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戦場は白麟姫のしらべ  作者: 三茶 久
第1章 星合、鈴の音とともに
5/25

黒忌と呼ばれる王子(1)

「――やめてくれないか、高夏絶」


 身を強張らせたまま、千夜は抗議の声をあげた。

 しっかりと腰に手を回されているためか、悪路が続いても安定はしている。が、戦場でもないのに、かつてのように二人で騎乗する形になっていることに、千夜は強い抵抗を覚えた。



 あの夜のことを思い出しては、頬が火照る心地がする。

 突然の口づけ。

 いくら気丈に振る舞っているとはいえ、千夜はまだ十六。いち女の立場としては、同じ年頃の男性とまともに接してこなかった千夜にとって、先日の経験は刺激が強すぎた。


 何より、口づけだけとはいえ、雷王に知られるわけにはいかない。

 だからこれ以上、夏絶に近寄るのはやめた方がいいとわかっているはずなのに――何故か彼の馬にまたがっている。



「馬の用意がないと言ったのはお前だ。誰かが乗せねばならぬのなら、私が運ぶのが当然。天の摂理だろう」

「だけど、今のわたしはただの千夜だ!」

「千夜だろうがアレだろうが関係ない。私は、お前であればそれでいい」

「っ! 分かって言っているなら、なおさらたちが悪いぞ、君は!」

「知るか。所詮私は忌子。咎めたくとも咎められぬ」


 ふんと鼻息荒く、夏絶は進行方向を見る。


 忌子は時代に必ずひとり。

 厄災を背負うと言われている彼に、下手に手が出せないのは誰もが同じらしい。

 完全に腫れ物扱いされるのを分かっているからこそ、夏絶の開き直りはたちが悪い。



「しかし、確かに、今の状態はいささか貧相だな」

「さっきから言っているだろう! 街に着く前に降ろして……」

「着物を誂えさせるのが先か。ふむ」

「……っ」


 千夜の言葉など聞く耳を持っていないらしい。

 彼は自分自身の中ですべて完結してしまい、至極当然のように言い放つ。


「この私が選んでやったんだ。光栄に思え」


 彼の態度は尊大で、いけしゃあしゃあと言い放つ。どんな状態であれ、すでに千夜は彼のものだと決まっているらしい。



「疲れた。早く帰るぞ」


 夏絶の反応に頭を抱えていると、彼はいきなり速度をあげた。

 急に身体がぐらつき、悲鳴をあげる。

 思わずしがみつく腕に力を入れると、彼は意地の悪い笑みをみせた。どうやら、わざと馬上を揺らしたらしい。


 夏絶の小さな自尊心を満たす結果になったことが悔しく、千夜は頬を膨らませてそっぽ向いた。





「ふぁー、ひっさびさの休暇だぁー……」


 柳己が隣でうんざりした声をあげると、その隣で千夜を護衛していた男、梧桐も大あくびをしてみせる。

 千夜が戦に合流してからしばらく。黒日を乗り越え、戦線がいわゆる“基準線”で硬直したことにより、夏絶隊の役目はひとまず終えたらしい。

 よって、もともと少人数の特別部隊だった夏絶たちは、一旦後方へと下がることになった。次の任地へ向かうまで、つかの間の休息なのだろう。


 央蛇の路を西へ真っ直ぐ。国門を越え、さらに一日。そこで目的の街が見える。涛蛇山脈の麓、大陸の北と南をつなぐ交通路の中間にあたる街――鳴弦(めいげん)は、夏絶たち部隊の拠点となっているらしい。



 いち部隊としては心許ない――二十名に満たない夏絶の部隊は、異様な様子だった。

 性別も年齢も、得物すらバラバラな無頼漢ども、というのが千夜の感想だった。

 まともな身なりをしているのは柳己を含め片手で数えられるほど。とてもではないが、大陸を二分している大国の第一王子が率いる部隊とは思えない。


 そんな様子だから、鳴弦の街へと入っても、夏絶一行は浮きに浮いていた。

 長い間この街を拠点としていると聞いていた。が、夏絶たちが受け入れられている様子はない。


 東門から真っ直ぐ大通りに入ったはいいものの、夏絶の姿を見つけるなり、街の者は口をつぐみ、遠巻きに見ているばかり。

 嘉国の南北と、最前線に近い軍事拠点であり交通の要所でもある鳴弦は、人の出入りも多い街。大通りを行く人も数多なのに、一斉に周囲が静かになる。



(――え?)


