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戦場は白麟姫のしらべ  作者: 三茶 久
第1章 星合、鈴の音とともに
2/25

白麟と呼ばれる姫君(1)

挿絵(By みてみん)





 見下ろした先は、草一本生えていない大地が広がっていた。

 色彩持たぬ荒野。乾いた土のにおいを風が運んでは、焼けつく熱風が頬を焦がす。


 夜が明けて間もなく。

 空には雲ひとつないにも関わらず、広がる大地には薄明かりしか届いていない。

 太陽が薄暗く、澱み始めている。

 夜が明けたばかりだというのに、空はたちまち、濁った闇色へと変色しようとしていた。



 決して視界が良いとは言えないこの日、磨かれた黒曜石の瞳で、青年は荒野を見つめていた。

 東西に陣を敷く二つの軍の存在を目にして、ふん、と息を吐く。


「ぶつかるか。――イザリオン軍も物好きな。わざわざ黒日(こくじつ)を好んで仕掛けてくるとは」


 自軍後方。荒野を見下ろす位置にある南の岩肌。

 赤土が広がる大地の東側は黄金の“金獅子”、対する西側自陣には紫色の“()”の旗がはためく。

 銀の鎧に金の旗。数で圧倒しているイザリオン帝国軍旗を、忌々しげに見ている青年の色彩は、黒。


 三つ編みに結われた長い髪。瞳と同じ闇色のそれは、彫りの深い整った顔立ちによく似合う。

 黒を基調とした衣には、同色で目立たないながらも丁寧な刺繍が施されており、戦場だというのに、彼は風雅な印象を纏っていた。


 すらりとした長身には適度な筋肉が備わっており、武芸に富んだ印象を受けるが、特筆するべきは彼の背負う長剣である。身の丈程の長さのそれは、風雅な彼の姿にあまりに似合わない。柄の装飾こそ繊細だが、その長さは人間の扱えるものではない。

 機能を重視しその刃を剥き出しにした長剣は、強い存在感を持っている。いくらしっかりとした体つきとは言っても、生半可な力では扱えるはずのない代物だった。




「雑兵に抑えきれるとも思えぬ。早く出ないと手遅れになるが――アレは一体何をしているんだ」


 苛立ちが抑えきれず、つま先で何度も地面を叩いた。

 本日は黒日(こくじつ)。太陽が黒く染まり、人は激情に駆られる。戦場に最も凄惨な血が流れる日。

 よりにもよってこんな日に、初陣となる者を迎えなければいけないのは、迷惑極まりなかった。

 しかも到底戦で役に立つはずもない姫君(やくたたず)を。



 明らかに不満の色が出ていたのだろう。苦笑いを浮かべた配下が隣に立った。


「かの方はどんなお方でしょうね、夏絶(かぜつ)様」


 のんびりした口調で呼びかけられ、黒曜石の青年ーー嘉国(かこく)が第一王子、(こう)夏絶(かぜつ)は振り返る。

 夏絶の瞳がとらえたのもまた、戦場に似合わぬ優男だった。


 鳶色の瞳に同じ色の髪。にいと砕けて笑う彼の頬には、そばかすが浮かぶ。人懐っこい彼ーー(じょ)柳己(りゅうき)は、夏絶と身分の差こそあれ、遠慮を見せる様子がない。

 


