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94話  一本の動画

 夕食前のホームでなんとなくソファに座ってテレビを見ている優理の耳に、玄関から扉が開く音がして三人の足音が届く。


「おかえり――って、どうしたの?」

「何でもない」


 振り向いて帰ってきた彼らを出迎える優理。しかし、珍しく不機嫌な表情の直哉を見て首を傾げる。その後ろでドヤ顔の和弘に困ったように苦笑している森崎を見て、和弘の厨二言動で直哉を怒らせたのだろうと察した。


「あれ、クロトは? もうすぐ飯だよな?」

「ああ、あいつなら食べられないからって部屋に籠ってるよ」


 優理への悪戯で岬から三日間食事抜きを罰を受けている。そのため、ホームに帰ってきて早々に自分の部屋に引き籠ったのだ。

 直哉も納得してそれ以上は聞いてこなかった。下手に首を突っ込んでサンドバックにならないための彼なりのクロトへの対応なのだろう。

 そう思っているとキッチンから濡れた手を拭きながら桐島岬(きりしまみさき)が顔を出す。


「三人ともおかえり。直哉君、帰ってきてすぐで悪いんだけど手伝ってくれる?」

「了解でーす。すぐに着替えてきますね」


 すぐにリビングを後にして自室のある二階へ階段を上っていく直哉の足音を聞きながら、優理は苦笑する。

 彼が家事を手伝うようになった当初はクロトや和弘の食事を用意するだけで疲れ果てていたのに最近は家事をするのが当たり前になり、岬のサポートも様になってきている。


「あいつが家事してるの、いつの間にか違和感なくなりましたよねー」

「そうね。私も結構助かってるわ。食べ盛りの男子が二人もいるから」


 岬はそう言って和弘の方を見る。一瞬だけ目を丸くする和弘だが、すぐに腕を組んでドヤ顔をする。別に褒めているわけでもないのに自慢げな表情をされてもと呆れながらテレビに視線を戻す。

 見ていたニュースはキメラに関する情報を取り扱っていた。世間では救世主と呼ばれているクロトとアレクが前回の戦闘では苦戦を強いられている事に出演者がコメントしている。


