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戦場は白麟姫のしらべ  作者: 三茶 久
第1章 星合、鈴の音とともに
12/25

墜星と呼ばれる青年(3)

「……っ!」


 元来た道をただただ戻る。驚きで声を失ったまま、それでも、胸の高鳴りを抑えきれない。


 煤色の髪の青年――万里は月明かりをたよりに、真っ直ぐ細い川沿いを走った。

 一刻も早く――彼ら(・・)の足止めをしなければと、一心に。



(――千夜。千夜、千夜……!)


 何度も何度も、心の中でその名を呼んだ。


 十年前、目の前で彼女を奪われた。

 彼女を守護するために生まれたと言うのに、その任を果たしきれなかった。


 もはや生きる意味もない命なはずだったのに、幼い日の夜――奇跡的に一命を取り留め、とある者に救われた。

 その後、調査で涛蛇に来るたびに彼女の足取りを探った。足取りどころか、生きているのかどうかもわからなかったというのに――。



(雷王は、涛蛇(とうだ)に住む者を見逃さないから)


 助けられ、外に住むようになってから、その話を聞いた。

 涛蛇山脈の奥に住まう者は問答無用で処罰される。

 きっと千夜自身も殺されたのだろう。それが悔しくて、許せなくて、なぜ自分が生き残ってしまったのかとただただ悔やんだ。


 当時、千夜はまだ六つの幼子だった。

 それでも彼女は、村の希望だった。芸を尊び、祈りとともに暮らす万里の村で、千夜の家は特別だ。

 祈りの紋様が施されたあの家に生まれた者こそ、村に安寧を招く。

 だから、彼女が生まれたときから、やがて村の長となる千夜に寄り添いなさいと言われ続けた。万里も万里とて、長を護る定めの者と選ばれたからこそ。



(ずいぶん、大人になってた。……もう十六か)


 十六と言えば、ちょうど成人したのかと理解する。

 髪は、切らずに生活できているのかと安堵もした。

 嘉国で髪は高く売れる。だからこそ女で髪を切っている者は、売女か浮浪者か、相当貧しい者だと主張するのと同義。……それでも、売らないと生きていけぬのだから仕方ないわけだが。



(綺麗に、なっていた)


 彼女の顔を思い出すだけで、胸に温かい気持ちが宿る。

 同じ煤色の髪。はしばみ色の瞳。きっと、二人で並んだら兄妹だと間違われるだろう。


 しかし、万里は彼女を妹だと思ったことなど一度もない。彼女はいくつになっても、己の庇護対象だった。

 だがそれよりも、彼女が産まれたときから、ずっとずっと、将来彼女と一緒になるのだと親に言われて育ってきた。

 幼いながら、千夜を意識しなかったことなど、なかったのだから。



 男物の衣を纏っていたのは、やはり何か事情があったのだろうか。

 本当はその事情を聞きたかった。そのまま彼女を連れて行きたかった。それでも、今の万里の立場を思い出し、決して出来ぬと踏みとどまった。





アンリ(・・・)隊長、戻ったか」


 名前を呼ばれて、びくりとする。

 自軍近くに戻っては来ていたが、どうも心ここにあらずだったらしい。

 アンリ(・・・)ルベルティア(・・・・・・)、それが今、万里に与えられた名前と家。


 顔を上げると、見慣れた優男がそこにいる。

 クセの強い亜麻色の短髪。碧色の瞳は彼の国では珍しくないものだが、彼がふと目を細めると、右の泣きぼくろが一緒に上下する。

 柔らかくも隠しきれないやんちゃさを残した笑顔を浮かべ、同僚のエミールは万里の肩を叩いた。


 なんの気まぐれか、今は隊長(・・)、と敬称をつけてはくれたが、この男はよそ者の万里とずっと肩を並べてきてくれた。砕けた態度もその証拠だ。


「遅かったから、心配した」


 エミールはそう言って、肩をすくめた。

 動きやすいように軽鎧ではあるが、磨き上げられたプレートには、彼の家紋が彫り上げられている。

 それなりに力をもった若い騎士たちと、そんな彼らが信頼する配下の戦士たち。おおよそ、この部隊はそのような構成だった。

 少数の精鋭と言って良いのだろう。奇襲をかけるには、個々の能力と、信頼が強く求められるからこそ。



「ああ――少し、気になる気配があったから。今日はこの先に進まない方がいいかもしれない。()と遭遇する可能性があるかもしれない」

「なんだって?」

「今見つかるのはまずい。――このまま今日は待機だ。どのみち、ここから先は森が深くなる。松明なしには進めないから、丁度良い」

「まあ、アンリがそう言うなら」

「動くのは夜が明けてからだ。それまでは、皆、少しでも身体を休めてくれ」



 万里がそう告げると、騎士達は一斉に野営の準備をする。とはいっても、これは隠密行動。荷の点検などを済ませるくらいで、交代制で眠りにつくばかり。


「アンリ隊長、預かっていた鎧は――」

「ああ、ありがとう。頂こうか」


 そう告げて、万里は軽鎧を受け取った。代わりに、身につけていた嘉国の衣装を脱ぎ捨てる。


 胸に彫られた紋章はルベルティア家のもの。

 獅子とオリーブ、そして(おおとり)が描かれている。腕に通してからマントを羽織る。最後に、懐に隠し持っていた紋章を身につけた。


 星を貫く銀の剣。

 墜星(ついせい)と呼ばれるその勲章は、星すら突き堕とすと言われたほどの戦果を上げたためと言われるが、要はただの人殺しだ。


 イザリオン帝国(・・・・・・・)“墜星のアンリ”。その名を賜ったのは一年ほど前のことだったが、よく言ったものだと万里は思う。

 ただ、自分は、小ずるい生き方をしているだけだ。

 見目だけは完全に嘉国の者なのだから。潜入も、情報収集もお手のもの。それを最大限に利用しているにすぎない。



(仇討ち、だったんだけどな)


