09話 模擬戦 森崎視点
森崎は自分がかつて候補生時代に訓練で何度も足を踏み入れた事のある森の中にいた。大きな樹に背中を預けて肩を揺らしながら大きく息を吸う。
「こんな形でここに戻ってくるとは思はなかったな……」
ここで過ごしていた時の事を思い返す。厳しい訓練に明け暮れ、宿舎では同期と他愛もない会話をして、就寝する時はすぐに爆睡していた日々が続いていた。
しかし、小枝が折れた音が耳に届いた事によって現実に引き戻される。
そう、今この場所にいるのは森崎だけではない。
森崎はαと一対一で勝負をするという状況に置かれている。
勝負の内容は制限時間十五分の間に相手に一回攻撃を加える事、制限時間が終了した場合は森崎の勝利という単純な内容だ。
先に森崎が森に入り、その数分後にαが入る。その瞬間に勝負が始まる。
森崎は入り口から少し離れた木の場所に身を隠している。
森崎は短期決戦を選択した。
本来なら、相手の実力を知るためにできるだけ戦闘を引き延ばし、相手からより多くのデータを得る事が正しいのだろう。
だが、数時間前に倒す術がない相手との戦闘で一度は自分自身死ぬ直前までの状況を経験して、身体的、精神的疲労が身体に蓄積された状態では、長期戦には耐えられないと判断したからだ。
静かに息を潜めて相手が来るのを待つ。
一度だけ相手の戦い方を目の当たりにしているとはいえ、まだ相手について不明な点が多い。
通常の人間の身体能力以上の機動性を持つαは勝負に公平性を持たせるためにこちらに合わせて戦うという事だったが、これはどこまで信用していいのか分からない。
これまでの言動からαはβと違い、自分の感情のままに行動しているように感じた。他人が決めたルールに大人しく従うとは考えられない。
明らかに自分よりも身体能力が高いであろう未知の存在である相手との一騎打ち――しかも、相手はルールを守る保証がない、という不利な状況で模擬戦を行わなければならない。
(こんな事に意味があるのか?)
向こうの理不尽な要求になぜ自分が巻き込まれなければならないのかと、溜息が零れる。
(今更愚痴を言っても仕方がないか)
目を閉じて、息を吸い、それをゆっくりと吐き出す。自分が置かれている状況への不満は一度頭の片隅に置いて、やがて来る自分が戦う相手への備えに集中する。
その時はすぐにやってきた。静かに、しかし堂々とした足音が森崎の耳に届く。拳銃を持つ手の力が無意識に強くなる。
音の感じからおそらくまだαとの距離はある。不意を突くならもっと距離が近くなければならない。
一歩また一歩と足音が近くなるにつれて、森崎も足に力を入れ始める。残り数歩、αが近づいた時に勝負に出る。
不意にαの足音が途絶える。その瞬間、走り出す音が耳に届いた。一瞬反応が遅れて森崎は一気に距離を詰められると判断し、隠れていた樹から飛び出すと同時に発砲した。
だが、森崎の目の前に標的であるαはいなかった。弾丸はそのまま森の奥へと消えていった。
「どこに――!?」
直感で危険を察知して、反射でしゃがむと右側から何かが森崎の頭を通り過ぎた。すぐにその自分の右側に向かって持っていた拳銃を発砲する。
しかし、放たれた弾丸は一、二発樹の幹や枝を撃ち抜き、ほとんどが森の奥へと向かって消えていった。その時、樹の後ろに隠れた影を見逃さなかった。
その樹から視線を逸らさずに、数歩後ろに下がる。二人の距離は約数メートル、接近戦に持ち込まれてもすぐに対応できるように、右手で拳銃を構え、左手でナイフを鞘から引き抜く。
相手との距離が近いとそれに比例して鼓動が早くなる。
心を落ち着かせ、もう一度相手の動きに集中する。そうしている間に樹の後ろに隠れていた全身を灰色の鎧で覆われた人の姿をした異質な存在がゆっくりと姿を現す。
森崎と同じような事をαも考えていたのか、両手に剣と銃を片方ずつ携えていた。
二人は臨戦態勢へと移り、ほぼ同時に次の行動に移った。αは森崎に突っ込み、森崎は右側へ走り出した。自然に森崎の後ろをαが追いかけるという構図になる。走る速度はほぼ同じで、距離を詰めるには少しばかり時間がかかりそうだ。
体力と時間の無駄になるため、森崎はすぐに後ろを振り返り、拳銃を向けてまた数発弾丸を放つ。
