72話 見出せ、活路を
優理にとって夏鈴は本当の妹のように大切な存在だった。
最初はエドナやキメラ襲撃で自分の命惜しさに他人を見捨てた人たちへの贖罪のつもりで両親と離れ離れになってしまった彼女の世話を積極的にしていた。
しかし、一緒にいる時間が増えていき、夏鈴の明るさに優理の心を蝕んでいた罪悪感が少しずつ和らいでいた。
次第に自分より幼い彼女に甘え、依存している自分を情けないと思いながらもそれを止める事が出来なかった。
花火大会で森崎に今までの不安を打ち明けた時、彼から夏鈴の世話をしている自分は楽しそうだと言ってくれた。それによって自分が世話好きである事を思い出した。
それから過ごしていく時間は本当に楽しかった。まだ見捨てた人たちへの後ろめたさを感じる時はあるけれど、夏鈴とホームの仲間たちとの時間は優理にとって幸せを感じるかけがえのないものになっていた。
けれど、そんな幸せが今、崩壊してしまった。
彼女は優理の目の前で玄武に飲み込まれてしまったのだ。
また何も出来なかった。最初のキメラ襲撃の時に手を引いていた少年も逃げる最中に優理が気付かぬうちに喰われていた。
今回も自分は無力であると突き付けられた。
今度こそは大切な者を守ると決意しても、無意味だった技術の神の能力である『分析』が自分に宿っていたが、それが何の役に立ったというのだ。酷使すると命の危険があるため、キメラと戦えるクロトのサポートもすらまともに出来なかった。
それが夏鈴を失うという結果に繋がった。
「何で、私は何も出来ないの?」
力なく無意識に出た言葉は誰の耳にも届かずに、人々の悲鳴とキメラたちの咆哮が入り乱れた騒音によって上書きされる。
茫然としている優理の視界で飛び回っている灰色の鎧が目に入る。
優理と同じく夏鈴を助けようとしたクロトは直哉を抱えながら縦横無尽に飛び回り、迫ってくる火球を避け続けている。
源田は『創造』の能力を使いながらもこちらに駆け寄ってくる。優理に向かって険しい表情で言葉を発しているが、何と言っているのか分からない。
死の恐怖に負けないという意志が折れ、脳が思考を放棄した優理には今の状況に意識が向かない。このまま何も出来ないと諦め、考える事が出来なくなってしまった。
「この、愚か者!!」
誰かの怒鳴り声が聞こえたと思った瞬間、頭に強い衝撃が走る。痛みに頭を抱えながらも見上げるとそこには源田がいた。
「げん――」
「何を呆けている! まだ終わってはいない!」
無意識に彼の名を紡ごうとしたが、問答無用で脇に抱えられた事によって中断される。源田はそのまま自分が創り出した光のドームに向かって駆け出す。
「言っただろう。今回奴らの目的は捕食にあらず! ならば、夏鈴の命がこの世に繋ぎ留められている可能性はある!」
「――夏鈴ちゃんが、生きてる?」
「ああ。我らがこの状況を打開し、玄武を逃がさなければ助けられる!」
「ほんと?」
彼の言葉に優理の心の炎が再び灯る。
確かに夏鈴も玄武の頭部に飲み込まれた時、キメラが人の肉を喰い千切る不快な咀嚼音はしていなかった。ならば、夏鈴は生きたまま玄武の腹の中にいる事になる。
「賭ける価値はある。カードが揃えば――ぐっ!」
「ちょ、ちょっと、あんた大丈夫!?」
突然ふらつく源田を心配するが、一度緩みかけた優理を抱えている腕を再び締め直す事で大丈夫だと返す。その顔は苦悶の表情で歪んでいた。
『無茶しないでよ! 能力を使いながら動き回るなんて』
「馬鹿者! キメラが人間を蹂躙しようとしているこの瞬間に我が権能を使わなくてどうする!」
「こんな時に変に恰好付けんなっての! 私、自分で走るから降ろして!」
口元を緩め笑おうとする源田ではあるが、その足は徐々に速度を落とし始めている。彼の負担を少しでも軽くしようと彼の腕を解こうとする優理たちに突然後ろから強い衝撃が襲う。
源田の足が地面から離れ、走るよりも速く光のドームに近づく。
「な、何――」
『黙ってろ。舌嚙むぞ』