「珍しいな、小山さんがニュースを見てるなんて」

「ですよねー。自分でもそう思います」


 本来ならバラエティー番組などを好んで見るのだが、最近はニュースを見る事が多くなった。

 対策室は掴んでいる情報を精査してからメディアなどに公表しているため、すでに知っている内容がほとんどであった。

 それでもどの程度の情報が公開されているのか興味があったため、余裕があればニュースを見るようにしているのだ。


「何か当たり障りのない事ばっかり言ってますよね」

「エドナやキメラの調査が進んでいないからな」

「対策室ってそんな事もやるんですね」


 優理が対策室に足を運ぶのは検査か戦闘の時だけだ。非常時以外で対策室の人たちが何をしているのか知らなかった。


「ああ。エドナ、キメラ関連の事は対策室が中心になっている。最終目標はエドナ討伐なんだが、一向に姿を見せないんだ」

「そういえば全く出てこないですよね、エドナ」


 初めてこの世界に来た時以外にエドナは姿を見せていない。

 そのため、どこに潜伏しているのか分からない。キメラを産み出しているエドナを倒さなければ、この戦いは終わりを迎えらねない。


「あんな巨体が隠れられる場所なんて地下か、海とかかな?」


 これまでのキメラの出現方法は初めてキメラが襲撃した時は空から降ってきた。それ以降は地面の下や建物の中が多い。

 地下に潜んでいると仮定すれば辻褄が合う。


「それに戦闘もほとんど東京とかだから、潜伏場所からそれほど移動してないのかも」

『有り得るね。このまま襲撃を待っているだけじゃ、エドナ討伐なんて無理だろうし。こちらから攻めるというのはどうだろう?』


 ヴァルカンの提案にみんなすぐには答えなかった。

 この場にいる者はあくまで対策室の一員で、最終決定を下す権限は持っていない。


「悪くないかもしれんが、検討する余地は多分にある」

「検討?」

「奴が身を潜めている場所にもよるが、どんな場合でも大衆の安全の確保は最低条件だ。その上、確実に仕留められるかどうか」

「クロトたちじゃ歯が立たないかもってわけ?」


 自分で言葉にしておきながら最悪な状況だと自嘲する。当事者でもあるアレクもこの場にいるというのに。

 和弘の後ろに座っている彼の様子を伺うが、無表情なため、怒っているのか分からなかった。


「その他にも逃げられる可能性もある。ここで一度見失ってしまえば次はどこに身を潜めるか分からなくなる」

「そっか。逃げられたら意味ないもんね」

『戦えるのはアレクとクロトの二人だけだし、慎重にいかないといけないね。それにあの映像――』

「先の戦闘で顕現させた武装の改良が成功すればこちらからの襲撃も効果があるかもしれん。故に今は迎撃に専念するべきだ」

「そ、そう」


 ヴァルカンの言葉を遮り強い口調の和弘に気圧される。

 気になる事を言いかけたヴァルカンだが、姿勢を正して口を固く閉じて黙ってしまう。

 不審な行動に首を傾げていると扉から慌ただしい足音が聞こえてくると思ったら直哉が勢い良く顔を出す。


「優理! 晴菜のメッセージ見たか?」

「え? スマホは今部屋で充電してるんだけど、どうしたの?」

「これ見てくれ! みんなも!」


 直哉は操作したスマホをテーブルの中心に置く。

 彼の様子に呼応してリビングにいた全員が集まり、真剣な表情でスマホ画面を覗き込む。


「これって……」


 画面にはある映像が流れていた。その中にキメラを前に堂々と立っている制服姿の二人の男女が映っている。


 この映像の場面に優理は心当たりがある。

 前回の戦闘で玄武に呑み込まれたクロトに優理経由で武器を送っている時の映像だろう。


「和弘君、がっつり優理ちゃんの名前言っちゃってるわね……」

「まさか、あの窮地で戦闘の瞬間を凍結した輩がいるとはな。すまない。大衆の好奇心というものを甘く見ていた」


 苦い顔をしながら和弘はこちらを見る。悪気はないとはいえ、優理の名前を出した事に申し訳ないと思ってくれているようだ。


「別にいい。いや、ほんとはよくないけど。あの時、夏鈴ちゃんを助けられたし」


 あの時取った行動に後悔はない。もし、夏鈴を助ける時の代償が自分を特定される事だけなら安いものだ。メディアだけでなく、クラスのみんなにも追及されるくらいだろう。

 スマホから砂嵐のノイズが数秒流れて、画面が真っ暗になる。


「あれ? まだ終わってない」


 終わったと思って直哉が映像を止めようとスマホに触れると映像にはまだ一分ほど、尺が余っているようだ。嫌な予感はするが、そのまま映像を見るな


『あ~くそ、何なんだよ。こっちの邪魔しやがって』


 聞こえてきたのは不機嫌な感情を隠そうともしない少年の声だった。溜息混じりのゆっくりとした口調が不気味な印象を与えてくる。


『このお礼はさせてもらうからな。なぁ、ゆうりちゃんよぉ~』


 下卑た笑いは優理の耳から体内に侵入し、全身に激しい嫌悪感を与えてくる。

 声の主は優理に向けて言っているわけではない、。それなのに得体の知れない恐怖から息を呑み、無意識に腕を抱える。


「どうして……?」


 呟いた問いに予め録音されただけの音声は答えてはくれない。

 頭では分かっていても、問い掛けてしまった。きっと、声の主はすぐに能力を持った生徒の一人が自分であると気付くだろう。


「日高君。その映像を俺に送ってくれ。対策室に転送する」

「は、はい!」

「大丈夫よ、優理ちゃん。私たちが絶対に手出しさせないから」


 再生が終了して最初に動いたのは森崎と岬だった。森崎は直哉に指示を出してすぐに電話を掛けてリビングを一旦出る。震えている優理に岬はそっと抱き締めて、囁いた。


「す、すいません。ちょっと怖くなって」

「いいのよ、気にしないで。アレク、クロトを呼んできてもらえる?」

「分かりました」

「えっと、なんか、ごめん………」


 指示されるとは思ってなかったのか一瞬だけ目を丸くしたが、嫌な顔をせずにリビングを出る。

 同じタイミングで気まずそうに直哉が頭を下げる。彼の予想以上に優理を不安にさせてしまった事を悪いと思っているのだろう。


「優ちゃん……」


 服を掴んで心配そうに見上げる夏鈴に優理は何も言えなかった。

 彼女の頭を撫でようと伸ばした手は自分でも止められないほど震えている。


「何すか――どうした?」

「優理に危害を及ぶ可能性が出てきた」

「は? 何で?」


