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戦場は白麟姫のしらべ  作者: 三茶 久
第1章 星合、鈴の音とともに
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アンリの洗礼(2)


「蔡将軍、無事だったか――」


 そうして夏絶の髪を整えた後、彼と二人、蔡将軍の幕舎へと訪れた。


 央蛇の夜は冷える。

 夏絶が人払いをした後、幕舎の入り口の布をしっかりと閉じる。ランプの灯りがぱちぱち揺れて、横たわった蔡将軍の頬を照らしていた。


 その顔を見たとき、千夜は心の底からほっとした。

 彼は寝込んでいるにも関わらず、悪びれなさそうに夏絶を見ている。

 顔色は青白くて、その具合が良くないことは伝わってくる。それでも漂う厳格な態度に、ああ、この人は変わっていない、そう確信できたからだ。



「あの程度で私が死ぬとでもお思いか、黒王子」


 その大きな図体には、簡易の寝台も小さく見える。老傑とは名ばかり、年齢よりもずっと若く見える蔡将軍は、残った左の手で、己の髭を撫でていた。

 皆の前でいるときとは、少しばかり態度が違った。夏絶とふたりで向き合う蔡将軍の顔は、幾ばくか穏やかに見える。


(ああ、この雰囲気――)


 これが、この二人の関係なのかと千夜はあらためて実感した。

 他の兵たちの手前、蔡将軍が表向きに態度を変えていたからこそ。



 都にいたとき、夏絶が蔡将軍の屋敷に通っていたことは、一度や二度ではなかった。それは、蔡将軍の元で世話になっていた千夜であるからこそ知っている事実であるわけだが。

 蔡将軍と夏絶は、そこで何度となく手合わせをしていたらしい。言葉を変えるならば、蔡将軍は夏絶の師――と言えるのかもしれない。


 雷王と距離をとろうとする夏絶が、どうして蔡将軍を頼ったのかは千夜が知ることなど出来ないが――自分と重ねて見てしまうのは仕方のないことだろう。


(ままならぬ状況で、憎む相手を頼ってまでも乗り越えようとしていたのかもしれないな)


 すべては千夜の憶測でしかない。

 それでも、千夜にとってはその気持ちは痛いほどによくわかった。



 見つめ合う夏絶と蔡将軍の様子に、千夜が眦を下げたころ、蔡将軍はぽつりぽつりと語り出す。


「しかし右腕がないのは不便でなりませんな。飯がまともに食えんのが、どうもこたえる」

「まず心配するのはそこか」

「当然でありましょう。――右腕がなくとも、将軍職を退く理由にはなりませんからな」


 そのように誇らしく宣言する彼は、やはり千夜の知る蔡将軍だった。

 利き腕を失ってどれほど憔悴しているかと思ったが、心配には及ばなかったらしい。もちろん、その本心までは推し量ることが出来ないものの。


 痛みは当然残っているのだろう。たまに目を細めるが、流石長年将軍職に就いてきただけあって、その肉体、そして精神はたいしたものだった。丈夫さが取り柄と言わんばかりに平気な顔をして、彼は夏絶に顔を向けた。

