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戦場は白麟姫のしらべ  作者: 三茶 久
第1章 星合、鈴の音とともに
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結びの音色(2)

 膝を抱えて天井を見やる。日が昇り始めると同時に、天幕の中の気温も徐々に温かくなって来るのを感じた。

 それでもどうしても外に出る気が起こらなくて、千夜は、ぼんやりと――ただただ時間を浪費する。それが夏絶との約束。


 なに、ほんの数日間のこと。あと三日もすれば、徐々に力も取り戻しはじめよう。それは理解できてはいるが、どうしてももどかしい。

 


(いくら戦場にいようと、月に幾度かは、こうやって過ごさねばならないのか)


 目の前で消えていく仲間の命がある。

 今日だって、もし自分が舞術を使えたなら、一体どれだけの兵を護れたのだろう。仕方が無いとわかっていても、歯がゆくて、苦しい。

 せめて何かと思うのに、他の仕事をすることすら許されない。



 今後は何か出来ることはないだろうか。柳己あたりに相談してみようか。幾つか頭の中で考えては止め、考えては止め……思考がぐるぐると渦巻き続ける。

 ――ちがう。今、本当に気がかりなのは、それではない。何が出来るのか考えるのは、単に自分の本心を誤魔化しているに過ぎない。


(今日、万里は迎えに来ると、言っていた)


(わたし、万里に――会わなくっちゃ)


 最後に、ひと目だけ。

 会いたいならば、もう行かなくてはいけない。それは、分かっていた。


 千夜が現れなければ、彼は心配するだろう。

 過去、突然の出来事で引き裂かれた幼馴染み。千夜が彼の立場だったとして、戦場で、約束の場所に相手が現れなければ、何かあったかと思うだろう。連絡手段もないのであれば、なおさら。


 彼は何か、合図を送ると言っていた。その内容を語らずとも、一目でわかる合図を、と。

 それが午前であることは確かなのだが、正確な時間は見えない。

 しかし、北へ行くとなると、かなりの距離もある。彼の忠告通り、中央を避けて大回りするならなおのこと、早めに出なければいけないことくらいわかっていた。

 

 万里にさよならを言わないといけない。

 探してくれて、ありがとうと。君は君の道に進んで欲しいと、伝えたい。そして、もう二度と、自分のことは探さないでくれと――。

 なのに、どうしてだろう。今、足を動かす気力が湧かないのは。




「?」


 その時。

 何か周囲の空気が変わった気がして、千夜は顔を上げる。

 数多の人の声が飛び交い始めて、何か起こったのかと瞬いた。その穏やかではない様子に、ぞわりと身震いがして、千夜は立ち上がった。


 皆が何を叫んでいるのかまでは聞き取ることは出来ない。しかし、陣営の中央で、今、何かが起こったことだけは理解した。

 異常事態と判断して、千夜は咄嗟に己の杖をひっつかむ。しゃらら、と音を立てながら、真っ直ぐ天幕を出た。

 そして、外に広がる景色を見て、息を呑む。



 砂埃がひどく、視界が悪い。異様な空気の中に嗅いだことのない類いの臭いが流れて来るのを感じ、鼻を押さえる。

 ここからは遠いが――埃と煙の向こうに、炎がちらつく。それに気がついた瞬間、千夜は目を見開いた。



 空を染めるほどの、赤。

 これ程の勢いの炎を見たのは、いつぶりだろうか。


「あ……」


 背中に冷たい汗が流れた。呼吸が浅くなり、カタカタと、身体が小刻みに震えだす。

 幼なかったあの日。千夜というひとりの村娘は、全てを失った。彼女の村は、こうして炎に包まれたのだった。



「何が起こった!?」


 周囲をゆく兵に問いかけるが、皆、焦るだけで、足をとめない。陣営内は完全に混乱状況に陥っており、指揮がまったく機能していないようだった。


 炎の方向からして、兵糧がやられたことを理解する。地形の恩恵によって、背後からの攻撃など一切想定していない布陣だからこそ、その効果の程は計りしれない。

 ここで狼狽えている兵士の誰もが、まさかあんな場所に火の手があがるとは考えていなかったのだろう。



(……謀反か? いや、しかし)


 まずい。咄嗟に嫌な予感がして、身体が強張る。

 炎の赤に気圧されながらも、気がつけば千夜の脚は動き始めていた。


(皆を、助けなければ)

 

 千夜は、炎が巻き起こる方へと足を進めた。

 ここに夏絶はいない。今、この軍の主戦力は皆、央蛇の荒野で戦っている。後方に残っている者で何とかしないといけないのだ。


(徐庶雪は何をしているんだ)


 撤退を知らせる銅鑼が聞こえるが、煙で周囲の状況がいまいち分からない。

 しかし、撤退という単語とともに、国門へ、という声が聞こえてきてぞっとする。


(国門? そんなところまで? ……待ってくれ。このまま央蛇の戦場を捨てるとでも? 何を馬鹿な事を)


 千夜は首を横に振る。今、この軍は、数多くの兵を央蛇の戦場へ送り出しているのではないのか。そんな彼らを捨てて、自陣の炎もそのままに、ここにいる兵たちだけで逃げるとでも言うのだろうか。

 そしたら皆はどうなる。勇ましく戦っている者たちは、と考えたとき、ある男の姿を思い起こす。



(高夏絶……!)


 仲間は、皆は、無事だろうか。

 こちらがこのような状況で、戦場でも何か大きな策を仕掛けられてはいないだろうか。


 たまらなくなって、千夜は口もとをおさえた。

 すぐにでも、前線へ駆けつけたい。皆の無事を確かめたい。それなのに、自分がそこへ行ったとしても、何の役にも立たないことくらい自覚をしている。

 でも何か。何か出来ることはないかと目を細める。


(せめて、わたしが白麟になれたなら)


 皆を率いることが出来ただろうか。混乱を諫めることが出来ただろうか。

 だが、悔やんでもどうしようもない。白麟であれば間違いなく戦場に出ていただろうし、自陣に残っているこの状況こそ、逆に生かせないかと考えるべきだ。



 ドォン!