「……ただの見学か何かだろう。良い身分だ、平民の分際で」

「いや、マズイですよ、夏絶様。一応、貴方の妹姫なのですから」

「私はアレを妹と思ったことなど、ただの一度もない」


 取りつく島もなく、夏絶は言い切る。

 アレ呼ばわりの噂の姫君は三つ年下で、名目上は妹にあたるのだろう。

 王の娘として戦場に訪れる。衆目からは、夏絶と同じ立場に映ることがどうしても許しがたかった。



「よりにもよって黒日に。なぜ、いきなりお姫様が戦場になんてーー」


 後ろに控える仲間のひとりが疑問を口にする。しかし、情報通の柳己が、すぐさま答えを口にした。


「後宮入りを断って、雷王のご不興を買ったとは噂されてるけどね」

「? お姫様が、後宮入り?」


 どうも辻褄の合わない話にますます疑問が深まったらしい。

 それもそのはず。王の子であるならば、王の妃に迎え入れられる筈がない。――彼女のような特殊な事情がない限りは。



「例のお姫様と、王は、血が繋がっていない」


 だからこそ、柳己は付け足した。少し、夏絶に遠慮するような視線を見せながら。


「ーー白麟姫(びゃくりんひめ)は、王の養子でいらっしゃるから」

「アレはただの平民だ。雷王の気まぐれにも困ったもの――」


 納得できぬと、夏絶が割り込んだ。


 戦場にやってくる変わり者の“姫君”を迎え入れよ。王直々に、夏絶を名指しで下された命はこれだった。

 ありとあらゆるものから、彼女を護るように、と――。


 とても不興を買った者の扱いとも思えない。であるならば、何故、と夏絶が思ったところで、脳に何か高い音が響いた。




 シャラン。


 誰もが同時に頭をあげた。

 耳の奥に、直接、鈴の音が響いた気がするからだ。


 シャラン。シャラン。


 唯一、この音に聞き覚えのある夏絶だけが、眉を動かした。本当に来たのかと呆れつつ、背後の林に目を向ける。

 背の低い木を分けるように歩いてくる音。


 かさり。


 来たか、と夏絶は身構える。

 しかし、音とともに現れた人物を目にしたとき、夏絶は戸惑いで言葉を失った。




 白麟姫(びゃくりんひめ)

 平民上がりの娘でありながら、かの王がわざわざ己の手にするために身分を与えたと言われている。

 美少女と名高い彼女の姿、夏絶も片手で数えるほどだが目にしたことはある。


 白麟の名に相応しい、白とも銀ともつかない不思議な髪をなびかせる舞姫ーーのはずだった。

 その神秘的な姿を思い描いていたからこそ、目の前に立つ人物とかけ離れすぎて、解釈が追いつかない。



 整ってはいるが印象に残らぬ顔。

 それは一見、男とも女ともとれる、中性的な雰囲気を持ち合わせていた。

 ひょろりとした華奢な体躯も、女にしては長身で、男にしては物足りない。服装が男もの(・・・)であったため、なんとか目の前の人間が()だろうと推測できる程度だ。


 清潔感はあるが、その髪型もいただけない。無造作に伸ばした煤色の髪を後ろでひっつめただけ。

 明るいはしばみ色の瞳は意志の強さを表していたが、それ以外に特筆することもない。


 そう。夏絶の目の前に現れたのはどこにでもいそうな少年(・・)だったのだ。



 たったひとつの違和感は、その者が手に持つ長い杖。

 錫杖(しゃくじょう)に似て遊環(ゆかん)をいくつも連らせたもの。彼は地面にトンと突くと、シャクンと高い金属音を鳴らす。

 先程の鈴の音とも違う音。疑うように相手を見据えたとき、夏絶はこの少年(・・)を見知っていたことに気がついた。


 かつて都にいたとき、夏絶が出入りしていた“とある屋敷”に住み込んでいた小間使いではなかったか。

 くるくると走り回る彼の姿に、妙に好感を持ったのを覚えている。

 名を問うたことはなかったが、間違えなく彼だと認識したからこそ、夏絶の戸惑いはさらに大きくなった。



「お前は」


 そう声をかけたとき、目の前の少年は笑みを浮かべた。一介の小間使いが決して見せることのない、誇らしげで、誰にも媚びることのない、まるで王族のような笑みを。



「こうして声をかけるのは初めてだな、高夏絶(こうかぜつ)


