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パラドックス・セリスィ -クロス・W-  作者: 夏樹浩一
第九章 気付く×築く
86/123

86話  夜空の中で  岬視点

「はぁ……」


 夜、桐島岬(きりしまみさき)は自室の机に突っ伏して溜息を吐く。

 ふと、時計を見るともうすぐ日付が変わろうとしているのに全く眠気がやってこない。


「盛大にやらかしちゃったなぁ」


 脳裏に過ぎるのは花火大会の記憶。

 ホームの管理を任されて、高校生である優理たちと一緒に住んでいるために控えていた酒を久しぶりに呑んだ。祭りの空気に影響された事もあって普段よりも早いペースで吞んだ結果、酔っ払ってしまったのだ。


 その時の記憶は曖昧だが、酔っ払った自分がアレクにキスをしてしまった感触は今でも覚えている。

 自分よりも背が高いアレクの顔をしっかり掴んで自分の顔へ強引に引き寄せて唇を重ねた。大きく見開かれている彼の美しい碧眼を綺麗だとその時は思っていた。

 そこから先は眠ってしまったのか覚えていないが、翌朝、意識が覚醒したのと同時に記憶が蘇り、ベッドの中でしばらく蹲っていた。


 学生の時から酔っ払うとスキンシップが激しくなると友達から指摘されていたが、自分ではその自覚がなかった。


「まさか、昔から酔うとキス魔になってた、なんてない、よね?」


 恐る恐る酒関連の出来事を振り返ってみる。酔っ払った次の日にその場にいた友人に聞くといつも顔を逸らされ、絶対に男と二人きりで飲みに行くなと強い口調で言われたのを思い出す。


「…………駄目だ、絶対やらかしてる……!」


 頭を抱えて一人涙目になっているが、誰もいない部屋に自分の声だけが響く。

 あれ以来、アレクの顔が見られない。

 他のみんながいる時は平静を装っているが、できるだけ彼と一番離れた場所にいたり、誰かと話をして気を逸らしたりしていた。


 こういう時にクロトが何か問題を起こして説教するなど、アレクが全く関わらない事をしているため、いつもと変わらない振る舞いができているはずだ。普段は問題ばかりで頭を悩ませるクロトの存在が初めてありがたいと思った。

 時折、アレクと目が合うと顔を赤く染めながら顔を逸らされてしまう。その行動がキスをした事を彼も気にしていると思うと岬もその時の記憶がじんわりと脳裏に浮かび、目線が泳ぐ。


「ちゃんと謝るべきだよね………」


 恥ずかしさのあまりアレクから逃げているが悪いのは完全に自分であると分かっている。このまま変な距離感で接するのは周りにも迷惑が掛かる。

 深呼吸をして立ち上がり、扉を開ける。


「「……あ……」」


 扉を隔てて自分の目の前に立っているのはアレクだった。目を丸くして岬を見つめている彼の目には驚いている自分が映っている。

 


