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戦場は白麟姫のしらべ  作者: 三茶 久
第1章 星合、鈴の音とともに
20/25

結びの音色(1)

 朝から、空気がいつもと違うと感じたのは、事実そうであるのか――あるいは、自分の気の持ちようなのか。もう、夏絶には何もわからなかった。


「はあああああっ!」


 黒日でも何でもないのに、気が荒ぶっている。目の前のイザリオン兵にその長剣を突き立てて、夏絶はただ叫ぶ。


「私に殺されたい者は、他にいないのか!」




 夜が明け、変わらぬ朝がやってくる。死地へ赴く夏絶の隣には、いつもと変わらぬ仲間が並び――しかし、たったひとりの姿が見えない。

 仲間と完全に認めたわけでもない。この日、どのみち彼女は戦に出られない。だから、姿が見えなかったところで、別段戸惑うことなどないというのに。


(何が、子どもの癇癪だ――)


 きっと、この苛立ちは、彼女が許せぬことを言ったから。

 自分を誰だと思っている。嘉国第一王子、高夏絶だ。たかが平民が――たとえ、身分だけを贖っているのだとしても――意見を言っていいものではない。

 しかし彼女は、一切夏絶に物怖じしない。それどころか、不遜な態度ばかりとってくる。



(父王め、余計な教育をしてくれたな)


 王族らしく育った? 違う、普通の姫君は、ああはならない。少なくとも真っ向から男に意見するようにならないし、あそこまで跳ねっ返りにはならないはず。


 腹違いの妹たちを思い出しても、千夜の性質はどれにも当てはまらない。

 妹たちは皆、従順でしたたか。何を考えているのか見せようとせず、にこやかに、忌子である夏絶と距離をとる。

 それは都の――貴族社会では必要な能力なことも、夏絶は知っている。それでも底を見せず、己は動こうともしない女どもに嫌気がさしていたが、千夜は、まったく違う。


(――父王も、千夜が他の女どもと同じになるのを望まなかったのか)


