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戦場は白麟姫のしらべ  作者: 三茶 久
第1章 星合、鈴の音とともに
18/25

十年越しの、

 遠くの空を見つめながら、千夜は、ああ、と思う。遥か遠くが騒がしい。見上げた空は土色に濁り、あの下で数多の命が奪われているのだろうと思うと、居ても立っても居られなくなる。


「おい、坊主! ボヤッとするな!」

「! はいっ!」


 あれから二日。いよいよ兆しが見えると夏絶に申し出て、後方に残らせてもらった。

 何もするなと言われているが、じっとしていられる千夜でもない。男の衣装を着込んでは、後方支援の部隊に忍び込む。



 自陣は中央、北、南の三箇所に軍を大きく分けている。主要な将官は比較的中央に多く配置されているが、蔡将軍が倒れた今、防衛体制もいくらか変更になっていた。

 庶雪は依然中央に。蔡将軍の部隊も大部分は中央だが、北深など一部の将兵は北側へ異動になったようだった。


 一方、夏絶の部隊はというと、もともと幕舎は南の隅に位置取っていた。中央に滞在すると、周囲との繋がりが面倒だと柳己は言っていた気がする。例の夏絶のお気に入りの場所からも遠いから、とも。

 しかし、戦で受け持つ場所は相変わらず中央付近であるわけだが。




 この日、千夜は単身、中央の後方部隊に紛れ込んでいた。

 先の奇襲による被害より、自陣のたて直しを行っているが、案の定、なかなかに肉体労働だった。土木作業など経験したことがあるはずもなく、ついていくだけで必死だ。


「ったぁく! 若い時から血気盛んに志願するのはいいがな。その細腕じゃ、先が思いやられるぞ」

「申し訳ありません」

「こないだ入った新入りの方が余程使えるぜ」


 悪態をつかれながらも、頭を下げ続ける。

 およそ七日も、何もせずにいられる千夜ではなかった。半ば意地で、働き口を見つけては、あくせく動き回る。……とは言え、場違い極まりない。力のない千夜では、材木を運ぶ役目も十分に果たせない。


「んっ」


 力を入れて押さえ込んでは、打ち付けてもらうのを待つ。柵を組むにもかなりの手順が必要で、これを一日中行ったところで、どの程度の柵にしかならないのか、考えるだけで途方に暮れる。