「……どうしたの?」


 沈黙を先に破り、動揺しているのを隠すように振る舞う岬。その笑顔はいつもよりも顔が引き攣っているのが分かる。


「あ、いえ。少し、話したい事があったのですが……」

「話したい事?」


 顔を赤くして視線を逸らすアレクの様子からおそらく自分と同じ内容なのではないかと思った。

 恥ずかしさが込み上げて心臓の鼓動が早くなっていくのを感じそれを悟らせないように口を開く。


「ここで話すのもなんだし、下に行こ?」

「そうですね」


 頷いたアレクはそのまま先に一階へと降りて行った。彼の姿が見えなくなったのを確認してから心を落ち着かせるために大きく息を吸う。


「――うん、よし」


 意を決して岬も彼の後に続く。

 当然、リビングにはアレク以外誰もいない。彼はテーブルに座って下を向いて黙っているだけだった。


「喉乾いてない? 麦茶飲む?」

「はい。いただきます」


 岬は食器棚から二つのマグカップを取り出し、冷蔵庫に入っていた麦茶を注ぐ。テーブルまで持っていってアレクの前にマグカップを置いて、彼の正面に座る。


「それで、話したい事っていうのは――」

「あ、待って。私からも言わなきゃいけないことがあるの」


 アレクが話を切り出す前に慌てて手で制す。花火大会以来まともに会話していなかったために、彼を前にしてまた鼓動が早くなる。

 胸に手を抑え、その鼓動を感じながらも覚悟を決めて口を開く。


「花火大会の時はごめんなさい」


 頭を深く下げて、ようやく彼に言うべき言葉を言う事ができた。

 アレクがどういう表情をしているのかは分からない。その反応を確かめるのが怖くて、頭を下げたまま続ける。


「酔っ払って、あなたに、その………キスをしてしまって………」


 花火大会の最後の出来事は年長者の行動としては不適切だった。

 言いながら身体が熱くなるのを感じる。きっと今の自分は耳まで真っ赤になっているのだろう。

 そこから先の言葉が浮かばず、二人の間に沈黙が訪れる。


「………顔を上げて下さい」


 先に口を開いたのはアレクだった。

 いつもより強張った声音に思わず、息を呑んで顔を上げて彼の顔を見ようとする。しかし、顔を逸らされていてあまり見えないが、頬が赤いのがよく分かる。


「確かにあの時は驚きました。岬さんがあんな事をするなんて思ってませんでしたからね。けど、岬さんにも駄目な部分があると知って個人的には嬉しかったです」

「それ、褒めてる?」


 自分がやらかした失敗であるため、強くは言えない。それでも、彼の言葉に複雑な気持ちになり、苦笑しながら口調で尋ねる。


「ボク的には褒めているつもりなのですが、気に障りましたか?」

「ううん。周りから酒で失敗してるって言われていたから、アレクの言葉が意外だったの」

「確かに、いきなり優理に抱き着いてキスをしようとしてた時は本当に驚きましたよ」

「うっ………その節は本当にごめんさない。優理ちゃんにも申し訳ないと思ってます。はい………」


 僅かに残っている記憶から浴衣姿で目を赤くしていた優理が驚いている表情が頭に浮かび、再び頭を下げる。

 次の日に謝罪したもののしばらくは距離と取られていた気がして一人で罪悪感に苛まれた。


「いえ、責めているわけではないんですよ。あの時の岬さんには色々と驚かされてばかりでしたよ」

「……もう。これ以上からかうのは止めて。恥ずかしくて死にそうよ」

「すいません。少し調子に乗りました。でも、あの時過ごした時間はここに来て一番楽しいものでした」


 微かに緩んだ口元に穏やかな目。いつも不愛想な表情のアレクとかけ離れたその顔に内心、驚きながらも落ち着いて言葉を返す。

 そこでいつもの会話ができている事に気付く。


「話を遮ってごめんね。アレクの話は?」

「ボクも花火大会の件だったんですが、今のでボクの方も片が付きましたからもう用件は済みましたよ」

「あら、そう? じゃあ、このまま解散するのもあれだし、どうしよっか」


 かなり恥ずかしい思いをさせられたが、花火大会前のようにアレクと会話をする事ができた。その時間はあまりにも短く、名残惜しかった。

 そのため、もっと彼と話をしたかったが、岬の方では何を話せばいいかが思い付かない。


「それなら、少し散歩しませんか?」

「散歩? いいわよ」


 Tシャツに短パンというラフな格好だが、こんな時間に出歩いている人などいないだろうとそのまま玄関へと向かう。

 案の定、アレクたちが日常生活を送るの住居のため、人があまり住んでいない地域を選んでいるのもあって外は真っ暗で人がいる気配はない。


「このまま歩き回る?」

「いえ、ここからはボクがエスコートしますよ」


 直後、アレクの身体が光り出すと、あっという間に彼の身体は藍色の装甲に包まれる。暗闇と重なってよく見ないと彼を見失いそうだ。

 初めて見る戦闘時のアレクの姿を見て無意識に息を呑む。

 細い輪郭の中世時代の鎧を連想させるその姿は暗い色を使っている事もあって、無表情でいる時の彼よりもかなりの威圧感がある。


「どうしたの? いきなり」


 キメラが出現したわけでもないのに装甲を纏った理由が岬には分からなかった。直前に自分がエスコートをすると言った事と関係があるのだろうか。


『地上からではボクが好きな景色が見れそうもないので、特等席へ移動しましょう』

「特等席?」

『岬さん、高い所は平気ですか?』

「え、平気だけど。ねぇ、移動する場所って……」

「岬さんの想像通りですよ。では、行きましょうか」


 アレクは岬を抱き寄せて、そのまま空へと飛翔する。

 高層ビルよりも高く昇ったところで思わず下を見てみると、周囲の家と同様に明かりを消したホームはどこにあるのか分からなくなっていた。


 少し涼しい風を全身に浴びながら自然とアレクにしがみ付いている力が強くなる。

 生身で上空を昇っていく体験は初めての経験だ。もし、宙に放り出されたらと思うと流石に恐怖を覚える。


『着きました』


 雲を突き抜け、上昇をやめたアレクは籠った声で教えてくれた。下ばかりを見ていた岬は目線を上げて周りを見る。そこには見渡す限りの星空が広がっている。上だけでなく、横にも星があるという初めて見る光景だ。

 建物の光や高層ビルなどによって遮られ、あまり見えない星たちが美しく輝いている。


「綺麗……」


 無意識に紡いだ感想の言葉はそれだけだった。しかし、岬の心は見た事のない光景を目の当たりにして躍動している。

 プラネタリウムのような作られた物ではなく、本物の星がいつもよりも近くに広がっている様は圧巻だった。


『良かった。気に入って貰えたようですね』


 岬の反応を見てアレクが嬉しそうに呟く。顔は見えないが、普段の無表情ではなく、本当に微笑んでいるのだろうと声を聞いただけで分かる。


『花火大会の時に星空を見るのが好きだった事を思い出してあの後、こっそり空に昇って見つけたんです。この星空を眺めていると子供の頃の自分に戻ったような気になるんです』