 夏絶もまた、表情を引き締めて、静かに彼に問う。


「話せ、何があった」




 そうして蔡将軍は、天井を仰いだまま、淡々と語り出す。

 夏絶の報告にあった、敵兵のこと。

 そして、その先頭に立っていた、とある男のこと。


「墜星のアンリ――噂には聞いていたが、戦場で(まみ)えたことはないな」

「まだ新参の騎士でしょうからな。しかし、異例の速さで二つ名が付いたのも事実」

「弧将ジャック以来か」

「左様――不思議な男でした」


 じいと天井を見据えたまま、蔡将軍は一部始終を語った。

 北西の崖から突如約二百の敵兵が現れたこと。

 央蛇を突破する以外、相手国に入る手段などない。当然、その方角からの敵襲など予期すらしてなかったこと。

 防戦しようと兵を集めたが、彼らの動きの方が速かったということ。やがて、その中でも一部の精鋭部隊が蔡将軍の目の前にたどり着いたこと。



「甲冑で顔はよく見えませんでしたがな――あの男、我々の言葉を理解しているようでした」

「ルベルティア――イザリオン帝国の、大臣のひとりの名と同じだからな」

「彼の国は、貴族とは言えただの軍人も敵国の言語を学ぶのですか」


 やれやれ、と蔡将軍は肩をすくめる。


「厄介なものですな。あれもまた、その身に呪いを刻みし者か。――僭越ながら申し上げますと、剣の腕は黒王子と互角」

「ジャックがもうひとり、と言うことか」

「左様。彼の国は若者が育っておるようですな」


 やれやれ、ますます厄介だ――そう呟く蔡将軍の表情は険しい。夏絶を含めて、尋常ならざる身体能力の持ち主は、どうやら何名かいるらしい。



「この腕を失ってようやく凌いだ程度。全軍の撤退が遅れていれば、好き放題やられていたかもしれませんな」

「蔡将軍ともあろう者が、随分弱気な」

「私の腕を切り落とした男ですから。慎重にもなりましょう」


 悪びれのない様子の蔡将軍に、夏絶は両目を閉じる。

 そうしてそのまま、実に言いにくそうに、ぽつりと言葉を吐き出した。


「……早く傷を治して戦場に戻れ。お前の采配でなければやり難くて仕方がない」

「それは貴殿の未熟さでしょう。どのような将であれ、対応する方法を覚えなされよ」

「ふん」


 素直でない夏絶は、蔡将軍の正論に腕を組む。すっかり図星を刺されていたようで、眉間に皺を寄せている。


「……まあ、私も得意ではありませんでしたがな」


 言い返せなくなった夏絶に対し、やれやれと蔡将軍は溜息をつく。そして今度は、千夜の方へとその視線を向けた。



「千夜。お前は、ゆめゆめ己の立場を忘れるなよ」


 たったひとこと。

 それだけ告げて、蔡将軍は顔をむこうに向けてしまう。もう、千夜に話すことなど何もないらしい。

 大きく息を吐く彼の姿は、どんなに気丈な態度でも、思わしくないことぐらい推し量れる。

 千夜は目を細めて、ああ、と言葉を吐き出した。


「――分かっているとも、蔡将軍」





 ***





「墜星のアンリ――蔡将軍でもあのようなざまか」


 幕舎から出たのち、夏絶は苦々しく言葉を吐いた。

 普通に戦えば、実力は夏絶と同等。蔡将軍の言葉が彼にとって不本意でしかないのだろう。

 王子でありながらも忌子である彼は、だからこそ、誰にも遅れをとりたくない。その高すぎる誇りを持て余し、ぎゅうとその手を強く握りしめていた。


「だが高夏絶、その男は、蔡将軍を襲ってから後、戦には出てきていない」


 こんなことを言っても、気休めにもならないことを千夜は知っている。

 それでも、何か声をかけずにはいられなかった。


「再び北へ逃げたと聞くが――追撃部隊が追い切れていないのは厄介だ」

「簡単に国境を越えられてしまったのだろう? 確かに放置して良いとは思えないが」


 お互いに意見を交わし、目を伏せる。

 涛蛇山脈は人が歩むのに優しくない地。特に、央蛇以外でイザリオン側からたどり着く方法など、あるはずがないと思っていた。


 墜星のアンリ。彼がどのように国境を越え、あの場所に現れたかは分からない。

 とはいえ、どんなに悩もうとも、起こってしまったことは仕方がない。


「嘉国側に出られたとしても、戦場で相手にすることになったとしても――どちらにせよ、厄介だな」

「ああ、そうだな。それに……」


 相槌を打ち、千夜は言葉を言いづらそうに目を伏せた。

 ひとつ、心配になっていることがある。戦が長引くと、千夜にとっても都合が良くなかった。


「高夏絶。ひとつ、話しておかなければいけないことがある」

「? どうした」


 千夜の思い詰めた顔を不審に思ったのか、夏絶は足を止めた。

 ぱちぱちと、松明の燃える音が聞こえる。行き交う兵士の姿もちらほら見えるため、千夜は足早に方向を変えた。


 自陣の端、松明の炎が届かぬ方向へ足を進めると、夏絶も無言で付いてきた。どうやら話を聞く気はあるらしい。





 そうして千夜は、ひと気がなくなっていることを確認した。

 あまり光の届かぬ暗がり。そこで改めてふたり向き合う。

 遠くでは忙しなく働く兵のかけ声が聞こえてくる。しかし、流石にこのような陣の端までやってくる者は居ないだろう。


 ここなら大丈夫か。そう判断して、千夜は顔を上げた。その深刻そうな表情に、夏絶もまた眉をひそめる。



「あと三日――いや、二日もすれば、私の援護はほとんど期待できなくなると思っていてくれ」

「?」

「期間は一週間ほど。おそらく、戦場へ赴いても私は何も役に立たない。いや、白麟として姿を現すことも出来なくなる」

