幼女ラミアは満腹になりたいっ!お片付け!~一緒なら洗い物も楽しい~
その日ほど、実家で鍛えられたことを感謝したことはなかっただろう。ぬかるみでも、山道でも、遠くでも……騎士ならば走り抜かなければならない、その時には時代錯誤だと思っていたが、やっていてよかった。
熱くなる気持ちを呼吸を整えながら抑え込む。その代わりに、ぎゅっと握りしめたのはあいつが最近付けていたスカーフ。ここ何年か一緒にいるラミアの幼女……ミア。騎士の家系で次男である俺、アルスは互いの実力を上げるため……いや、最初はそうだったかもしれないが今は……。
「待ってろよ、ミアっ!」
口にして……少しばかり不安が胸をよぎったがそれを振り払うようにさらに走る。宿のおっちゃんに聞いた話からすると馬車が町を出てからもう3日。事前に準備をしているのならあれこれしててもおかしくない時間だ。なにせ、あいつはまだ幼体っぽいがラミアなんだからな。全身、死んでいても生きていても使い道はある。もちろん生きていた方がずっと金の卵を産むような物だから出来るだけ生かしておくのだろうが……。
「悩んだときは最悪を想定しろ……だったな」
次男だからと、ただ予備として生きるのは嫌だ……そう言った俺にならば自分の力で生き抜け、と送り出してくれた親父の言葉をこんな時に思い出した。今思えば、あれも親父ながらの愛情だったのかもしれない。
と、走り続ける俺の前に馬車の走った跡が見えて来た。山道に入り、この前の雨がまだ乾ききっていないのが幸いした。あれだけの雨だ。普通ならば馬車を出そうとは思わない、普通なら……な。
ここに来るまでミアの手掛かりはほとんどなかった。仮にもラミアである彼女が何もできないままにとらえられたとなると、よほどの手練れか……俺をそれだけ楽しみに待っていたか。いけないことだが、後者だったら嬉しいと思ってしまう自分がいた。
今さらながらに考えると、やはりミアはいつも連れていくべきだったのだ。子供だからと、騒ぎそうだからと置いて行ってしまったのが裏目に出た。寂しがりやなあいつのことだ、俺の名前を出して使いだと言えば騙されてしまったに違いない。
(もっと遠くの町だったらやばかったな……)
馬や馬車で無いと移動しきれないような距離だったら時間も足りないし、こうして追う時にばれる。ぎりぎり、かなりぎりぎりだがこれで忍び込める。
まずは流れのフリをして情報収集だ。ここの領主がどんな奴で、どういうことをしそうか……禁止されたラミア捕縛をするような奴かどうか、を聞かないとな。出来れば今すぐ助けに行きたいが、頑張ってくれよ……。
─???
失敗した、そう思った時にはもう遅かったみたい。私の口元は嫌な感じのする何かでおおわれていた。ついでとばかりに目隠しもされてしまったの。気が付けば私は……どこかの地下につながれていた。
手は後ろで縛られているし、下半身も……動きにくいように何かで包まれていたの。だからまずはそれをどうにかしようとして睨みつけて……。
「魔法が……出ない」
「そのメガネは特殊な水晶を使っていてね。魔眼の類を無力化するのさ」
なぜか、その声を聞いたら背筋がぞわっとして、急に心細くなったの。恐る恐るそちらを見て、なんだか納得してしまったの。名前も知らないこの男の人は……私をミアとして見ていない、ラミアとしても見ていない……ただのモノとして見ているんだと感じたの。
「どうし……」
質問は途中で止まった。里から飛び出してきた私だけど、そのぐらいわかる。例え、人間と異種族、ラミアに限らずいくつかの種族と互いにお話をしていたとしてもそれは絶対の決まりじゃないんだって。
アルスがいつも言っていた。世の中には良い奴もいるが悪い奴も多い。そんな奴らには、ラミアの私はお金そのものに見えるから自衛出来なきゃいけないって……わかってたのに、な。
「あっさり連れてこれた割には頭が回っていそうじゃないか。だったら……わかるな」