 和弘の短い説明に状況も分からずに呼び出されたクロトは首を傾げるも、周りの様子からただ事ではないと察したのか冷やかすような真似はしなかった。


「小山さん、念のため明日から誰かと一緒に行動するようにしてくれ。こちらでも護衛を付けるように手配する」

「あ、あの……あの音声、もしかしたら、私の知ってる人、かもです……」


 震える声と共に小さく挙手する優理にみんなの視線が集まる。

 血の気が引いているのが自分でも分かる。気を抜いたら座り込んでしまいそうだ。


「宮原敦司。私が、以前付き合っていた男子です」

「まさか、花火大会に会った彼の事か?」

「はい」


 ねっとりとした厭らしい喋り方だったが、声は宮原のものだ。信じたくないと思っても届いた音声がその願いを否定する。


「どうしてあいつが?」


 頭に浮かんだ疑問を口にしても誰も答えない。それでも、戸惑いで言葉が出てしまう。

 ただ、この音の主は何か行動を起こすという事だけは分かった。


『取り敢えず、その宮原って人は警戒してた方が良さそうだね。どんな人なの?』

「えっと、再会した時は無駄に髪を伸ばしてて、全身黒のコーデですごく陰気な感じがしてたような」

「あ、まさか……」


 優理の言葉で何かを思い出した表情をする森崎。優理たちの視線が集まっている事に気付いて我に返ると何故か黙ってしまった。


「どうしたというのだ?」

「いや……その服装に最近心当たりがあると思い出したんだが……」

「珍しく歯切れが悪いではないか」

「……断定はできない。不確定な情報を広めて不安を煽りたくはない」


 全員が森崎を見ているが、一向に話そうとはしない森崎を不思議に思いながらも優理は追及するべきか迷っている和弘の代わりに口を開く。


「それでも、私は知りたいです。駄目、ですか?」


 震えながらもしかし、はっきりと自分の意思を伝える。

 彼が隠している内容がどんなものか分からない。それでも、宮原が関わっているのなら知らなければいけないと使命感のようなものが優理の背中を押す。


「分かった。最近対策室で見た映像に映っていた人物に似てる気がしたんだ」

『それって人間が多頭獣に変わる瞬間の映像?』

「「「………え?」」」


 ヴァルカンの発言に耳を疑う。視線が集まった事で失言だったと主張するように不自然に目を泳がせる。

 森崎と和弘はそれぞれ溜息を吐いて、頭を抱えている。


「ねぇ、今のどういう意味?」

『えっと……それは……』

「夏鈴ちゃん、これから難しい話が始まるみたいだから、私とお風呂入ろ?」

「え? あ、うん」


 突然の岬の提案に夏鈴は戸惑いながら引っ張られる形でリビングを出る。

 残されたメンバーは誰も口を開こうとはせず、緊張が走る沈黙が支配する。


「人間がキメラに変わるって、マジ?」

「………ああ。まだ多頭獣の一例しか確認されていないがな」


 最初に沈黙を破ったクロトの問いにやや間を空けてから和弘が苦い表情で答える。

 森崎とヴァルカンも和弘と同じような表情をしているのでおそらく二人も知っていたのだろう。


「コンビニに設置されていた監視カメラの映像でその中に全身黒のコーデの人物が立ち去った後に店にいた数人の男たちが集まって多頭獣に変わっていったんだ」

「その立ち去った人物が宮原に似てたって事ですね?」

「確証はないが、もう一度見直す必要がある」

「あの、私にもその映像を見せてもらえませんか?」


 自分なら宮原かどうかすぐに分かるはずだ。それに彼が不穏な事をしているなら止めなければならない。

 優理の提案に森崎や和弘は目を丸くするが、すぐに苦い表情で顔を逸らす。


「確かに小山さんに確認してもらうのが一番なんだが………」

「我らが見た映像は嫌悪が全身を駆け巡るほどの醜悪な物だ。それに貴様は耐えられるのか?」


 自分よりも大きな身体で威圧するように和弘は優理の前に立つ。

 見下ろしている目が真剣なものでそれが冗談を言っているのではないと伝えてくれる。

 それでも優理の決意は変わらなかった。


「大丈夫、なんて断言はできないけど、それでも、私にできる事があるなら協力したい」


 睨むように和弘の目を見る。言葉に乗せた想いに嘘はない。

 エドナ襲撃から今日までずっと思っていた事だ。

 ヴァルカンの能力を授かったとはいえ、戦闘のサポートできる事など些細なものだ。だから、それ以外にも何かの力になれるのなら協力したい。


「……分かった。連絡してみるが、無理だと思ったらすぐに言ってくれ」

「はい」

「ボクたちも映像の確認は必要か?」

『どうしてだい?』


 優理の話が一段落したのを見計らって今まで黙っていたアレクが挙手をしたので代表するようにヴァルカンが尋ねる。

 視界の端でクロトが嫌そうな表情をしていたが、何も言わず話を聞く事に専念する。

 同じタイミングで森崎のスマホに着信があり、彼はすぐにリビングを出る。


「立ち去った人物が何者だろうが、キメラに関わっている可能性があるなら優理の護衛ついでにソイツを捕まえて情報を聞き出すべきではないか?」

「へぇー、マジメなこった」

「何を言っているお前もやるんだよ」

「はぁ!?」


 露骨に嫌な顔でアレクを見るクロト。そんな彼を黙らせるように一瞬だけ冷たい目で睨むとすぐにみんなの方へ視線を戻す。


「優理に危害を加えようとする人物が一般人でないのならただの人間では対応できないだろう。それに、優理に何かあったら夏鈴が悲しむ事になるが、それでもいいのか?」

「……………チッ、ここで話しててもしょうがねぇだろ」


 夏鈴の名前を出され、乱暴に頭を掻くクロト。クロトを兄のように慕ってくれている彼女の泣き顔は彼だって見たくはない。

 クロトの事を知らないアレクはそう思っているだろう。彼の過去を知る優理はアレクが地雷を踏んでからクロトの様子を息を呑んで見守った。

 幸い、彼は激しい怒りを見せず、不機嫌な態度を取るだけだった。

 脳裏に過るのは、今日、学校に行く時にクロトと彼の過去について尋ねた瞬間だ。


(本当に隠し続けるつもりなんだね……)


 あの時話した内容は他人に明かすなとクロトから脅され、二人だけの秘密になっている。

 話が落ち着いた時に森崎が戻ってきて、優理たちは明日対策室に行く事になった。

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