85話 相談 直哉視点
「で、話って何だ?」
連れてこられたカフェでで注文したドリンクを持ってきた店員が離れていくのを見計らって日高直哉は自分を連れてきたクラスメートで神創人間の一人であるアレク・マーストニーに尋ねる。
「ああ」
目を閉じて静かに眼鏡をテーブルの奥に置く。
学校では人当たりの良いイケメン高校生を振る舞っているアレクは眼鏡を掛ける事でそのスイッチのオン・オフを切り替えているのを直哉は最近気付いた。
自分を取り巻く環境が周りに知られれば面倒な事になるのでボロが出ないように学校ではアレクに話し掛けないようにしたいたのだが、スマホと通して大事な話があると言われて連れてこられたのだ。
具体的な内容を知らされていないのでアレクが打ち明けるのを待つが、一向に話を切り出す気配がない。
(何か深刻な問題でもあったのか?)
そんな考えが浮かんでくるが、すぐにその可能性を否定する。
別の世界から来た人間を越えた存在であるアレクは直哉以上に悩みなども多いだろうが、それを相談するなら自分よりも適任な者は他にもいる。
ならば、学校関係で気になる事でもあったのだろうか。
今朝も校門で一昨日のキメラ襲撃にうちの生徒が活躍したという噂があり、それを確かめるためにカメラを持った人間が生徒にインタビューをしていた。
その人間たちに気付かれずに学校に入る方法でも知りたいのだろうか。
「お前は料理研究会の後輩と付き合っているのか?」
「………へ?」
やっと口を開いたかと思えば耳に届いた言葉の意図が分からず、瞬きを繰り返す。
アレクが言っている後輩とは北園晴菜のことだろう。しかし、何故ここで彼女の名前が出てくるのかが分からない。
静かに目を開けて、碧の目が直哉を捉えている。真っ直ぐ見つめている目が真剣なのはすぐに理解した。
「ど、どうして、晴菜の事を? ま、まさか、お前あいつの事が!?」
「違う。そもそも、会話した事すらない相手にボクが恋愛感情を抱くとでも思っているのか?」
「そ、そうか。そうだよな……」
一瞬アレクが晴菜を狙ってると焦るが、アレクは冷めた態度で即座に否定する。それでも直哉の心は穏やかにはならない。
彼の言う通りアレクと晴菜は直哉や優理といった共通の知人はいるが、お互いが接点を持った事はこれまでなかった。
「だったら、何であいつとの関係を聞いてきたんだ?」
積極的に他人と関わろうとしないアレクが恋愛関係を尋ねるのは初めてだ。自分と晴菜の関係を応援、冷やかすつもりはないだろう。それに、彼は同年代の恋路に興味があるというタイプではないのでアレクの目的が全く分からない。
「別に。ただ想いを寄せているのに何故恋人関係になろうとしないのか疑問に思っただけだ」
「――俺ってそんなに分かりやすい?」
晴菜の事が好きだという事を他人から指摘されるとさすがに恥ずかしい。それも恋愛に一切興味がなさそうなアレクに言われると尚更だ。
「花火大会、誘っていたんだろう? 失敗に終わったらしいが」
「何でみんなその事知ってんだよ……」
花火大会前にあった試験の結果が返ってきた時、直哉は花火大会に晴菜を誘った。残念ながら、家族旅行の時期と被ってしまい断られてしまった。
その事を花火大会で和弘にからかわれていた。
そして、今同じ話題をアレクが持ち出してきた。断られたショックが蘇り、苦虫を噛み潰したような表情になる。
「うわ言のように断られたと嘆いていれば嫌でも耳に入る。それで、何故あれから関係を進展させないんだ?」
苛立ちも含んだ真剣な表情で自分を見つめる碧の瞳に答えるまで終わらないと悟った直哉は困ったように彼から視線を逸らす。
「その、よく考えたら今の俺の状況って特殊だろ? 下手したらあいつを巻き込むかもしれない」
「そこまで考えていながら花火大会に誘ったのか?」
「うるさい! あの時はちょっと舞い上がってたんだよ」
自分の言動に矛盾があると目で訴えてくるアレクにムキになって反論する。
花火大会の前に学校主催の七夕祭の最後にフォークダンスを晴菜と一緒に踊った。あの楽しい一時を
また過ごせればと花火大会に晴菜を誘った。
断られてしまったが、今はそれで良かったのかもしれないと今は思っている。
「でも、よくよく考えれば俺らの立場って結構複雑じゃん。なのに、晴菜と付き合う事になってもあいつに嘘を吐かないいけなくなるって思うと踏み切れなくて。それに………」
「どうした?」
「一昨日の戦闘で優理や和弘は大活躍したらしいけど、俺は何もできなかった」
夏鈴が玄武に呑み込まれた時、初めて味わうキメラとの戦闘の空気感に張り詰めていた糸が恐怖で意識と共に途切れた。
戦闘が終わり、病院に担ぎ込まれた時に気を失った後の話を聞いた。和弘は神気が枯渇するのを厭わずに人々を守り、優理は状況を分析して勝利を掴み取った。自分と同じ立場にある彼女たちが必死で行動している横で自分は気を失っていた。
「情けないとは思ってるよ。だけど、あのまま意識があったとしても俺に何ができたんだ?」
自分だけが未だに能力が発現していない。ヴァルカンの能力の一部を宿しているといってもそれが使えないのであれば一般人と大して変わらない。
たとえ能力があったとしてもあんな化け物の前で立っている事すら自分にはできないだろう。
「あんな怖い化け物相手に立ち向かおうとするあいつらのメンタルが強すぎんだよ。俺にはできそうにない」
自嘲気味に笑う直哉の言葉をアレクは黙って聞いてくれる。自分で何もできないと諦めている直哉を彼はどう思うのだろうか。
「………呆れた、か?」