 今まで味わったことのないたぐいの異様さに、千夜は戸惑いを隠せなかった。

 しかし、夏絶はふん、と息を吐くだけで、人々の間を構わずに進んで行く。


 わずか二十名程度の凱旋は、静けさの中で行われた。

 頭を下げる町人たちは、畏怖を隠す様子もない。ただ、存在を隠すように息を止め、身体を強ばらせては顔を隠す。

 それだけで、黒忌という存在を彼らがどう受け止めているのか、嫌という程に思い知った。


 前を通り過ぎたら過ぎたで、今度は嫌な視線が背中に突き刺さる。

 黒忌が連れているのは、男か女かもわからないみすぼらしい人間。少なくとも、王族と同乗するに相応しい者には見えないだろう。


 好奇の目に晒されて、千夜は狼狽した。今の自分の存在が、夏絶にとって良い影響を与えるとも思えない。

 夏絶は千夜を欲したが、やはり茶番でしかないと再度認識し、彼から離れようとする。しかし夏絶は、それを許しはしなかった。

 がっちりと腰を押さえつけては、街の西側へと抜けてゆく。



 鳴弦の軍舎に寄る様子もなく、彼が真っ直ぐ向かったのは、街の北西に位置する一軒の屋敷だった。

 大きな門をかまえて、広さこそあるものの、古びた印象は払拭できない。


 先に屋敷に走っていたらしい柳己が門から顔を出し、皆を受け入れる。

 別段、夏絶が指示するわけでもなく、慣れた様子で皆とはそこで別れることとなった。




「部屋を用意させている。好きに使え」

「待って。私は君を手伝いに来ただけだ。皆と同じで――」

「男どもの中に放り込むことを、私が良しとするとでも思ったか?」


 相変わらず千夜の意見など聞く気は無いらしい。爺、と屋敷の奥に向かって声をかけると、奥から初老の男が駆けつけてくる。



「王子、此度はお早いお帰りで――」

「連絡したろう? この娘を部屋に案内しろ」

「かしこまりました」


 それだけ命じ、彼は馬を連れて、元来た方向へ引き返す。

 己の責務はこれで終えたとでも思ったのだろうか。ああも束縛したくせに、屋敷に着くなり放り出されて、千夜は目を丸くするしかない。

 自分以外の誰かの手に触れられないのであれば、後はどうでも良いらしい。執着心だけ一人前で、他がまったく伴っていない。


「えっと」


 嵐のような展開に呆れてしまい、なんと口にしたら良いのか分からない。

 取り残された初老の男に目を向けると、彼は苦笑しつつ、胸の前に拳を掲げる。



(ちょう)景符(けいふ)と申します、お嬢様」

「千夜だ。先に言っておくが、わたしのことは皆と同じ扱いで構わない」

「あの強引な坊っちゃまをどう説得するおつもりで?」


 夏絶がいなくなった途端、目の前の男は皮肉たっぷりに笑顔を見せる。

 夏絶のことをよく理解しているのだろう。あっさりと坊っちゃま呼ばわりしてのけるだけあって、食えない人物のようである。


「うっ」

「好意は利用なさるが宜しかろうて。――話は伺っておりますぞ、千夜どの」


 ただの召使にしてはあり得ない、突き刺さるような視線を投げかけた後、景符は、ひょいひょいと軽い足取りで、屋敷の奥へと進んでゆく。主も主なら臣下も臣下と言うことか。

 望外の扱いにも腹をくくるべきかと頭を抱えながら、千夜は景符に着いて行く。



「この街の連中を見たろう。坊っちゃまは決して恵まれた暮らしをしておいででない。この屋敷も、普段はわし一人での」

「え?」

「金はあろうが慢性的な人手不足じゃ。あの方は忌子。好きこのんで仕えたいと思う変わり者は少ないからの。そういう変わった輩は、坊ちゃまと一緒に戦に行ってしまう」

「ああ――」


 景符の説明に納得する。確かに街のあの様子では、簡単に働き手は確保できないだろう。


「普段は隊の連中に勝手に切り盛りしてもらっておる。屋敷のものは好きに使ってもらって構わない。あの通り、我儘坊主だ。屋敷におる間は、坊っちゃまにつきっきりになるでの」