 何者にも物怖じしないその態度。

 そして、彼の声を聞いたとき、夏絶は大きな勘違いをしていたことに気がついた。

 ハリのある高い声の響きは、少年のものとも異なっている。それに気がついた瞬間、夏絶の目に映る彼の姿が違って見えてきた。


 思った以上に狭い肩幅。

 戦には不向きな華奢さを感じては、まさか、と声を絞り出す。



 不敵な笑みを浮かべたまま、彼ーーいや、彼女(・・)は、己の帯に手をかけた。

 誰もが息を呑み、黙り込む。食い入るような視線を浴びて、彼女は慣れた手つきで男物の衣を剥ぎ取った。


 申し訳程度にある胸の膨らみ。それを綺麗に覆うは、白と紅に染まった絹。光沢感のある布地に、てらてらと陽光が反射する。

 どうやら男物の着物の下に、別の衣装を着込んでいたらしい。


 手首、足首に輝く金の装飾は、鳥の羽根を思わせる紋様が彫られている。

 まるで自由を渇望するかのようなあしらいに目を奪われていると、彼女はやがて、手にしていた男物の衣装を放り捨てた。



 姫、と言うにはあまりに無理がある。

 肩が大きく出た衣装。膝下程の丈のスカートには、大きくスリットが入っており、白磁のような肌がちらついた。

 嫁入り前の娘ではあり得ない姿。はしたないとしか言いようがないほど肌をさらけ出し、彼女は一歩前に出る。


 彼女のことを、どうして少年などと思ったのだろう。

 娼婦……いや、踊り子のような衣装を纏った彼女は、少女から大人へと変わる年頃の持つ不安定な色気を纏っている。

 しかし同時に、彼女の表情、そしてその瞳は、とても踊り子の類いには分別できない。



 シャラン。

 再び、夏絶の脳に直接鈴の音が響く。


 にい、と、まるで煽ってくるかのような不敵な笑みを浮かべた彼女は、その片腕を自身の首の後ろへ回した。そして、夏絶から一切目を逸らさぬまま、ひっつめられた髪の紐を解く。


 ぱさりと流れる長い髪。

 腰よりも長く、分量のある煤色(すすいろ)が風に靡いた。


 煤色なのに、誇り高く咲き誇る百合の花。そんな彼女を見たとき、夏絶の頭には別の感想が思い浮かんだ。




 ーー天女、か。


 いや、まさか。と、己で否定をする。

 しかし、まるで天女を思い起こさせる彼女の姿は、髪の色こそ違えど、夏絶の記憶の中にある白麟(かの娘)そのものだった。



「わたしは、白麟(びゃくりん)(てん)(めい)により君たちを助けに来た」


 シャラリと、彼女は杖を振る。背筋を伸ばし、名乗りをあげる彼女に迷いはない。

 両手をかざしては杖を振り、調子をとりながら彼女はその身を翻した。

 戦場に不釣り合いな、澄んだ音色。彼女の周囲に誰がいるわけでもないのに、シャンシャンと響く鈴の音は一つではない。


 直接耳の奥へと届く鈴の音。それに合わせて、彼女は軽やかに手足を伸ばす。

 指先は柔らかく風のようで、杖が描く線は、まるで絵筆のよう。一方、その足取りは力強く、軍隊の行進を思い起こさせた。



 黒に染まりゆく太陽。昼間だというのに日はますます暗く落ちていく。そんな中、夏絶たちの周囲には、ぽわりとほの明るい灯りが漂いはじめた。


 彼女が描く渦の中心より、ゆらりと光が舞いはじめる。淡い白を帯びたその輝きは、彼女が杖を振るたび、あるいは躯をひねるたびに、まるで霞のように散っては周囲を取り囲んだ。



 ぐるぐると舞う光の独楽(こま)。まるで吸い込まれるかのように、夏絶は、気がつけば彼女から目が離せなくなっていた。


 その細い体躯のどこに、あのような力があるのだろう。

 戦の前。特に黒日を前にして、出来うる限り鎮めていたはずの気持ち。

 それが一気に猛るように夏絶の心を染める。

 しかしそれは、決して悪いことではない。

 黒日という厄日に支配されて我を忘れるのとは違う。もっと温もりを帯びた何か。

 彼女がもつ光の力。それが確かに、夏絶に伝わっては、体の芯から高ぶる感情が湧き出してくる。


 こんな存在、夏絶は知らない。

 まるで熱に浮かされるように、体中に血がめぐる。ぎゅう、とその手を握りしめると、高揚した気持ちとともに力が湧き出てくる心地がした。

 彼女が描いた奇跡に言葉を失い、ただただ見惚れている自分を自覚した。そして、同時に湧き起こるもどかしさも。

 認めたくなかった彼女の存在を思い知り、胸が痛くなる。



「さあ、行こうか、高夏絶。君たちの戦場へ」


 やがて立ち止まり、そう告げる彼女の髪はーー白く染まっていた。

 それは、夏絶が都で目にした白麟の姿そのものだった。

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