アレクは何も反応を返さず、沈黙を貫いている。その空気に耐え切れずに、思わず聞いてしまう。軽蔑したのだろうと内心思いつつ、彼が口を開くのを待つ。
「別に。お前とボクとではエドナに対する考え方が異なる。そのためにお互いの取る行動が違うのは当然だろう?」
「あ、ああ。そうだよな。お前ならそう言うよな」
淡白な返答に面食らいながらも軽蔑されていないと分かり、内心安堵する。
そうだ。アレクとはこういう人間なのだ。
良くも悪くも自分の目的のためだけに生きている。そのため、他人の言動など興味がないのだ。
自分の全てを奪ったエドナに復讐するために人を捨てた存在になる事を選んだ彼に直哉の心情はきっと理解できない。直哉もアレクの取った行動に共感できる気がしない。
「ま、まぁ、複雑な状況な上に度胸もない男だって痛感して一歩踏み出すのが怖くなったんだよ。これ以上踏み込まなければこのままの関係でいられるからな」
二人の空間が重い空気になりつつあるのを察した直哉はわざとらしく晴菜との関係を進展させない理由を明るく答える。
無理して出した笑い声には力がなく、虚無感が心を蝕む。
「関係を壊さないためにあえて踏み込まない、か………」
「ん? アレク?」
直哉を置いて考え込むアレク。その表情はいつのも無表情ではなく、どこか悲しげな雰囲気があった。
見られている事に気付いたアレクは息を吐いてまた無表情に戻る。
「もしかして、気になる人でもできたのか?」
直哉の質問にアレクが息を呑むのがはっきりと分かった。
そもそも、彼が他人の恋愛事情に首を突っ込む事自体が珍しいのだ。わざわざ呼び出して尋ねるのは彼らしくない。
「……何故、そう思った?」
僅かな沈黙の後、碧眼が直哉を射抜く。
睨んでいるというよりも警戒していると言った方が適切だろう。その視線に直哉は恐怖で固まって動けなくなる。
彼と出会って数ヶ月、そこまで自分の神経が図太くなっていないと分かっている直哉はアレクを刺激しないように言葉を考えてから口を開く。
「お前から恋バナを持ち出す今までなかっただろ? 他人に興味ないお前がこの話するのって誰かを好きになってどうしたらいいのか、遠回しに聞きたいんじゃないかなって思って」
何度目かの沈黙の中で、平静であると装いながらアレクの様子を伺う。俯いているせいで表情は分からないが、自分の考えがどうであれ、何かしら意見を言うはずだ。
アレクの言葉を待って沈黙に身を委ねる。
「話題の切り出し方を間違えたな」
溜息と共に出たのはそんな言葉だ。観念したように顔を上げて見えたのは困ったような表情だった。
自分の頼んだコーヒーを一口飲む。一連の所作は美しく完成された作法のようなものを感じる。
「相手って岬さん?」
自分の考えが間違っていないと思ってアレクが飲んでいる最中に聞いてしまった。返ってきたのはむせて僅かにテーブルの上に散乱したコーヒーだった。
「げほっ、ごほっ………お前……!」
「え、いや、あの……ごめんなさい」
むせながら睨んでくる彼に思わず謝って慌ててテーブルを拭く。その間にアレクは呼吸を整え、テーブルが綺麗になった時にはもう落ち着きを取り戻していた。
「いやぁ、岬さんは美人だし、一緒に住んでいたら惚れるわな!」
「………おい」
「でも、分かる! 花火大会でも二人きりだったし、浴衣着た岬さんは大人の色気ってのがヤバかったもんな!」
「――話を聞け」
「――はい。ごめんなさい」
優理ほどではないが、直哉も他人の恋愛事情には興味がある。一切その手の話題がなさそうなアレクならば尚更だ。
調子に乗って一人で勝手に盛り上がっている中でアレクの静かに発した言葉に彼が本気で怒っていると察し、我に返るのはそう難しい事ではなかった。
「勝手に話を進めるな。お前が思っているような事をボクは一言も言った覚えはないぞ」
「え? じゃあ、何でそんなに顔が赤いの?」
初めて見るアレクの赤面にうっかり口を滑らせる直哉。その一言にアレクは息を呑み視線を逸らしてしまう。
いつもなら相手を射殺すのではないかと思うほどの鋭い目で睨み付けるのだが、今のアレクは自分と晴菜との関係を聞かれた時の反応と似ている。
「別に。関係ないだろ?」
「そうだな。そういや、岬さんと最近話してるとこ見てないけど、何かあったのか?」
絞り出した声から出た言葉は弱々しく、アレクらしくない。
珍しいアレクの反応にからかいたいと悪戯心が芽生える。しかし、下手に刺激して報復されるのが簡単に想像できるので、ぐっと堪えて話題を変える。
花火大会以降、アレクと岬はお互い距離を取っているような感じがした。みんなで食事を摂る時に剣呑な空気ではないので、喧嘩しているわけではないのだろう。
「答える気はない。だが………岬さんとどう接すればいいのか、分からなくなってきたんだ」
「お、おう」
「ボクはこの世界の人間ではないし、そもそもエドナを殺すために人間である事も捨てたんだ。復讐以外には何もない空っぽな存在だ」
どこか悲しげな表情を浮かべながらアレクは乾いた笑みを作る。それは自分を嘲笑っているものだとなんとなく感じるが、そんな直哉を置いてアレクは言葉を紡ぐ。
「それなのにボクを人間として接してくれた。忘れていた温もりや思い出を呼び起こしてくれた。それに………」
「それに?」
急に黙って、赤くなった顔を手で隠すが、耳まで真っ赤に染まっているため、何かを思い出して恥ずかしくなっているのはバレバレだった。
「……………いや、何でもない。そんなあの人を意識し始めて、自分の感情が乱れていると分かって上手く話せなくなった」
(それって岬さんを異性として認識してるって事だよな?)
