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戦場は白麟姫のしらべ  作者: 三茶 久
第1章 星合、鈴の音とともに
8/25

黒忌と呼ばれる王子(4)

 タン、と空気を揺らすのは、千夜の軽い足取りだった。

 つま先で地面に降り立ち、それを軸に回転する独楽(こま)。袖をまるで炎のように揺らしては、空に図形を描いていく。


 暗がりの中庭。千夜は煤色の髪をひっつめたまま、みすぼらしい服装で袖を振る。練習用に袖は長いものを羽織ってはいるが、それだけ。その髪に、金の簪が揺れることはない。いつものとおり、なんでもない千夜の姿のまま。



 シャラリ、と杖を振っては調子をとる。

 村を襲われたあの日から、この舞を踊らなかったことはない。

 これは鎮魂。望む生をまっとうできなかった、仲間たちへと手向けるもの。


 幼い頃から祖母に教え込まれた踊りに、不思議な力があると知ったのはいつだったろうか。

 『白紋(びゃくもん)を描くのよ』――踊りとともに、祖母がつぶやいていた言葉を思い出す。


 絵を描くように、と彼女は言っていた。

 奇しくもその本当の意味を知ったのは彼女を失ってからだったが、これは千夜の家に伝えられてきた踊り。あの村の――しかも族長を継ぐ者のみが知り得たのだと、今は理解している。


 村の中でも、族長である千夜の家は特殊だった。

 人口は二百に満たない小さな村だったが、長である祖母に対して、誰もが敬意を払っていた。そして、その孫娘である千夜にも。



 思い出すたび、胸が苦しくなる。

 宙に描く紋様は、千夜の内腿に宿った紋様によく似ている。炎にも見える部分を抜き出し思い描いては力にする。


 こんな場所で力を発動させても仕方がないから、身体が鈍らないようにする動作確認と体幹を鍛えるに過ぎない。一日でも休むと身体が思うように動かなくなる。だから決して休むつもりもない。



 くるくると回転して、やがて足を止める。

 夜の帳の中、暗がりの中庭は静か。

 観客も何もないひとり踊りだったはずなのに、後ろからパンパンと手を叩く音が聞こえてきた。


 振り返ると、見覚えのある男がひとり。

 紫ががった黒髪は短く、不恰好に切りそろえられている。ひょろりとした長身で、細いタレ目がますます細められ、にたりと笑っては千夜に近づいてきた。


「見ていたのか、ええと――梧桐(ごどう)

「覚えてくれてたのかい、お嬢さん」


 調子良さそうに頭をぽりぽり掻きながら、彼は適当な岩に腰掛ける。

 ああ、今日も疲れたよー。と大仰にため息をついては、ぐったりと肩を落とした。



「あ、良かったら、踊り。続けて続けて? それ見に来たんだからさァ」

「えっと、でも今日は――」

「そー言わずにさァ。ほら、先日の戦で護衛したさ、お礼だと思ってさァさァ」


 もう終わり。そう言おうとしたのに、梧桐はそれを許さない。

 調子よく千夜を持ち上げては、先に拍手までする始末。


 先の戦。央蛇での戦いでは、夏絶に命じられて戦場で千夜に付き添ってくれたのは、彼と、彼によく似た娘だった。

 顔立ちや態度からおそらく兄妹だと推測できたが、兄の方は口を開くとこうなるのかと目を丸くする。



 戦場でも、この屋敷にいる時も、夏絶の仲間たちとは一定の距離を置いていた。というより、距離をとりあぐねていたというのが正しい。

 戦場では、千夜は白麟――王の養子として参戦しているのもあり、気軽に彼らと接することはできなかった。だからこそ、千夜となったとき、どんな立場で居たら良いのかと戸惑う。


