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戦場は白麟姫のしらべ  作者: 三茶 久
第1章 星合、鈴の音とともに
9/25

黒忌と呼ばれる王子(5)

「央蛇の北西――禍蛇(かだ)(みち)から、か。まだ、残そうとするか」

「早く離れれば良かったものを」


 屋敷の南側。皆が共同で暮らす家屋。

 誰もが顔を付き合わせ、険しい表情を浮かべる中、千夜だけは蚊帳の外だった。


 『禍蛇の路に集落があるらしい』その一言で何を悟れと言うのだろうか。

 隣に立つ柳己にどうしたことかと尋ねたが、彼もまた、実に苦々しそうな表情を浮かべるだけだ。



「で。千夜ちゃんは連れて行くんですかねェ、夏絶様?」


 梧桐が軽く手を上げながら質問する。瞬間、周囲がますますざわめき、千夜に視線が集中した。

 何やらただ事ではない様子。それだけは理解し、千夜は表情を引き締めると、夏絶もまた同じようにして大きく頷く。


「その後再び央蛇(おうだ)へ合流するから、置いては行けん」

「お言葉ですが、夏絶様。アレを彼女に見せるのですか?」


 夏絶に意見したのは、梧桐の妹、沙紗(しゃしゃ)だった。限りなく紫に近い黒の艶やかな髪を、きっちり三つ編みにまとめては、しっかり背筋を伸ばして夏絶へと言葉を投げかける。