「どうした? まさか――そんなにジャックにやられた傷が?」

「違う。そんなのはたいしたことじゃない……って、近い近い!」


 咄嗟に夏絶に肩を掴まれ、千夜は身をのけぞらせる。


 心配してくれるのはありがたいが、仲間以上の態度は求めてはいない。

 やめろと彼の身体を押し返すと、傷ついた腕がずきりと痛んだ。


 んっ、と咄嗟に身体をよじると、流石の夏絶も動揺したらしい。

 黒曜石の瞳が僅かに澱み、逃げる千夜を更に強く引き寄せる。そしてそのまま、右腕の袖を勢いよくめくり上げた。



「んあっ! ちょ、やめろ! 高夏絶っ! やめてくれっ」

「じっとしていろ……医官には見せたのか!?」

「んっ、でも、命には」

「答えろ。見せたのか?」

「……見せていない」

「この莫迦者!」


 真正面から怒鳴られて、千夜は何も言い返すことが出来なかった。


 彼が言っていることは正論過ぎる。

 自分より酷い怪我をした者があまりに多く、自身で何とか出来る傷だからと遠慮をしてしまった。……もちろん、ずっと白麟でいられなかったことも理由の一つではあるが。

 正直、突然千夜という女が戦場で怪我をしたと名乗り出たとしても、不審がられるだけだ。



 自身で治療はしたものの、すっかりと青黒くなってしまった傷跡を見て、夏絶はひたいを押さえた。

 その表情は険しく、怒気すら孕んでいて、何も声をかけられない。

 少しでも動こうとしたら、彼の怒声が飛んできそうだ。


「処置はちゃんと出来たのか――だが、ひどいな」

「これで済んだから、もらいものだ」

「莫迦者。――娘が、仮にもお前は立場があるだろう。痕をつくるな、この莫迦」

「それは、その通りだけど」


 案の定まくし立てられ、千夜はたじろいだ。

 綺麗に斬られているらしく、傷口はかなり早く塞がりそうだ。それでも夏絶には痛々しく映るのだろう。


 実に不機嫌そうに睨みつけられ、言葉に詰まる。

 ごめんなさい。どうにか、そう素直に謝ったところで、彼は奇妙そうに顔をゆがめる。


「今日はどうした? 王族たるもの、容易に頭を下げてはならぬ」

「今は千夜なのだが」

「それでもだ。殊勝な態度は可愛いものだが、お前には似合わぬ」

「か、かわ……」


 一気に顔に熱が集中するのがわかった。

 女にしては長身の千夜にとって、可愛いなどと言う言葉は無縁だ。

 何やら気恥ずかしさが押し寄せて、夏絶の顔を見ていられない。


「――言ってろ」


 結局可愛くない態度で返してしまい、黙り込む。それが良かったのか悪かったのか。夏絶は機嫌を良くして、両腕を組んだ。



「で? 先ほど、何か言いかけていただろう? 聞いてやろう」

「君が話をそらすから。……まあ、いいけど」


 少し顔が熱い。それを悟られぬよう、そっぽを向いて、千夜は言葉を選ぶ。


 明かすには少し抵抗のあることだが、話さないわけにもいかない。

 言葉を詰まらせながら、それでも、決意したように千夜は告げた。



「わたしの舞術なんだが……その、障りがある日は、効果が現れないようでだな」

「障り? 何かあるのか?」


 だがしかし、夏絶は全くもって察しが良くなかった。

 遠回しに伝えたいのに、彼の鈍感さが許してくれないらしい。


「だから。わたし、これでも女だから」

「? 今更何を言っている。女に見てもらいたいなら、その男装を止めれば良いだろう?」

「っじゃなくて!」


 ああもう! と、千夜は声を荒げる。


「だからっ、月の物だよ! お願いだから悟ってくれ!」

「! ……ああ、そうだった」

「そうだった? 知ったかぶらないでくれないか。絶対わかってなかったろう」

「違うっ! 返答に困っただけだ」

「本当に君はどうしようもないな!」


 ぐぬぬ、と睨み合い、散々罵りあった後、千夜はふうと息を吐いた。



 ……また、やってしまった。

 こんな言い争いをしたところでどうしようもないし、そもそも、千夜は今、怒れる立場ではない。


「その――なんだ。ごめん」

「……いや」

「粋がって戦場に出てきておいて、これだ。甘んじて、罵られるべきだった」

「そんなことはない」


 どうやら夏絶も沸点は越えたらしく、気まずそうに三つ編みをいじり始める。


「その。仕方のない事なのだろう? 女のそれは、たいそう辛いと聞く。無理して戦に出なくても良い」

「でも、戦に出てきたからには」

「無理な時は休むのが仕事だ。なに、一週間程度、本来なら自分の力で凌いできたのだ。なんと言うことはない」



 すんなり受け止められてしまい、千夜は言葉に詰まる。

 気を使ってくれるのは分かるが、それもまた辛いから厄介だ。それに――


(わたしなんか、いても居なくても同じように聞こえる――)


 なんてつまらない、と千夜は思った。


 違う、夏絶に言って欲しかった言葉は、そうじゃないらしい。

 動揺して欲しかったとでも言うのだろうか――。

 もっと、もっと頑張らないと。千夜が戦場に来ている意味がない。



「千夜。どうした?」

「っ……! 何でもないっ。その分、明日は頑張るから!」


 どうにもおかしい、と、千夜は思った。

 いつもいつもいつも。彼には調子を乱されてばかり。

 情けない、と千夜は思う。こんなことをするために、戦場に来たはずなど、ないのに。

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