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戦場は白麟姫のしらべ  作者: 三茶 久
第1章 星合、鈴の音とともに
22/25

結びの音色(3)

(……万里)


 シャラリ、と杖が音をたてる。

 そうして目を閉じ、彼の笑顔を思い出した。


 物心ついたときにはもう、彼は自分の隣に寄り添ってくれていた。そして、今だって再び千夜を迎え入れようとしてくれている。

 彼が今、どんな生活をしているかまではわからない。それでも、千夜ひとり抱え込むことを躊躇しなかった。彼がどんなに強い気持ちで千夜を護ろうとしているかなんて、痛い程に伝わっている。


 それでも、彼とともに進めないと、一度は決意したはず。

 にも関わらず、彼の行動の意味を知ってしまったからこそ、千夜の心は揺さぶられた。


 だって、彼はこの十年、千夜の仇を討つために生きてきてくれていたのだ。

 彼も彼で、過酷な道を選び取っていた。十年という時を経て、変わってしまった千夜だからこそ理解する。


(とっくの昔に、彼とは道を違えていたのか)


 十年という時の流れは、誰にも平等に訪れているのだろう。人を憎み続けるのは、容易なことでは出来ない。相手を討とうとするならば、尚更。

 あんなにまっすぐな瞳を持つ人に、仇を討つ道を選び取らせてしまった。その事実が――どうしようもなかったことだとは理解するけれども――千夜の心を繋ぎ止めようとする。

 あの人に、そんな過酷な道を歩かせて良いのかと、考えるだけで胸が軋む。


「……っ」


 杖を握りしめる手が痛む。息が出来ず、ためらうように俯いた後――それでも千夜は首を横に振った。


 そして千夜は、再び足を動かした。

 進行方向はそのまま。真っ直ぐ、陣の中央へと。

 皆が千夜と逆方向に逃げて行くにも関わらず、人の波を掻き分けて、爆発のあった方向を目指した。


(ごめん、ごめんね、万里)


(もう、さよならすら、言えない。でも、わたし――)

 

 正直に言えば、まだ迷いはある。

 嘉国雷王は、自分の一族を討った仇である。千夜を育ててくれた蔡将軍だってそう。千夜だって、彼らのことを憎み、討ちたいと思った過去だってある。


 でも、それでも。千夜が信じる終着点は、彼らを討つことなどではなくなった。

 彼らをただ討っても、この国は何も変わらない。だから、千夜は地位を手に入れてやがて――。


(イザリオンと、講和を)


 今はまだ道半ば。それでもこれは、身分を手に入れた自分にしか出来ないこと。だから、許してと。もう仇を討たなくてもいいよと、彼に伝えたい。

 しかし、今、千夜が選び取れる道は、たったひとつしか無いのだ。



 目が痛いのは、悲しいからではない。煙が染みるから。

 千夜の足は、もう迷わない。パチパチと爆ぜる炎に恐れを抱かず、赤の世界へと足を進める。


「将軍! 蔡将軍!」


 そして千夜は叫んだ。

 ごほごほっ、と煙が気管へと入り、涙ながらにむせるけれど、そんなことは気にしていられない。


「蔡将軍! どこにいるんだ! 蔡将軍!」


 数多くの兵が、西へ抜けていくのがわかる。煙と砂埃に阻まれて良くは見えないが、撤退の合図に銅鑼の音が鳴り響く。


(この地を、捨てる気か――!)


 央蛇の戦闘に国の未来はない。千夜とてそう考えてはいる。それでも、こうもあっさりと逃げるものかと千夜は思う。

 ここより東側。基準線付近、央蛇の前線に出ている主力部隊は、まだ戦っているだろうに。



(徐庶雪は、この戦の勝ち負けに、こだわりがないのか)


 実際、後方部隊の統率はさんざんなものだった。それどころか、蔡将軍の足を引っ張るようなこともしていたのではと、千夜は思う。

 そんな徐庶雪が、蔡将軍を助けだすだなんてこと、するはずがない。


 だとしたら――。



(まだ、立て直す道はある)