「そうなの?」

『ええ。不思議な感覚ですけどね。おかしいですか?』


 アレクには珍しく曖昧な発言だった。けれど、それは復讐以外に目を向ける物ができたという証拠だ。

 だから、岬の答えも決まっている。


「ううん。それはとても素敵な事よ」


 優しく、穏やかな微笑みをアレクに贈る。

 全てを奪われ、人間である事も捨てた彼の心はエドナに対する憎しみがまだ奥深く根付いているのだろう。


(復讐のために生きるのが間違っているなんて言うのは経験してない人の綺麗事、よね。でも……)


 アレクがこの先どんな道を進むのかそれを決めるのは彼自身だ。けれど、願わくば彼が笑顔でいられる道でありますように、そう一人で祈る。


「アレク、今この瞬間の自分をどう思ってる?」

『この瞬間、ですか?』


 視線を逸らして考え込むアレク。輝く星空に見守られ、吹き抜ける風に包まれながら岬は静かに彼が口を開くのを待つ。


『上手く言葉にはできないのですが、嫌いではない、と思います。人間を捨てて復讐のために動いている自分と人間だった頃の自分。そのどちらも今のボクを形作っているような気がして……』


 そこから先の言葉は紡がれなかった。おそらくアレクが今出せる答えの限界なのだろう。だが、彼が復讐以外に目を向けられるようになったのだからそれでいいと思っている。


『すいません、明確な答えでなくて』

「気にしないで。嬉しいよ、あなたが自分の事を嫌いじゃないって思えるようになって」

『何故ですか?』

「一緒に暮らしてる子の心が豊かになる。見守る人間としてはとても嬉しい事なのよ」

『そうなんですか』


 兜によって隠されていても自分を見つめる彼はきっと不思議そうな表情をしているのだろう。

 ゆっくりとアレクが見せたかった星空の景色を眺める。


「アレクはこの景色を初めて見つけた時、どう思った?」

『ボクは……初めて見た時は童心に帰ったような興奮がありました。目に映る景色に対する感想より、自分の心が高鳴っている事に驚きました』

「そう」


 アレクの言葉に短く答えたのは、彼が自分の感じた事を口に出してくれた事に僅かな喜びがあったからだ。

 少しずつでもいい。焦らず、ゆっくりと復讐以外の事に目を向けられるようになればと心の中で願う。


「アレク」

『はい』

「また来ようね。みんなには内緒で」


 右手の人差し指を口の前に持っていき、ウインクをする。その仕草は子供っぽいなと自嘲しながらも彼に笑顔を向ける。


『そうですね。いつでも連れて行きますよ。ボクが見つけた特別な場所に』


 そう言って、アレクはゆっくりと降下を始める。

 目の前に広がっていた星空が徐々に遠くなっていき、二人は雲の中に入る。見た目は綿のように柔らかそうな雲にそのまま岬たちを素通りさせる。


 雲を抜けて下を見ると既に暗くなっている自分たちが住んでいる地上が姿を現す。

 ホームの前に降り立ち、数十分ぶりに自分の足で立つ。その時にアレクは人間の姿に戻る。

 扉を開けて中に入る二人を迎えるのは静まり返った暗闇だった。


「遅くまで付き合ってくれてありがとうございます」

「こちらこそ、素敵なものをありがとね」


 そう言って微笑み、靴脱いだところで、奥のトイレから扉が開く音がした。

 みんな寝静まったと思っていたので僅かに肩を震わせて驚く。トイレに視線を向けると眠い目を擦りながら直哉が出てきた。

 彼も岬たちに気付いて欠伸しながら近づいてくる。


「あれ、二人で散歩してたんすか?」

「ええ。ちょっとそこら辺を軽く見て回ってたの」

「そうなんすね~。ふわぁ~、んじゃあ、お休みなさ~い」


 眠気が限界なのか、頭を揺らしながらゆっくりと階段に向かう。その途中で何度も壁にぶつかりそうになる。


「ふらふらじゃないの。そんな足取りじゃ階段上れないでしょ。アレク、手伝って」

「分かりました」


 見かねた二人は彼の肩をそれぞれ担いで階段の手前まで運ぶ。横一列で直哉を運ぶには幅が狭すぎるのでアレクが直哉を背負って上り、彼の部屋まで運んでくれた。

 直哉をベッドに寝かせて部屋を出て二人はお互いの顔を見る。

 あんなに恥ずかしがって見られなかったのが嘘のように今は自然とアレクの整った顔を見つめている。


「それじゃあ、お休み」

「お休みなさい」


 微笑みながら短く挨拶をしてそれぞれの部屋に戻る。二人が部屋に戻って扉を閉める後のホームは夜が明けるまで静寂が支配していた。

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