57話 七夕祭
人間というのは厳しい状況下でも逞しく、笑顔を忘れない生き物だ。
二ヶ月ほど前に異世界からやってきた人間を喰う化け物・エドナ、彼女が産み出したキメラという存在によって壊された日常は大きな爪痕を残しながらも本来のものに戻ろうとしている。
ある高校では七月の第一土曜に校内で小さな祭りを催している。
七夕祭と呼ばれるその祭りは文化祭のようなものだ。文化系の部活動を中心に展示や出店などを出して、校庭の外れにある大きな樹に願い事を書いた短冊を飾る。
「文化祭よりも規模は小さいって言ってたけど、割と盛り上がっているね」
少女――小山優理はエドナ襲撃で元の高校に通えなくなり、一ヶ月前に転校してきたため、初めて参加する七夕祭の賑わいに目を丸くする。
私服姿の生徒や大人たちが校庭に用意されてある机で出店で買った食べ物を食べて談笑している。
「優ちゃん、早く何か食べよう!」
優理の手を握っているおかっぱ頭の少女が興奮気味に優理の手を引っ張る。
「分かった、分かったって。そんなに引っ張らなくてもお店は逃げないよ、夏鈴ちゃん」
元気で明るい妹みたいな存在の一村夏鈴に微笑みながら歩を進める。土曜日の夕方に開催されるこの祭りは本来立ち入りできない父兄の参加も許されているため、夏鈴も連れて来たのだ。
「その前に。んー、どこいるんだろ?」
周りを見渡しながら優理はある人物を探す。
転校してから初めてできた友達から誘われて参加したのだが、その人物はもうここにいるばずだ。
「あ、いた。おーい、晴菜ー」
少し離れたところに探していた人物を見つけたため大きく手を振りながら、近づく。
「あ、優理。ここにいたんだ。あれ、その子は?」
大きな段ボールを持ったショートの少女が優理と手を繋いでいる夏鈴に注目する。
「この子は夏鈴ちゃん、親戚の子なの。夏鈴ちゃん、この人はね、私の友達の晴菜よ」
「そうなんだね。初めまして、北園晴菜です、よろしくね!」
「うん! 夏鈴です、よろしくね!」
中腰になって夏鈴と同じ目線で挨拶する晴菜に夏鈴も元気良く返す。
「その段ボールどうしたの?」
「ああ、これ? おしぼりとビニール袋。今日部活でお店出してて、用意してたのがなくなりそうだから部室から持ってきたの」
「部活って確か料理研究会だっけ?」
「そうそう。去年できたばっかりの部で人数も少ないけど、結構楽しいよ」
「へぇ。みんな料理できる人ばっかなの?」
名前からして普段から料理をしている人が集まりそうな感じの部活だなと最初は思った。優理が家事を手伝うようになったのはつい最近なので、あまり縁がないだろう。
ついでに言えば部員のほとんどは女子というイメージがある。
「実はそうでもないんだよ。料理できるのは部を立ち上げて部長であるお兄ちゃんとその友達の先輩だけで他の部員はみんな初心者だよ」
「え、そうなの?」
持っていたイメージと異なる現実に目を丸くする。晴菜も料理などできそうな雰囲気だが、今の話では違うようだ。
「お兄ちゃん、毎日何か作っていないと落ち着かないらしいし、家の夕飯は全部お兄ちゃんが作ってるんだよ」
「晴菜のお兄さん、よっぽど料理好きなんだね」
そうでなければわざわざ部を立ち上げるなどできない。
「まぁね。将来はプロの料理人になって自分の店を持つ事が夢らしいよ。高校卒業したら専門学校に行くみたい」
「すご、もう明確な目標があるんだね」
今の特殊な状況を抜きにしても優理は高校卒業後どんな進路に進むのか決めれていない。将来どんな職業に就くのか、何がしたいのかすらも定まっていない。
そのため、明確な進路が決まっている晴菜の兄を素直に尊敬できる。
「じゃあ、その友達の先輩も同じ料理人目指してるの?」
「ううん、あの人はどっちかというとお姉さんたちに押し付けられてある程度できるようになった感じかな。立ち上げの時も数合わせで入ってほとんど部活に参加しないし」
「そうなんだ」
「うん。でも、何度かあの人の料理食べた事あるげど、結構美味しいんだよ」
(ん? なんか似たようなの聞いた気が……)
「お、いたいた。おーい、晴菜ー」
ふと浮かんだ疑問はすぐに解消された。声がする方へ三人が見ると見知った少年が近付く。
「あれ、優理と夏鈴じゃん、来てたんだ」
首に巻いてある白のタオルで汗を拭いながら日高直哉は優理と晴菜を交互に指差す。
「先輩、優理と知り合いなんですか?」
「ああ。今親戚の家に泊めてもらってんだけど、こいつもその近所に住んでるらしいんだ」
お互いが顔見知りだという事を知らない晴菜に直哉は笑いながら誤った答えを返す。
キメラ襲撃の時に不慮の事故で異世界の神の力の源である神気という物を取り込んでしまった優理と直哉とこの場にいないもう一人の少年は政府の保護を受け、ホームと呼ばれる同じ建物で暮らしている。
