。部室のどこにいても見える、一番目立つ場所に。
「俺も出たい。自分の力を試してみたい。多分きっと俺たちはここから始まる」
ふうっと誰とともなく吸い込んだ息を吐きだして、何も言わずに四枚の手のひらが中央に集まった。普段からスパイクや備品をいじる傷のついた手が、全員のもった熱が今、結集している。
第一高校駅伝部部長の賢介が、よく通る声で高らかに言い放つ。
「俺たちはここから始まる! 俺たちは走るために集まって、走るためにトレーニングしてきた! 今まで埋めてた気持ち全部、ぶつけてこよう!」
「おう!」
四人の声が小さな部室一杯に広がっていく。閉め切られて熱いはずの室内に、糸のように細く頼りない、しかし確かな存在を放つ風が吹き込んでいく。
何かが始まる、扉が開く、そんな予感がした。
はじめまして甘夏みいです。小説は久しぶりに書きました。まだ勘が取り戻せていない部分もありますが、自分のペースで頑張っていきたいです。どうぞよろしくお願い致します。