おそらくアレクが岬を意識し始めたのは二人が距離を取り始めた花火大会の時だろう。みんなのはぐれて合流するまでは二人きりだったし、水を買いに行かされて戻った時には酔っ払って眠ってしまった岬以外のメンバーの間で変な空気が流れていた。
優理に何が起きたのか尋ねても知らない方がいいと言われ、真相は分からないままだ。
「お前はどうしてあの後輩と変わらない態度で接する事でできるんだ?」
「俺? うーん……」
アレクの質問にどう返せばいいのか分からず、言葉に悩む。
直哉が晴菜を意識したのは晴菜が高校の合格発表があった日だ。合格した事を嬉しそうに報告してきた晴菜は「これでまた先輩と一緒の学校に通えますね!」と言ってきた。
その時の満面の笑みがいつも見ている笑顔よりも眩しく可愛いと思い、戸惑いながらも彼女の合格を祝福したのを今でも覚えている。
あの日から晴菜を友達の妹としてではなく、一人の少女として意識し始めた。
それなのに接する態度が変わらないのは何故なのか。
考えるまでもなかった。答えはさっきの会話の中にあったのだから。
「やっぱ。これまでの関係を壊したくないから、かな? 告って恋人になれたらいいよ。でも、断られたら気まずくて顔も合わせにくいだろ? だったら、このままでもいいかなってヘタレな理由だよ」
「そうか」
「俺よりもお前の方が事情は色々と複雑だもんな。神創人間と人間、年の………」
「どうした?」
「そういや、お前って実は何歳なんだ?」
今まで気にしてこなかった疑問が言っている途中で浮かんできた。
アレクとクロトは今いくつなのだろうか。
見た目から自分と同い年と勝手に思っていたが、たまに大人びている時もある。化け物相手に戦っているせいなのか同年代よりも落ち着いていて大人と話している感覚すらある。
「十九、だな」
「年上だった!」
「お前たちの誰かと一緒のクラスになるために実年齢を無視したようだな。クロトは知らんが、アイツがボクよりも上の学年にいる事には正直納得がいかない」
仏頂面で不機嫌な様子なアレク。
学校で遭遇してしまったらどうしてもクロトを先輩扱いしなければならないのがアレク的には嫌らしい。
だから、クロトが頻繁に通っている料理研究会には関わらないようにしているのだろう。
「まぁ、そこはしょうがない」
アレクが和弘のクラスに転入したらクロトが直哉のクラスに来る事になったので、直哉としてはアレクが来てくれて安心したというのは心の中で留めておく。
「でも、岬さんとの関係はアレク自身が決めるしかないんじゃね?」
「………そうだな……」
二人が距離を取っている原因を知る術がない直哉から言えるのはその一言だけだった。
アレクは俯いたまま再び沈黙してしまった。
「ゆっくり考えればいいよ。急いで出した結論なんてロクな事になんねぇよ」
「………………本音は?」
ドリンクの飲んでいる時に尋ねたアレクの言葉は普段の冷たい調子に戻っていた。けれど、アレクから提供された話題が意外過ぎて直哉は調子に乗って気付かずに思っている事を率直に述べた。
「お前が岬さんに片想いしてるのが面白いからもっと見たい」
恋愛で行き詰っている友達を見るとからかいたくなるのは仕方がない。それがその手の話題に全く興味のなさそうな人物ならば尚更だ。
直哉は目の前にいるのが、怒るとクロト以上に容赦がない人物だという事を忘れて悪戯っぽく笑いながら親指を立てて質問に答える。
その結果、身体に穴が開くと錯覚するほどの鋭い目で睨み付けられて二人分の会計をさせられるのだった。