 率直な意見を述べられる女が必要だった? それが、彼女に求めた能力だったのかどうか、雷王の考えはいまいち分かりはしないが。




「夏絶様! 後ろ!」

「ふんっ!」


 柳己の言葉が耳に届き、夏絶は咄嗟に反応する。夏絶の脇腹を狙った槍を軽く流して、突き返す。

 呆気なく崩れる敵兵に、やはりジャックでも来なければ相手にならんと夏絶は思う。


「今日は、弓兵が少ないですねェ、夏絶様」


 槍兵たちを同じく槍で突き返しながら、梧桐がへらりと笑ってみせた。

 確かに、彼の言う通り。こちらの攻勢を流されている感覚が奇妙とも言える。


 基準線はすでに越えている。千夜の舞術がないながらもこんなにもすんなりと前に進めてしまうことに、確かに違和感を感じていた。

 もちろん、今日はあまり前に出るつもりはない。蔡将軍が動けぬ今、攻勢に出ても仕方がない。

 隊を率いて防御の構えをとる。前線が移動しなければ本日の戦果としては上々。早く陣に戻って、千夜を――そう考えたところで、速い一撃が走る。


 咄嗟に両手で長剣を構え、その一撃を受け止めた。

 重い。

 何度も何度も受けてきた、誰よりも重い剣撃。これを正面から受け止め続けたら、自分より先に得物が駄目になることは確実だった。



「ヨォ。今日はあの女はいないのか」

「――来たか、ジャック」

「あの女、ここまで来て怖気付いたか?」

「あれを甘く見るな。そんな柔な女ではない」


 ジャックの嘲笑に、思わず睨みつける。

 彼は何もわかってはいない。彼女がここにいないのは、今日この日、前線にいても、足手まといにしかならないと彼女自身が理解しているからだ。

 それでも後方で何かできないか――動かずにはいられない、彼女はそう言う娘だ。

 父王の駒でしかないと自覚しているのに、精一杯のことをして生きようとする、生真面目な娘。


 そうだ。本来彼女は――戦場なんて、来る必要がない娘なのに。あんな場所で、ひとり、男に紛れて働く必要性など、何もなかったはずなのに。

 彼女は、そうせずにはいられなかったのだろう。


 冷静になって初めて、じっとしていられなかった彼女の気持ちを理解した。

 彼女の行動は褒められたものではなかったが、それでも、彼女の役に立ちたいという気持ちは本物だ。

 だからこそ、ジャックに侮られることが許しがたい。



「アレは貴様がどうこう言えるような娘ではない」

「なんだ。お前でも妹の悪口は堪えるのか? 散々、忌み嫌われているくせに」

「アレは、その様な目で、私を見ない」

「お前は、俺と同じじゃないか。まるで腫れ物扱いで。だから戦うのだろ? 戦場にしか、己の居場所がないからな」

「違う!」

「認めやがれ。それでいいじゃないか。俺たちは所詮、血で居場所を贖っているんだ! だから、屠る! 葬る! 刈り取る! 俺とお前は、同類だ!」

「――貴様などと同じにするな!」


 夏絶は長剣を振り落とした。

 受け止めきれぬと判断したのか、ジャックはトン、と後ろに跳んだ。そして彼は、一旦体勢を立て直し、再びこちらへと踏み込んでくる。



(速い……っ!)


 夏絶のものよりはるかに重いはずの大剣を、軽々と振り回す。

 やはり、千夜の力が無ければ、今だ先日の負傷を引きずっているはずの彼と、ようやく互角。――いや、正直なところ、かなり苦しいものとなっていた。

 小回りがきかない、そして重さでも勝てない己の武器では、彼と戦うには分が悪い。

 まともにぶつかったら、ただではすまない。重心を落として、軸を安定させ、相手の動きをよく見る。そして一撃をひらりとかわしたところで、後ろのざわめきが耳に入ってきた。



「お、おい」

「なんだあれは……!?」


 視界の端に入った信じがたい光景に、なんぞ、と思った時にはもう遅い。

 ジャックが間合いを詰め、彼の剣が肩をかすめた。


「!」


 斬られると言うよりも、抉り取られるという感覚に近い。まともに受けていたら、腕ごと持っていかれていただろう。


「くっ!」

「かろうじて避けたか。そうでなければ!」

「――チィっ!」


 目の前の男に集中しなければ、間違いなくやられるというのに、一度目に入ってしまっては気にせずにいられない。自分の背に広がる、赤の色。自陣の一角に炎があがり、それが周囲へと広がっている。



(火計? まさか、そんな……っ)


 背後の兵たちのざわめきが広がる。

 自陣中央から広がる炎。自陣には――と思いを巡らせ、気がついた時にはその名を叫んでいた。


「千夜っ!」

「……センヤ?」


 ジャックの疑問を含んだ声など届かない。

 夏絶の頭には、今、彼女が。朝から己の天幕に引き籠ったまま出て来ない彼女が浮かんでは、離れない。



 これではまるで、先日の奇襲の二の舞――いや、蔡将軍と違って、彼女は身を守る術など持ち合わせてはいないのだ。

 火計だけで、終わるはずがない。このまま、奇襲部隊に攻め込まれたら?

 そもそも、炎に巻かれて、動けなくなっていたならば――?


 ぶるりと、身体が震えた。

 想像するだけで、ひどい吐気に襲われる。



「貴様らっ」


 怒りに猛ったまま、夏絶は長剣を振る。真っ向に受け止められるが、すぐさま第二撃を打ち込む。


「……変わったな、黒忌めっ」

「黙れ! 貴様に構っている暇など、ない!」



 炎が上がったのをきっかけに、自軍が一気に押され始める。指揮が機能せず、混乱状態へと陥り始めた。


(徐庶雪が、落ちたか――?)


 いや、その考えは早計だ。ただ、完全に自陣の隙を突かれ、この戦は大きく傾いた。今、自陣はどうなっているのだろうか。敵兵は、先日の奇襲部隊だろうか。

 不安が一気に押し寄せて、夏絶は浅く息を吐く。


(莫迦め! 敵兵に入国されていたのはわかっていただろうに!)


 先日の奇襲から何も学んでいなかったか。

 身分を隠した状態で、千夜が後方部隊に入り込めたのもそうだ。どれほどこの軍は緩んでいると言うのか。


 自軍の兵を責める気持ちが押し寄せる。しかし同時に、夏絶は己で否定した。

 皆が腑抜けであるはずがない。あの後方部隊は、もともと徐家の手のものたちでしかない。

 蔡将軍が育て上げた軍が、そんなにヤワなはずがない。であるならば、緩んでいるのは――いや、一部の部隊を緩ませている(・・・・・・)のは――。



 ガンガンガン……!