動揺する優理たちにクロトの声が聞こえ、彼が自分たちを抱えて飛んでいるという事に気付く。左右に揺れながら進む彼はドームの中に入ると同時に優理たちを放り出す。身軽になったその身は軌道を変えて無数の火球が飛び交う空へ向かって急上昇する。
「いたた。乱暴過ぎ………」
愚痴を零す優理の言葉は自分以外には届かなかった。けれど、先程と違って自分の耳はしっかりと届いていた。その事実だけで絶望の淵から這い上がろうとする意志があると認識するには十分だ。
「ふん。抗う意志は完全に折れてはいないようだな」
「そうね。夏鈴ちゃんが生きているかもしれないって思えるだけでだいぶ違うわ。だから、その希望を掴む。絶対にあの子を助ける!」
「貴様はそうでなくてはな」
相変わらず上から目線の言葉ではあるが、普段含まれている嘲りは全く感じられない。それは今の状況が最悪のままだという証拠だ。
「――そうだ。アレクの時みたいに新しい武器を創れない?」
前回の戦闘で不意打ちを受けて唯一の武器であったライフルを失い、アレクが窮地に陥った時に源田の『創造』の能力で伸縮自在で鞭のようにもなる剣を創り、事態を打開した。
その能力があれば今の状況を何とかできるはずだ。
けれど、優理の言葉を聞いても源田の険しい表情は変わらなかった。
「創る事自体は可能だが、その間、壁の精度が極端に落ちる。それに玄武の甲羅を破砕する時に夏鈴を巻き込みかねん」
「それは駄目ね」
優理たちの絶対条件はキメラの撃退と夏鈴の救出だ。たとえこの戦闘で生き残った喜びを彼女と共に分かち合いたい。
だから、彼女を危険に晒す作戦だけは絶対に実行してはならない。それがどんなにこの戦闘において有効な手段だとしても。
『ねぇ、キミたち。戦況を伺うのもいいけど、日高君の心配もしてあげて』
「え? ――って、直哉大丈夫!?」
立ち上がり空を見上げている優理たちの足元で直哉は白目を剥いて倒れたままである。慌てて彼の肩を揺らして呼びかけても反応は帰ってこない。
「落ち着け。気を失っているだけのようだ」
「そう。良かった……」
『目の前で人が飲み込まれるのを見たら誰だって強いショックを受けるよ。それなのにキミたちは強いね』
「馬鹿め。まだ生に繋がる光が完全に閉ざされたわけではない。ならば、その光を掴むまで抗うのが道理であろう?」
「私は強くないよ。さっきまでショックで何も考えられなくなってたし。でも――あの子が生きてるかもしれない、助けられるかもしれない、それが出来るのなら私は諦めたくない」
奪われそうなものを取り返すという決意を胸に秘めて玄武を睨み付ける。そんな優理に一切関心を示さず、玄武は甲羅から新たに姿を現した三つの頭部からクロトに向かって火球を放ち続けている。
応戦して、夏鈴を飲み込んだ頭部よりも一回り小さい頭部たちに光弾を撃ち込むクロトだが、奴らは顔を傾けて甲羅の部分にあたる額に着弾させられて大した損傷を与えられていない。それぞれが庇い合いながら火球を放っているうえに他のキメラの攻撃もあるせいでクロトが攻めに転じる機会が一向に訪れない。
「やっぱり、このままじゃ、キリがない。せめて大型の二体をなんとかしないと――― あれ? ちょっと待って。何であいつ首が増えてんの!?」
戦況を冷静に見ていて打開策を考えている中でようやく玄武が甲羅から新たに三つの頭部が現れた事に今更ながら驚く。
「奴らは夏鈴が飲み込まれる直前にその姿を晒した。クロトの行動を遮ったのもそのうちの一つだ」
「あの火球の事?」
飲み込まれる夏鈴を助けようとしたクロトは横から火球を受けて吹き飛ばされてしまった。あの火球がなければ彼は間に合っていたのかもしれない。
彼女の事で頭がいっぱいで考える余裕はなかったが、今考えれば頭部が夏鈴に向かっているのに、それを邪魔するクロトに向けて火球を放つなんて事は不可能だ。
それに夏鈴が飲み込まれた直後に優理の悲鳴を掻き消した玄武の咆哮は三種類だった。もうその時にはあの頭部たちは姿を現していたのだ。
「あの甲羅に別の頭部が存在するとは誰が予想できようか。敵の意表を突くには効果的な存在だな」