 千夜は、生きていた。それでわずかに救われた気持ちになる。

 それでも万里は、雷王を生かすわけにはいかないのだ。

 敵国へ寝返っても、必ず、雷王だけは討たねばならない。

 意味もなく人の命を奪い去る、あの悪逆非道の王を墜とす。それだけ願って、万里は生きてきたのだ。


(それでついた名が墜星なんて、とんだ皮肉だけどな)


 星を墜とす。夜を終わらせる意の名は、千夜を護れなかった自分そのもの。

 ――彼女は、生きていたけれども。

 本当に、それだけが万里の救いとなる。




「裏をかいたとしても、今度の戦は厳しいものになるだろうね」

「例の噂がな」

「黒忌だけでも厄介なのに――嘉国の王家はどうなってるんだ、まったく」


 いくらなんでも反則だろう。そうエミールは忌々しげに吐き出す。

 “例の噂”を耳にしたとき、万里とてとても信じられなかった。



「白の乙女――白麟(びゃくりん)と言ったか」

「ああ、戦場にあるまじき衣装で、踊るんだってさ。黒日だったから、皆、幻でも見たのかなと思うんだけどね」


 今年の黒日に突然現れたという白の姫君。捕虜の話だと白麟姫とか言う、王の娘らしいが、詳しいことはわかっていない。

 ただ、嘉国で女性の将――その娘を将と言っていいのかは定かではないが――など、まず聞いたことはない。

 女の兵自体が珍しい嘉国軍の中でも、その娘は際立って異色だったらしい。イザリオン帝国兵が、勝手に“白の乙女”呼ばわりするほどには。



「相手が女であろうが姫君であろうが戦場に出てくれば同じだ。嘉国王家に連なる者を、放ってはおけないだろう」

「奇妙な術を使うとか。いよいよもって、黒日の異変か白の乙女の奇跡かってね――絶世の美女らしいよ? 一度は拝みたいけど、死神だったら逃がしてはくれないよねえ」

「あのな」


 軽々しく言ってのけて、エミールは肩をすくめた。

 嘉国と比較すると、イザリオン帝国軍は女性の騎士も少なくはない。女帝陛下の威光をもって、女の功績も平等に認められるのは嘉国との大きな違いだ。

 軍が誇る戦姫と呼ばれる者もいないこともないが、少なくとも万里に興味はなかった。



「あーあ……また興味なさそうな。例の死んだ幼なじみ? いいかげん、忘れなよ。イザリオンにも綺麗な娘、いるよ? ただでさえ、適齢期なんだから」

「エミール!」

「あーハイハイ。わぁーかってるよ。でも、君だってルベルティアの名を授かってるんだ。少しは気にした方が良いよ? その、養父様のためにも」

「分かってるが、今する話じゃないだろう」

「とかいって、いつも話を逸らすくせに」


 さもつまらなさそうに、エミールは口を尖らせた。

 村が襲われたあのとき、万里はイザリオン帝国に流れ着き、孤児として拾われる形となった。その当時からともにいるエミールは本当に万里に遠慮がない。

 死んだ(・・・)幼なじみの話題を出せるのはエミールだけ。その他の者が口にすると、万里は間違いなく激怒してきていたから。


 しかし、それももう終わりだ。

 だって、その幼なじみは、死んでなどいなかったのだから。



(――千夜は、俺を軽蔑するだろうか)


 いくら仇とは言え、祖国へ徒なすことを、なんと言うだろう。

 考える時間が欲しくて、治葉へ向かえと彼女に言った。その時、真実を話せるだろうか。


 くすぶる心をぎゅっと抱きしめるようにして、万里は瞳を閉じる。

 それでも、万里は、前に進まないといけない。

 もう、この立場が、寝返ることなど許してはくれない。



(――俺は、墜星のアンリ)


 まずは央蛇。敵将、蔡丁衛(さいていえい)の首を獲る。

 忘れもしないあの男は、村を襲った者と同一人物。千夜をとらえ、万里を谷に突き落としたあの大男だ。


 だから、どうか許してくれ、と千夜に乞う。

 汚れを知らないはしばみ色の瞳。艶やかな髪から匂うやわらかな香り。抱きしめた感触が脳裏に焼き付いて離れない。

 万里とて、わかっている。いつか、この身のことは話さなければいけないだろう。

 でなければ、彼女を連れて行くことなどできないのだから。



(ふた月で、覚悟を決めるか)


 大丈夫だ、と自分に言い聞かせる。

 千夜はきっと、自分を受け入れてくれる。そう信じるしか、ないのだから。


(千夜。必ず、必ず治葉で……)


 どうか無事にいてくれ、と。彼女に再び出会えるようにと、月に――強く、強く祈った。

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