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戦場は白麟姫のしらべ  作者: 三茶 久
第1章 星合、鈴の音とともに
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黒忌と呼ばれる王子(2)

 夏絶は、それはもう、不機嫌を顔に貼り付けまくっていた。


 湯殿が使える様子だからと耳にして、早速向かっただけだった。

 この屋敷に帰ってきて、夏絶が一番先にするのは入浴だ。

 誰もが知っているからこそ、誰かが準備するのは当然のことだし、まさか先客がいると思わないのも当たり前のこと。


 千夜が勝手に使用していたくせに、夏絶を追い出すとはいい度胸だ。本来ならば彼女こそ、不遜な行動を咎められるべき。

 いや、そもそも、彼女はやがて夏絶のものにすると言ったはず。たかが裸を見られて拒否するなど、先が思いやられる。


 ――億が一も、自分に非はなかったはず。

 そう自分に言い聞かせては、夏絶は鼻息荒くする。




「……どうしたのです、夏絶様。そのひたい」


 赤くなってますよ、と柳己に指摘されてますます、苛立ちが膨れ上がってくる。


 幼い頃からともに育った柳己は夏絶に遠慮がない。

 末端ではあるが貴族の息子であるにも関わらず、他の王子たちを差し置いて、忌子の夏絶に仕えてくれる貴重な男だった。

 そんな彼にも、何が起こったのかは話しがたい。自分は悪くないのは確かなことだが、婦女子の裸を見たと口にするのははばかられた。



 少し頬が熱い。

 千夜であるときは貧相な恰好をしていたし、彼女の胸もまた、十分にあるとは言い難かったが――先ほど見た千夜の姿が目に焼き付いて離れない。


 女性にしてはすらりと高い背丈も、ほっそりと伸びた手脚も、意志の強い眼差しも。彼女を形作っているもの全てが、不本意ながらも夏絶の心を揺らす。



(アレはただの平民に過ぎないのに)


 彼女の踊りの力が、利用できると思った。

 白麟という名も、やがて人びとの知るところになるはず。将来彼女が手に入れるであろう名声も、夏絶の作る道には必要不可欠だと思った。


 遅かれ早かれ、父王から簒奪することが、夏絶が王座を手に入れるための唯一の方法。だからこそ、彼女と父王とのしがらみなど、夏絶にとっては関係ない。



 そもそも、父王からも“ありとあらゆるもの”から、“女”を護るように、と仰せつかっている。

 すなわち、白麟だけでなく、千夜をも護れと言うことなのだろう。


 考えてみれば、わざわざ少人数の夏絶の部隊に送られたのもそのためなのかもしれない。

 千夜と白麟の繋がりを知るものは、少数にとどめておいた方がいい。

 しかも戦場は男の世界。平民の女が軽々しく入っていける場所ではない。――露払いをせよ、という意味もあるのだろう。



(――気に食わん)


 己の感情が矛盾していることには気がついている。

 あの娘は利用できると思った。同時に、腹立たしくもある。


 自分が望んでも手に入れられないものを、平民でありながら手に入れた娘。夏絶が許せるはずなどないのに――気がつけば目が、彼女を追っている。


 父王のものだとわかっているからこそ、余計に奪いたいだけなのだと理解はしているものの、厄介なものである。




「……どうやら重症ですね、夏絶様」


 つい黙り込んでしまった夏絶に向かって、柳己が呆れたように声をあげた。

 何か失礼なことを言われた気がして、ピリ、と柳己を睨み付けると、彼は困ったように苦笑してみせる。


「でも、実際どうするんです? あの娘のこと。白麟姫ということは――」

「伏せたほうがいいだろうな」


 守護することを考えても、公にする必要性を感じない。

 失礼極まりない娘だが、使えるものは使う。そして彼女は、使うに値する娘だということは、先の戦で理解している。



「気に入ったのでしょう? 彼女を」

「関係ない。目的のために、使える娘だと言うだけだ。手元に置くには、雷王でなく私に気を向けさせるのが確実ではないか」

「……それ、上手くいきますかね」


 柳己は、ひくり、と頬を引きつらせるが、そんなものは杞憂にすぎないと夏絶は思った。

 千夜は、黒忌という存在に対する偏見はなさそうだった。であるならば、女の気持ちを傾けるなど造作無い。


 忌子である特殊な事情に加え、高すぎる身分ゆえ、女で遊ぶことなどしてこなかった。そもそも、女にかまけている暇などなかった夏絶であったが、己の美貌はよく知っている。

 誰よりも美しい母から生まれ、剣の才とともにその見目にも恵まれた。その気になれば、平民のひとりやふたり、気を引くことなど容易いはず。おそらく。

 心に浮かぶ不安の二文字を、自信に満ちた言葉で覆い隠して、夏絶は不敵な笑みを浮かべる。



「しかし、あの様子だ。まずは機嫌をとらねばなるまいな」


 湯殿のことはさておき、その前から千夜の機嫌が良くなかったことは皆の知るところである。

 さて、どうしたものかと思案するが、出来れば柳己の意見も聞いておきたい。


「――やはり何か見繕うか」

「えっ」


 ぼそりと告げると、柳己は頬を引きつらせた。


 贈り物。男が女を口説くのに至極ありふれた選択肢。万人に対して効果があるということを世の男たちが実感してきたからこそ、今なお廃れないで使用されている手段だ。


 安易な考えとも言われなねないため、夏絶としては不本意ではある。……実に不本意ではあるのだが、あの平民娘に合わせるとなると、それくらい程度を落としてやらねばなるまいと、夏絶は考えた。