「なんてことだ」


 しかし今度は、頬がひきつるのを自覚した。

 臣下の激務も把握せず、千夜を引き込むだけ引き込んでは、景符に押し付ける気でいたのだろうか。


 事情はどうあれ、夏絶の考えなしな行為に、ふつふつと怒りがこみ上げてくる。

 忌子と人々に遠巻きにされて、少しでも不憫だと思って損をした。



「景符、部屋に着いたらわたしのことは棄て置いてくれ」

「ん?」

「高夏絶の世話で忙しいのだろう? わたしは、わたしで、勝手にする」

「ほう」

「そちらが強引なのは知らない。わたしも、わたしで頑固なんだ。世話できるものならやってみろ。先に全部ひとりでやってやる」

「強気な娘さんじゃ」



 上機嫌に笑ってみせて、景符はとある部屋の戸をひいた。

 そうして目に飛び込んできたのは、なんとも味気ない部屋だった。

 刺繍も何もない敷布に、木の板を組んだだけの素っ気ない卓と衝立。一応客人を迎え入れるため、清潔感だけはあるものの、例えるならば、中の下の宿に近い。


「ふぉっふぉ。面倒な娘さんなら叩き出してやろうかと思うたが、中々どうして骨がある」

「当たり前だ」


 だから、放っておけ。それだけ告げて、千夜は与えられた部屋へと引っ込んだ。





 ***





 屋敷のものは自由に使って良い。そう言われたからには、とことん自由に使ってやる。

 図々しい居候を決め込んだ千夜が真っ先に向かったのは井戸と湯殿だった。


 大きな屋敷だから専用の井戸があるだろうとは思っていたが、湯殿まであるとは嬉しい誤算。薪だろうが何だろうが使ってやろうと、鼻息荒く準備をはじめる。



 都では常日頃から、千夜として生きてきていた。

 王の呼び出しがあった際、あるいは公事に関わる際以外は、ずっと王宮の外で生活していたのだ。とある武門の屋敷に世話になっては、ひと通りの家事は身につけている。


 まだ幼かった千夜が後宮に染まらぬよう。広い世界を見られるよう。そして、将来、雷王の役に立てるよう、市井の姿も、王宮の中も、国の芯と外、どちらも知ることが出来るよう。――ある種、雷王の配慮だったのかもしれない。

 王族に引き取られ、千夜が高一族に染まることを、雷王は良しとしなかった。

 それが彼にとって、都合が良かっただけなのかもしれないが。



 ただ、外に出たからこそ、自身でその身を綺麗に保つのも、千夜に課せられた大きな仕事であった。

 もちろん、後宮の女たちに対抗する必要などない。彼女たちは王の寵愛を得ようと、己を磨くに余念がないが、彼が欲しているのは美しい妃などではないことを千夜は知っている。