 まだ、夏絶たちが戦場に取り残されていることは間違いがない。

 指揮官が数多くの兵を捨てて逃げた。このままでは、残された嘉国軍は一網打尽だ。誰か、皆を導く人物が必要だ。



「蔡将軍! いたら返事をしてくれ! わたしたちには――わたしには、あなたが! あなたが必要だ! 蔡将軍!」


 突風が吹き、目を開けていられない。天幕を焼き尽くした炎は進むべき道を無くしていく。

 天幕さえ出ていてくれたら、必ず、見つけ出す。だから。どうか無事でと千夜は願った。




「まだ誰かいるのか!?」


 すると、千夜の呼びかけに返事があった。蔡将軍ではない、別の兵のようだが。


 声のする方向へ駆けていくと、誰かが蔡将軍の巨体を担ぎ上げ、馬に乗せようとしているのが目に入る。

 爆発には巻き込まれなかったのかと、胸をなで下ろす。

 そしてこの炎の中大人しく佇む大きな馬。ああ、蔡将軍の愛馬だと理解し、周囲の兵たちの顔を見る。

 なるほど、彼らは蔡将軍の部隊の者なのだろう。少しでも信頼できる兵が残っていたようで、千夜は安堵した。


 しかし、彼らは蔡将軍の身を案じ、すぐにでも撤退する様子だった。ぼやぼやしている暇はなさそうだ。


「良かった! 蔡将軍!」

「? 待て。君は誰だ!?」


 千夜を見知らぬ者だと判断した彼らは、咄嗟に警戒態勢をとる。ざっと蔡将軍との前に壁が出来るが、ここで手間取るつもりはない。


「わたしは、高夏絶王子と、白麟姫の使い、千夜だ! これを見てくれ!」


 そうして、しゃらりと己の杖を前に出す。彼らも当然その杖には見覚えがあったのだろう。姫は——と不安げにつぶやいた者と、ああ、と納得した様子を見せる者がいる。


「君は、黒王子の」

「ああ」


 昨日の騒ぎを知っている者もいるのだろう。千夜を困った様に頭を搔くが、いちいち否定している暇も無い。


「白麟姫はご無事だ。別の者と、すでにここから離れているよ。それより」


 すぐさま話題を切り替えて、千夜は蔡将軍の方を向いた。もともと蔡将軍の体調も良くなかったのだろう。その目が開くことは、ない。


「蔡将軍――意識が」

「ああ、見ての通りさ。だが、命に別状はない。このままお連れ——って、君!?」

「蔡将軍! わたしだ、千夜だ!」


 皆の間に割って入って、千夜は蔡将軍の身体を揺らした。馬に担がれてくたりと目を閉じた彼は、ぴくりとも動かない。

 ぎょっとして止めようとする周囲の制止を振り切って、千夜は叫んだ。


「困るんだ、将軍! あなたらしくない! しっかりしてくれないか!」


 千夜は真っ直ぐ馬に乗せられた蔡将軍の方へと歩いては、耳元で叫ぶ。その声が届いているのか、んん、と幾ばくか反応が返ってきた。

 それに瞬いたのは周囲の者たちだった。


「反応が……将軍!」


 ともにいた者も呼びかけると、蔡将軍の瞼が僅かに動く。が、それでもはっきりとした反応は返ってこず、とうとう千夜はその手を振り上げる。そして、躊躇することなくその頬をひっぱたいた。


「君!?」

「あなたは黙っててくれないか!」


 目を白黒させる青年を一喝し、千夜は蔡将軍を揺さぶった。


「起きろ。起きなさい、蔡将軍! 今、ここで起きないと、あなたは一生後悔する。その腕を失ったときよりも、もっと、もっと! 大きな後悔に苛まれる! 蔡将軍!」

「君、やめなさい。将軍は――」

「うるさい。高夏絶は、前線で戦っている。あなたの部隊もだ、蔡将軍! 最初から徐庶雪は、あなたの部隊を斬り捨てるつもりでいたのだろう。この敗戦は、あなたが責任を負うことになるかもしれない。それでも! 将軍、あなたはそれを、そのまま見過ごすのか!」

「君っ」


 千夜の暴言に我慢しきれなくなったのか、周囲の兵たちが千夜の肩を掴む。しかしそれを振り払い、千夜は彼らを睨み付けた。


「うるさいなっ。あなたたちも将軍の部下なら、わかるだろう! 今、将軍の意識があったら、真っ先に望むことは何だ。逃げることか!?」

「……!」

「腕が一本ないくらい、なんだというんだ! この方はな! ご飯が食べにくいのが不便でならないと、そう言ったんだ! 真っ先に憂うのが、それだ。戦への影響なんて、気に病んではない。なぜなら!」

 

 千夜は、もう一度蔡将軍を揺さぶる。うう、と呻き声が聞こえて、彼の耳元で、直接怒鳴りつけるように声を荒げた。


「この方は、自分の腕が戦に影響ないと考えているからだ! 彼の役割を、知っているからこそ! 戦場で生き、戦場で死ぬ覚悟のある男だからこそ、そんなものを惜しがらない。その命があるのなら、腕がないというだけでここで眠っている理由には、ならな――」