 どこか不満があるようで、批判するかのような語尾の強さがあるが、夏絶はその意見をも一蹴した。


「そうだ。――アレは雷王の命によるもの。どのみち、千夜に拒否権はないだろう」

「雷王の? 一体何だと言うんだ」

「……来れば、わかる」


 夏絶は千夜の質問に答えたくないのか、眉を寄せてはぎゅっと口を閉じる。そして代わりに、千夜の肩を引き寄せた。


「ちょっ……」


 抗議しようと強い力で押すものの、流石の夏絶はびくともしない。代わりに、全員にしっかり見えるように、千夜の腰に手を回しては宣言する。



「それから、皆。この娘、千夜とアレの関わりは伏せておけ。これは私の女。……戦場では他の部隊と接することもあるだろう。そういうことにおけ」

「!? ――ちょっと、待って!?」


 とんでもない宣言に、千夜は目を白黒させる。

 しかし、皆、肩をすくめるばかりで納得はしている様子だった。

 戦からの帰還時、夏絶が千夜を同乗させたことは皆の知るところだったし、おそらく先日街に連れていかれたことも周知の事実なのだろう。


 付け加えて、夏絶の突拍子もない言葉になど、元々慣れっこなのだろうが、そこは断固、慣れないで居てほしい。

 どうも頭がついていかないのは千夜だけのようで、周囲の納得した様子がもどかしい。


「どうかしている! だからわたしは何度も! 迷惑だと、言っているのに!」

「ふん」


 声を荒げるが、夏絶は聞く耳を持たない。それどころか、千夜の頭を無理矢理押さえては、その耳元に言い聞かせるように言葉を続ける。


「後ろ盾を持たぬ。武の心得も持たぬ平民娘が、どうやって戦場で身を守る?」

「しかしだな!」

「お前、勘違いしていないか? 私が言っているのは、敵兵からという意味ではないのだが?」

「は?」


 思わぬ言葉に、千夜は目を丸めた。

 何のことかわからずに瞬きしていると、遠くで沙紗が目を細めたのがわかる。同じ女として戦に参加している彼女もまた、何かを懸念しているかのようだった。


「女に飢えた男ほど、恐ろしいものはない」


 耳元で夏絶がそう告げた瞬間、身体が硬直する。髪の毛の先まで凍り付く心地がして、目を見開いた。


「あ……」


 イザリオン帝国と比べて、嘉国の兵は圧倒的に女が少ない。

 女が戦場に出るものではないという考え方が根底にあるからこそだが、その真実を知ってどう返答すれば良いのかわからない。


 千夜は、兵士ではない。

 護身術はある程度身につけてはいるのだが、先日の戦いぶりから言って、この隊の中で役に立てるとも思わない。

 それに、次は黒日を目的に行くわけではない――戦場での、滞在期間がまったく読めないのだ。

 野営幕舎を少しでも離れたらそこは深い闇。引きずり込まれて、逃げられるとも思えない。



「私の女だと言っている限り、お前は安全だ。ともにいて護ってやることも出来るからな。せいぜいそれらしくしておけ」


 相変わらずの命令口調。いつもだったらひとことふたこと言い返しているのだが、あまりの事実に頭が働かない。 


「喰えん父親だ。これを見越して、お前を私の所へ寄越したのだろう」

「だったら、わたしが欲しいって言うのは」


 ただの演技だとでも言うのだろうか。

 ……いやしかし、口づけまでしておいて、その言いぐさも納得できない。



「私を利用しようとしたこと、後悔させてやる」


 しかし、夏絶の放った言葉に、千夜は理解した。


 彼が千夜を欲したのは、千夜が欲しいからだけではない。

 彼なりの、父に対する反抗。簒奪、という言葉が出てくることからも、予測出来たはず。

 だからこそ、雷王のものである千夜に、こうも執着する。



「出発は明朝。皆、それぞれ準備を怠るな」

「応ッ!」


 夏絶の合図に、皆一斉に己の拳を胸の前に掲げる。そのまま微動だにせぬ彼らの前を、夏絶は千夜の手を引き横切った。





 長い回廊に出て、屋敷の南から北の方へ移動していく。

 向かっているのは、千夜の部屋のように思われた。


「ちょっと待て、夏絶! そんな理由で、わたしを? そんなに心配だったら、わたしが男装でもなんでもすればいいじゃないか」


 普段なぜ男物を身に纏っていると思っているのか。

 不本意な事に、男物さえ着ていれば、千夜は少し小柄な男性に見えなくもない。

 かつて都にいたとき、政治の勉強をするため、同時にその身を隠すために男のまねごとをしたことは少なくなかった。例の世話になっている屋敷にいたときも、少年の姿をしていたし、今更のこと。



 しかし彼は、その意見すら一蹴する。

 急に立ち止まっては、千夜を睨み付けるように顔を近づけた。


「男にしても、その顔では危険だ――」

「だからって……!」

「万に一でも、お前を他の男に触れさせる気など、ない」

「……っ」


 強引すぎるほどに言い切られ、千夜は途方に暮れた。

 怒りと同時に、心がざわつくのを感じる。

 こんな男に動揺させられるのも悔しくて、ぎり、と唇を噛んだ。


 しかし、夏絶は相変わらず、千夜の気持ちなど汲み取ろうとすらしない。

 再び千夜の腕を掴んでは、そのまま彼女の部屋の前に立つ。戸に手をかけたその時、千夜の全身が震える。




(まずい。今、わたしの部屋は――)


「ちょっと、待っ――」


 しかし、その言葉は間に合わなかった。古びた戸は立て付けも悪く、ぎぎ、と木を擦る音を立てて、薄暗い空間が開かれる。



 もともと誰も使っていなかったらしいその部屋は、掃除こそ終えてあるが、閑散としている。生活に必要な寝台と卓があるくらいで、飾り気も何もあったものではない。

 ――唯一、衝立に掛けられたままのひと揃いの衣装が空間を華やかにしていた。


「……っ」


 くすんだ青碧。そして落ち着いた金色。


 先日夏絶に買い与えられたそれらを、捨てることなど出来なかった。――いや、正直なところ、千夜にとっては心の慰めだったのかもしれない。

 はじめて、千夜の姿に似合う衣装を与えられた。王族らしい気張ったところもない、さりげなくて上品な衣装。

 それはずっと、千夜が憧れ続けていたものだった。



「ち、違うんだ!」


 慌てて否定するが、何が違うのかは千夜自身分からない。


 浮かれてはいけない。ましてや、遊んでなどいけない。

 そう思っていながらも、ひとりの部屋ならばと――出したり、仕舞ったりしていたことなど、誰にも知られたくなかった。


 ひとつ色彩が増えるだけで、部屋全体が鮮やかになる。それが、嬉しかっただけ。



「この部屋が、殺風景だから! それだけだから!」


 彼からの贈り物を大切にしていると思われるのは、不本意だ。


 慌てて夏絶の表情を確認すると、彼がふっと、表情を緩めるのが目に入る。いつもの尊大な態度とは打って変わって、柔らかな様子に何も言えなくなってしまった。


 そうか、と、彼は安心したかのように声を漏らすと、すぐにその瞳の色は、いつもの落ちついた色に戻ったけれども。

 そして彼は再び力強く千夜の手を引き、部屋へと押し入った。



「……流石に戦場でそれはないか」


 少し残念そうに宣いながら、夏絶はじっと千夜の顔を見た。いや、正確には、千夜の髪を。


「……」

「……どうした、急に黙って」

「あれは、どこだ?」

「は?」


 何のことを言われているのか分からなくて、千夜は首を傾げる。

 夏絶は苛立ちを浮かべながらも、ちらちらと千夜の瞳と髪を交互に見続けていた。そこでようやく、彼の言わんとするところを理解する。


「もしかして、あの簪のことか」

「……そうだ」


 言葉にすると、彼の眼光が少し弱まる。

 気まずそうに視線を揺らしては、はやく、と急かすように背中を押された。

 解放された千夜は、戸惑う。彼の言い分では、つまりは千夜に、あの簪をしたまま戦場へ向かえとでも言っているのだろう。


 月と星を模したあの簪は、“千夜”の名前を思い起こさせる。

 一目見てその高価さがわかる点でも、誰か高貴な者が千夜のために贈り物をしたことを周囲に知らせるだろう。


 

(流されないと、決めたのに)