あまり公にできないの事情があるので、それらしい理由を用意して本当の事を周囲に漏らさないようにと政府関係者から強く釘を刺されている。
「ていうか、料理研究会に入っていたんだ」
初めて知った事実に目を丸くする。直哉がほとんどの家事ができるのは前々から知っていたが、同じ学校に通うようになって帰りがほぼ一緒なので部活に入っているとは思わなかった。
「入ってるって言っても幽霊部員なんだけどな。あ、晴菜、荷物俺が持つよ」
「いいんですか? ありがとうございます」
直哉は苦笑しながら晴菜が持っている段ボール箱を受け取る。
「そういえば、何を作ってるの?」
「ああ。パンだよ、生地を作るところから焼くまで全部自分たちで作ってんだよ」
「パン? 焼きそばとかかき氷じゃないんだ」
予想外の答えに思わず、聞き返す。祭りで食べ物を売るとなるとその二つが真っ先に思い浮かぶ。パンを売るという店はあまり見かけない。
「まぁ、そいういう反応だよな。一般的なものは他の店が出してるし、祭りの最後はフォークダンスとかがあるから手が汚れず、匂いとかも付かないものでしようってなって、晴菜がパン作りに興味があったからパンになったんだよ」
「そういう事なんだ」
優理の表情から言いたい事が伝わった直哉は簡単に経緯を説明する。
「良かったらお前らも食ってくか?」
「そうだね。夏鈴ちゃんもそれでいい?」
「うん。食べたい!」
夏鈴の満面な笑みを見て優理たちは料理研究会が出しているテントへと向かう。
すると、そこには大勢の人が集まっている。
「あっ、直哉、晴菜! 早くパン焼くの手伝ってくれ。焼き立てのパンがなくなっちまう!」
二人を見つけると中でパンを焼いている男子生徒が叫ぶ。白いタオルを頭に巻いて、体育服の袖を肩まで捲っている。
「お、おう。いつの間にか人がすげぇ増えてんな」
予想もしていなかった人だかりに驚きながらも直哉と晴菜はすぐにテントの中に入り、パンを焼き始める。
てっきりフライパンで焼いているものだと思っていたが、実際にバーベキューで使っている台に網を引いて、その上に底を切り取った一斗缶の中に網を二枚引き、その上にパンを乗せて焼いている。
「こんなに人が集まるほどおいしいのかな?」
プロを目指しているとはいえまだ高校生の作ったパンだ。祭りの雰囲気で普段よりも美味に感じる事を考慮してもこれほどの人が集まるのは不自然だ。
「フハハハハハッ、祭りとは神に捧げし儀式。すなわち供物は全て我が血肉となるのだ!」
「あ、テメェッ! それ、オレが狙ってたヤツだぞ!」
様々な声や音が飛び交う中でも優理の耳にはっきりと届いた聞き覚えのある声にパンがなくなるといった言葉の意味をようやく悟る。
「今のって――やっぱりあの二人か」
遠目から店の様子を探ると見慣れた逆立っている銀髪の少年と巨体の少年が大量のパンを抱えているのが見えた。
二人は優理と直哉と同じく、ホームで暮らしている。キメラに対抗できる人間の一人であるクロト・レイルと彼らを創った技術の神ヴァルカンと一体化している源田和弘の二人は近くにあるテーブルに買ったばかりのパンを広げて、次々と食べていく。
その様子を周囲の人は見世物を見るような目で二人の食べっぷりを見ている。
「相変わらずドン引きするくらい大食いだなぁ」
神気と呼ばれるエネルギー源の補充で彼らは普通の人間の数倍の量を平然と平らげてしまう大食漢だ。
以前、優理と直哉、源田の三人はキメラ襲撃の時に大怪我を負ってその治療のために技術の神ヴァルカンの神気が彼女たちの身体に宿り、今は目立った跡はないが、完治したわけでなく、内面でその治療が行われているらしい。
そのため優理も以前より食欲が増しているが、体重や周囲に大食いだと思われないように我慢している。
店に集まっているほとんどの男性客は彼らに注目しているが、女性客の視線は隣で二人よりも量が少ないパンを食べている金髪の少年に向けられている。
軽いパーマが掛かったような金髪に透き通るような碧の眼の彼は手元にあるパンを一口サイズに千切って口元へ運ぶ。
たったそれだけの動作なのに気品が溢れ、女性だけでなく、何人かの男性も彼に見惚れている。
(ほんと、絵になるなぁ…)
少年を知る優理は他の人間と違って苦笑交じりで彼を見る。彼もクロトと同じヴァルカンに創られた人間の一人アレク・マーストニーだ。
「夏鈴ちゃん、パンは後で食べよっか」
「はーい」
「晴菜ー、私たち他の出店回ってからまた寄っていくねー」
店に並んでいる客に提供できるパンを急いで焼いている料理研究会の面々の忙しさを見ると立ち寄るのも気が引けるのでもう少し落ち着いてからお邪魔する事にした。
声が入り乱れる中でテントに向かって大きな声で言うと、普段からは想像できない大きな晴菜の声が届く。
晴菜に伝わったのを確認すると優理と夏鈴は手を繋ぎながら出店を回り始める。