「感想言ってる場合じゃないでしょ! 私たちはあいつらを倒して夏鈴ちゃんを助けないといけないんだから!」
両手で自分の頬を叩いて気合を入れて、玄武と多頭獣を見る。
甲羅から引っ込んだ頭部に一回り小さい三つの頭部。その頭部たちはクロトが放つ光弾を甲羅の部分にあたる額で防いでいる。引っ込んでいる頭部はクロトの剣ですら斬れないほど硬かったのに奴らは攻撃の度に互いの首を守っている。
多頭獣の前身の部分にあたるライオンの頭部はクロトの攻撃によってほとんど刀傷に火傷だらけの酷い姿に変わり、最初の面影はなくなっているが、キメラ特有の血走った赤い目に加え鬣部分の蛇たちは変わらず人間を襲おうと源田が創り出した光のドームに突進してくる。
クロトに対しては蛇たちも火球を放っているのにドームには一度も火球を放っていない。それはこの場にいる全てのキメラに言える事だ。
大型犬サイズのキメラも大型二体が入れない狭い路地などに五、六体の集団で陣取って逃げようとする人に吠えるかクロトに火球を放つ事しかしていない。
一度だけ爆発しそうになった車の近くの人間に向かってきた集団はあったが、今の状況を踏まえると彼らを死なせないために路地から出てきたと考える方が妥当だろう。
キメラたちがなるべく無傷のまま人間を捕獲しようとしているの理由は分からないが、この場で喰われるわけではないという事だけは分かる。
大型犬のキメラたちはクロトの剣、拳銃どちらでも倒す事が出来る。多頭獣も少なからずダメージを与えられている。鬣部分の蛇たちを一掃出来れば多くの人が捕獲されるという心配は解消される。
問題は奴らの中でクロトの攻撃が通用しないのは玄武だけだ。
もっと強力な武器を使えば倒すのは可能だ。しかし、それには体内にいる夏鈴の命を犠牲にしなければならない。
そんな手段は初めから選択肢に入っていない。夏鈴の安全を確保しつつ、玄武を攻略する。そんな都合の良い方法を思いつかなくてはこの戦闘を切り抜ける事は困難だ。
「もう駄目だ。きっと俺たちはここで死ぬんだ………」
「何言ってんだ! 救世主様がいるんだ、何とかしてくれるよ絶対!」
「いくら何でもでかいキメラ二体を相手にすんのは無理だよ! しかも、亀みたいな奴には銃も効いていないだろ!?」
突破口を見つけようと思考を巡らせる優理の耳に弱気な男の声が届く。彼を宥めようとしている男のも今の状況を悲観的に捉えているようで発する声に力が込められていない。
確かにクロトは牽制に玄武にも光弾を放っているが、硬い甲羅によってダメージを与えられていない。
そのため、彼の攻撃は人間たちを襲っている鬣の蛇たちを中心に多頭獣に対するものが多い。接近して斬り落とす方が手っ取り早いだろうが、蛇の一部がクロトに対して火球を放っているため、なかなか近づく事が出来ないので光弾で数を減らしている。
自分たちの命が危険に晒されている中、クロトの存在は生き残るための最後の希望ではある。しかし、彼の武器が通じない敵の存在が彼らの不安を煽る。
「でも、あの亀も無傷ってわけじゃないだろ? ほら、車を飲み込んだ時にあいつ大量の血を吐いてるじゃないか」
「それがどうしたって言うんだよ! 甲羅から他の頭が出てきてるし、大した事じゃないんだよ!」
「貴様ら、他人の生への執着を奪う言動は慎め! ――ぐっ……」
言い争う二人に源田は一喝するが、その直後に胸を押さえて蹲る。やがて、咳をしたと思ったら、一緒に赤い血が彼の口から勢いよく出てきた。
「源田! 大丈夫!?」
「問題な―――ないわけないだろ!? 神気を使い過ぎだ。このドームを維持するだけでもキミは命を削っているんだ。みんな、出来るだけ中心に集まるんだ、早く!!」
源田の言葉を遮って強制的に奪ったヴァルカンは起き上がり、これまでにない大声で人々に呼びかける。騒然としている戦場の中でも彼の声は全員に届いたのか、皆が集まっていく。
その次に起こった事に人々は一気に顔の血の気が引く。
