89話 料理研究会 直哉視点
朝は晴れていたのに現在、正午では曇天模様で今にも雨が降りそうだ。
空を見上げながら傘を持ってくればよかったと溜息を吐く日高直哉。
「直哉ー、そろそろ飯の準備できんぞー」
「おー」
耳に届く親友の北園崇斗の声に憂鬱な気分を一度忘れて、直哉は身に付けていたエプロンを外して近くの椅子の上に置く。
例年よりも短い夏休み期間。直哉は週二日活動している料理研究会に参加している。
今日はチャーハンに餃子のメニューだ。
他の部員は既に食べる準備を終えて、後は直哉が席に着くだけで食事を始められる。
「そういえば、あいつはいつ来るんだ?」
端に用意されている空席を見て今日から正式に入部予定である小山優理の存在を思い出す。ホームでは家事をしない彼女だが、晴菜に勧められて入部を決めたのだ。
「さっきスマホ見たら、『ごめん、もしかしたら今日、参加できないかも』って来てました」
直哉の疑問に答えたのは、優理のクラスメイトで崇斗の妹の北園晴菜だ。
本当は同じ家に住んでいるのだが、周りには近所に住んでいると言っているため、研究会関連の連絡は晴菜とやり取りをしている。
「何かあったのかな? メッセージも文字だけだったし」
(まぁ、あんな事されれば誰だって元気なくすわな)
心配そうな晴菜を他所に直哉は視線を逸らして苦笑いする。
彼女に何が起きたのか、ホームと呼んでいる家で共に生活している直哉は知っている。
下着姿をクロトに見られただけでなく、優理が上げた悲鳴を聞いて駆け付けた森崎慎吾や桐島岬にも見られたらしい。
今朝、直哉がホームを出る直前にクロトのいたずらで泣いてしまった優理と正座して岬に説教されているクロトの光景がすぐに浮かぶ。
泣いている優理を見て、いつも口喧嘩している源田和弘も流石に空気を読んで絡みにいかなかった。
けれど、彼と一体化している違う世界の技術の神であるヴァルカンが意味の分からないフォローをしていた。
「参加できなかったのは仕方ない。また次の機会に参加してもらえればいいさ。気を取り直して食べるか」
崇斗の号令でみんなが手を合わせようとした時、廊下から走ってくる音が聞こえた。
その音が近付いてくると思った瞬間に扉が勢い良く開く。
「すいません! 遅れました!」
大きく息を切らしながら優理が入ってくる。激しく呼吸が乱れて膝に手を置いて息を整えようとしていた。突然の出来事に全員が目を丸くする。
「だ、大丈夫?」
「大丈夫。遅れてしまってすいません」
「あ、いや、大丈夫だよ。今から食べるところなんだけど、一緒に食べる?」
みんなに向かって頭を下げている優理に呆気に取られていたが、我に返った崇斗が優しく尋ねる。
しかし、今テーブルに並んでいるのはチャーハンに餃子。息を切らしてきた優理にはきついメニューだ。
「いえ、何もしてないのにいただくのは流石に……」
「前からそうやってたし。気にしなくてもいいよ」
「でも、今日から正式に参加するのに、遅刻して何もしてないですし……」
顔を上げて首を横に振る優理。そんな優理の意に反して胃袋は正直者で彼女から腹の音が微かに聞こえる。少し可哀想だと思い、直哉は視線を逸らした。
「あ、いや、これは」
「取り敢えず、座ったらどうだ? どうせ、この後、大食い二人がタダ飯食いに来るし、気にすんな」
話が進まないと思った直哉は赤面している優理に空席を指して促す。
優理も顔を赤らめながら、席に着く。それと同時に晴菜は優理の分の皿を用意して彼女の前に置く。
(よくよく考えれば他人の金とかであいつら飯食ってんだよな? しかも、作った大半を食うし、みんなに悪いから金払わせた方がいいか岬さんに相談すっか)
調理に使う食材などはメンバー全員でお金を出し合って用意している。それなのに、部外者のクロトたちが何もしないでただ食べるだけというのはさすがに問題になるだろうと今更考える。
「あれ? 優理、目が赤いし、服もしわくちゃじゃん」
「あ、うん。そうだね……」
晴菜の言葉で直哉もこっそりと優理の様子を見る。
胸元の服が少ししわになっている。直哉たちの服は岬が洗濯していてしわくちゃになっているのはあり得ない。
「もしかして誰かに襲われたの!?」
「ち、違うよ! 変な夢見て、慌ててきたからだよ!!」
(いや、その言い訳は無理があるだろ)
心の中でツッコミを入れる直哉。
優理の目が赤いのは今朝の出来事が原因だろう。しかし、胸元の服がしわくちゃなのはこの時に知った。
(またクロトと喧嘩でもしたのか?)