 ドォ――ンッ!!


 炎が誘爆を引き起こし、第二、第三の炎が巻きあがる。

 油――いや、もしかしたら火薬かもしれないと悟った千夜は、爆風が巻き起こった方向を確認する。

 陣の中央。主な将官が構えているのは、あのあたりではなかったろうか。床に伏せっている蔡将軍は別だとしても。


(こちらの陣を、把握されている。それどころか、火薬を仕掛けられるだなんて……火薬?)


 それに気がついたとき、はた、と、千夜の足が止まった。

 味方兵たちは、見えぬ敵兵の姿を探し、逃げ惑っている。そんな周囲の雑踏が耳に入ることなく、千夜は、全身の血が凍り付いたような感覚を覚えた。



「この爆発――」


 必ずわかる合図があると、万里は言った。

 それまで、嘉国陣営の中央に近づいてはならぬと、彼は――。


「あ……」


 だから千夜は理解する。

 もしかして。

 いや、もしかしなくても。

 この爆発は――。


「万里」


(君、だと言うのか……?)



 天幕の火は燃え広がり、あっという間に周囲は火の海にのみ込まれて行く。

 焼け付くような熱さの中、体中の血が凍り付くのを感じた。


 千夜は、北の空を見た。

 その後に、中央の陣を。


 自陣を北へ抜けた場所。禍蛇の路へいたる場所で、彼は待つと告げた。この炎を合図にして、ともに治葉へ行こうと彼は言った。

 やはり、彼は嘉国兵などではなかったのだろうか。

 もともと彼は逃げるつもりだったのかもしれない。兵糧をやられたら、嘉国軍とて撤退するしかない。そうして陣営を一網打尽にし、姿をくらませる――。



「……」


 思い起こせば、万里の行動は、確かにこの事件に繋がっている。

 後方で連れ去られた千夜を助け出せたのは、彼もまた近くにいたからこそ。

 そういえば、昨日も自分以外に新入りがいると誰か言っていなかったか。それがもし、万里だとしたら? 崩れた自陣の土木作業に混じる中で、陣の中を把握し、火計を仕組んでいたとしたら?

 彼が騒ぎに巻き込まれるわけにはいかないと言っていたのもそう。彼は、この日、この策を成り立たせるために動いているのだとしたら。


(でも、万里は。そんなこと)


 するはずがない、とも自分に言い聞かせる。

 彼は、幼い頃、千夜と同じ経験をしている。火に撒かれて、村の者を無差別に殺されて。いくらそれを憎んでいるとしても、こんな方法、許されるはずがない。


(……いや、違う。これは、わたしの願望でしかない)


 千夜自身は、戦に参加して、非道な行いをする道を選んだのだから。同じ立場でない彼には、千夜のような過酷な道を歩いて欲しくないと願っているだけ。それは千夜の気持ちの押しつけでしかない。



 そして千夜は思い出す。

 禍蛇の路。あそこで偶然、実に十年ぶりに出会った夜のことを。

 彼は、何かから逃げろと千夜に言った。その時は、夏絶たちのような雷王の手先に注意せよ、という意味だったかと思ったが……。


(あのとき、あの近くには何がいた?)


(わたしたち夏絶の部隊の者だけ?)


 否。

 あそこにいたのは――。


 はた、と気がつき、千夜は目を見開いた。


(イザリオン帝国軍の、奇襲部隊……?)


 禍蛇の路への抜け道を知る者は多くはない。それなのに、蔡将軍を襲ったイザリオン帝国軍の奇襲部隊は確かにその方向から現れたらしい。

 つまり、間違いなく彼らは禍蛇の路をたどって来たこととなる。

 千夜たちから少し遅れる形で、この戦場にやって来たのだ。



 万里は嘉国軍の兵でも何でもなかった。そんな彼が、イザリオン軍に手を貸しているのだとしたら?

 だからあの時、偶然出会ったとき、彼は一度千夜を突き放した。逃げろと呼びかけて、千夜をひとり送り出した。それは、彼もまた、千夜に知られたくない事実を持っていたからかもしれない。


(どうして、と考えるのは、馬鹿げているのか)


 信じたくなどない。

 彼に清廉潔白を求めるのは、千夜の願望でしかないことなど、もう自覚している。

 それでも、彼が嘉国に叛旗を翻す理由なんて、容易に思いつく。

 しかも、この軍の総大将が蔡将軍。かつて、村を焼かれた日。蔡将軍こそが彼を世界の果てへと突き落とした本人なのだから、尚更。




 ぎゅっと杖を抱え込んだまま、千夜は前方を睨んだ。


 中央へ行けば、爆心地。

 総崩れになった自陣をどうにかして立て直さなければいけない。

 しかし今、千夜はただの千夜でしかない。ちっぽけな自分に出来ることなど限られている。

 それでも、嘉国のために、己の命をかけて仇である雷王の駒となって働くことが出来るのか。


 北へ行けば、万里のもとへ。

 懐かしき幼馴染みとともに、逃げるのか。己の地位も身分も捨てて、祖国を憎む彼の元へ。

 千夜が白麟という存在である限り、自分は追われるだろう。

 あの雷王が見逃すはずがない。その運命に、万里も巻き込むのか。



 こんなところで、人生の選択をしなければいけないとは思わなかった。

 嘉国か故郷の友か。

 千夜がその手で掴める未来は、ひとつしかないのだから。

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