 だが、いざという時は、白麟の名に恥じぬ娘にならねばならないことは、千夜とて自覚していた。




 水を汲み、湯を沸かすのは中々の手間だが、灼熱の地から帰った身としてはまずは身体を綺麗にしたい。

 初めての戦で何よりも辛かったのは、自由に身体を拭けなかったこと。

 ようやくその気持ち悪さから解放されると喜び勇んで準備しては、日の明るいうちから浴室に飛び込んだ。


 ふんふ〜ん。と鼻歌を歌いたい気持ちで、お湯に手をつける。

 熱すぎない適度なお湯を桶にとり、贅沢にも背中を流した。

 ひっつめていた髪もほどいて、植物を煮出したお湯に浸すと、埃と油でくすんでいた髪色に艶が戻る。

 調子が出てきて毛根を強く押し、上から撫でるように髪を梳かす。汗と脂に絡んだ髪に指が通り初めてほっとした。


 軽く髪をまとめてはそのまま身体の垢を擦る。背中、腕、そして脚。順番に擦っては、千夜はやがて己の右腿に目を止めた。

 幼い頃、忘れもできない緋色の記憶の中で、内腿に刻まれた謎の紋様。千夜が舞を踊るたび、紋様は疼き、熱を持つ。


 細い指で、そっとその紋様を撫でた。

 今はうっすらと白で形が見えているだけのもの。植物とも、水とも、炎ともつかない抽象的なその造形は、じっと見ていると不思議な気持ちになってくる。

 決して良い記憶ではないのに、故郷の仲間、そして祖母の温もりが伝わってくるようで、胸が疼く。



「……」


 くしゃりと苦笑いを浮かべた後、千夜は浴槽の中にその身を委ねた。

 ちゃぷん、と水音が心地よく、静かな空間で瞼を閉じては、息をはく。


 このところ、ずいぶんと緊張していたらしい。

 じわりと熱が染み、心が徐々にほぐれていく。脚を伸ばして浴槽の縁にかけては、そのまましばらく、湯の温もりに身体を預ける。


 この後も色々動き回るつもりでいるが、ついついそれすら億劫になってしまいそうなくらい、久々の入浴を堪能した。





 ***





 気がつけば、そのままうとうとしてしまっていたらしい。お湯に顔が沈みかけたところで、ようやく意識が元に戻った。

 まずいまずい、名残惜しいがいつまでもこうしてはいられないと、千夜は意を決して立ち上がる。

 髪の水気を絞って、そろそろ外に出ようかと思った時だった。



 ガラッ!


 勢いよく湯殿の戸が開かれたかと思うと、黒曜石の瞳と目があった。



「ん」

「え?」


 水を滴らせたまま、一糸まとわぬ姿で茫然とする。何が起こったのか理解できず、真っ白になった頭のまま、千夜はぼんやりと立ちつくしていた。



 目の前に立つのは、黒曜石の瞳の男。

 ほどいた髪もまた黒く、彼の背に流れている。

 露わになった肌。無駄のない筋肉は美しく、あれだけの戦を経験しているにも関わらず、肌には傷ひとつない。


 そして千夜の視線は、その左胸――鎖骨の少し下に注がれた。

 深い闇色の刻印。

 それはまるで、千夜の内腿にある紋様によく似た、何とはわからないが美しい紋様。



 ぽたり。

 そうして千夜の髪から、滴が床に落ちた音で、ようやく事態が把握できた。

 ひゅう、と息を吸い込むと、ようやく脳が動きはじめる。


 男と女。

 向き合う彼らは二人、何ひとつまとわぬ生まれたままの姿で――、


「――っ! きゃあああぁあああ!!!」

「うわあぁああぁあ!!?」


 とりあえず手前に置いていた桶を全力で投げる。

 いくら夏絶とは言え、咄嗟の出来事に反応しきれなかったらしい。スコン、と脳天に直撃して、悲鳴に似た声をあげる。



「何をするっ!」

「この好色漢(すけべえ)! 見るなっ!」

「な……っ!? ち、違う、これはわざとでは」


 狼狽する夏絶に、今度は垢擦りを。それすら尽きた後は、浴槽のお湯を引っ掛ける。


「いいから出てけっ」

「なっ、わ、私は――」

「ああもういいから出ろーっ!!」


 ごり押しで追い出した後、千夜は全力で湯殿の戸を閉めた。

 両手でその戸を押さえたまま、ずるずるとへたれこむ。


「違う! 千夜、わざとじゃない」

「五月蝿い。とにかくそこから消えてくれ!」


 戸を閉めてからも、うだうだいい訳が聞こえてくる。が、全てに聞く耳を持てないのは仕方のないことだと千夜は思った。



(見られた。見られた見られた、見られた!)


 普段いくら肌を見せて踊っていようが、千夜はまだ乙女。殿方に裸を見られることなど、経験したことがない。


(――ああもう、駄目だ。どこかに消えてしまいたい)


 あまりの羞恥で悶絶する。

 そして千夜は両膝を床についたまま、しばらく動けなくなっていた。

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