彼女に暴力を振るいそうな人物を想像して真っ先に浮かぶのはクロトだった。直哉がホームを出た後、優理たちに何かあったのかもしれない。
「ほんと、何にもないから、気にしないで!」
「そう?」
必死に誤魔化す優理に晴菜は追及を諦めて自分の席に戻る。
直哉は優理の様子が変なのはクロトの悪戯だけではないと思った。今、彼女が浮かべている笑顔に見覚えがあるからだ。
精神がすり減っているのに周りに心配掛けないように無理して作った時の笑顔に似ている。あの時の笑顔は負う必要のない罪悪感を抱え込んでいて今にも壊れてしまいそうな危うさがあった。
(あとで聞いてみっか)
直哉と優理は特殊な環境に身を置いているので周囲に無関係な人間がいる場では話せない内容もある。研究会の中での直哉と優理は近所に住んでいる同じ高校の生徒という関係だ。
「じゃあ、みんな席に着いたし、食べるとするか」
崇斗の声掛けで優理に視線を向けていた他の部員も自分の皿に目を向けて全員が手を合わせた時にそれは聞こえた。
「赤組のー、勝利を願ってー、エールを送りまーす!!」
聞き慣れない言葉を聞き慣れた声の主が叫んでいる。みんなで窓の外を見てみるとそこにはクロトが後ろで手を組んで上に向かって叫んでいた。
「愚か者! そんな騒音が自陣の鼓舞になるか!!」
無理して叫んだせいで咳き込んでいるクロトに和弘の声が下から響く。
舌打ちをしながら和弘がいるであろう方向を睨んでいたクロトが直哉たちの視線に気付いて家庭科室を見上げる。
彼の機嫌がかなり悪いと察した直哉たちは慌てて頭を引っ込めて気を紛らわせるようにチャーハンを食べ始める。
「ねぇ、今日のクロト先輩怖すぎなんだけど」
「あの目付きやべぇよ。人殺してるって言われたら絶対信じるぞ」
(もっとやべぇの殺してんだよな、あいつ)
怯えている崇斗や晴菜たちの言葉を聞きながらキメラとの戦闘中の彼の様子を思い出す。
普段の生活では不良のような扱いの彼だが、戦闘になるとその印象が甘いと痛感させられる。
人を喰う化け物を相手にしているのにも関わらず、聞こえてくる音声にはどこか楽しんでいるように感じた。
「でも、何であの人、応援団なんて入ったんだろ? そんな性格じゃないよね」
「………だな。何か言われたんじゃね。勝ったら好きなものを腹一杯ご馳走するとか」
「まさか。いくら大食いだからってそんな理由で応援団に参加します?」
直哉の発言に呆れた様子の晴菜。優理以外のメンバーも彼女の発言に同意するように頷く。直哉自身も馬鹿げていると自嘲する。
(それが事実なんだよな)
乾いた笑いと共に視線を逸らした直哉の脳裏に過るのは、ホームでの夕食で体育祭の話題が上がった時の記憶だった。