 ひとりでも多くの兵が欲しい。当たり前のこの国の実情を、改めて実感するに至った。



「にぃちゃん、綺麗な顔してるんだから、戦場に来るのは勿体無いな」

「だなぁ。商売なりなんなりした方がよっぽど向いてるぜ」


 力がないことと女みたいなことを散々からかわれるが、甘んじて受けようと千夜は思う。

 事実、女なのだから、仕方がないこと。それよりも、一応男に見えていることの方が余程ありがたい。


「でも、俺も、祖国の力になりたくて」


 殊勝な言葉を足してみる。

 そうしてにっこりと微笑むと、男たちは目を丸くした後、お互いの顔を見合っていた。




 日がな一日、あくせく働いてへたり込む。日が傾いてきて、ようやく、ぼろぼろになった手をさすった。

 いつもと使う筋肉も違うのだろう。疲労の溜まり方もまったく違って、体中がぎしぎし言っている。

 しっかり手入れをしないと、すぐにばれる。しかし、怒りに目を釣り上げる夏絶の顔を想像しては、その後、何故そうなる、と思考回路を振り払うに至った。

 千夜が気にするべきは、夏絶でなくて雷王だ。いつか雷王のものになるからこそ、美しい姿でいなければいけないのに。


「おい、交代だ」

「おうよ」


 遠くで伍長同士が声を掛け合っている。

 熱にやられてくらくらした頭を振り、どうにか意識を保とうとしていると、千夜に近づく影があった。


「にぃちゃん、さすがに疲れたろう? 休みに入るぞ」

「ええ、ありがとうございます」


 突然声をかけられて、笑顔でそう返す。しかし、どうしたものかと千夜は思った。


 気温も下がり、太陽が赤く大地を照らす。

 そろそろ夏絶たちの部隊も帰って来るだろう。早いところ合流せねば、不審に思われても仕方がない。

 頃合いを見て、この集団から抜け出さなければならない。


「慣れない仕事だったようだが、大丈夫か?」


 周囲の屈強な男たちに口々に声をかけられ、大事ないと答える。

 しかし、千夜のボロボロの手を見ては、中の一人がこれはいかんと顔をしかめた。


 唐突に手首を握られて、妙な感覚に目を丸くする。顔を上げると、無精髭を生やした大男が、にやにやこちらを見下ろしていた。


「マメが潰れてるじゃねえか。軟膏があるから塗ってやろうか」

「お構いなく。自分でも持っているので」

 