 それでも、彼の言わんとすることは、千夜にとっては十分脅威だった。

 見知らぬ者たちに囲まれた生活。何が起きるかわからないと脅されて、平気でいられるわけもない。


 特に千夜は、今こそただの平民だが、やがてはこの身を雷王に捧げなければいけないのだ。万が一にも、この身に危険が及んではならない。

 ……となると、戦場で頼りに出来るのは、目の前の尊大な男だけらしい。



「……わかったよ」


 背に腹は代えられず、千夜は大切なものをしまっている箱の中から、布に包んでいた金の簪をとりだした。

 細い金属に触れると、つるりとした手触りが愛おしい。

 今の千夜にはとても似合うものではないはずなのに、この簪単体で見ると、とても好ましい形をしていた。


 簪を手にとって、夏絶の方を振り返る。

 夏絶は満足そうに千夜の手に触れては、その手から簪を引き取った。

 じっとしていろ、そう言いながら、彼は千夜の正面から後ろのお団子に手を伸ばす。



 すぐ近くに彼の顔がある。息がかかるのがくすぐったく感じつつ、簪を挿してもらっている間は動けない。


 どんなに離れたくても、動かないように身体を強ばらせているわけだが、彼は一向に離れる様子がなかった。

 そればかりか、頭の後ろで、何度も何度もお団子がつつかれているような感覚がある。挿すだけで良いのに、一体何を手間取っているのかと不安に思った。



「……大丈夫か?」

「うるさい、じっとしていろ」

「ちょっと挿せば、済むじゃないか。早くしてくれ」


 少しでも早く彼から離れたいのだが、彼は一向に作業を終える気配がなかった。


 どうにも簪が安定しないようで、何度も挿し直しされては、髪の毛が崩れていくのを感じる。

 不安になって、恐る恐る彼の顔を見つめると、いつもの余裕がまったくない。手元を見るだけでいっぱいいっぱいになっているらしい。



「高夏絶。君はなかなか下手だな」

「だまれっ、お前が動くからだろうっ」

「微動だにしていないが」

「……っ」


 耳まで真っ赤にしているが、彼は千夜に委ねる様子もなかった。ムキになってがちゃがちゃするだけで、上手くいきそうにない。


 仕方ないので、千夜は己の頭の後ろに手を伸ばした。そして、お団子と格闘する夏絶の手に、そっと自分の手を重ねる。

 ごつごつ骨張った細くて長い指。とてもあの長剣を振るうとは思えない繊細な手の触れて、彼の指の位置を確認する。

 瞬間、夏絶が息を呑むのがわかった。



「力を入れないでくれ。いいか。この部分で髪の毛を固定しているから――」


 千夜は彼の手を動かしながら、簪を刺す場所を教えるように言葉を続ける。


「――こう。わかるか。根元に真っ直ぐ指せば、絶対に崩れることがないから」

「ああ……」


 振り返ると、まるで拍子抜けしたかのように、彼は表情を緩めていた。

 口もとに締まりがないような気がする。普段強引なくせに、たまにこうやって、壊れ物を扱うかのような表情を見せるから、困る。



 千夜もまた少し戸惑うように俯いた後、そっと彼の手をのけた。そうしてそのまま立ち尽くす彼から少し離れる。


「本気か、高夏絶」

「え?」


 心ここにあらずな夏絶には、何の意味かわからなかったらしい。ぼんやりとした返事だけが返ってきたため、千夜は続ける。


「わたしをその――本当に、君のものだと、偽るのか」

「偽りではないだろう?」

「偽りだ。断じて偽りだ。これから先も、ずっとずっと偽りだしそれ以上にはなり得ない!」

「今はまだ私も地盤を作るとき。しばらくは見逃してやるが、長くはない。覚悟だけはしておけ」


 強引な彼の一言一言に、どうして良いのかわからなくなる。


「お断りだ!」


 とにかく彼を部屋から押し出そうと、彼の肩を強く押した。

 しかし、夏絶はすんなりと後ろに退くつもりもないらしい。そのまま千夜の背中に手を回しては、目を細めて見下ろした。



「いいから、覚悟しておけ」


 そのままぐいと顎をあげられ、彼の顔が近づいた。勢いに任せて唇を寄せられ、逃げることもままならない。

 しかし勢い余ったか、ガチっ、という音が骨に響いたと同時に、鈍い痛みが走る。


「った!」


 歯と歯がぶつかって呻く。そのまま仰け反って、一歩二歩と、彼のそばを離れた。


「っ莫迦! 何するんだ!」


 口元を押さえながら涙目で抗議すると、彼もまた不本意そうに顔を真っ赤に染めていた。


「ちがっ! 今のは、わざとではなくだな……!」


 首をぶんぶん振りながら全力で否定しているがもう遅い。

 簪の件と言い、どうも目の前の男は尊大なくせに行動が伴っていない。

 げんなりして、千夜は声を荒げた。


「とにかく! 絶対ゼッタイ! 君なんかお断りだ! 帰ってくれ!! 必要以上にわたしに近づくな!」


 ひるむ夏絶を今度こそ押し出し、千夜は勢いよく戸を閉める。

 じんじんと鈍い痛みを伴う口元を押さえながら、恨めしそうにその戸を睨み続けた。

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