 しかし、きっと梧桐には今後も世話になるのだろう。仕方ないかと息を吐き、千夜はその杖を彼に渡した。村の踊りを踊らぬのならば、杖は必要ない。


 代わりに、両腕をそっと上げる。

 せめて戦のときとは別物の、都で覚えた踊りなどどうだろうと、長い袖を振っては、空気を揺らす。

 静かな中庭。楽の音も何もないのに、千夜が風を切る調子は心地よく響いた。




 ひとさし舞うと、再び惜しげもない拍手が響く。

 梧桐は満足そうに立ち上がり、いやあ、贅沢だなぁ、と感嘆した。


「ひらひら衣装じゃなくても、なかなかどうして色っぽいじゃない? 流石に上手だねェ」

「ありがとう」


 梧桐の褒め言葉が新鮮に感じる。

 白麟と違って、今の千夜はみすぼらしい小間使いのような格好をしている。それでも褒められるのは、立場でなく、純粋に踊りを楽しんでもらえた気がしてこそばゆい。


「あっ。俺、こんな態度だけどダイジョブ? 後で首跳ねられたりとかしないよねェねェ?」

「ははは、ないさ」

「そ。なら良かった。ええと、千夜ちゃん、で良いよネ今は?」

「そうだな。少しくすぐったいが」


 千夜は少し恥じらったのち、服の袖で額を拭う。幾ら夜は気温が下がるとは言え、今は夏。激しく踊りを続けていては、汗くらいかく。

 ふう、と深呼吸していると、彼はじっと千夜の髪を見ているようだった。


「今日はくくったままなんだ?」

「え?」

「ほら、ぼさぼさしてたじゃん」


 彼はくいと、手で千夜の髪形をかたどっては、ねぇ? と小首を傾げる。


「不思議だったんだよなァ、あの姿のとき。とても綺麗な恰好をしているのに、髪だけああだから」

「そのことか」

「お肌の手入れにしてもそうだし、君が服の下につけてる装飾品も、かなり良いものでショ? 普段は地味を装ってても、相当気をつけてるようだしネ?」



 よく見てる、と、千夜は思った。

 ちゃらんぽらんな印象を見せながらも、押さえるべきところは押さえている。


「なのにその髪。切って整えたりしてないでショ? 都にいた時も、ずーっとそれだったの?」


 確かに、千夜の髪形は姫君どころか貴族らしくもない。

 男性もそうだが、長くて整えられた艶のある髪というのは、地位を示すためには必要不可欠なものだ。

 長さと艶だけはあれど、のばしっぱなしの整えられてない髪は、異様だ。



 見せつけるように、千夜は髪をといた。

 ばさりと重たい量が、彼女の背中に落ちる。煤色をしたそれは、野暮ったく、重たい印象だが、ざあっと風が吹いては彼女の髪を巻き上げる。


「天が切るなと仰せでな。(たてがみ)、なんだそうだ――」


 白麟(びゃくりん)

 その名を与えられたときから、髪を整えることを禁じられた。

 白の紋様をこの身に受けたときから、千夜は雷王の奴隷。人にはあらず、獣のようなもの。


 都に連れて来られたあの頃は、彼に抗い、噛みつき、心身ともに獣のようだった。

 それでも――いつしか復讐するよりも彼を利用した方が、望む未来を手に入れられると気がづいた。それは、彼に引き取られてから何年もしてからのことだったけれども。

 それでも、雷王が仇であることは、何ひとつ変わらない。


 だからこそ、千夜にとっても、これは戒めだ。獣の己を忘れないという戒め。



「女の子が恐い顔しちゃってまァ……」


 腰を落とし、下から覗き込むようにして、梧桐は呟いた。


 まるで感情を見透かされているようだった。

 細い目から覗く紫黒の瞳。底の見えない静けさに、千夜は息を呑んだ。


「夏絶様もずいぶん君のこと気に入ってるみたいだけど――どうするつもりだい?」


 そのまま彼は、静かに問う。

 雷王の話を持ち出して、己の立場をわからせたとでも言うのだろうか。


「どうもしないさ。わたしの事情は知っているのだろう? わたしはもう、天のもの。王奴(おうど)としてこの戦に参加しているだけだ」

「今日も夏絶様と逢瀬に勤しんでおいて?」

「おうっ……違うっ、あれは!」


 やはり昼間のことはしっかり見られていたらしい。

 屋敷を出るまでも、一悶着あった。怒鳴り散らしていた千夜の声が、屋敷中に響き渡っている可能性を考えると、なんとも気まずい。



「今日だって、怒って帰って来ちゃったのは知ってるよ? でもさァ、だとしたら、厄介な方に気に入られちゃったよネ」

「……」

「――あのヒト、気位が高いわりにめちゃくちゃしつこいからネ? 特に欲しいものはとことん粘るヒトだから覚悟した方がいいよ。経験者は語るってヤツ」

「いやいや、マズイだろう。流石に、わたしは……」

「それでもやめないと思うなーあのヒトってば。早いとこ覚悟しといた方がいいってのが、俺の忠告かな」

「一体何を覚悟するって言うんだ」

「え? そんなの、決まってるじゃん」


 彼の表情から笑みが消える。じいと千夜を睨みつけ、容赦なく凄味をぶつけては、飾ることなく率直に伝える。



「雷王様と夏絶様。どちらにつくか、早めに決めた方がいい」

「な――っ!?」


 まさかの二択に絶句する。

 しかし、そんなことを問う方も馬鹿らしい。

 元々千夜は雷王のもの。立場的に言っても、夏絶につくなど有り得ないと思うのに。


「雷王様につくなら、早いところ都に戻ることを勧めるね。今ならまだ間に合う」

「莫迦莫迦しい!」

「って思うでショ? ところがどっこい、油断してると危ないよー。千夜ちゃん、絶対絆されるから」


 まさか、と口にするが、実際千夜の心は揺らぐ。実際、彼と出会ってから振り回されてばかりだ。

 夏絶の目的が“白麟”の力であることくらい自覚している。それなのに、彼は白麟でなく、千夜の姿ですら態度を変えない。

 千夜の状態で甘やかされるのに慣れなくて、どう反応すればいいのか度々わからなくなる。



「俺たちは夏絶様に賭けてるからネ。君が悪い子じゃないのはわかるけどさ、心配ごとはなくしておきたいワケ。理由はホラ、わかるでしょ?」


 梧桐の言葉に、千夜も頷く。

 夏絶にも直接注意を促したほど。千夜は雷王のもの。それに手を出そうなど、狂気の沙汰でしかない。

 それなのに、夏絶は、手を出すのだ。


 ――まるで、天に抗うのを恐れぬように。



「ほーんと、雷王様ったら。わかっててやってたとしたら、えげつないよねェ」

「え?」

「父子の好みが似ること、よくわかってるんでショ」


 そう言い残して、梧桐はくるりと背を向けた。

 ひらひらと手を振りながら、千夜の前を去っていく。


 思わせぶりな彼の言が引っかかるが、千夜はただただ見送ることしか出来なかった。






 梧桐の忠告を胸に、夏絶と距離を置く。――そう決めてから数日。

 悶々とした日々を過ごしていたが、ある時、夏絶の屋敷に伝令が訪れる。


 届けられたのは、新たな任地を知らせる書面。

 皆の前で、夏絶が読み上げたとき、戦場とはまた違った緊張感が漂い、誰もが表情を強ばらせた。

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