 ああ、まずいと千夜は思った。

 とても嫌な感覚がする。

 放してくれと動かすものの、男はがっちりと千夜を掴んだまま放さない。ずるずるとそのまま引きずられるのを、周囲の男もにやにや見ているばかり。



「あ、あの。放してはくれませんか。俺は大丈夫――」

「んなこと言うなって。介抱してやろうって言ってるんだ」


 その単語に、全身がぞわりと総毛立つ。千夜が抗いようのない強い力で引かれて、足がもつれる。


「やっ……!」

「なんだ、女みたいな声を出しやがって」

「違う! 俺は――」


 まずい。

 あまりにまずいと全身から汗が噴き出す。


 必死で抵抗するが、男は気にする様子を見せない。にたにたと後ろからさらに数名の男が付いて来ており、どうにも逃げようがない。



 適当な天幕にたどり着くと、ぐいと無理やり中へと放り込まれる。


「おおい、お前ら、適当に見張ってろ」

「あーあ、一番いいところはいっつも兄貴だ」

「五月蝿え。お前らにも旨味はあるんだ。文句は言うな」


 下卑た笑いを浮かべて、男は千夜ににじり寄る。そのまま勢いよく押し倒されて、背中を打ち付けた。



「きゃっ……!」

「本当にお前は女のような悲鳴をあげるな――って」


 ぐいと胸に手をかけられたところで相手が固まるのがわかった。

 布を巻き付けておさえていても、直接触れたら嫌でもわかる、その感触。


 目の前の男は、驚いたように両目を見開いたかと思うと、その表情がみるみる歪んでいく。

 睨め付けるような下卑た表情を浮かべた男は、愉悦に溺れた様子で、口の端を上げる。


「お前、女か――」


 通りで華奢なはずだと悦びを隠そうともせず、男は千夜を組み敷いた。


「ち、ちが――」

「とんだ拾いモンだぜ」


 嫌だ、嫌だと首を横に振るが、それでも男は離れようとはしない。

 臭い息を顔に吹き付けては、千夜の首筋に顔を近づける。


 固く結びつけた帯紐に手をかけられ、戦慄する。

 嫌だ。もうだめだ。

 泣きたくなる気持ちで両目を閉じた瞬間、それは起こった。




「なっ――お前っ」

「ぐあああ!!」


 天幕の外から悲鳴が聞こえて来たかと思うと、どかっと誰かがその入り口付近にぶつかったのがわかった。

 呻き声が聞こえる中、いきなり外の光が入って来たかと思うと、急に身体が軽くなる。


 それもそのはず。

 千夜の上にのしかかっていた男が、気がつけば離れた場所に転がっていたのだから。



「大丈夫か?」


 何が起こったかわからず瞬いていると、上から柔らかな男の声が聞こえてきた。


 夕日が沈む赤の光を背に、長身の男が立っている。

 少し困ったような笑みを浮かべて、大きな手を差し出している。その瞳の色は、はしばみ色。


「あ……あ……」

「怖かったろう? 近くに居合わせていて、良かった。――助けが遅くなって、すまない」


 その優しい表情を見るだけで、身体の力が抜けていくのが分かった。

 自分と同じ、煤色の髪。


「万里――」


 人の良さそうな表情を浮かべた彼は、昔のように、千夜に救いの手を差し出してくれている。



「こん……にゃろうっ……」


 しかし、転がっていた男も黙ってはいなかった。怒りを露わにして、一心不乱に万里へと向かってきているのが目に映る。


「危ないっ!」

「甘い!」


 千夜が呼びかけるのが先か、万里の脚が動くのが先か。

 情け容赦ない万里の蹴りが、男の懐に入る。そのまま男は吹っ飛んだかと思うと、次の瞬間、千夜の身体が浮いている。




「きゃっ!」

「逃げるぞ!」


 すぐ近くに万里の顔があって初めて、彼に抱えられていることを悟った。

 当然、初めての経験に、千夜は目を白黒させる。


 しかし千夜の戸惑いなど気にすることはなく、万里はまっすぐ天幕の外へ出た。

 そのまま陣の方から離れていき、ひと気のないところまで千夜を連れていく。


「万里、万里――どうして」

「それは俺が聞きたい。以前、俺は逃げろって言ったな? なぜ戦場に出て来てるんだ?」

「う……」

「何があったか分からないが、言うことを聞けない悪い子だ」

「それは――」


 分が悪い、と千夜は思う。

 偶然、禍蛇(かだ)の路で出会った時のこと。理由は分からないが、確かに万里は千夜に逃げろと言った。



 なんと言い訳しようと千夜は思う。

 ここにいると言うことは――信じられないことに、万里も嘉国兵なのだろう。となると、夏絶とともにいることは、いつか知られることになるのだろうか。


 それでも、千夜は話せなかった。

 俯いて、ただただ首を横に振るだけ。

 ぎゅうと身体を強張らせた様子に、万里は万里で勘違いしたらしい。



「悪い。怖い思いをしたんだな?」

「……ごめんなさい」

「けど、ここで見つけられて、良かった」

「?」

「あと一日。一日で終わるから。そしたら、一緒に治葉へ行かないか?」


 まさかの提案に、千夜は瞬いた。

 一日で何が終わるのだろう。

 単独で治葉に行くなんて、余程特殊な立場にあるのだろうか。


 ついつい相手の立場と己の立場を考えたまま、思考が止まる。そんな千夜の様子を見て、万里は再び困ったように笑みを浮かべた。


「離れていた十年分、お前を護らせてくれ、ってことなんだが」

「え?」


 思わぬ言葉に、千夜は目を見開いた。