 遠くで撤退の合図が響き渡る。我こそはと皆が一斉に下がろうとするが、イザリオン帝国軍がそれを逃す筈がない。

 回り込むようにイザリオン軍の進軍が一気に加速する。


 一体、いつの間にこうも追い詰められていたのかと夏絶は思う。

 喉が焼き付くような熱気。口を閉じ、周囲の状況に目を走らせる。


 自陣の左翼を確認する。あちらの将兵は、北深をはじめとして、蔡将軍の部隊も含まれている。一時は動揺したものの、敵に押し切られまいと均衡を保っている。練度も高いため、すぐさま体勢を持ち直し、均衡を保ちながら反転していた。 

 一方、中央は今、夏絶たちが押さえ込んではいるが、時間の問題だ。

 ――そして、さらに問題なのは右翼。一気に形が崩れて、乱戦状態へと陥っているようだった。

 右翼の方から相手の包囲が広がりつつあり、このまま放っておくと、完全に退路を断たれるだろう。

 逃げ場を失った嘉国兵は、それぞればらばらに包囲を抜けようと躍起になっている。



(私の隊だけなら、こんな状況など――いや、ジャックが――)


(しかし、今、私が戦地に留まれば――千夜は)


 脳裏に彼女の表情がかすめた。

 ここでジャックを放置し、自陣に真っ直ぐ戻る。そうやって、彼女を助けたとしても、彼女は――。



「夏絶様!」


 柳己の声に反応し、ジャックの剣をかわした。

 相変わらず彼の猛攻は続いており、ここから離れられる状況とも言えない。だが、夏絶は、いつまでもジャックに足留めされている訳にもいかないのだ。



(戦場を捨てて、千夜を助けに行ったら――あれは、怒るだろうか)


 眉を吊り上げた彼女の顔を思いだすと、こんな状況なのに、頬が緩むから不思議だ。

 昨夜は怒りが収まらなかったというのに。離れてみて初めて、彼女の怒りをまともに受け止められる気がする。


 夏絶の前では、彼女はいつもそうだ。怒りを隠すことなく、自分の気持ちや考えを真っ直ぐに伝えてくれる。

 彼女の言葉に、偽りはない。


 そして彼女が繋がれているのは、強すぎる責任感だった。何が彼女をあそこまで追い詰めているのかはわからない。

 しかし、彼女は選んだ。

 己の能力を最も活かせる道を。何かのために、自分自身を捨てる未来を。



(まるで、私とは正反対だ――)


 国のために戦うなど、クソ喰らえだ。

 自分のことしか考えるつもりなど、ない。


 それはそうだ! 当たり前だ!


(私は、高夏絶だ!)


 産まれながらに王の血筋。

 誰よりも、王にふさわしいはずなのに、たかが黒の呪いのせいで、全てが手に入らぬ。


 地位も。権利も。人との繋がりも。

 ――そして、自分の命すらも。



 いつか、己が命を落とすのは、この国に危機が訪れるときだと夏絶は聞いた。

 夏絶の命で、この国の命を贖うのだと。そのための生贄だと言われて、育ってきた。

 しかし、そんなものは到底許せるものではない。



(危機になど、瀕しない!)


(国を傾けてなど、してたまるか!)


(――こんな国の。誰かのために、なぜ私が死ななくてはならない!)


 自分は、奪う者だ。手に入れる者だ。君臨する者だ!

 自分を犠牲になどしてたまるか!




「うああああ!」


 両手で剣を振るい、ジャックの剣を押し切る。彼は後ろに仰け反って、地面に足を滑らした。片手を地面につけ、どうにか体勢を立て直す。しかし、それを待つほど、夏絶はお人好しではない。


「くっ!」


 ジャックも必死でくらいつくが、夏絶が僅かに押し上げはじめる。


「私は、奪われない! 私は、跪かない! 貴様なんぞに、なにひとつ!」


 夏絶は叫んだ。


「単騎で何ができる! 奪えるものなら奪って見せよ! 刈り取れるなら、刈り取って見せよ! お前の慢心、この私が、ことごとく斬り裂いてみせるわ!」

「言ってろ。その鼻、へし折ってやる」


 ジャックはそう告げ、不敵に笑う。しかし、彼の頬には、汗が流れていることくらい、夏絶も気づいている。


「――皆、存分に振るえ! 柳己は退路の確保を! 一騎とて、落とすことはまかりならぬ!」

「応ッ」

「我らのしぶとさ、見せてやれ!」

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