「うるさいのう」

「――い。……蔡、将軍?」


 言い切る前。かすれた、低いが聞こえてきて、千夜は目を見開いた。

 ごそっと、馬の上に乗せられた人物の、肩が動く。そして顔を上げては、千夜を見て、その目を細めた。


(わっぱ)め。年寄りだからと言って、皆、耳が遠いと思うな。やかましくて仕方が無いわ」

「将軍!」

「……随分、熱いな。あつい、あつい。いつまでもこんな所には、おられんな」


 んん。

 まるでよく寝た後に背伸びするかのように片腕を突きだして、蔡将軍はふああ、と欠伸する。

 皺の代わりに傷を刻んだ頬をぽりぽりと掻いては、その身体を起こした。


「おおっと……お前か。どう、どう」


 己が馬に乗せられていることに気がついたのだろう。急に上の人間が起き上がったことにびっくりした馬を諫めながら、さて、と皆に声をかける。


「状況はどうなっておる?」

「この付近で三度の爆発。おそらく先日のイザリオン奇襲部隊の手の者によるかと。徐庶雪は手持ちの部下達を連れて撤退。前線部隊は放置されたままです」

「徐め――やりおったか」

「将軍、早く撤退しましょう。おそらく、敵に寝返った者がいるようです」

「ふむ」


 周囲の者たちが蔡将軍に呼びかけるが、千夜は彼らとの間に割って入ったまま、首を横に振った。

 蔡将軍をこの場から逃がさないとばかりに、馬の手綱を握っては、彼を睨み付ける。


「いや、蔡将軍。取り残された兵たちを何とかせねばならない」

「君は! まだそんなことをっ」

「あなたたちの仲間も! 数多く残っているのでしょう!?」



 煙に巻かれている今も、戦況は変わっていない。

 先ほど徐庶雪によって撤退の合図が鳴り響いていたが、あれはあくまで、後方部隊が逃げるための合図だった。前線に届いているのか、その命令が正確に伝わっているかは怪しい。


「わたしが、将軍の右腕になる。行きましょう、戦場へ」

「ちょっと、君、待ちなさい――」

「あなたたちは、蔡将軍の無事を皆に伝えて。そしてここに残っている兵をかき集めて。蔡将軍の直轄兵も、いるのでしょう?」

「いるは、いるがしかし――」

「騎馬兵を集めて前線へ。これを最優先にして。わたしは、蔡将軍を連れて、戦場をまとめてくる。兵糧は捨てていい。歩兵の皆は、逃走準備を、はやく!」

「そんな簡単に」


 青年の制止を振り切って、千夜は彼を押しのけて蔡将軍の前に騎乗する。


「よい、この童の言うとおりにしろ。私は、戦場へ向かう」


 みな蔡将軍直下の兵なのだろう。彼らを信頼していることくらい、蔡将軍の態度を見ていれば、わかる。

 蔡将軍の命令に、応、と返事をし、散る者と残る者が分かれた。それを横目に、千夜は両手でその手綱を握りしめ、大きく深呼吸する。


 大きな体躯のこの馬は、蔡将軍の愛馬。馬に慣れぬ自分が操れるとは思えない。

 舞うことしか出来ない自分にとって、騎馬は邪魔なものでしかなかった。しかし今、そんなことは言っていられない。



「――参る!」


 見よう見まねで、千夜は手綱を引いた。火を避けるように怯える馬を御しきれるかと、体が震えて仕方がないけれども。


「恐れるな。こいつは、聡い」

「蔡将軍」

「難しいことは考えなくて良い。後ろに私もいる。進みたい方向へ、迷わず、行け――」


 ああ、と千夜は思う。

 馬上にふたり。これが、蔡将軍。


 千夜の村を焼き払った仇。千夜が憎んでいるのも承知の上で、幼い頃から、千夜を導いてくれた人。




 ぱらり、ぱらりと、逃げ惑う兵たちとすれ違いはじめる。

 でも、今は、ひとりじゃない。蔡将軍がいる。

 前線に向えば、夏絶も。そして、蔡将軍の部隊だっている。


 シャラン、千夜は己が杖をかき鳴らす。

 独特の金属音が鳴り響き、皆の注目を集める。


 足止めできれば、それでいい。皆の士気を上げるのは――。



「喝ァ――――ッ!!」


 ――蔡将軍が、いる。


 背後から耳がキーンとなるほどの大声が聞こえて、苦笑する。


(なんだ、蔡将軍、元気じゃないか)


「……すごい声だ」

「お前の声もなかなかこうるさくてかなわんかったわ」


 思わず声を漏らすと、後ろから不本意極まりないといった反論が聞こえた。そして彼は、千夜の手に己の左手を添えては、くいくいと手綱を取る。

 すぐさまそれに反応した馬は、即座に速度を落とした。


「なにをしているッ。貴様ら、それでも雷王の精鋭か! 雷王になんと申し開きするつもりかッ!!」


 きぃぃん、と耳に響く声に苦笑いしつつ、千夜は呟いた。



「本当に。腕がなくとも、あなたは、あなただ」

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