自分たちを守ってくれていた光のドームが側面から消えて行ったのだ。それと同時に天井部分の光はさらに強く光るが、人々はそれに気付かない。
「すまん、ヴァルカン―――いいか、生きたいと願うならその場から動くな! 奴らとの間に隔てられたその壁がキメラの凶牙から貴様らを護る盾だ!」
気絶している直哉を抱えて源田も中心に向かって足を進める。大きく肩で息をしている彼の表情は今にも倒れそうな程弱々しい。
「あんた、大丈夫?」
「正直、芳しくはない。消費する神気を抑えるために天井部分だけを残して後は消失させたが、それでもその場凌ぎに過ぎん」
「何でそんな無茶を………」
「人にはない権能を宿したのだ。ならば、その力を凡人どものために使うのも授かった者の使命であろう? しかし、内側から肉体を破壊する猛威は恐ろしいものだな。いくら外側に何重もの鎧を纏っても内部を硬質化する術はない」
「内側?」
源田の言葉の中で引っ掛かった単語を呟き、さらに頭の中でも反芻させる。
その瞬間、頭の中がクリアになっていき、この戦闘の攻略のヒントに成り得る言葉たちが次々と脳に組み込まれていく。
クロトの武器が通じない玄武。男たちが言い争いの内容にそんな奴が一度だけダメージを負った瞬間があると言っていた。それは炎上していた車がクロトによって強制的に飲み込まされた時だ。
飲み込んだ直後に車が爆発したのは首の半分のあたりで大きく膨らんで暴れながら大量の血を吐いた。
クロトの剣でも刃が通らなかった硬い首の皮膚でも内側で起きた車の爆発から身体を守る事は出来なかったようだ。
その直後に夏鈴が飲み込んで胴体に引っ込んでから新たに甲羅から三つの頭部が現れた。それ以降、攻撃はその三つの頭部に任せてあの頭部は胴体から顔を出していない。
それだけ、内部の損傷は激しいのだろう。
今必要なのは夏鈴の救出、キメラの撃退、特に外側からでは攻撃が通じない玄武の攻略方法。これら全てを達成できる方法が一つだけ優理の頭の中に浮かんだ。
「ねぇ、クロトと通信出来る?」
「それを可能にした道具なら以前渡しただろう」
「あ、あのシルバーリングの事?」
彼の言葉を聞いて自分のポケットから一つのリングを取り出す。白く光るそれは以前アレクが苦戦した時に源田が武器と一緒に創った通信機能を備えた物だ。
クロトたちと連絡を取るためとはいえ、彼から貰ったもの身に着けるのは癪だったのでずっとチェーンを付けてネックレスのようにしてポケットの中に入れて持ち歩くようにしていたのだ。
「でも、あの時はスピーカー越しに声が聞こえてたけど、直接会話出来るの?」
「ああ。そうだったか。貸せ」
そう言って優理の返事を待たずに優理の掌に自分の手を乗せる。文句を言おうとした瞬間手が光り、暖かな温もりが手全体に伝わる。
「これで会話したいと念じるだけで貴様の声がクロトにも届くようになった」
「え? 意味分かんない、どういう事?」
光が消えた瞬間に手を離しながら告げられた言葉に困惑する。
源田がしたのはリングを乗せている優理の手を勝手に重ねて光を発生させただけだ。彼が手を離した事で優理の目に再び姿を見せたリングの見た目は特に変化した様子はない。
「貴様ら凡人には理解出来ぬ事だ。それよりもやるべき事があるのだろう?」
「あ、そうだ。クロト、聞こえる?」
自分の持っているリングの変化したのかどうかの疑問を頭の隅に追いやって源田の言われた通り、リングを握り締めて、上空で飛び続けているクロトに向かって自分の声が届けと念じながら言葉を掛ける。
『あぁ!? 何だ』
「良かった。ほんとに通じた―――いい、夏鈴ちゃんを助ける方法を思い付いたんだけど」
『あいつ生きてんのか!? どんなだ、何をすればいい!?』
「あ、ええっと。ちょっと、いやかなりぶっ飛んではいるんだけど、この方法ならいけるはず。源田も聞いてちょうだい。あんたたちの力が必要なの」
夏鈴を助ける方法。その言葉を聞いた途端、早口で聞いてくるクロトに動揺しながらも彼も夏鈴の事を大切に想っているというのが言葉の中に感じられて安堵しながらも頭の中で浮かんだ作戦を口に出す。