「ようやく見つけ出したんだ。女の身で、こんなところで働いて――苦労しているのだろう?」

「待って、でも――」

「俺だって、今は、ひとりくらい養う余裕はあるんだ」

「万里」



 あまりの展開に、千夜の頭がついて行かない。しかし、目の前の幼馴染は真剣だった。

 たしかに、千夜と万里はあの村で唯一生き残った者たち。彼もまた、千夜を守りきれなかったことを悔やんで生きてきたのかもしれない。


 そうして万里は、千夜を地面に下ろした後、そのままぎゅっと抱きしめる。


「男の格好をして、危ない目にあって――こんなの、放っておけるわけがないじゃないか」

「万里。でもわたしは――」

「さあ、行こう。幕舎は危険だ。今日は――」

「待って、万里!」


 焦るような千夜の声に、万里は目を丸めた。

 危険な場所からすぐに出ようとしない千夜を、不思議に思っているのかもしれない。それでも、ここで彼について行くわけにはいかない。


「待って。お願い。いきなりすぎて、頭がついていかないよ」

「! ああ、すまない。つい、気がはやって」


 きっと、強い責任感から言ってくれているよだろう。しかし、万里は、幼いころの関係性に縛られすぎている。

 いくら千夜が心配だと言っても、今の立場のまま、彼に庇護してもらうことなど出来ない。


「……考える時間を、頂戴」

「だが、幕舎は――」

「大丈夫。世話になってる人がいるの」

「だが……」



 何かを言いかけて、しかし万里は言葉を飲み込んだ。

 少し寂しそうに、ふっと笑っては、一度だけ頷く。


「わかった――その、世話になっている人の配置は?」

「配置は……えっと、ここでは、南」

「そうか。なら、いい」

「?」


 南の陣にいながらわざわざ中央に布陣している者など、夏絶たちくらいだろう。それを濁すために言葉を切ったが、万里は何やら安心したような表情をしていた。


「本当は今すぐにも連れていきたい。……でも。わかった。お前がそういうなら、明日まで待つよ」


 少し悔しそうに唇を噛み締めながら、万里は笑う。



「北の幕舎の端。森へ通じる道があるのは知っているか?」

「……ええ」


 万里の言葉に千夜は頷く。

 彼が言っているのは、禍蛇の路へ抜ける場所のことだろう。お互いそれを知っていなければ、あんなところで出会うはずがなかったのだから。


「明日の午前。お前にもわかるような大きな合図がある。その時までに、森の入り口で、待っててくれ。俺は必ず、お前を迎えに来るよ」

「大きな合図?」

「ああそうだ。だから千夜、なるべく早い時間に、北へ来ておいてくれ。中央には近づくな。さっきの輩もいるだろうし、絶対、絶対近づいてはならない。お願いだから、もう、危ない場所には行かないでくれ」

「でもわたし――」


 つい口をついて出そうになったのは、夏絶の名前だった。けれどもどうにか言葉を飲み込み、唇を引き結ぶ。



 そのとき、ざわざわと、自陣の方から声が聞こえて来た。おそらく味方本隊が自陣に帰還したのだろう。もしくは、先ほどの諍いの件で、動揺が広がっているのかもしれない。


「……騒がしくなって来たな。すまない、今、面倒ごとに関わるわけにはいかないんだ。千夜、明日! 必ず!」

「万里!」



 慌てて彼は千夜から離れ、北側の陣へと戻ってゆく。ああ――彼は北にいるのか、と理解するが、なんとなく嫌な予感が押し寄せて、千夜は両手を握りしめた。


 最後に万里は振り返り、その手を大きく振った。つられて千夜も手を振り返すと、嬉しそうに頬を緩める顔がある。

 しかし、すぐに彼は真剣な表情に戻ると、もう振り返ることはなかった。




 遠くなって行く背中を最後まで見つめたまま、千夜は己に問いかける。


 万里とともに、治葉へ行くのか。

 その問いに対して、あっさりと答えは出た。


 否。


 千夜は、戦場を離れることなど出来ようもない。



(明日になったら――彼の示した場所まで行こう)


 目を伏せ、千夜は自分に言い聞かせる。

 十年。彼はその分も護らせてくれと千夜に告げた。

 でも、その長い長い時の中で、千夜は彼に護ってもらえるような存在ではなくなってしまった。



(わたしは、雷王の養子。やがて雷王の妃になるんだよ、万里)


(そしたらきっと、わたしは――君の仇になるんだ)


 ぎゅうと拳を握り締める。そして、諦めるように、心の声を吐き出した。


(だから――)


「明日、さよならしよう。万里」



 そうして千夜も、彼とは逆の方向に向き直る。覚悟を決めて、全力で、自分の陣へと戻っていった。


 全力で走って、見知った場所に戻って来たところで、千夜は肩で息をした。

 心臓が高鳴ったまま、おさまらない。なんだこれ、一体何なんだとうんざりして、顔を上げる。


 瞬間、目の前の男と目があって、千夜はそのまま凍りつく。

 すっかり日が落ち、宵闇に浮かび上がる黒。

 風とともに血の臭いが押し寄せて来て、否が応でも現実に引き戻される。


 目の前の血濡れの男は、黒曜石の瞳に明らかに怒りを滲ませて、静かに千夜を見下ろしていた。

 そして、底冷えするような怒気を孕んで、彼は告げた。



「どこに行っていた、千夜」

「――高、夏絶」

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