ぎりぎりのところで、どうにも交渉が出来ない時にはこちらからは条件を言わずに相手に言わせる、そんなアルスの助言を思い出してわずかに頷くだけに留めることが出来た。きっとコイツも、アルスもラミアの成長が遅くて私が見た目よりは歳を取ってることを知らないんだと思う。だからこんなに子ども扱いなんだ……そりゃ、ちょっとは見た目も小さいけれど。
相手は何かに満足したのか、そのまま立ち去っていく。それからしばらくは何も起きなかった。数回、食事らしきものは運ばれてきたけど美味しくなかった。だから脱皮することもなく、それが相手には不満だったみたいだけど殴られたりはしなかった。
きっとほとぼりが冷めるまで私には何もさせないんだと思う。ラミアの涙や脱皮した皮、後は痛いけど血や鱗なんかも魔法薬の原料になるってお母様たちに聞いたことがある。そして、それが原因でかつてラミアと人間は敵対関係にあったし、お互いに不幸過ぎるからちゃんと商売にしよう、その代わりにラミアもむやみに人を襲わないという決まりが出来たのだ。
「やだな……アルス以外とだと……あっ」
自分の皮をアルス以外が剥く……そう考えたら思ってるより悲しくて、寂しくて……切なくて。動かない腕の代わりに動きにくいけど下半身をぎゅっと縮めたの。その拍子に首元にスカーフが無いことに気が付いたの。アルスがくれた、大切な贈り物。最初は……首に跡がついちゃったからとか言ってたけど、私の好きな色のスカーフだったのが嬉しかった。
助けに来てくれるかな、そう考えて気持ちが落ち込む。私はよく知らないけど、あいつは貴族ってやつだと思うの。そうしたら騎士だっていうアルスは逆らえない。それに、迷惑かけてるもんね……いっつもあれが食べたいこれが食べたいってわがまま言ってるんだもん、当然よ。
「このままアルスとご飯食べられないのかな……やだな、嫌だな……もっとたくさん、美味しい美味しいって笑いたいな……ヒクッ……エグッ」
止められない、止まらない。いつもならぬぐう腕も今はないし、尻尾で顔を隠すこともできない。ただただ涙があふれて、変なメガネに溜まって……。
「おいおい、そんなに泣いたらしょっぱくなるぜ?」
「えっ……」
だから、咄嗟にはその声のほうを向いても誰だかわからなかった。にじんでる視界、ぼやけた光。だけど……だけど!
「アル……ス?」
「はいよ。お姫様、貴女のご飯の友、アルスですよ」
地下だと思っていた場所は半地下だったらしい。ぎりぎり部屋の上の方にある鉄格子部分から、私を泣かせる声がした。
瞬間、大きな音があちこちから響いた。
「いたぜ。間違いない!」
「よし、突撃! 殺すな、捕えろ!」
指示が飛ぶのが早いか、彼らが飛び出したのが先か、どちらでもいいが今はとても頼もしい。屋敷の表裏から兵士達がなだれ込む。この屋敷の主、貴族である男を捕えるためだ。国で禁じられた、契約した異種族の捕縛と監禁容疑で、だ。運よくというのかうっかりというのか、情報収集に訪れた酒場でそれらしい話を振った時に、彼らに捕まったのだ。詳しい話を聞かせてほしいという彼らを俺は信用することにした。なぜなら、兵士には人間だけでなく亜人種も含まれていたからだ。
そうして彼らの協力を経てミアの捕らえられていそうな場所を探し……見事に探し当てた。小さな鉄格子越しだが、間違いない。
「アルス、どうして?」
「ばっかやろう。助けるのに理由なんているかよ!」
それは嘘だ。理由ばかりだ。一人は寂しい、一緒にいた知り合いだから夢見が悪い……いや、そんな軽い理由は今はいいか。直接伝えたいが屋敷から回り込むのがひどく面倒に感じ、これまでの付き合いの中で作り上げたいざという時に売ればいいと思っていた秘薬を口にする。
ラミアの皮を使った強壮薬。これ自体はそのまま飲むことも出来る薬だけど、いろんな強化魔法の基礎になるのだ。例えばそう、成体のラミアのように強力な肉体を得る……地下室まで蹴り崩せそうな力になるのだ。
「下がってろ!」