 同時に、あの娘の貧相な格好も気になっていた。

 夏絶と並ぶならば、それなりに相応しい見目というものがある。

 第一王子の女として、文句を言わせないだけの素材は持っているのだ。あれを着飾らせない手はない。


 相手の気を引くと同時に、己に相応しい女に仕立て上げる。一を行い二を得る。これを完璧と言わずして何と言う。



「あー、念のため聞きますけど、それは景符に見繕ってもらうんですよね?」

「ふん、当然――」

「よかったぁ」

「――私が見繕うに決まっているだろう」

「……」


 景符は、彼女の“例の姿”を見ていない。彼女に相応しい贈り物など用意できるはずがない。

 そもそも、彼女が自分のものであることを証明するためのものを、誰かに決めてもらうなど思いつきもしなかった。



「いや――いや、あの、夏絶様」


 目の前で柳己が狼狽している。

 それもそのはず。

 夏絶が女に贈り物をするなど未だかつてなかったこと。あまりの厚遇に、驚いているのだろう。


「後で少し見にいくか」


 この街は南北を繋ぐ交通の要所。商品の種類も富んでいるし、その質も悪くない。

 鳴弦の街に拠点を置いて三年と少し。街のこともそれなりに、わかっている。

 顔が知れ渡りすぎて不便は多いが、何、相手はどうせ平民。いざ夏絶が訪れたならば相手をしないわけにいかない。


 それに、夏絶は将来嘉国を治めるつもりでいる。いくら忌子とは言え、市井に無知でいるつもりもない。



 何の不安があるのかと夏絶は思うが、柳己は何度も視線を行き来させている。

 こう言う彼の態度は夏絶に何か伝えたがっているときのものだと、夏絶も知っている。だからこそ、何だ、と短く言葉を投げかけた。

 柳己はあー、としばらく言葉を濁らせた後、突然、何かに気がついたようにはっと目を見開く。



「ああそうだ。一緒に行けば良いじゃないですか。千夜を誘って」

「む?」

「彼女の意見も聞いてあげるのが良いのではないですか? この街にも慣れてないでしょうから、案内も兼ねて」


 自信に満ちた顔を見せているだけあって、柳己はそれなりに勝算があるらしい。

 突然の贈り物で驚かせるのが一番かと思っていたが、街を案内するのは良いかもしれない。

 ふうむと唸っては、夏絶は頷く。


「わかった。柳己、お前の意見を聞こう。ならば早速、あの娘を誘わねばなるまいな」





 ***





 そうして翌日。頑なに拒否し続ける千夜をようやく誘い出せたのは、太陽が真上に昇るころだった。


 強引に彼女の手を引いて、屋敷の門を出る。

 街の外れだからこそ、周囲に人はいない。閑散とした街路を、中心部に向かって歩いて行く。


「待て、高夏絶! 一体なんだと言うんだ!」


 この日の彼女の服装は、より一層貧相だ。


 朝から屋敷のことで動き回っていたことには正直驚きを隠せなかった。

 聞けば一日動き回る予定だったとか。そんなことは、彼女の仕事ではないはずなのに、あまりの莫迦莫迦しさに夏絶は呆れかえってしまった。


 結果、汚れても良い恰好をして、屋敷の埃を落として回る彼女をそのまま外に引っ張り出したわけだ。

 だから、今の見た目だけは、早々に何とかした方が良いと考える。



「いいからついて来い」

「何を考えているんだ!」


 抵抗して彼女は声を荒げるが、それも最初だけ。やがて町人の姿が見え始めると、少し困ったように小声になる。


「……莫迦なのか、君は」


 莫迦呼ばわりされたことにピクリと眉を動かすと、彼女はすました様子でさらに言葉を繋げる。


「君は曲がりなりにもこの国の王子なんだろう。今の私は千夜。小間使い程度の平民を連れていれば、悪い噂が立つだろう?」

「噂?」

「そうだ。君だって、平民のわたしとは不本意じゃないのか。もっと君に相応しい女性を連れて行けばいいじゃないか」


 呆れるように彼女は言い放ち、静かに夏絶の手から離れようとしている。

 しかし、彼女の言葉など、夏絶にとっては何も気にすることなどなかった。


「相応しくないと思うのであれば、お前が相応になればいい。何の問題がある」

「だからっ! 分かって言っているなら、本当の本当に、どうしようもないぞ、君は!」


 昨日から立て続けに同じ言葉で諫められるが、いちいち千夜の言葉を真に受けるつもりなど、なかった。


「些末なことだ」

「! 君にも良いことなんかないじゃないか。見てみろ、街の人が――」

「心配するな。じきに皆何も言わなくなる」


 そう言って大通りに入ると、街の者たちが一斉に夏絶に注目しては、さっとその目をそらした。

 活気のあった商業区が、まるで嘘のように静まり返る。


 しかし畏怖するかのような皆の視線を、気にする夏絶ではない。

 地味で何の特徴もない煤色の娘の手を引いたまま、夏絶は真っ直ぐとある店へと歩いた。




「主人! いるか、私だ!」


 中通りに差し掛かったところ。店の表に布の日よけを作った店舗は、一見何の店かはわからない。

 しかし一歩足を踏み入れると、勘の良いものならすぐに理解する。

 反物の類が整然と並べてあるが、その数は少ない。

 ほとんど飾りのために置いてあるそれら。贅沢に空間を使用したその店舗は、衣類を扱っている中でもそれなりに格があるからこそ。


 奥から現れた呉服屋の主人は、夏絶の顔を見るなり真っ青になっては平伏した。


「主人。この娘を見られる状態にしてやってくれ。今すぐだ!」

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