αが相手の動きを観察して行動する自分とは真逆の戦闘スタイルなら相手の虚を突くように即行動を起こし、当てられる可能性が高い時にだけ、攻撃をするという戦法を取る。
αは自分に向かってくる弾丸を特に驚いた様子もなく、横に跳ぶ事によって回避した。着地と同時にお返しをする形で森崎に向けて発砲する。
拳銃から放たれたのは普通の弾丸ではなく、光の弾丸だった。光弾は森崎の頬を横切り、後ろの樹に当たって弾けて消えていく。
(外れた? いや、わざと外したのか)
今の攻防を冷静に分析する。
森崎とαの距離は数メートルしか離れていない。相手に一撃与えた方が勝ちというこの勝負でこの至近距離で狙いを外すとは考えにくい。
とっさの反撃で狙いを定めていなかったという事はないだろう。αは冷静に今の攻撃に対処したのだ。
拳銃を納め、αは森崎に向かって手招きをする。今、手に持っているのは剣一本、今度は接近戦で勝負をしようという事なのだろう。
そもそも、自分から言い出した暇潰しをすぐに終わらせるとは思えない。制限時間が近づくまでおそらく本気で攻撃を当てる気はないのだろう。
森崎もαに続いて拳銃を納め、ナイフを手に取る。しかし、接近戦では剣とナイフのリーチの差から森崎がかなり不利な状況だ。それに、相手にはこちらの身体能力を上回る機動性がある。
(次はどう出る?)
膠着状態になると思った時、αの剣が縮んでいく。その刃は森崎が持っているナイフと同じくらいの長さに変わった。
見慣れない光景に目を疑い、一瞬だけ気が緩んでしまった。αはその隙を見逃さず、森崎に向かっていく。気付いた時には目の前にナイフをαが突き立てようとしているところだった。
ナイフの切っ先は森崎の顔を向いている。その事から、αがどこを狙うかを判断できた森崎は身体を左にずらす。それと同時にαのナイフがさっきまで森崎の顔があった場所を貫く。
なんとか、攻撃を回避する事ができたが、これで終わりではなかった。αはナイフを逆手に持ち替え、そのまま森崎に突き立てようとした。
この攻撃は回避できないと悟った森崎は勢いに乗る前に手にしているナイフを離し、両手でαの腕を掴む。しかし、相手の力が自分よりも強くナイフの刃は徐々に森崎の身体へと近づく。
(――くっ!)
苦し紛れにαの脇腹に蹴りを入れる。攻撃に意識が向いていたαは蹴りを入れられるとは予想もしていなかったのか、そのまま体勢を崩してしまった。
初めてできたαの隙、おそらくこれが最初で最後の機会だろう。
しかし、今森崎の手に武器は握られていない。手にしていたナイフは先ほどのαの攻撃を防ぐために手放してしまったのだ。
それならばと、反射的に再び拳銃を取り出し、αに向かって発砲した。発砲音の後を追って甲高い金属音が森に響き渡る。
頭が今の状況を整理するために、お互いを凝視したままその場に立ち尽くす。弱い風に揺らされている樹々のせせらぎが微かに耳に届く。
『オ前、勝チ』
静かにαが自分の右肩を指差しながら言う。αの右肩のある一点から微かに煙が出ている。それは自分が放った弾丸が命中してできたものだと気付くのに少しだけ時間を要した。
つまり、森崎がこの勝負の勝者となったという事になる。本人がその結果に困惑していた。
そんなこの場の空気を壊したのは一定の間隔で響く金属音だった。
音のする方向を見るとβが拍手をしながら、近づいてきていた。その後ろには森の至る所に設置してあったカメラから勝負を見ていた石山を始めとした多くの自衛官たちがいた。
少し離れた場所から勝負を見ていた彼らがこの場所にいるという事は長く茫然としていたという事なのだろうか。
『勝負、見事。勝利、予想外』
「ああ。実に見事な勝負だったぞ!」
「あ、ありがとうございます」
周囲から賞賛の言葉をもらが、その言葉に茫然とした感謝の言葉しか返せなかった。
皆が森崎に対しての言葉を掛ける中、αは地面に座り込み、頬杖を付いている。
『負ケ犬、最初カラ大人シテイロ』
そうαに言い放つと石山の方へ身体を向ける。
『石山殿、話ノ続キ。四ツ目ノ要求』
一瞬、何の事か分からなかったが、すぐにβの言いたい事を思い出した。αによって邪魔されてしまったβたちが要求する四つ目をまだ聞けずにいた。
『我々ヲ創ッタ神ノ捜索。コレヲ優先、協力ヲ要請。デナケレバ、奴ヲ殺ス、困難』