言いながら怒りも込めて俺は地下室の天井になりそうな部分を蹴り飛ばし、見事に大穴を開けた。そのまま身をよじるようにして入り込む。外と比べてやや暗く、最初は良く見えなかったが……見えてきてすぐに駆けだした。
ミアの下半身を覆う、恐らく何かの魔獣の革を使ったベルトのような物をゆっくり剥ぎ取り、手を縛っている鎖をナイフで切り取った。その代わりにナイフが駄目になったが買いかえればいいことだ。
「無事か」
「ヒグッ……怖かった……寂しかった……」
力強く抱きしめてやりながら、俺はここにいると安心させるべく一緒になって体を縮める。そんな2人だけの空間に扉が開く音が響く。顔を上げ、ミアを後ろにかばい……相手を睨む。
「!? 貴様!」
入ってきたのは予想通り、この屋敷の主と私兵らしき兵士達だった。どうせ外の奴らに追われてミアだけは連れて逃げる気だったに違いない。となるとこの部屋かすぐそばに脱出路があるはずだ。俺が渡さないとなれば奴らはそっちから逃げていくのだろう……が。
「返してもらいに来た。いや、帰ってもらいに来た……かな。俺の大事な人だ」
「大事な人だと!? 正気か、亜人、しかもラミアだぞ!」
叫ぶような言葉に、ミアの小さな体が跳ね、それに反発するかのように気持ちが湧きあがる。確かにミアはラミアだ。この先、一緒に過ごすにも色々と問題は出てくるかもしれない。けれど……そんなことは百も承知だ。
「俺に取っちゃミアは最高の相手だよ。残念だったな……」
そんな返事が相手の怒りを誘ったのか、主であろう男が指示を出すより早く俺に切りかかってくる兵士たち。だが……遅い!
ミアが胸元に絡みついたのを確認しながら立ち上がり、一気に剣を振り払う。確かな手ごたえと共にただの鉄剣が人を両断した。それもこれもあの秘薬のおかげである。ラミアが狙われたのもわかろうというものだ。
「嫌な奴ら……眠っちゃえ!」
俺の馬鹿力に気が付いたのか間合いを取ることにしたであろう兵士達がその姿勢のまま崩れ落ちる。それもそのはず。俺の左肩から顔を出すミアの魔眼が俺を睨む奴らの視線と絡んだのだ。その後も無事だった奴らはすぐに倒せた。
残る最後の1人、ミアを攫うように指示を出した貴族で領主な男は……いつの間にか気絶していた。ばれたら終わりなのに、よくもまあこんな様子で実行できたものである。
「帰るぞ」
「うん……」
地上に上がり、一緒に来てくれた兵士達に地下のことを伝え……馬を借りてゆっくりと町へと帰った。
その途中、休憩ついでに小川で休むことにした。ミアを毛布の上に座らせ、馬には水を飲ませ……ようやく俺も落ち着いて彼女の横に座った。
「悪い」
「アルスは何も悪くないよ。私がうっかりだったんだもの」
それきり、2人の間に言葉が無くなり小川の流れる音だけが響いた。いつの間にか体は寄り添い、互いのぬくもりがまじりあい……顔が寄り添って……お腹の音が鳴り響いた。
まあ、俺たちらしい……な。
「適当に作るぞ」
「う、うん」
急ぎで出てきたから工夫も何もない携帯食を少し弄るぐらいだ。水は目の前だからそこが上等なぐらいであろう。普段は美味いだの美味しくないだの言うミアもそのせいか、静かだった。
黙々と食事を終え、2人して洗い物をする。冷たい川の水は色々と思い出させる。子供の頃の事、大人になってからのことも様々だ。気が付けば、その思い出の中にミアがいる。
「ねえ、アルス。私、気が付いたの」
「突然だな、なんだ?」
言われて顔を上げ、俺は女神を見た。全幅の信頼、その気持ちのこもったとびきりの笑顔。呆けてる俺の腕をそんな女神のほっそりした手がつかみ、自身の胸元に招いた。冷たいだろうに、何も気にしない姿になんだか胸が高鳴るのを感じる。
「お片付けまで、ずっとアルスと一緒がいい。ずっと、ずっと!」
「……ああ、そうだな。準備から、ごちそうさまと片付けまで、一緒だ」
それはプロポーズとしては変なのかもしれない。けれど、俺たちらしいな……そう思える物だった。
片付いたお皿が重なるように、俺たちは1つになった。
この先もずっと2人一緒だと、誓いながら。